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第49話 郷愁! 糸が結ぶ縁は少女とかつての少女 (Aパート)
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「……無い」
かなみは顔面を蒼白にして呟く。
「お金が無い」
財布を逆さに振る。
チリンチリン、と、十円玉と一円玉が一枚ずつテーブルに転がる。あとはいくら逆さに振っても何も出てこない。
「無い、無い! ないないないない! どこにもない!」
かなみの悲鳴が深夜のアパートの部屋に鳴り響く。
「近所迷惑だよ。もっとも静かに騒いだらどう?」
「静かに騒ぐってどうすればいいのよ?」
「床を転がりまわるとか?」
意味不明であった。
「もういい! 泣いても笑っても十一円が増えないことはわかってるんだから! 問題は次の給料日までどうやって凌ぐかよ!!」
「次の給料日は三日後だ」
「…………………」
マニィから残酷な事実を突きつけられる。
「つ、つまり、あと三日を十一円で食いつなげば良いんでしょ?」
「どうやって?」
「…………………」
かなみがいちいち黙ってうつむくため、会話のテンポは劣悪であった。
「大体どうしてこんな危機的状況になるまで放っておいたんだ?」
「母さんのせいよ!」
かなみは不満をぶちまけた。
「母さんがうちの財布も考えずにどんどん料理や買い物しちゃうし、勝手にお金おろして借金返済にあてこんで! おかげでもう私は火の車よ!」
不満を洗いざらいぶちまける。
どうやら静かに騒ぐというのは、かなみには不可能なようだ。
「なるほど……ちゃんと財布を管理していなかったのが原因か」
「母さんがあんなに無計画だなんて思わなかったのよ……」
「大体君も似たようなものだけどね、それでも最近はお金も貯まり始めて気が緩んでいたのだろう」
「う……」
気が緩んでいたというのは事実だと、かなみは思った。
その証拠に、今日の仕事帰りに寄ったコンビニで夜食のカップ麺を買った時にようやく財布の惨状に気づいたのだから。
「そ、それは、そうだけど……そんなこと今更言っても……」
「まあ、どうしようもないね」
わかっているんだったらどうしてそんなこと言うのか、このマスコットは性根が悪い。とはいっても、それをぼやいたところで仕方が無いのでなんとかする方法を考えなくちゃならない。
「当たり前だけどご飯は買えない。惣菜パンやカップ麺だってそんなに安いのなんてあるわけないし、超軽めのお菓子がようやく帰るぐらいね……」
当然ながら、そんなものでお腹が満たされるわけがなく、丸二日なんてとても身がもたない。
「こうなったら、みあちゃんか翠華さんに頼るしか無いわね」
結局はそういう結論に至る。
自力でどうあがいても無理なのだから頼もしい先輩に頼るのが無難なところだ。
「みあちゃんに泊めてもらおう!」
そうすれば二日ぐらいなんとか凌げる。それどころか一流の出張シェフの料理のご相伴に預かれるのだからむしろ楽しみなぐらいだ。
これまでお金に困った時は何度も助けてもらっているのだから今回もその手でいこう。
そうと決まったら今日はもう寝て明日に備えよう。
みあに泣いてすがってお願いするために体力を温存しておかないといけない。大丈夫、みあはどぎついことを言うこともあるけど基本的に優しくて面倒見が良いから最後にはちゃんと泊めてくれる。まったく頼もしい先輩をもって幸せだなとかなみは布団を被りながら思ったのであった。
「おはようございます……あれ?」
学校が終わって、いつものようにオフィスビルに入る。
そこで違和感に気づく。
誰もいないのである。いや、正確に言うと社長の机に猿型のマスコット・サリィがいるのだが、彼は「見ざる・聞かざる・喋らざる」を貫いているため、基本的に置物と同じであった。
というわけで、オフィスは誰もいない静かなものであった。
「……まだ、誰も来ていないのかしら?」
かなみはそう思った。
大抵出社したときには鯖戸がデスクについていることが多いし、みあか翠華が先にいることだってあるから珍しこともあるものだとそう、この時は思った程度であった。
グウ~
腹の虫が鳴り出す。
今日はまだ一食も食べていない。クラスメイトには「ダイエットしてみることにしたのよ」と言い訳はしたが、かなり心配された。これ以上痩せる必要はないし、むしろ肉をつけるべきだ、と。
とはいっても、肉を買うお金がないのだからどうしようもない。なんて言えるわけがなかった。
かなみはため息をつく。
早くみあちゃんか翠華さんか来ないかな。
