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プロローグ
女神に出会って罵って
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鐘の音が煩く鳴り響き、深夜でありながらも厳戒態勢が敷かれた王国は、真昼のように騒がしい。
人々は混乱し、どうするべきかと思案してウロウロするばかりだ。城から空に向かって放たれる何本ものライトが追い打ちをかけるように不安を誘っている。
なんでも死刑囚が脱獄したとか。
犯罪者の中でも危険視されるべき者が野に放たれたとなれば、恐怖のあまり安全な場所へと逃げ出すのは当然である。
俺も例外なく、裸足のままで王国の外へと駆けていた。
――しかしこの人たち、どこが安全かなんて分かって走っているのかね。
群衆に紛れてみすぼらしい格好をしている俺たちこそ、その死刑囚なんだが。
***
『ジョブ:勇者』
天井が崩れさり、淡い光が差し込む魔王城。周りには俺以外、誰一人として見当たらない。
そんな中、ステータスバーを見つめながらチカチカと点滅するそれを認識して、俺は口をぽっかりと開けていた。
しかし微動だにしない顔と対比して、心臓はずっと正直だ。この状況を理解して、真面目に仕事をまっとうしている。
耳の奥を通り越して、頭の芯まで響いてくる鼓動音。それが電池の役割を果たしてか、全身からはとめどない量の汗が吹き出していた。
「魔王倒しちゃった……」
と、言葉の壮大さとは裏腹に、情けない声で独り言を呟き、戦闘を振り返る。
こんなことを言ってしまってはいけないのだろうが、正直、あまりに呆気なかった。
世界には打倒魔王を掲げて、何十年も、いや、人によっては何百年という時を費やしてレベリングに勤しむ人々がいることだろう。
しかし俺がこの世界に転移してきたのが、3年前。しかもソロプレイを貫いてここまで漕ぎ着けてしまったのだ。
こんなに短期間で魔王を討伐してもいいものかと、達成感と歓喜に、少しだけ罪悪感が覆いかぶさっている心情だ。
なにせ爆弾投げただけで蒸発しちゃったんだもんなあ……。
まあそのせいで天井が吹き抜けになったのだから、威力だけはお墨付きなのだが。
ソロプレイを貫いたという俺も、好きでひとりぼっちで冒険してきたわけじゃない。本当なら今この瞬間、喜びを分かち合える仲間が欲しいところである。
おかげで台詞の1つも吐けない。
そう、あれはある春のこと。春といえば出会いの季節である。異世界転移したばかりで、世界の仕組みにすらほとんど知らなかった時。
俺は出会いを望んでいたのだ。
異世界の美少女に一目会いたくて、ギルドメンバー募集なんて内容の張り紙を、クエストボードに貼ったことがあった。
しかし内容が公序良俗に触れるのだと、局員に問いただされて、速様剥がされてしまったのだ。
どこが公序良俗に触れてしまったのか……。
『ギルドメンバー募集。クエストの報酬は山分け。初心者冒険者さん大歓迎。※但し14歳以下の美少女に限る』
……普通の内容だったと思うのだが。
それからというもの、街のギルドから目をつけられてしまい、美少女と出会うチャンスはなくなってしまったのだ。
まあ今さらそんなことを気にしてもしょうがない。
大事なのは結果である。
勇者のジョブ。このジョブを手にすることは、魔族を統べる王、文字通り魔王を討伐したことを指す。
それは冒険者に限らず、この世に生を受けた者なら全てが憧れるものなのだが……悪いな、全国の勇者候補諸君。
ステータスバー、俺の名前の横。
今度は脳みそもはっきりと理解してくれた。
――今しがた俺、田中 蓮のジョブは勇者となったのだ。
もちろん勇者の称号は伊達ではない。
腕につけている魔道具が、自分や相手の力量を数値化して表してくれるのだが……魔王の総合ステータス値が10万ほど。
俺の元のステータスは恥ずかしいから伏せておくが、今はどうだろうか。
……53万である。
もはや壊れたのではないか。
しかしこの数値。
次に新たな強敵が現れたとしても、「私はこの左手だけで戦ってあげましょう。少しは楽しめるかもしれませんよ」なんて余裕をかましながら勝てる自信がある。
……いや、あの人は結局両手使ったのか。まあいいや。
歓声だって王国まで戻ればきっと溢れるほど貰える。勇者のジョブを見せつければ、同じギルドに入れて欲しいと懇願する者だって山ほどいるだろう。もしかしたら王国騎士に推薦されるかもしれない。
つまり俺が現世にいた頃思い描いていた異世界ライフが、やっと実現するわけだ。
美少女からのチヤホヤ祭りが目に見える。
しかし本当に楽しみなこと。
俺が魔王を討伐した元々の目的は、このあとすぐに叶うはずなのだ。
この俺が魔王を討伐したのだという朗報が、世界中に伝わるよりも早く。それこそCMの後すぐ! みたいな感じで。
だからこうして空を見上げて待っているのだが……どうしたのだろう、なかなか現れないな。
***
――どのくらい待ち続けただろうか。魔王との戦いで負った傷が、既にリジェネの効力のみで全快している。
思い違いだったのだろうか……?
