私が愛した少女

おっちゃん

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第一章 還暦からのスタート

三浦海岸

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 2月になった。この頃になると必ず行きたくなる場所がある。それが三浦海岸。伊豆半島に河津町というところがあるが、ここは川岸の河津桜で有名なところだ。家族と共に満開の時に行ったことがある。河津桜はソメイヨシノよりも色が濃く、河津では2月になると満開を迎える。しかし、紫野を連れて河津は遠くて行けない。ところが、三浦海岸でも河津桜が見られることを知ってからは毎年三浦海岸の河津桜を訪れている。
 今年は紫野を連れて行くことにした。例年になく寒い日が続いていたが、ようやく咲き始めたようなので、帰りに横浜の春節祭を見て帰る予定で出かけた。
 京急川崎で事故があり、品川からJRに乗り換えて行くという想定外のことが起きて、またか?と思った。というのは、私たちがちょっとした旅に出るときは、必ず交通障害が起きる。神様が焼きもちを焼いているに違いなかった。横浜で京急に乗り換えて、なんとか無事に三浦海岸にたどり着いた。駅前では桜祭りのイベントでお土産などがたくさん並べられていた。駅前の雑踏に抜けて線路沿いの道に出ると、河津桜はまだ二部咲きといったところだったが、返って初々しく見えて隣の紫野ど重なりあって良かった。 
 しかしこの時、紫野の靴にアクシデントが起こった。ブーツのかかとが取れてしまい、歩きづらくなってしまった。この時私は紫野のこれまでとは全く違う面を見ることとなった。彼女の家はあまり裕福ではない。そのため、物は大事に長く使うのが当たり前で、この日履いてきたブーツも紫野のお気に入りだったに違いなく、長年大事に使っていたものなのだろう。ところが、運悪く私と出かけたこの日に寿命が来たのだ。ところが紫野はそのことを私に何も言わずにただ歩きずらそうにしているだけだった。見かねた私が「歩きずらそうだね、大丈夫」と言っても「大丈夫です」と言うのだ。これまでつきあった女の子でこうしたトラブルで大騒ぎしない女の子はいなかった。
 歩いている途中でかかとが取れたからと言って、そこで騒いでも解決のしようがないのに、普通の女の子はたいてい「どうしよう?」と悲鳴をあげる。そして隣の私はあたふたしながら解決の方法を一生懸命探すというのが普通だった。だが、紫野はそれを何ら問題とせず、取りかかった踵をむしり取り、平然と歩き出した。つまり、私に心配をさせたくないという様子に見えた。しかし、紫野のこの完璧な程の気遣いが、やがて私たちの関係を壊す原因ともなることを、この時は知るよしもなかった。
 私も紫野を気遣い無理な行程を避けて、小松ヶ池までは行かず、引き返してマホロバマインズのランチに行くことにした。三浦といえばマグロなのだが、紫野は生魚が苦手。そこで私はお刺身、紫野はラーメンを食べた。ともあれ、立派なホテルのランチルームで仲良くお昼を食べられて、ホテルのバスで駅まで送ってもらえたのだから文句無しの三浦海岸だったと言える。 
 靴を直してやろうと、三浦海岸の駅前で靴屋を探したが見つからなかったので、横浜で探すことにした。地下商店街で少し探したが紫野を歩かせたくなかったので、「そごう」に向かった。何故なら、デパートには必ず合い鍵や靴の修理をしてくれるコーナーがあるはずだからだ。
 思った通り靴を修理してくれる場所があった。靴の傷みが激しいようで、修理しても長くは履けないだろうということで、修理代は取られなかった。今思えば、何らかのお礼はするべきだったと後悔している。
 靴が直ったことで、安心して横浜見学を始めた。桜木町で「赤い靴バス」に乗り、中華街で降りた。春節祭とあってものすごい人混みだ。いつもの重慶飯店で月餅をお土産に買って、祭りのイベントを見ようと歩くのだが、写真にあるような着ぐるみや爆竹の音は全く見当たらない。山下公園なら何か見られるかもしれないと行ってみても何も見つからない。しかも、強風でシーバスも欠航。仕方なくまた赤い靴バスで桜木町に戻った。
 本当はランドマークタワーの展望台から富士山の近くに落ちていく夕日を見せたかったのだが、紫野は高いところが苦手。残念だがそれは諦めるとこにした。
 時間があれば、クイーンズイースト、コスモワールド、ワールドポーターズ、赤レンガ倉庫、潮風公園、大桟橋、港の見える丘公園、元町など行きたいところはたくさんあるのだが、またいつか来る日があるだろうと思いこの日は帰途についた。
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