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第一章

ヒロインの裏の顔

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「たびびとのやどにようこそ。ひとばん4ゴールドですがおとまりになりますか?」

>はい

 いいえ

 ……やけに平仮名が多いのは気にしたら負けだ。そういった仕様なのだから仕方がない。
 宿屋の主人が接客業なのに真顔であるのも、さらに言えば形がドット調で二頭身であるのも、同様である。気にしてはいけない。

「ん……」

 耳元で絶えず寝息が聞こえる。たまに腕を俺の肩にかけ直して、ずり落ちないようにしながら。
 偽ゴールドを錬金してからここに到着するまで、俺はフィオをおぶっている。どうやら『責任をとる』とはこのことだったようだ。
 期待していた展開こそ違うものだったが、これも十分1時間の労働に見合った、いやそれ以上のご褒美である。
 文句など言うまい。

 それにしても錬金術に倒れるほどの体力を使うとは、知識が薄いことを抜きにしても正直考えが甘かった。
 フィオに、ロリに苦しい思いをさせて自分の利益にするだなんて、紳士として有るまじき行為である。あ、いやロリに限った話じゃないよ? 年下なら誰でも。もちろんショタもだ。
 なんだか勘違いされそうだな……一応弁明しておこう。俺にそっちのはないぞ。

「たびびとのやどにようこそ。ひとばん4ゴールドですがおとまりになりますか?」

 おっと、答えるのを忘れていた。

「はい」

 これが「おう」や「泊まります」だと主人は反応しないらしい。まったく不思議な宿屋である。

 場所を移動して、客室の中。
 20畳ほどの広さがある部屋の中には、クローゼットと一人用ベッドがそれぞれ一つある。照明も最低限しかない、なんとも物寂しい空間だ。
 小さな窓の外を見れば、家屋が発する光が質素なイルミネーションのように転々としている。少しでも隙間を空けようものなら、冷蔵庫のような冷気が吹き込んでくるのだ。宿屋に泊まることがなければフィオの言う通り凍えてしまっていたかもしれない。

「……いつまでおぶっているですか」

「あ、すまん起きてたのか」
 
 昨日の夜も同じようなことを言われた気がする。デジャブか。

「変態の背中でおちおち寝ていられるわけがないのです。なにされるか分かったものじゃないですよ」

 それがここまで必死こいて運んでやった恩人に対する言葉かよ。まあ恩人だというのはお互い様であるが。しかし、おぶってくれと頼んだのはフィオ自身である。
 忘れたのか。