そう思ったが、中々来なかった。
今日は書類を整理するだけの簡単な仕事だけだったので動き回らなくて助かった。
ふと、時計を見てみる。
もう日が暮れる時間であった。いつもならみんな揃っていてもおかしくない時間帯だ。
「みんな、今日は休み?」
株式会社魔法少女には定休日という概念は無い。みんなそれぞれ休日をもうけたり、いきなり休んだりすることだってある。かなみは借金返済のために身を粉にして稼ぐ必要がある為、毎日出ずっぱりだったが、それでも翠華、みあ、紫織の三人が揃って休むことなんて今まで無かった。
あるみや鯖戸に至っては年中無休なのではないかと思うぐらいオフィスで仕事していたり、あちこっちに出張っている。この二人は外に出ることもあるし、一日姿を見せない日も珍しくないからこの際置いておく。
「萌実は……寝てるわよね」
彼女はとにかく気まぐれで備品倉庫を私室代わりにして、夜な夜な歩き回ったり、一日中寝ていたりしていてよくわからない。寝ているのならわざわざ起こすこともないだろう。
「そうだ、千歳さん!」
まだこのオフィスにいそうな人といえば彼女しかいなかった。正直幽霊である彼女には苦手意識があるが、背に腹は代えられなかった。
さっそく下の階の備品室へ行き、入る。
「失礼します」
「あら、かなみちゃん! 珍しいわね!」
千歳はフラフラと喜び、飛び回る。
「本当に珍しいですね」
奥の方からした声に、かなみは反射的にムッとする。
かなみがここへくるのに躊躇ったもう一つの理由だ。
「ボクは来てくれて嬉しいですよ」
ネガサイドの幹部であるスーシーであった。その気になれば抜け出せる機会は何度もあったはずなのだが、何故かここが気に入ったらしく居座っている。
かなみにとっては不愉快なことこの上ない話であった。
「あんたに用なんかないわよ」
「つれないですね」
「そうね、かなみちゃんは私を尋ねに来たんでしょ?」
「ええ、千歳さんは他の人がどこへ出かけたのか知りませんか?」
「そういえば、上の方が珍しく静かだと思ったらみんな出かけてしまっていたのね」
「知らなかったんですか」
かなみはがっかりした。そもそも幽霊である千歳は、みんなの行き先を知っているわけがなかったのだ。
「あ、そういえば鯖戸が何か言ってたわね。『ボクはこれから出かけるし、あるみは翠華とみあを連れて出張だから留守を頼むって』」
「って思いっきり大事なことじゃないですか!」
「ごめん。年をとると物忘れが激しくてね」
幽霊な上に少女の出で立ちでそんな事言われてもピンとこない。
「ってことはこのオフィスには私達しかないってことですか!」
「そうなるわね。あら、紫織ちゃんは?」
「紫織ちゃんはまだ来てないけど……」
「あ、上の電話が鳴っているわよ」
「え、電話!?」
かなみは備品室を出て、階段を駆け上がった。
オフィスに入ると、千歳が言ったとおり黒電話が鳴っていた。
「もしもし」
かなみは受話器を取る。
「こちら株式会社魔法少女です」
『……紫織です』
受話器越しから紫織の弱々しい声が聞こえてくる。
「あ、紫織ちゃん、どうしたの?」
『……風邪を、ひいてしまいまして……』
「そうなの。大丈夫?」
『はい、クスリを飲んだら、ラクになりました……』
「そう、よかった」
『そういうわけなので……今日会社のお仕事はいけません。すみません……』
紫織は申し訳なさそうに言ってくる。
「謝ることはないわ。ゆっくり治してね」
「はあ……ありがとうございます……それでは、失礼します」
プツン
通話が切れる音がする。
「そんなにかしこまることなんてないのに……風邪ね、あとでお見舞いにでも行ったほうが……って、それどころじゃない!」
紫織が来ないとなると、いよいよもって社員はかなみ一人になってしまう。何よりもこれで誰を頼ればいいのかわからなくなった。
グウ~
腹の虫が一段と激しく鳴り響く。頼るあてがなくなったせいで余計荒々しくなった。
「と、とにかく仕事しなくちゃ!」
そんな状態をごまかすように、かなみは書類整理に打ち込んだ。
そうすれば、お腹が空いていることは少しでも紛れる。あわよくばそれで一日持てばいいのだが。
書類整理が終わった頃、時間はちょうど真夜中の十時になっていた。
「終わった……」
空腹を忘れるため、夢中でやっていたからいつもより早く作業は終わった。
グウ~
そして、終わって気が緩んだところへすかさず腹の虫が騒ぎ出してくる。
「う、うぅ……」
全身の力が抜け、椅子に座り込む。
「お腹、空いた……」
お腹をさする。
しかし、この空腹を何とかする食料はどこにもない。食料を買うお金もない。