ラスボスを倒したら、転移した時に一度だけ会った、もう顔も忘れかけている神様が俺を現世に送り返す。
異世界転移ものの主人公ならば誰もがそう思うし……うん、多分。知らないが。
実際のこと、俺も今の今までテンプレどおりに事が進むと思っていた。
しかし俺はそこらの勇者様みたいに、ホイホイ現世に帰るようなことはしない。
もし現世に戻ったとしたら、この世界で過ごした3年間はただ神隠しに遭っていた3年間に変換されて、これまでの冒険の意味を無に帰してしまう。
一生懸命覚えた魔法やスキルだって全部パァだ。
第一、勇者のジョブを誰にも見せつけずになかったことにできるだろうか。
いや、俺にはできないね。
まあ神様のことだし、俺がこういう考えになったのも全てお見通しなのかな?
それなら全然いいんだ。勇者の貴重な時間をとらない、最高の配慮だろ。
流石は神様。
勝手に納得し、この場を離れて王国に戻ろうとした瞬間のこと。
空をくまなく覆っていた暗雲に亀裂が走り、一筋の光が差し込む。
――ああ……ナシだったみたいです。
この光景は、『降臨している』という表現が正しいのだろうか?
きっと一生にそう何度も使う動詞ではないから、その意味をしっかりと噛み締めよう。
差し込んだ光の中を、女神が舞いながら降りて来て……い、あ。
「ぬわああああ! 止めて、受け止めてえええ!」
空から降ってくる、必死さに満ち満ちた声。
……これは降臨じゃない、墜落だ。
見た目だけなら齢九つくらいの神様が、こちらを目掛けてミサイルのように突き進んでくる。
まあ俺も勇者というジョブに就いたわけだ。ここは華麗にキャッチして、株をあげておこうじゃないか。衝撃にも耐えられる身体も持ち合わせているし。
いやロリに抱きつきたいわけじゃないよ?
ただ勇者としての役目をまっとうしたいだけだ。
待ち構えるように腕を精一杯伸ばしていると、耳元で風を切る音が聞こえた。
直後、すぐ隣の床が砕け散る。
ボウン、と鈍い音が鳴り響き、飛散した砂埃が身体中を突き刺すと、悔しさの念が溢れだした。
惜しいことをした――と。
瓦礫が崩れて、土煙の中から人影が現れる。
汚れを払い除けるため、犬のように身震いをした影は、低い背丈と、ぺちゃぱ……胸部の絶壁を持ち合わせているようだ。
なんともまあ……尊い神様である。
「ちょっ、何失敗してるんですか! あなた紛いなりにも勇者ですよね!?」
まだ姿がはっきりとしないが、敬語ながら馴れ馴れしい罵声だけが飛んできた。
女神様に会うのは、俺がこの世界に転移してからだから、およそ3年ぶり、二回目だ。
そういえばのじゃ系のロリっ子様だったな……。
語尾に「のじゃ」を付けるのは止めたのだろうか。
「それにしても……」
眉間にシワを寄せて、まるで汚物を見るかのような目を向けた神様は、そのまま罵声の続きを。
「キャッチしようとしてた時、何故ニヤついていたのですか? つい防衛本能で方向転換してしまいました」
打って変わって、冷静な敬語に。これこそ神様である。
しかしその言動に、返す言葉が詰まってしまった。
だったら墜落した原因は俺じゃないだろ、なんて考えも浮かんでしまったのだが、ニヤついていたという事実は揺るぎないものである。
だからお互い様であろうと、反論などは絶対にしない。いついかなる時もロリの行動は正し……紳士たるもの当然の受け答えだ。
第一相手にけんか腰で話されても、動じず穏便に済ませるのが無難というものである。
その相手が女の子であったり、幼い子であるなら尚更だ。
だからそれに則って、
「あの……どうして落下してきたんですか? 背中についている翼で羽ばたけばよかったのに」
なんて話を逸らした。
我ながら雑な切り返しだ。
「それは……その、色々事情があるんです。翼の節約ですね」
まったくもって意味が分からない、答えになっていない回答。しかし晴れた土煙から覗かせる、神様の姿を見れば答えは歴然だった。
光の道と影の出来方で大きく見えていた翼は、実際のところ肩甲骨を覆うくらいの大きさしかなかったのだ。
こんなに小さいもので空に羽ばたくなんて、到底不可能である。
雀や蝶だって自分の胴体以上もある翼を身につけているというのに。切ない。
「……あんまりジロジロ見ないでくれませんか?