「あれ……そういえば私、おぶわれたまま街中を移動していたですか」

「ん、まあそうなるな」

 冷気にさらされて元の色を取り戻した顔は、みるみるうちに再度赤く染まっていく。その熱で窓が結露しそうなほどに。

「どうして……どうして起こしてくれなかったのですかぁ!」

 出会ってから一番の声をあげるフィオ。体調も治ったようで、安心である。
 ……って、そうじゃないよな。
 
「お前起きてたんじゃなかったのかよ」

「顔をうずめて、意識を手が届くギリギリのところに置いていただけなのです。寝てはいません」

 キリッとした顔で真剣な眼差しを向けてくるが、なんだその言い訳。
 ほぼ寝ていたようなものじゃないか。

「仕方ないじゃないか。全く動かなかったんだし、起こすと悪いと思ったんだよ」

「でも、こんな辱めを受けて街中を歩いていただなんて……」

 さっき自分のことを『幼気な少女』と形容していたくせにそういう所は気にするのか。まったく都合よく変化する幼さである。

「取り敢えず早く降ろすのです。ロリコンさん」

 部屋の隅にある、ぼんやりと光るライトに照らされたベッドに座って、ゆっくりと足を降ろす。空気が抜けるように、そのままフィオは柔らかい布団に溺れた。

「……なんで貴方と同じ部屋なのですか。しかもベッドが一つしかないなんて、下心が丸出しなのです」

 変態認定されていることはともかく、その程度の信用すらなかったのか。結構胸にくるものがある。
 だがここはあくまで平然を装って、真実だけを言葉にしよう。
 
「そういう仕様なんだ、我慢してくれ」

「仕様ってなんなのですか。自然に変態のためにオプションが付属する仕様ですか」

「まあそういうことだ。因みに一緒に泊まる相手が王国の姫だったりすると、主人の台詞が『ゆうべはお楽しみでしたね。また――』」

 言い終える前にドロップキックが飛んできて、俺の胸に勢いよく直撃した。口から魂を垂れ流しながら顎をひくひくと痙攣させる。

「すまん……」

 きちんとした答えへ通ずる道を、余計な下ネタのせいで見失ってしまった。今この宿で一部屋しか借りられなかった理由を『仕様』と表現したが、少し詳しいことを話そう。
 そもそもこの宿の主人との会話は、「はい」か「いいえ」のみで構成しなければいけないのだ。
 借りれる部屋の数を聞いたところで、その答えは永遠に返ってこない。何十人で宿泊しようが、それが一つのパーティならば一つの部屋しか借りられないのだ。
 第一、もし二部屋借りられたとしても貴重なお金を無駄にするわけにはいかない。ただでさえ所持金は宿屋三日分である。二部屋借りようものなら、二日と泊まれなくなってしまう。
 もちろんお金をもう一度錬金させようとも思わない。倒れ込むほどに体力を使う作業だと知っていたのならば、最初から錬金などさせていなかった。

 だがそんな理由にフィオが納得するわけもなく、今にも反論してやろうとハムスターのように頬を膨らませている。
 うーん、怒った顔まで至福だ。昨日から終始怒っているようにも見えるが、感情をここまで顕にするところは初めて見る。
 逃亡生活1日目を終えて、表情筋が少し柔らかくなったのかもしれないな。

「……ったく、どうなっているですか、この宿屋は」

「うん、それについては同感」

 この世界がRPG調の世界観であることはたしかだが、宿屋の主人のような、レトロな雰囲気を感じさせるものはただの一つも見たことがない。それすらも例の『仕様』なのだろうか。

「まあいいのです。いざとなれば遊び人ごとき、ひねり潰せるのです」

「なにをいうか錬金術くん。俺のジョブは勇者だったんだぞ」

「なぜ過去形なのですか。やっと嘘を半分認めたですか」

 フィオは的確に痛いところをついてくる。言い訳しようにも、当の本人が理解できてないのだ。どうすることもできない。

「早く自分の罪を認めきってしまえば楽になるですよ。勇者が自分のジョブだなんて、夢見がちなのにもほどがあるのです」

 なんだその尋問のようなセリフは。
 この子はそんなに俺を犯罪者に仕立てあげたいのか。なにもしていない……とは言い難いが、魔王は倒したし、勇者にもなった。王国反逆罪など真っ赤な嘘である。
 それだけは揺るぎない事実だ。

「今は説明できないが、いつか必ず俺の無実を証明してやる」

「その時が来ればいいのですが」

 相変わらず辛辣。外の闇が深くなってきて、寂しく灯る一つの照明ではいよいよフィオの顔が少し陰ってしまう。
 それがさらに無表情を引き立てていた。

 正直に言ってしまうと、俺も不安である。先に1年が過ぎ去って、疑いが晴れることなく現世に戻ることになるかもしれない。
 因みに最悪の展開は、1年の時を待つことなく捕まって処刑されることなのだ。

「取り敢えずこの宿を出なければいけなくなった時のために計画を立てるですか。レンさん、現在の所持品と、持っている魔法、スキルを言ってほしいのです。まあ魔法とスキルには期待できないですが」

「一言多いぞ、フィオ」

「じゃあなにか自慢できる魔法でも?」

「……ないです」

「正直でよろしい。薄々察してはいましたが、どうせ所持品もないのです」

「おっしゃるとおりでございます」

 ――と言ってしまうと少々嘘が混じってしまう。
 正確には、今はめている木製の、ジャングルの奥地にいる民族がはめてそうな腕輪。これが自分や相手のステータスを数値化してくれる、いわゆる魔道具なのだ。
 何語だかも分からない文字がびっしりと彫られている、傍から見れば趣味の悪い装飾品だ。
 フィオもこんなものを貴重だなんて思わないだろうし、近衛兵に捕えられた時も価値のないものだとして、これだけは盗られることがなかった。継ぎ目がないから、外すのに手間がかかった、というのも一つの要因であろうが。

「あ、そうだ薬草。ポケットの中に入っていたような」

 囚人服だというのにポケットがある理由。
 布がほつれて、折り目の部分に大きくて細長い空間ができているのだ。
 だからポケットと呼ぶには語弊が残るのだが……そう呼ぶと、なにかと都合がいい。

 そのポケットもどきの奥まで手を入れて、薬草の居場所を探る。手についた感触は、薬草出汁が効きすぎた、おかゆのようなものだった。
 なんだこれ、いつの間に腐ったのか?

