罅割れた月

朝日奈徹

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訪問者-脅迫◆「探偵は雨の日の迷い猫に弱い」

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「俺も大概お人好しだな」
 ガッシュは唸るように言うと、古い家の鎧戸を、上階から順に閉めていった。雨が降ってきて、空気がだいぶひんやりとしてきたからだ。
 暗黒塔を脱出した後、約束通り、少年に棒付きキャンディーの特大のやつを買ってやり(思ったよりカネがかかった)、ついでにハンバーガーショップで飯までおごってやって、そこで別れて今帰宅したところなのだ。
 そういえば、名前も聞かなかった。
 魔法を使うなんて、あまりにも怪しい。
 誰でも知っている通り、魔法そのものはこの世に存在する。但し誰でも使えるというわけではない。
 魔法を使えるのは、上つ方のほんの一握りだけだ。
 但し、魔力そのものはだいぶ解明されていて、現在ではバッテリーに貯めておく事ができるし、バッテリーに貯めた魔力なら、適切な機械装置によって、誰でも使う事ができた。
 とはいえ、貴族でもない庶民が目にする事ができるとしたら、ある種の兵器だけということになる。
 一番一般的なのが、暗黒弾だろう。
 弾丸に暗黒力を詰め込んだもので、目標にあたれば炸裂する。同じものは工業技術だけでも作れると言われているが、暗黒弾の方がはるかに安価だった。
 なのに、あの少年は魔法を使った。
 一体、何者なのか?
 しかも、暗黒塔の底で、箱に閉じ込められていたとは。
 誰が閉じ込めていたのかもわからないし、いろいろときな臭い。
 階段を下りたガッシュは、一階の窓にとりかかった。裏手から順に、ばたばたと鎧戸を下ろしていく。
 それが、玄関脇の事務室の窓でぱたっと手が止まった。
 ここの窓からは、勿論、玄関を見る事ができる。
 別になんの変哲もない玄関だが、今はそこにおかしな装飾がひとつ付け加えられていた。
 玄関ポーチにうずくまる小さな影だ。
 薄暗がりでも、髪が金色であるのがわかる。
 ガッシュは溜息とともに、そのまま事務室の窓に鎧戸をおろし、玄関の扉を開いた。
「おい。何やってんだ?」
「やっと開けてくれたんだね。ぼく随分待ったんだよ」
「待ったっておまえ……」
 扉の脇に右手をかけ、左手は取っ手を握ったまま、ガッシュは呆れたように天を仰いだ。
「それくらいなら呼び鈴を鳴らせばいいだろうが」
 返事はない。
「だいたい、なんでついてきたよ。家へ帰れ」
「やだよ」
「家出か? 帰りにくいなら送ってやる。親が心配しているぞ」
 いやな予感はしたのだ。
 その予感は見事的中した。
 少年はぶわっと涙を溢れさせた。
「お、親なんかいないよ。家も、もうないもん」
「はあ」
 ガッシュは盛大な溜息。
「ともかく住所を言ってみろ」
 少年は口を尖らせた。
「家、ないって言ったじゃんか」
 よほどなにか事情があるのか。
 いや、事情はあるに決まっている。
 なんせあんな事になっていた子だ。
 ふむ、考えてみれば、暗黒塔に捕らわれていたということは、捕らえた相手がいるわけで、まだそいつらに狙われていると思っているのかもしれない。
 だからってなんで俺だ。
 他に頼るものがないわけか。
「あのな。ここは探偵事務所であって、ホテルじゃないんだ」
 少年は膝を抱えたまま、反抗的に見あげた。
「なら、ぼくが探偵に依頼する! ぼくを守って、ぼくを助けて、ぼくを入れて」
「……カネ、あんのか?」
「今はないけど」
 少年は口ごもった。
「二週間以内でもいいなら」
「しようがないな」
 ガッシュは家の中へ顎をしゃくった。
「入れよ」