とりあえず仕事は終わったのだから、ひとまずアパートの部屋を目指そう。部屋に辿り着いた後は……どうすることもできないけど、ゆっくり寝よう。
そうと決まったらグズグズしていられない。
空腹で動けなくなる前に、帰ろう。
「お疲れ様です」
誰もいないオフィスを後にする。
足取りが重く、身体に力が入らない。
「……大丈夫かい?」
「……だいじょうぶ、じゃないわよ」
意識が遠のきそうである。まだアパートまでかなり距離がある。
お腹が空くと、疲れも段違いだ。
「ひ、ひとやすみみ……」
かなみは公園のベンチに目が入る。
早速横に転がる。
「お腹空いたな……給料は明後日だし、明日、どうしよう……」
明日になったら翠華やみあが来てくれているはずだから、助けを求めよう。
もし、来なかったら……悪いことは考えないでおこう。
それにしてもお腹が空いて、力が入らない。
今夜はここで寝明かしてしまおう。
「嬢ちゃん?」
「え……?」
気づいたら、目の前に人影が立っていた。
「――!」
一瞬、おばけかと思って身体が強張った。
「お、目が覚めたか」
「………………」
「こんなとこで寝てると、風邪引くぞ」
まともなことを言ってくる。野太い中年男性の声だが、おどけた口調のため、怖さはない。
たぼったい上着を羽織り、ボロボロのジーンズをはいた、どこからどうみてもホームレスの出で立ちをした男だ。
「早く帰ったらどうだ?」
「……はい」
かなみは力なく答える。
お腹空いているせいで、起き上がる気もおきない。
「どうした、嬢ちゃん? 早く行かねえか」
「……う、ん……」
男の声もろくに聞こえない。
「ん、どこか悪いのか?」
「……おなか、すいた……」
かろうじて出た言葉はそれだった。
「おなかって? ああ、腹へってたのか。これでもくったらどうだ?」
そう言って、男はかなみに何かを差し出す。
暗くてよく見えなかったが、かなみは何の抵抗もなくそれに食いつく。
「おいしい……」
「驚いた……よっぽど腹が減ってたんだな」
「これ、なに?」
「きゅうりだよ。八百屋さんから色々貰っててな、うまかったか?」
かなみはうなずく。
グウ~
それでも、腹の虫は鳴り続ける。
「……あの、もう一本ありませんか?」
男は大笑いする。
「ハハハハハハ、なんともまあ図々しい嬢ちゃんだ!!」
そう言われて、かなみは赤面する。
「きなさい、俺はこれから飯時なんだ」
「え……?」
そう言われてかなみは立ち上がる。
公園のすぐ近くにある河原の鉄橋下に、その男の住処はあった。住処といっても家といえるものではなく、簡易式のテントであった。
そこに男はカセットコンロと鍋を敷き詰めて料理をし始める。
「……嬢ちゃん、名前は?」
「結城かなみ、です」
「じゃあ、かなみちゃんか。俺は釜須栄太っていうんだ、よろしくな」
「かます、さん……?」
変わった名前だと思った。
「変わった名前だろ、地方の田舎からやってきたんだ」
釜須は調理をしながら自分の身の上話をし始める。
「務めてた会社が潰れちまって、どこも雇ってもらえず、女房と子供に逃げられたんだ。気づいたら今の生活になっちまってたんだ」
「大変なんですね」
「かなみちゃんほどじゃねえだろ、公園で行き倒れるぐらい、食うに困ってるんだろ」
「は、はあ……」
かなみは弱り果てる。
「親とも別に暮らしてて、自分の分は自分で稼げなくちゃならない生活ってとこだろ?」
「え、なんでわかるんですか!?」
「ハハ、当たりか。当てずっぽうで言っても結構あたるものだな」
「……ほ、本当に、当てずっぽうなんですか……?」
「そんな気がしただけさ」
「……は、はあ」
コンロを付けて、リュックから野菜を無造作に入れていく。あとは水と調味料を鍋へと継ぎ足していく。料理といえるようなものではないが大丈夫だろうか。
とはいっても、背に腹は代えられない。
(まあ、道端に生えてるキノコ食べるよりはマシか……)
マニィが聞いていたらどっちもどっちだ、とツッコミが飛んでいたことだろう。
やがてグツグツと鍋が煮えだしてくる。
「よし、オーケーだ。出来上がったぜ」
釜須はそう言って、煮え立つ野菜のスープをコップに注ぐ。
「ま、一杯食ってくれや」
「はい」
差し出された野菜のスープをかなみは受け取って飲む。
暖かなスープと野菜の旨味が身体に染み渡る。
「どうだい?」
「……おいしいです」
かなみは素直にそう言うと、釜須はニコリと笑った。
「そうかい。そいつは良かった」
釜須も野菜のスープを飲む。
「……よっぽど腹減ってたのか。こんなもんでもうまいって」