 取り出してみても評価は変わらず、その姿はとても薬草と呼べた代物ではない。
 所々茶色に変色していて、湧き出る出汁が滴り落ちている。
 苦い匂いが部屋の中を蔓延させた。

「なんですかその生ゴミは。食べたら回復どころかダメージを受けそうなのです」

「あ、ああ……捨てるよ」

 薬草のお世話になる機会なんて、ゲームの序盤のみだ。さらに俺にいたっては、怪我が怖くてこまめに宿屋で回復していたから、薬草を食べたことなんてただの一度もない。
 だから腐りやすいだなんて、知る由もなかったのだ。

 捨てアイテムなんて窓からポイっ。せいぜい芝生の栄養にでもなってくれ。
 まあ真冬だから芝生なんて見当たらないが。要するにこの行動は、

「不法投棄なのです」

「どうせならとことんやろうぜって言っただろ?」

「そんなつもりで言ったわけではないのです。解釈の仕方すら分からないですか遊び人さんは。早く降りて拾ってくるのです」

 ……はい。
 調子に乗りました。拾ってきます。

 外の空気が露出した手足を震わせる。
 霜が降りていても違和感がないくらいの冷風が全身を刺激してくる。
 布一枚だとやっぱり堪えるな……。

「うー、さむさむ」

 宿屋の入り口を潜ってからたったの数秒だというのに、既に心が折れそうだ。さっさと用事を済ませて屋内に戻ってしまおう。
 革製の靴が踏みつけた砂利が、静寂に音を落とす。どの家もライトは付いているというのに、いやに静かだ。

「さて、これをどうしたものか……」

 窓から捨てた薬草は、入り口のすぐ隣に落ちていた。溢れ出た液体は冷気にさらされて、匂いも少しはマシになっている。

 やはり捨てる場所などゴミ箱しかないのだろうか。しかし匂いが完全に収まったわけじゃないしな。
 いっそのこと土に埋めてしまおうか。

「レンさーん」

 頭上の二階窓から、フィオの声がする。
 か細い声であるが、周囲に遮る音がないためまっすぐと耳に届いた。

「私はもう疲れたから寝るのです。薬草の後処理、しっかり済ませてから帰ってくるですよ」

「お、おう……おやすみ」

 マジかよ。錬金術で疲れが頂点に達していたのだから責めることはできないが、なんだか悲しいな。
 幼女に「おかえりなさい」と言われる日は延期されてしまうようだ。ついに夢が叶いそうだと思ったのに……。

 道具も力もないから、固い土を掘るのは一苦労である。
 やっとの思いで薬草を埋められるほどの穴を掘りあげたときには、もう民家のライトは殆ど消えてしまっていた。

 一応帰りの挨拶はしておこうか。もうフィオは寝てしまっているが、こういうのは気分である。

「ただいま」

 もちろん返事はない。これが残業帰りの親父の気分なのか……。
 うん? ライトがつけっぱなしだな。
 ライトの光源は蝋に灯った火なのだ。フィオが明るくないと眠れない子ならば悪いが、火事になったら怖い。念の為消灯させてもらおう。
 火に息を吹きかけようと顔を近づけると、横目にフィオの寝顔が――寝顔が、いない。

 頭の中に悪い予感が浮かぶ。
 俺が居ないあいだになにがあったのか。

「フィオ? どこだ、フィオ?」

 焦って声をあげると同時に、入り口の方からドアを開く音がした。
 立て付けの悪い、掠れた音だ。

「おかえりなさい、勇者様」

 不安で埋め尽くされた脳に声が届き、安堵がもたらされた瞬間であった。だが、同時に違和感も覚える。

 自分の肩ほどもない身長に、腰まで伸びている濡れた黒髪。水を弾きながら小さな光を精一杯反射して、煌めいている。
 そこに立っていたのは紛れもなくフィオであるのだ。
 だが柔らかい口調に、満面の笑みを見せる表情。確実に俺が一日共に過ごした、知っているフィオではない。
 なにより勇者という単語だ。
 何を機に俺を勇者だと認める気になったのか。

「あっ、申し遅れました。私、フィーナと申します」

「……へ?」
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