翼を見つめるなんてあなた本当に神の手によって変態認定しますよ?」
「神の手によって変態認定……。なんですかそれ、怖すぎですよ」
身を守るように両手で翼をすっぽり覆うと、女神様の腕は後ろに回るせいで絶壁が誇張されて、前へならえの最前列のポーズに見える。
やっぱり尊いな……。翼は神様にとって恥部なのだろうか。
あ、尊いってのは神様としての神々しさを指しての意味だからね? 変な解釈はしないでいただきたい。
「はぁ……まあいいです。早く仕事を終わらせましょう。……どうしますか?」
前へならえののポーズを揺げることなく、そのままため息を。
それにしても……どうしますか?
なにが聞きたいのだろうか。
変態の疑念についてこれ以上追求されないのはよしとして、なにかを問われるような話の流れでなかったことは確かだ。
「え、と……なんのことですか?」
「願い事ですよ、現世に帰りたくはないのですか? ……それとも別の願い事を?」
ああ、現世に帰ること以外にも選択肢があったのか。それにしても説明が少ない。
ともかく、普通はここで現世に帰るという選択をするのだろう。だから神様も『現世に帰りたくないの?』などと言ったのだ。
しかしさっきの話どおり、俺は現世に帰る気などさらさらない。
つまりは願いが余ってしまった、ということなのだ。
どうしたものだろう。突然のことすぎて良い願い事が全く思い浮かばない。
俺はこれから英雄になるはずだし、きっと金と女には困らないであろう。ギルドの加入申請を受け続ければ、気の合う仲間とも巡り会えるだろうし。
勇者になった時点で多くの願い事の確約が取れてしまった。だが今後二度とないチャンス、そうやすやすと見逃すことはできない。
じゃあ……健康?
――いやいやいや、ジジくせーよ! ウイルスへの耐性もきっとあるだろうし。なにせ今の俺は勇者だ。
じゃあ……最強の力?
――もう魔王を倒したわけだしなぁ。裏ボスなんかがいても、今の力さえあれば負けることはないだろう。
結局何を考えても勇者のジョブが全てを解決してしまう。
現世に帰らないなら帰らないとして、現世だラノベを読み漁っていた俺なら、この展開は読めていたのだ。しっかり願い事は考えておくべきだった。
「……まさか、願い事を考えてなかったのですか? 転移するときに一応考えておきなさいって言ったじゃないですか」
冷静な口調ながら、頬を膨らませる様子は、1人の少女そのものだ。
それにしても、完全に願い事の詳細を忘れてしまっていたようだ。
なにせ転移した直後のことだから、パニクってよく話を聞いていなかったのかもしれない。
第一、3年前の出来事だ。
だが神様にとっては3年なんて一瞬のことかもしれないしな……。
長く生きていれば時間の流れる速さもかなり変化してくるだろう。
あれ? よくよく考えたらこのロリ神様も、見た目が幼いだけで実際は俺よりずっと年上?
ロリババア?
思い立ったがまず行動。情報収集とは冒険の基本だ。
「あの……神様っていくつですか?」
「……なんですかその質問。それが願い事でいいのですか?」
「いやそうじゃなくて、神様若いからいくつかなー、なんて気になって」
危ねえええ! ワケわからない願い事にされるところだった。俺のスキル、『マダム殺し』が火を吹いていなければ今頃は死ぬほど後悔してた。
それにしても『マダム殺し』が思いのほか効いて良かった。ロリだから、当然じゃないですか、なんて言われて一蹴されるかと思った。
しかしそれどころか、ニヤけが止まらなくご満悦といったご様子である。
やはりロリババア説は濃厚なのか?
