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第一話 義務の光
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鐘の音が、街を叩くように鳴り響いた。
王都ルシオンの朝は、いつもこの金属音から始まる。
人々にとっては祝福の音。
だがエリアス・グレインにとっては、
一日の始まりを告げる“義務の合図”だった。
——結婚せよ。それが国の掟である。
愛のためではない。
国家のために。
二十五歳までに婚約を結ばなければ、
“魔力安定局”に送られ、
心を鎮めるための奉仕労働に従事させられる。
街角の掲示板には、新しい布告が貼り出されていた。
《婚約登録率、九十二パーセントを突破》
《未婚者には国家給付の停止措置》
文字の背後で、婚約を祝う鐘が鳴る。
この国では、自由の音よりも“管理の音”の方が多い。
エリアスは、文書院の一室で湯気の消えた茶をすすっていた。
机の上には、婚約契約書が山のように積まれている。
今日も、誰かの“愛の記録”を保存する日だ。
彼の仕事は、国民の婚約書を分類し、永久保存すること。
つまり、他人の幸福を“書類”として残す役目だった。
「……今日も安定してるな。」
自嘲のような声が、紙の山に吸い込まれる。
愛も想いも、ここではすべてインクの濃淡でしかない。
乾いてしまえば、どんな言葉も同じ黒になる。
彼は三十二歳。
結婚適齢を七年過ぎ、
“監督対象者”として婚活庁の名簿に載っている。
半年以内に婚約を結ばなければ、
彼の名前は“市民台帳”から抹消されるだろう。
「……消されるのも、悪くない。」
半分冗談、半分本音だった。
窓の外では、白い建物が朝日を反射している。
婚活庁だ。
教会のように清らかな外観。
だが中で行われているのは祈りではない。
“愛の選別”だ。
職員たちは笑顔で黒い板を配っている。
マギボード——この国の人々が生まれた時から持たされる、
“心の端末”と呼ばれる道具。
手のひらほどの大きさで、
黒曜石のように滑らかな表面を持つ。
魔力を流せば淡く光り、
二枚の板が近づくと互いの波形が共鳴する。
相性が合えば、契約は即成立。
愛は数値で測られ、国家データベースに登録される。
かつては遠距離通信に使われた古代魔導具だったが、
今では婚約・出産・精神診断までも管理対象だ。
誰と愛し、誰と別れるか──
国が決める。
「マギボードの光が強ければ幸福になれる」
そう信じて疑わない人々の笑顔が、
エリアスには痛々しく見えた。
彼のマギボードは、
もう何年も光っていない。
かつて共鳴した相手がいたが、
光はある日突然、消えた。
理由も、告げられぬまま。
それ以来、彼は恋を避けた。
制度の外に逃げるように、
ただ書類の山に埋もれる日々を選んだ。
書庫の壁には、
《あなたの光を国家に捧げましょう》
という標語が掲げられている。
まるで皮肉のように、
その下で兵士たちが恋人たちの契約を監督していた。
引き出しの中から、封書を取り出す。
差出人:婚活庁。
『最終通知:六ヶ月以内に誓約登録を完了せよ。』
青い印章が、冷たく滲んでいる。
「愛より安定、か……」
独りごとのように呟いて、彼は紙を丸めた。
静寂。
それがこの部屋で、もっとも安定した音だった。
——その夜、静寂が破れた。
窓を叩く風が、机上の紙を散らす。
その中で、灰色のマギボードが淡く光を放った。
何年も沈黙していた板が、
まるで息を吹き返したように脈動している。
「……誤作動か?」
エリアスは半ば呆れながら手を伸ばす。
指先に、微かな温もりが伝わった。
石のはずなのに、まるで人の体温のようだった。
表面に白い光の文字が浮かぶ。
誰のものでもない、知らない筆跡。
> 『……聞こえますか?』
彼は息を呑んだ。
声ではない。
光が、言葉になっていた。
その一文を見つめていると、
胸の奥に、遠い昔のざわめきが蘇る。
懐かしさと、得体の知れない恐れが同時に走った。
> 『……誰だ?』
震える指で、彼は文字を刻んだ。
返事はない。
ただ、光が淡く点滅を繰り返す。
まるで誰かの心臓が、板の中で鼓動しているように。
エリアスは目を閉じた。
耳鳴りの奥で、自分の鼓動と光のリズムが重なる。
心臓が、久しく感じなかった速さで打っていた。
夜が明けても、光は消えなかった。
そして彼は気づく。
胸の中のざわめきが、
もう「孤独」ではないことに。
——この瞬間から、