「身体がご飯を欲しているからですよ!」
「そいつは説得力があるな、ハハ……俺よりもよっぽど過酷な生活をしてそうだ」
「はい、学校に仕事に毎日大変なんです。それでも全然お金が無くて、ご飯も全然買えないんです」
そこまで聞いて、釜須は唖然とする。
「そうか、そいつは大変だ……まあ、頑張れや」
「はい! 明後日は給料ですから! って、もう明日ですね!」
「おお、スープを飲んだら随分と元気が出たみたいだな」
「はい、お世話になりました!」
かなみは一礼する。
「ハハ、公園で行き倒れてた時とは別人みたいだな」
「あ、あれは……忘れてください」
かなみもその時のことを思い出して赤面する。
「忘れとくか、ところできゅうりもう一本いるか?」
「忘れるつもりありませんよね!?」
釜須は大笑いした。
「いやいや、こんなに笑ったのはいつ以来だろうな」
感慨深くそう言う。
「……え?」
「一人でいると笑わないことが多くてな。かなみちゃんはそういうことないか?」
「……一人でいると?」
訊かれて思い返してみる。「学校では友達がいて、仕事では頼もしい先輩のみあや翠華がいて、怖いけど本当は優しいあるみや千歳もいる。
学校も仕事も終わって、部屋に戻るとマニィがいて、一人でいることなんて改めて考えるとなかったかもしれない。
「ひとり……」
「ああ、かなみちゃんには友達がいっぱいいるんだな」
「え?」
「なんか放っておけないって感じがするんだ。俺がそうだったからな」
「そ、そうですか……そんな風に言われたのは初めてです」
「ま、そういうことは思っていても中々口にしないもんだからな」
「釜須さんって変わっていますね」
そう言われて、釜須は苦笑いする。
「そうか? 俺も変わってるなんて言われたのは初めてだぜ」
かなみは失礼なことを言ってしまったんじゃないかと思った。
「まいかにも言われたこと無かったんだけどな」
不意に釜須が女性の名前を漏らした
「まいか?」
「あ、ああ、女房の名前だ。いい女だったんだがな」
だった、と過去形にしてしまったところで、かなみはこれ以上聞いちゃいけないことな気がした。
「まあ、あれはほんの十五年前だ」
そう思っていたら釜須は話し出した。
「ほんの……」
十五年前というと、かなみは生まれるよりも前だ。それを、ほんの、と言ってしまうあたりに、それぐらい年季の入った人物だと感じさせられた。
「俺は田舎が嫌になって都会に出てきて、鉄工所で働いてたんだ」
「え、釜須さん、働いてたんですか!?」
釜須は苦笑いする。
「俺だって生まれた時からホームレスじゃなかったんだ。田舎にはそれなりの土地があってな、ってそういう話じゃなくてな」
「どういう話なんですか?」
「昔話だ。そんなわけで、鉄工所の近くに住んでたまいかって別嬪さんに一目惚れしてな。毎日家まで挨拶に行ってな、マメに口説いたもんだ」
「す、ストーカー……」
かなみは素直に言う。
「まあ、よく警察に駆け込まれなかったもんだって、俺も思う。向こうも気があったてわけだ」
「そ、そういうものなんですか……?」
「そういうものだ」
釜須は得意げに言うものだから、かなみは困る。
「そんなわけで、俺達は結婚したんだ」
「飛びましたね、話!?」
「男と女、気持ちがあえば、あとはトントン拍子で話が進むもんだよ」
「は、はあ……」
かなみは少し理解できない話だった。
「それで、まいかにはもう赤ん坊ができちまっててな。まさに幸せの絶頂だったわけだ」
「本当にトントン拍子なんですね」
「ああ、だが、そういいことは続かなかったんだ」
釜須はいきなり神妙な顔持ちになって話を続ける。
「死産でな、赤ん坊もまいかも助からなかった」
「え……」
かなみは絶句した。
奥さんと赤ちゃんをいっぺんに失う。幸せだった人生が一気に急転直下する。想像を絶する絶望としか言いようがない。
「以来、俺もすっかりやる気をなくしちまってな。仕事も辞めて、いまじゃすっかりこの暮らしよ」
「それで、ホームレスに……」
「俺一人生きていてもしょうがねえし、かといって死ぬ気にもなれなくてな」
「そんなこと言わないでください!」
いきなり強く言い切ってきたかなみに、釜須は面を喰らう。
「釜須さんのおかげで私は九死に一生を得ました! すごく嬉しかったんです! 釜須さんが生きていなかったら、こんなことなかったんですよ!」
「あ、ああ……」
「生きていればいいことあります! ですから、死ぬなんて言わないでください!」
「嬢ちゃん、あんた凄いな」
「え……」
思っても見なかった返しに、今度はかなみが面を喰らう。