「ふふん、分かっているじゃないですか、勇者くん。ちなみに何歳に見える?」
あ、この質問は、と思った。
三十路を超えた女性の、典型的な質問返し。
ならば、
「絶対に若くない」
あ、やべ、声に出てた……。
ちらりと表情を伺うと、そこでは憤慨の面を被った神様が、軽蔑の目で俺を突き刺していた。
「……願い事はお預けね」
「すみません、今のはほんの冗談で……」
「はあ!? じゃあなんで、やっちまったって顔してるのよ!」
敬語を忘れた神様が、頬を赤くして責めてきた。
言葉に詰まる。またもや返す言葉が見つからない。
もしかしたら本当にロリだったのかもしれないのに……。そんな子を傷つけてしまったとなれば、紳士失格だ。
「もういいです、一年後にまた来ますから。それまでにちゃんと願い事考えてくださいね。私のほとぼりが冷めていたらだけど!」
表情を崩さないまま、神様は空に飛び立とうとする……が、案の定翼が小さすぎて身体を浮かせることすら敵わない。
というか、肩甲骨がピクピクと動いているだけである。なにこれ、可愛い。
なんて思っていたら、今度は携帯のようなものを取り出して、
「早く迎えに来なさいよ! もう帰るんだから!」
なんて叫び出す。
こんなに情緒の変化が激しいのを見ていると、やはりロリなのだろうかという思いが過ぎる。ババアは不要なのだろうかと。
「あの……ほんとにすいません。やっぱりロリでした」
「それはそれでうるさい! もう口を開くな!」
言われた通りにぐっと口を噤むと、神様が墜落してきた時のように、暗雲から一片の光が差し込む。
そこに向かって走り出す神様は、舌打ちをして如何にも機嫌が悪いご様子だ。
もう一年後になったって、願いを叶えてもらえる見込みはないかもしれない。
そして光に包まれる直前、神様は吐き捨てるように言葉を残していった。
「まだ私は二百歳前半よ!」
……まるで二十代前半と言うような口調。
だが全人類のはるか上を行く年齢。その矛盾に、気がつけば、また独り言が漏れてしまっていた。
「ロリババアじゃねえか」
と、聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな声を。
バチが当たらないといいが。
人々は混乱し、どうするべきかと思案してウロウロするばかりだ。城から空に向かって放たれる何本ものライトが追い打ちをかけるように不安を誘っている。
なんでも死刑囚が脱獄したとか。
犯罪者の中でも危険視されるべき者が野に放たれたとなれば、恐怖のあまり安全な場所へと逃げ出すのは当然である。
俺も例外なく、裸足のままで王国の外へと駆けていた。
――しかしこの人たち、どこが安全かなんて分かって走っているのかね。
群衆に紛れてみすぼらしい格好をしている俺たちこそ、その死刑囚なんだが。
***
『ジョブ:勇者』
天井が崩れさり、淡い光が差し込む魔王城。周りには俺以外、誰一人として見当たらない。
そんな中、ステータスバーを見つめながらチカチカと点滅するそれを認識して、俺は口をぽっかりと開けていた。
しかし微動だにしない顔と対比して、心臓はずっと正直だ。この状況を理解して、真面目に仕事をまっとうしている。
耳の奥を通り越して、頭の芯まで響いてくる鼓動音。それが電池の役割を果たしてか、全身からはとめどない量の汗が吹き出していた。
「魔王倒しちゃった……」
と、言葉の壮大さとは裏腹に、情けない声で独り言を呟き、戦闘を振り返る。
こんなことを言ってしまってはいけないのだろうが、正直、あまりに呆気なかった。
世界には打倒魔王を掲げて、何十年も、いや、人によっては何百年という時を費やしてレベリングに勤しむ人々がいることだろう。
しかし俺がこの世界に転移してきたのが、3年前。しかもソロプレイを貫いてここまで漕ぎ着けてしまったのだ。
こんなに短期間で魔王を討伐してもいいものかと、達成感と歓喜に、少しだけ罪悪感が覆いかぶさっている心情だ。
なにせ爆弾投げただけで蒸発しちゃったんだもんなあ……。
まあそのせいで天井が吹き抜けになったのだから、威力だけはお墨付きなのだが。