 戸締まりをして、キッチンの灯りを点けると、少年は一瞬、眩しそうに目をしばたいた。
「それで、おまえ、名前は」
「リドリ」
 簡単に言ったものだ。
 姓はないのだろうか。それともわざと言わないのか。
 マグカップをふたつ出して、薬缶を火に掛け、ティーバッグでお茶を淹れる。
「ミルクのがいいんだろうが、きらしてるんだ。まあそれを飲め」
「ありがと」
 リドリは両手でカップを抱え、ちびちびと茶を啜った。
 玄関のドアが激しく叩かれたのはその時だった。
 ガッシュは舌打ちして立ち上がった。
 扉越しに外を見ると、なんとも人相の悪いのが、三人ばかり並んでいる。帽子のつばからはぽたぽたと雨水が滴っていた。
 口からのぞく不揃いな牙といい、緑色を帯びた肌といい、いかにも工場生まれの小鬼丸出しだ。
「何の用だ」
 扉越しに怒鳴ると、相手も怒鳴り返してきた。
「サブグルがいるだろう。出せ」
「何だそりゃっ」
「サブグルだ。出せ」
「そんなもんはない」
「あるはずだ」
 ガッシュはついに扉を開くと、いきなり腰の後ろにぶちこんであった拳銃を抜いた。
 トリガーに手をかけ、きちっと真ん中の奴に狙いをつける。
「こいつはダブルトリガーだ。でも俺の都合で、引き金はちょっとばかり軽くしてある。てめえらのような小鬼なら、何人殺しても多少生ゴミが殖えるだけだ。誰からも文句は出まい」
 さすがに、小鬼が冷や汗を浮かべるのが感じられる。
「隠すとためにならねえぞ」
「隠すもなにも……サブグルってどんなものか言ってみろ」
 返事はない。
 しかも、小鬼どもは妙に居心地が悪そうだった。
 なるほど、こいつら、子供の使いというわけだ。
 彼ら自身にも、サブグルとはどんなものなのかが教えられていないのだ。ここへ来て、返せと言えば、出すと思っていたのだろう。
「言えないのか? なら仕方がないな」
 相変わらず無言だ。
「さっさと帰れ。もうここには用はないはずだ」
 ガッシュの言葉に、まだ小鬼どもはねばろうとしたが、そのままトリガーを握ったガッシュが、もっと近くに銃口をさしつけると、とうとう三人揃って後ずさり、捨て台詞を残して逃げ出して行った。
「ふう……」
 ばたん、と扉を閉めてガッシュは額からありもしない汗を拭った。
 危ないところだった。
 弾は暗黒塔で射ち尽くしている。まだ弾倉に弾をこめなおしてはいなかったのだ。
 キッチンのところから、リドリが金色の頭をのぞかせていた。
「あいつら、ぼくを探しにきたんだ」
「は? おまえの名前なんかこれっぽっちも言っていなかったぞ」
 リドリはうつむいた。
「ぼくの名前、あれで全部じゃないんだ」
「そうだろうな」
 うつむいたリドリの頭が濡れているのにようやく気づき、ガッシュはあちこちの戸棚をかきまわすと、ようやく乾いたタオルをみつけてリドリに放った。
「拭けよ」
「うん」
 リドリがおざなりに濡れた髪を拭き始める。
「それで? おまえの正しい名前はなんだ」
「リドリエン・シリエ・セファルギリオン」
 キッチンテーブルに置いた灰皿から探し出した、長めの吸い殻が、くわえた口からぽろりと落ちた。
「……なんだって?」
 リドリがガッシュを睨む。二度言うつもりはないようだ。
「……で。そのどこがサブグルなんだ」
「わからないの? あれは、セファルギリオンが小鬼たちの使う言葉風になまったものだよ」
「ああ。なるほど。そうなのか」
 ガッシュは神話に出てくる生き物でも見るかのように、まじまじとリドリを眺めた。
 いや、本人の言うとおりなら、まさしくリドリは神話の生き物ということになる。
 なぜなら、リドリエンというのは、死の王が世界を席巻する前の時代に、この世を統べていたという、神話的な皇室に連なる名前だからだ。彼らは長く、死の王の軍勢と戦った。奴らに味方する人間の裏切り者どもとともに、今は全員、死者の沼地で眠っているはずの名前だ。
「おまえは冗談がうまいな」
「冗談なんかじゃない。あいつらは、ぼくが持っている破滅の呪文を狙っているんだ」
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