「その歳で野垂れ死にしそうな、相当辛い想いしてるのにそう言い切れるんだからな」
「そんな私なんか……」
「もう帰った方がいいな」
「え……?」
唐突に言われる。
「もう夜は遅いんだ、嬢ちゃんにも帰る家があるだろ」
夜は遅い。言われてみてもう日付が変わってもおかしくないほどの時間だ。
帰らなきゃ……明日も仕事があるのだから。
「ジジイの長話に付き合ってくれてありがとうな」
「……はい」」
釜須は笑顔で別れを告げられて、思わず答えてしまう。
ガタンゴトンガタンゴトン
電車が走り抜ける。
かなみは振り向き、釜須のテントを見る。
鉄橋を渡る電車の灯りに照らされたテントがさっきまでいた世界を別世界に移させる。
なんだか不思議な体験をした気分になってくる。ただ、野菜のスープの温もりが身体に残っている。
「かなみちゃーん」
「うわあ!?」
辺りに人はいなかったはずなのに、いきなり呼び止められて驚きの声を上げる。
「千歳さん、驚かさないで下さいって言ってるでしょ!」
「ただ呼んだだけなのに、驚くとは思わないでしょ」
ただ呼んだだけ。
幽霊がフラフラと舞い降りることを、ただ呼んだだけと言えるのだろうか。
「それでオフィスを出てからついてきたんですか?」
「うん、かなみちゃん。幽霊みたいに生気が抜けてフラついてたから心配になってね」
幽霊に幽霊みたいって言われるなんて心外だ。
でも、それだけ空腹で元気が無かったという事か。
「よくわからないホームレスにノコノコ連れて行こうとしたあたり、どうしようかなって思って……見守ることにしたわ」
「放置の間違いじゃないんですか!?」
「いざとなったら、守るつもりだったから大丈夫よ」
「その、いざっていつなんですか……?」
あまり想像したくないことであった。
「実際何もなかったじゃない」
「まあ、それはそうですが……」
それは、結果オーライというものじゃないか、とかなみは心中で文句をぼやく。
「でも、かなみちゃんって本当に妙な人に好かれることが多いわね」
「それ、みあちゃんから散々言われているんですよね。釜須さん、普通にいい人だと思いますよ」
「私も思ったわ。なんだか懐かしい感じがしたし」
「懐かしい?」
千歳からそんなことを言われるとは思って見なかった。
「懐かしいって、どういうことですか?」
「それがよくわからないのよね。ただなんとなくっていうか。初めて会った気がしないのよね」
「ええ……また物忘れですか?」
「物忘れなんかじゃないわよ。ただなんとなくそう思うだけというか」
「思い出せないのが物忘れなんですってば……もう、帰ります」
かなみは呆れてアパートの部屋に帰った。
かなみは顔面を蒼白にして呟く。
「お金が無い」
財布を逆さに振る。
チリンチリン、と、十円玉と一円玉が一枚ずつテーブルに転がる。あとはいくら逆さに振っても何も出てこない。
「無い、無い! ないないないない! どこにもない!」
かなみの悲鳴が深夜のアパートの部屋に鳴り響く。
「近所迷惑だよ。もっとも静かに騒いだらどう?」
「静かに騒ぐってどうすればいいのよ?」
「床を転がりまわるとか?」
意味不明であった。
「もういい! 泣いても笑っても十一円が増えないことはわかってるんだから! 問題は次の給料日までどうやって凌ぐかよ!!」
「次の給料日は三日後だ」
「…………………」
マニィから残酷な事実を突きつけられる。
「つ、つまり、あと三日を十一円で食いつなげば良いんでしょ?」
「どうやって?」
「…………………」
かなみがいちいち黙ってうつむくため、会話のテンポは劣悪であった。
「大体どうしてこんな危機的状況になるまで放っておいたんだ?」
「母さんのせいよ!」
かなみは不満をぶちまけた。
「母さんがうちの財布も考えずにどんどん料理や買い物しちゃうし、勝手にお金おろして借金返済にあてこんで! おかげでもう私は火の車よ!」
不満を洗いざらいぶちまける。
どうやら静かに騒ぐというのは、かなみには不可能なようだ。
「なるほど……ちゃんと財布を管理していなかったのが原因か」
「母さんがあんなに無計画だなんて思わなかったのよ……」
「大体君も似たようなものだけどね、それでも最近はお金も貯まり始めて気が緩んでいたのだろう」
「う……」
気が緩んでいたというのは事実だと、かなみは思った。
その証拠に、今日の仕事帰りに寄ったコンビニで夜食のカップ麺を買った時にようやく財布の惨状に気づいたのだから。
「そ、それは、そうだけど……そんなこと今更言っても……」
「まあ、どうしようもないね」