ソロプレイを貫いたという俺も、好きでひとりぼっちで冒険してきたわけじゃない。本当なら今この瞬間、喜びを分かち合える仲間が欲しいところである。
おかげで台詞の1つも吐けない。
そう、あれはある春のこと。春といえば出会いの季節である。異世界転移したばかりで、世界の仕組みにすらほとんど知らなかった時。
俺は出会いを望んでいたのだ。
異世界の美少女に一目会いたくて、ギルドメンバー募集なんて内容の張り紙を、クエストボードに貼ったことがあった。
しかし内容が公序良俗に触れるのだと、局員に問いただされて、速様剥がされてしまったのだ。
どこが公序良俗に触れてしまったのか……。
『ギルドメンバー募集。クエストの報酬は山分け。初心者冒険者さん大歓迎。※但し14歳以下の美少女に限る』
……普通の内容だったと思うのだが。
それからというもの、街のギルドから目をつけられてしまい、美少女と出会うチャンスはなくなってしまったのだ。
まあ今さらそんなことを気にしてもしょうがない。
大事なのは結果である。
勇者のジョブ。このジョブを手にすることは、魔族を統べる王、文字通り魔王を討伐したことを指す。
それは冒険者に限らず、この世に生を受けた者なら全てが憧れるものなのだが……悪いな、全国の勇者候補諸君。
ステータスバー、俺の名前の横。
今度は脳みそもはっきりと理解してくれた。
――今しがた俺、田中 蓮のジョブは勇者となったのだ。
もちろん勇者の称号は伊達ではない。
腕につけている魔道具が、自分や相手の力量を数値化して表してくれるのだが……魔王の総合ステータス値が10万ほど。
俺の元のステータスは恥ずかしいから伏せておくが、今はどうだろうか。
……53万である。
もはや壊れたのではないか。
しかしこの数値。
次に新たな強敵が現れたとしても、「私はこの左手だけで戦ってあげましょう。少しは楽しめるかもしれませんよ」なんて余裕をかましながら勝てる自信がある。
……いや、あの人は結局両手使ったのか。まあいいや。
歓声だって王国まで戻ればきっと溢れるほど貰える。勇者のジョブを見せつければ、同じギルドに入れて欲しいと懇願する者だって山ほどいるだろう。もしかしたら王国騎士に推薦されるかもしれない。
つまり俺が現世にいた頃思い描いていた異世界ライフが、やっと実現するわけだ。
美少女からのチヤホヤ祭りが目に見える。
しかし本当に楽しみなこと。
俺が魔王を討伐した元々の目的は、このあとすぐに叶うはずなのだ。
この俺が魔王を討伐したのだという朗報が、世界中に伝わるよりも早く。それこそCMの後すぐ! みたいな感じで。
だからこうして空を見上げて待っているのだが……どうしたのだろう、なかなか現れないな。
***
――どのくらい待ち続けただろうか。魔王との戦いで負った傷が、既にリジェネの効力のみで全快している。
思い違いだったのだろうか……?
ラスボスを倒したら、転移した時に一度だけ会った、もう顔も忘れかけている神様が俺を現世に送り返す。
異世界転移ものの主人公ならば誰もがそう思うし……うん、多分。知らないが。
実際のこと、俺も今の今までテンプレどおりに事が進むと思っていた。
しかし俺はそこらの勇者様みたいに、ホイホイ現世に帰るようなことはしない。
もし現世に戻ったとしたら、この世界で過ごした3年間はただ神隠しに遭っていた3年間に変換されて、これまでの冒険の意味を無に帰してしまう。
一生懸命覚えた魔法やスキルだって全部パァだ。
第一、勇者のジョブを誰にも見せつけずになかったことにできるだろうか。
いや、俺にはできないね。
まあ神様のことだし、俺がこういう考えになったのも全てお見通しなのかな?
それなら全然いいんだ。勇者の貴重な時間をとらない、最高の配慮だろ。
流石は神様。
勝手に納得し、この場を離れて王国に戻ろうとした瞬間のこと。
空をくまなく覆っていた暗雲に亀裂が走り、一筋の光が差し込む。
――ああ……ナシだったみたいです。
この光景は、『降臨している』という表現が正しいのだろうか?