彼の世界は静かに歯車を外れ、
まだ見ぬ“誰かの光”へと、ゆっくり動き出した。
王都ルシオンの朝は、いつもこの金属音から始まる。
人々にとっては祝福の音。
だがエリアス・グレインにとっては、
一日の始まりを告げる“義務の合図”だった。
——結婚せよ。それが国の掟である。
愛のためではない。
国家のために。
二十五歳までに婚約を結ばなければ、
“魔力安定局”に送られ、
心を鎮めるための奉仕労働に従事させられる。
街角の掲示板には、新しい布告が貼り出されていた。
《婚約登録率、九十二パーセントを突破》
《未婚者には国家給付の停止措置》
文字の背後で、婚約を祝う鐘が鳴る。
この国では、自由の音よりも“管理の音”の方が多い。
エリアスは、文書院の一室で湯気の消えた茶をすすっていた。
机の上には、婚約契約書が山のように積まれている。
今日も、誰かの“愛の記録”を保存する日だ。
彼の仕事は、国民の婚約書を分類し、永久保存すること。
つまり、他人の幸福を“書類”として残す役目だった。
「……今日も安定してるな。」
自嘲のような声が、紙の山に吸い込まれる。
愛も想いも、ここではすべてインクの濃淡でしかない。
乾いてしまえば、どんな言葉も同じ黒になる。
彼は三十二歳。
結婚適齢を七年過ぎ、
“監督対象者”として婚活庁の名簿に載っている。
半年以内に婚約を結ばなければ、
彼の名前は“市民台帳”から抹消されるだろう。
「……消されるのも、悪くない。」
半分冗談、半分本音だった。
窓の外では、白い建物が朝日を反射している。
婚活庁だ。
教会のように清らかな外観。
だが中で行われているのは祈りではない。
“愛の選別”だ。
職員たちは笑顔で黒い板を配っている。
マギボード——この国の人々が生まれた時から持たされる、
“心の端末”と呼ばれる道具。
手のひらほどの大きさで、
黒曜石のように滑らかな表面を持つ。
魔力を流せば淡く光り、
二枚の板が近づくと互いの波形が共鳴する。
相性が合えば、契約は即成立。
愛は数値で測られ、国家データベースに登録される。
かつては遠距離通信に使われた古代魔導具だったが、
今では婚約・出産・精神診断までも管理対象だ。
誰と愛し、誰と別れるか──
国が決める。
「マギボードの光が強ければ幸福になれる」
そう信じて疑わない人々の笑顔が、
エリアスには痛々しく見えた。
彼のマギボードは、
もう何年も光っていない。
かつて共鳴した相手がいたが、
光はある日突然、消えた。
理由も、告げられぬまま。
それ以来、彼は恋を避けた。
制度の外に逃げるように、
ただ書類の山に埋もれる日々を選んだ。
書庫の壁には、
《あなたの光を国家に捧げましょう》
という標語が掲げられている。
まるで皮肉のように、
その下で兵士たちが恋人たちの契約を監督していた。
引き出しの中から、封書を取り出す。
差出人:婚活庁。
『最終通知:六ヶ月以内に誓約登録を完了せよ。』
青い印章が、冷たく滲んでいる。
「愛より安定、か……」
独りごとのように呟いて、彼は紙を丸めた。
静寂。
それがこの部屋で、もっとも安定した音だった。
——その夜、静寂が破れた。
窓を叩く風が、机上の紙を散らす。
その中で、灰色のマギボードが淡く光を放った。
何年も沈黙していた板が、
まるで息を吹き返したように脈動している。
「……誤作動か?」
エリアスは半ば呆れながら手を伸ばす。
指先に、微かな温もりが伝わった。
石のはずなのに、まるで人の体温のようだった。
表面に白い光の文字が浮かぶ。
誰のものでもない、知らない筆跡。
> 『……聞こえますか?』
彼は息を呑んだ。
声ではない。
光が、言葉になっていた。
その一文を見つめていると、
胸の奥に、遠い昔のざわめきが蘇る。
懐かしさと、得体の知れない恐れが同時に走った。
> 『……誰だ?』
震える指で、彼は文字を刻んだ。
返事はない。
ただ、光が淡く点滅を繰り返す。
まるで誰かの心臓が、板の中で鼓動しているように。
エリアスは目を閉じた。
耳鳴りの奥で、自分の鼓動と光のリズムが重なる。
心臓が、久しく感じなかった速さで打っていた。
夜が明けても、光は消えなかった。
そして彼は気づく。
胸の中のざわめきが、
もう「孤独」ではないことに。
——この瞬間から、
彼の世界は静かに歯車を外れ、
まだ見ぬ“誰かの光”へと、ゆっくり動き出した。
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