わかっているんだったらどうしてそんなこと言うのか、このマスコットは性根が悪い。とはいっても、それをぼやいたところで仕方が無いのでなんとかする方法を考えなくちゃならない。
「当たり前だけどご飯は買えない。惣菜パンやカップ麺だってそんなに安いのなんてあるわけないし、超軽めのお菓子がようやく帰るぐらいね……」
当然ながら、そんなものでお腹が満たされるわけがなく、丸二日なんてとても身がもたない。
「こうなったら、みあちゃんか翠華さんに頼るしか無いわね」
結局はそういう結論に至る。
自力でどうあがいても無理なのだから頼もしい先輩に頼るのが無難なところだ。
「みあちゃんに泊めてもらおう!」
そうすれば二日ぐらいなんとか凌げる。それどころか一流の出張シェフの料理のご相伴に預かれるのだからむしろ楽しみなぐらいだ。
これまでお金に困った時は何度も助けてもらっているのだから今回もその手でいこう。
そうと決まったら今日はもう寝て明日に備えよう。
みあに泣いてすがってお願いするために体力を温存しておかないといけない。大丈夫、みあはどぎついことを言うこともあるけど基本的に優しくて面倒見が良いから最後にはちゃんと泊めてくれる。まったく頼もしい先輩をもって幸せだなとかなみは布団を被りながら思ったのであった。
「おはようございます……あれ?」
学校が終わって、いつものようにオフィスビルに入る。
そこで違和感に気づく。
誰もいないのである。いや、正確に言うと社長の机に猿型のマスコット・サリィがいるのだが、彼は「見ざる・聞かざる・喋らざる」を貫いているため、基本的に置物と同じであった。
というわけで、オフィスは誰もいない静かなものであった。
「……まだ、誰も来ていないのかしら?」
かなみはそう思った。
大抵出社したときには鯖戸がデスクについていることが多いし、みあか翠華が先にいることだってあるから珍しこともあるものだとそう、この時は思った程度であった。
グウ~
腹の虫が鳴り出す。
今日はまだ一食も食べていない。クラスメイトには「ダイエットしてみることにしたのよ」と言い訳はしたが、かなり心配された。これ以上痩せる必要はないし、むしろ肉をつけるべきだ、と。
とはいっても、肉を買うお金がないのだからどうしようもない。なんて言えるわけがなかった。
かなみはため息をつく。
早くみあちゃんか翠華さんか来ないかな。
そう思ったが、中々来なかった。
今日は書類を整理するだけの簡単な仕事だけだったので動き回らなくて助かった。
ふと、時計を見てみる。
もう日が暮れる時間であった。いつもならみんな揃っていてもおかしくない時間帯だ。
「みんな、今日は休み?」
株式会社魔法少女には定休日という概念は無い。みんなそれぞれ休日をもうけたり、いきなり休んだりすることだってある。かなみは借金返済のために身を粉にして稼ぐ必要がある為、毎日出ずっぱりだったが、それでも翠華、みあ、紫織の三人が揃って休むことなんて今まで無かった。
あるみや鯖戸に至っては年中無休なのではないかと思うぐらいオフィスで仕事していたり、あちこっちに出張っている。この二人は外に出ることもあるし、一日姿を見せない日も珍しくないからこの際置いておく。
「萌実は……寝てるわよね」
彼女はとにかく気まぐれで備品倉庫を私室代わりにして、夜な夜な歩き回ったり、一日中寝ていたりしていてよくわからない。寝ているのならわざわざ起こすこともないだろう。
「そうだ、千歳さん!」
まだこのオフィスにいそうな人といえば彼女しかいなかった。正直幽霊である彼女には苦手意識があるが、背に腹は代えられなかった。
さっそく下の階の備品室へ行き、入る。
「失礼します」
「あら、かなみちゃん! 珍しいわね!」
千歳はフラフラと喜び、飛び回る。
「本当に珍しいですね」
奥の方からした声に、かなみは反射的にムッとする。
かなみがここへくるのに躊躇ったもう一つの理由だ。
「ボクは来てくれて嬉しいですよ」
ネガサイドの幹部であるスーシーであった。その気になれば抜け出せる機会は何度もあったはずなのだが、何故かここが気に入ったらしく居座っている。
かなみにとっては不愉快なことこの上ない話であった。
「あんたに用なんかないわよ」
「つれないですね」
「そうね、かなみちゃんは私を尋ねに来たんでしょ?」
「ええ、千歳さんは他の人がどこへ出かけたのか知りませんか?」
「そういえば、上の方が珍しく静かだと思ったらみんな出かけてしまっていたのね」
「知らなかったんですか」
かなみはがっかりした。そもそも幽霊である千歳は、みんなの行き先を知っているわけがなかったのだ。