きっと一生にそう何度も使う動詞ではないから、その意味をしっかりと噛み締めよう。
差し込んだ光の中を、女神が舞いながら降りて来て……い、あ。
「ぬわああああ! 止めて、受け止めてえええ!」
空から降ってくる、必死さに満ち満ちた声。
……これは降臨じゃない、墜落だ。
見た目だけなら齢九つくらいの神様が、こちらを目掛けてミサイルのように突き進んでくる。
まあ俺も勇者というジョブに就いたわけだ。ここは華麗にキャッチして、株をあげておこうじゃないか。衝撃にも耐えられる身体も持ち合わせているし。
いやロリに抱きつきたいわけじゃないよ?
ただ勇者としての役目をまっとうしたいだけだ。
待ち構えるように腕を精一杯伸ばしていると、耳元で風を切る音が聞こえた。
直後、すぐ隣の床が砕け散る。
ボウン、と鈍い音が鳴り響き、飛散した砂埃が身体中を突き刺すと、悔しさの念が溢れだした。
惜しいことをした――と。
瓦礫が崩れて、土煙の中から人影が現れる。
汚れを払い除けるため、犬のように身震いをした影は、低い背丈と、ぺちゃぱ……胸部の絶壁を持ち合わせているようだ。
なんともまあ……尊い神様である。
「ちょっ、何失敗してるんですか! あなた紛いなりにも勇者ですよね!?」
まだ姿がはっきりとしないが、敬語ながら馴れ馴れしい罵声だけが飛んできた。
女神様に会うのは、俺がこの世界に転移してからだから、およそ3年ぶり、二回目だ。
そういえばのじゃ系のロリっ子様だったな……。
語尾に「のじゃ」を付けるのは止めたのだろうか。
「それにしても……」
眉間にシワを寄せて、まるで汚物を見るかのような目を向けた神様は、そのまま罵声の続きを。
「キャッチしようとしてた時、何故ニヤついていたのですか? つい防衛本能で方向転換してしまいました」
打って変わって、冷静な敬語に。これこそ神様である。
しかしその言動に、返す言葉が詰まってしまった。
だったら墜落した原因は俺じゃないだろ、なんて考えも浮かんでしまったのだが、ニヤついていたという事実は揺るぎないものである。
だからお互い様であろうと、反論などは絶対にしない。いついかなる時もロリの行動は正し……紳士たるもの当然の受け答えだ。
第一相手にけんか腰で話されても、動じず穏便に済ませるのが無難というものである。
その相手が女の子であったり、幼い子であるなら尚更だ。
だからそれに則って、
「あの……どうして落下してきたんですか? 背中についている翼で羽ばたけばよかったのに」
なんて話を逸らした。
我ながら雑な切り返しだ。
「それは……その、色々事情があるんです。翼の節約ですね」
まったくもって意味が分からない、答えになっていない回答。しかし晴れた土煙から覗かせる、神様の姿を見れば答えは歴然だった。
光の道と影の出来方で大きく見えていた翼は、実際のところ肩甲骨を覆うくらいの大きさしかなかったのだ。
こんなに小さいもので空に羽ばたくなんて、到底不可能である。
雀や蝶だって自分の胴体以上もある翼を身につけているというのに。切ない。
「……あんまりジロジロ見ないでくれませんか?
翼を見つめるなんてあなた本当に神の手によって変態認定しますよ?」
「神の手によって変態認定……。なんですかそれ、怖すぎですよ」
身を守るように両手で翼をすっぽり覆うと、女神様の腕は後ろに回るせいで絶壁が誇張されて、前へならえの最前列のポーズに見える。
やっぱり尊いな……。翼は神様にとって恥部なのだろうか。
あ、尊いってのは神様としての神々しさを指しての意味だからね? 変な解釈はしないでいただきたい。
「はぁ……まあいいです。早く仕事を終わらせましょう。……どうしますか?」
前へならえののポーズを揺げることなく、そのままため息を。
それにしても……どうしますか?
なにが聞きたいのだろうか。
変態の疑念についてこれ以上追求されないのはよしとして、なにかを問われるような話の流れでなかったことは確かだ。
「え、と……なんのことですか?」
「願い事ですよ、現世に帰りたくはないのですか? ……それとも別の願い事を?」
ああ、現世に帰ること以外にも選択肢があったのか。それにしても説明が少ない。
ともかく、普通はここで現世に帰るという選択をするのだろう。だから神様も『現世に帰りたくないの?』などと言ったのだ。
しかしさっきの話どおり、俺は現世に帰る気などさらさらない。
つまりは願いが余ってしまった、ということなのだ。
どうしたものだろう。突然のことすぎて良い願い事が全く思い浮かばない。
俺はこれから英雄になるはずだし、きっと金と女には困らないであろう。ギルドの加入申請を受け続ければ、気の合う仲間とも巡り会えるだろうし。
勇者になった時点で多くの願い事の確約が取れてしまった。だが今後二度とないチャンス、そうやすやすと見逃すことはできない。
じゃあ……健康?
