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21.

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反らされた眼に思ったのだろう。

進むたび、こうして大事なものを失ってしまうのだろうか、と。

『そんなにショックだったのか?アセナに目、そらされたの。』

ノアの言葉にハッと目を覚ますようにセルスは現実世界の風を浴びる。

セルスはそれからゆっくり濁った言葉をノアの質問に返した。

「別に、そういうわけじゃ。」

『____なくないだろ?』

そんなセルスの言葉を遮って、分かったように真っ直ぐノアは言った。

中途半端な気持ちで、あっちへは行けない。

そんな事、分かっていた。

だが、セルスは進むためにアセナを失うくらいなら、いらないと思っていた。

「俺は……」

セルスは、向こうで中途半端でも、アセナへの気持ちだけは真っ直ぐでいたいのだ。

ノアにはセルスのそんな気持ちが分かっていた。

『アセナは分かってるんだろうよ。だから、お前からはなれた。』

初めて会った時には感じることのなかった感情の大きさに、戸惑っているのはいつもセルスだ。

アセナは最初から全てを分かっていて、計算なんかしてないはずなのにスムーズに事が運ぶ。

「それが……たまらなく、嫌なんだよ。」

『お前のことを想って、引いてんだぞ?』

「それが嫌なんだ。」

進むたび、何かを失う事くらい分かってたのに、だ。

セルスにとってここが限界なのかもしれない。

セルスはアセナがいる場所から、離れる事はできない。

セルスはアセナも大切で、ノアも同じくらい大切だから……こんなにも揺らいでいる。

そっと夕焼けに焦がされ暖かくなった風が、静かに流れていく。

その風に黒い翼をばたつかせ、幸せそうに伸びをするノア。

「ノアは、上へ行きたいとは思わないのか。」

セルスが契約を結んだとき、心の中に伝わってきた思いは…セルスよりもずっと真っ直ぐに上へ目指す思いだった。

『くどいな、お前も。』

赤く鋭い目がセルスを優しく見てくる。

セルスがこの目を見たとき、この声を聞いたとき、ずっとセルスを呼んでいた誰かがノアだと分かった。

「お前の心の中は……ずっと上に行きたがってた。」

『だったら?………契約した主の周りや考えを無視しろってか。』

ふざけんな、と赤く染め上げられた空を見上げてノアは笑う。

『そんな事して、手に入れたいわけじゃねぇ。お前は……伝説の白竜を知ってるか?何十年も前、空を飛び交う白竜を。』

世間で幻と呼ばれた白竜。

昔に1人の男性が白竜を操り世界中を飛びまわり、世界を平和へと導いたといわれている。

アセナが目指している白竜の伝説。

そして、ドラグーン7勇者の伝承を表していた伝説だ。

「知ってるけど」

『俺は白くもないが、目は青じゃなく赤だろう?でも、憧れてた。あんな風に空を飛びたいって。』

ノアが焦がれる想い、セルスだって同じだ。

アセナが空を飛ぶ姿に、一瞬にして心を焦がれた。

空を舞って、笑って、まるで……風のように。

「セルス。」

あんな風に飛ぶことが出来たら、どれほど幸せだろうと。

「ア……セナ……?」

赤く焦がされた空からの声に顔を上げると、セルスの目に天使が映った。

真っ白の天使のように軽く、キルアが地におりその背から神のような少女が舞い降りる。

「セルス。よかった、まだここにいたのね。」

初めて会った時、他の誰よりも心のなかに入り込んできた。

セルスのその時は唯夢が一つしかなくて、それ以外はどうでもよかったのに。

________良かったはずなのに。

「アセナ。」

今は、アセナしかいらないと思えてしまう。

「グレイスは…その……。」

セルスが捨てるなんて、考えられない。

セルスが捨てるのなら、もう1つの夢だろう。

「いらない。好きだとか、嫌いだとか。」

「そう。あ、あのね。」

「世界一も。」

きょとんと見てくるアセナを夕日が照らして、その横を音もない風が通っていく。

「あのね、私は全部欲しいの。」

その回答にセルスは意味も分からず首を傾ける。

「伝説のドラゴーネになって、ドラグーンになりたいし、キルアに幸せを与えたい。全部捨てたくなんかない。もちろん、セルスもね。」

全てを捨てたら、楽なのかもしれない。

それはずっと思っていた事だ。

ただ、全てを抱えたまま進もうとするから大変なだけ。

「だからね、私は諦めないわ。全部、手に入れてみせる。」

「俺は………」

アセナしかいらない。

セルスはそんな風には言えない。

確かにアセナを失うくらいなら何もいらない。

けど、アセナがここにいるのなら他の何も諦めはしない。

「私、頑張るわ。グレイスにセルス取られても、諦めない!!」

“セルスはセルスだから、行きたいところに行けばいいの。私がそこに行くから。”

あの日、アセナがあげた言葉がセルスにとってどれほど大切に覚えているか、アセナは知らない。

全てを包み込むようなその目を向けて、あの日のアセナもそう言ってセルスを焦がした。

「……俺はお前がいるなら、全てを掴んでみせる。けどそれまでは。」

「分かってる。セルスがどれだけ本気かって。私の事、どうでもいいって思ってるわけじゃないってことも。」

強気だった目に、急に涙が溢れ出して。

セルスは思わずアセナを抱きしめたくなった。

「私……っどこに……セルスがいても、好き。」

いつだって真っ直ぐで嘘を知らないアセナの言葉。

「だから、全部手に入れたら私を隣に立たせてください。」

彼女の真っ白なマントが風に揺れる。

「セルスが全部……手に入れて、これ以上欲しいものないって思ったとき、私を隣に立たせて?」

それは永遠に無理かもしれない話だ。

セルスが一番欲しいものは、アセナだから。

だけどそれ以外を全て手に入れたら、それからその全てを捨ててでもアセナを迎えに行くだろう。

きっと。

「俺は……ここに誓う。全てを手に入れたら、お前を迎えに来る。」

何もいらない、アセナ以外。

この気持ちがなくなる事なんて絶対にないだろう。

ゆっくりと手を伸ばすとアセナは首を振って、目の端を濡らして笑った。

「いやよ?…私待ってないんかいないから。迎えにいくからね?」

その顔に、セルスは思わず笑ってアセナを引き寄せた。

未来の花嫁が笑う。

その上に広がる空に、たった2匹の白と黒の竜が舞った。

この約束から、全てをはじめる。

彼女の物語の一部になる、約束を守るために。

物語の最後には、約束を果たせていられるように。

セルスはその風に誓う。

全てを手に入れることを。
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