「あ、そういえば鯖戸が何か言ってたわね。『ボクはこれから出かけるし、あるみは翠華とみあを連れて出張だから留守を頼むって』」
「って思いっきり大事なことじゃないですか!」
「ごめん。年をとると物忘れが激しくてね」
幽霊な上に少女の出で立ちでそんな事言われてもピンとこない。
「ってことはこのオフィスには私達しかないってことですか!」
「そうなるわね。あら、紫織ちゃんは?」
「紫織ちゃんはまだ来てないけど……」
「あ、上の電話が鳴っているわよ」
「え、電話!?」
かなみは備品室を出て、階段を駆け上がった。
オフィスに入ると、千歳が言ったとおり黒電話が鳴っていた。
「もしもし」
かなみは受話器を取る。
「こちら株式会社魔法少女です」
『……紫織です』
受話器越しから紫織の弱々しい声が聞こえてくる。
「あ、紫織ちゃん、どうしたの?」
『……風邪を、ひいてしまいまして……』
「そうなの。大丈夫?」
『はい、クスリを飲んだら、ラクになりました……』
「そう、よかった」
『そういうわけなので……今日会社のお仕事はいけません。すみません……』
紫織は申し訳なさそうに言ってくる。
「謝ることはないわ。ゆっくり治してね」
「はあ……ありがとうございます……それでは、失礼します」
プツン
通話が切れる音がする。
「そんなにかしこまることなんてないのに……風邪ね、あとでお見舞いにでも行ったほうが……って、それどころじゃない!」
紫織が来ないとなると、いよいよもって社員はかなみ一人になってしまう。何よりもこれで誰を頼ればいいのかわからなくなった。
グウ~
腹の虫が一段と激しく鳴り響く。頼るあてがなくなったせいで余計荒々しくなった。
「と、とにかく仕事しなくちゃ!」
そんな状態をごまかすように、かなみは書類整理に打ち込んだ。
そうすれば、お腹が空いていることは少しでも紛れる。あわよくばそれで一日持てばいいのだが。
書類整理が終わった頃、時間はちょうど真夜中の十時になっていた。
「終わった……」
空腹を忘れるため、夢中でやっていたからいつもより早く作業は終わった。
グウ~
そして、終わって気が緩んだところへすかさず腹の虫が騒ぎ出してくる。
「う、うぅ……」
全身の力が抜け、椅子に座り込む。
「お腹、空いた……」
お腹をさする。
しかし、この空腹を何とかする食料はどこにもない。食料を買うお金もない。
とりあえず仕事は終わったのだから、ひとまずアパートの部屋を目指そう。部屋に辿り着いた後は……どうすることもできないけど、ゆっくり寝よう。
そうと決まったらグズグズしていられない。
空腹で動けなくなる前に、帰ろう。
「お疲れ様です」
誰もいないオフィスを後にする。
足取りが重く、身体に力が入らない。
「……大丈夫かい?」
「……だいじょうぶ、じゃないわよ」
意識が遠のきそうである。まだアパートまでかなり距離がある。
お腹が空くと、疲れも段違いだ。
「ひ、ひとやすみみ……」
かなみは公園のベンチに目が入る。
早速横に転がる。
「お腹空いたな……給料は明後日だし、明日、どうしよう……」
明日になったら翠華やみあが来てくれているはずだから、助けを求めよう。
もし、来なかったら……悪いことは考えないでおこう。
それにしてもお腹が空いて、力が入らない。
今夜はここで寝明かしてしまおう。
「嬢ちゃん?」
「え……?」
気づいたら、目の前に人影が立っていた。
「――!」
一瞬、おばけかと思って身体が強張った。
「お、目が覚めたか」
「………………」
「こんなとこで寝てると、風邪引くぞ」
まともなことを言ってくる。野太い中年男性の声だが、おどけた口調のため、怖さはない。
たぼったい上着を羽織り、ボロボロのジーンズをはいた、どこからどうみてもホームレスの出で立ちをした男だ。
「早く帰ったらどうだ?」
「……はい」
かなみは力なく答える。
お腹空いているせいで、起き上がる気もおきない。
「どうした、嬢ちゃん? 早く行かねえか」
「……う、ん……」
男の声もろくに聞こえない。
「ん、どこか悪いのか?」
「……おなか、すいた……」
かろうじて出た言葉はそれだった。
「おなかって? ああ、腹へってたのか。これでもくったらどうだ?」
そう言って、男はかなみに何かを差し出す。
暗くてよく見えなかったが、かなみは何の抵抗もなくそれに食いつく。
「おいしい……」
「驚いた……よっぽど腹が減ってたんだな」
「これ、なに?」
「きゅうりだよ。八百屋さんから色々貰っててな、うまかったか?」
かなみはうなずく。
グウ~
それでも、腹の虫は鳴り続ける。
「……あの、もう一本ありませんか?」
男は大笑いする。