――いやいやいや、ジジくせーよ! ウイルスへの耐性もきっとあるだろうし。なにせ今の俺は勇者だ。
じゃあ……最強の力?
――もう魔王を倒したわけだしなぁ。裏ボスなんかがいても、今の力さえあれば負けることはないだろう。
結局何を考えても勇者のジョブが全てを解決してしまう。
現世に帰らないなら帰らないとして、現世だラノベを読み漁っていた俺なら、この展開は読めていたのだ。しっかり願い事は考えておくべきだった。
「……まさか、願い事を考えてなかったのですか? 転移するときに一応考えておきなさいって言ったじゃないですか」
冷静な口調ながら、頬を膨らませる様子は、1人の少女そのものだ。
それにしても、完全に願い事の詳細を忘れてしまっていたようだ。
なにせ転移した直後のことだから、パニクってよく話を聞いていなかったのかもしれない。
第一、3年前の出来事だ。
だが神様にとっては3年なんて一瞬のことかもしれないしな……。
長く生きていれば時間の流れる速さもかなり変化してくるだろう。
あれ? よくよく考えたらこのロリ神様も、見た目が幼いだけで実際は俺よりずっと年上?
ロリババア?
思い立ったがまず行動。情報収集とは冒険の基本だ。
「あの……神様っていくつですか?」
「……なんですかその質問。それが願い事でいいのですか?」
「いやそうじゃなくて、神様若いからいくつかなー、なんて気になって」
危ねえええ! ワケわからない願い事にされるところだった。俺のスキル、『マダム殺し』が火を吹いていなければ今頃は死ぬほど後悔してた。
それにしても『マダム殺し』が思いのほか効いて良かった。ロリだから、当然じゃないですか、なんて言われて一蹴されるかと思った。
しかしそれどころか、ニヤけが止まらなくご満悦といったご様子である。
やはりロリババア説は濃厚なのか?
「ふふん、分かっているじゃないですか、勇者くん。ちなみに何歳に見える?」
あ、この質問は、と思った。
三十路を超えた女性の、典型的な質問返し。
ならば、
「絶対に若くない」
あ、やべ、声に出てた……。
ちらりと表情を伺うと、そこでは憤慨の面を被った神様が、軽蔑の目で俺を突き刺していた。
「……願い事はお預けね」
「すみません、今のはほんの冗談で……」
「はあ!? じゃあなんで、やっちまったって顔してるのよ!」
敬語を忘れた神様が、頬を赤くして責めてきた。
言葉に詰まる。またもや返す言葉が見つからない。
もしかしたら本当にロリだったのかもしれないのに……。そんな子を傷つけてしまったとなれば、紳士失格だ。
「もういいです、一年後にまた来ますから。それまでにちゃんと願い事考えてくださいね。私のほとぼりが冷めていたらだけど!」
表情を崩さないまま、神様は空に飛び立とうとする……が、案の定翼が小さすぎて身体を浮かせることすら敵わない。
というか、肩甲骨がピクピクと動いているだけである。なにこれ、可愛い。
なんて思っていたら、今度は携帯のようなものを取り出して、
「早く迎えに来なさいよ! もう帰るんだから!」
なんて叫び出す。
こんなに情緒の変化が激しいのを見ていると、やはりロリなのだろうかという思いが過ぎる。ババアは不要なのだろうかと。
「あの……ほんとにすいません。やっぱりロリでした」
「それはそれでうるさい! もう口を開くな!」
言われた通りにぐっと口を噤むと、神様が墜落してきた時のように、暗雲から一片の光が差し込む。
そこに向かって走り出す神様は、舌打ちをして如何にも機嫌が悪いご様子だ。
もう一年後になったって、願いを叶えてもらえる見込みはないかもしれない。
そして光に包まれる直前、神様は吐き捨てるように言葉を残していった。
「まだ私は二百歳前半よ!」
……まるで二十代前半と言うような口調。
だが全人類のはるか上を行く年齢。その矛盾に、気がつけば、また独り言が漏れてしまっていた。
「ロリババアじゃねえか」
と、聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな声を。
バチが当たらないといいが。
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