「ハハハハハハ、なんともまあ図々しい嬢ちゃんだ!!」
そう言われて、かなみは赤面する。
「きなさい、俺はこれから飯時なんだ」
「え……?」
そう言われてかなみは立ち上がる。
公園のすぐ近くにある河原の鉄橋下に、その男の住処はあった。住処といっても家といえるものではなく、簡易式のテントであった。
そこに男はカセットコンロと鍋を敷き詰めて料理をし始める。
「……嬢ちゃん、名前は?」
「結城かなみ、です」
「じゃあ、かなみちゃんか。俺は釜須栄太っていうんだ、よろしくな」
「かます、さん……?」
変わった名前だと思った。
「変わった名前だろ、地方の田舎からやってきたんだ」
釜須は調理をしながら自分の身の上話をし始める。
「務めてた会社が潰れちまって、どこも雇ってもらえず、女房と子供に逃げられたんだ。気づいたら今の生活になっちまってたんだ」
「大変なんですね」
「かなみちゃんほどじゃねえだろ、公園で行き倒れるぐらい、食うに困ってるんだろ」
「は、はあ……」
かなみは弱り果てる。
「親とも別に暮らしてて、自分の分は自分で稼げなくちゃならない生活ってとこだろ?」
「え、なんでわかるんですか!?」
「ハハ、当たりか。当てずっぽうで言っても結構あたるものだな」
「……ほ、本当に、当てずっぽうなんですか……?」
「そんな気がしただけさ」
「……は、はあ」
コンロを付けて、リュックから野菜を無造作に入れていく。あとは水と調味料を鍋へと継ぎ足していく。料理といえるようなものではないが大丈夫だろうか。
とはいっても、背に腹は代えられない。
(まあ、道端に生えてるキノコ食べるよりはマシか……)
マニィが聞いていたらどっちもどっちだ、とツッコミが飛んでいたことだろう。
やがてグツグツと鍋が煮えだしてくる。
「よし、オーケーだ。出来上がったぜ」
釜須はそう言って、煮え立つ野菜のスープをコップに注ぐ。
「ま、一杯食ってくれや」
「はい」
差し出された野菜のスープをかなみは受け取って飲む。
暖かなスープと野菜の旨味が身体に染み渡る。
「どうだい?」
「……おいしいです」
かなみは素直にそう言うと、釜須はニコリと笑った。
「そうかい。そいつは良かった」
釜須も野菜のスープを飲む。
「……よっぽど腹減ってたのか。こんなもんでもうまいって」
「身体がご飯を欲しているからですよ!」
「そいつは説得力があるな、ハハ……俺よりもよっぽど過酷な生活をしてそうだ」
「はい、学校に仕事に毎日大変なんです。それでも全然お金が無くて、ご飯も全然買えないんです」
そこまで聞いて、釜須は唖然とする。
「そうか、そいつは大変だ……まあ、頑張れや」
「はい! 明後日は給料ですから! って、もう明日ですね!」
「おお、スープを飲んだら随分と元気が出たみたいだな」
「はい、お世話になりました!」
かなみは一礼する。
「ハハ、公園で行き倒れてた時とは別人みたいだな」
「あ、あれは……忘れてください」
かなみもその時のことを思い出して赤面する。
「忘れとくか、ところできゅうりもう一本いるか?」
「忘れるつもりありませんよね!?」
釜須は大笑いした。
「いやいや、こんなに笑ったのはいつ以来だろうな」
感慨深くそう言う。
「……え?」
「一人でいると笑わないことが多くてな。かなみちゃんはそういうことないか?」
「……一人でいると?」
訊かれて思い返してみる。「学校では友達がいて、仕事では頼もしい先輩のみあや翠華がいて、怖いけど本当は優しいあるみや千歳もいる。
学校も仕事も終わって、部屋に戻るとマニィがいて、一人でいることなんて改めて考えるとなかったかもしれない。
「ひとり……」
「ああ、かなみちゃんには友達がいっぱいいるんだな」
「え?」
「なんか放っておけないって感じがするんだ。俺がそうだったからな」
「そ、そうですか……そんな風に言われたのは初めてです」
「ま、そういうことは思っていても中々口にしないもんだからな」
「釜須さんって変わっていますね」
そう言われて、釜須は苦笑いする。
「そうか? 俺も変わってるなんて言われたのは初めてだぜ」
かなみは失礼なことを言ってしまったんじゃないかと思った。
「まいかにも言われたこと無かったんだけどな」
不意に釜須が女性の名前を漏らした
「まいか?」
「あ、ああ、女房の名前だ。いい女だったんだがな」
だった、と過去形にしてしまったところで、かなみはこれ以上聞いちゃいけないことな気がした。
「まあ、あれはほんの十五年前だ」
そう思っていたら釜須は話し出した。
「ほんの……」
十五年前というと、かなみは生まれるよりも前だ。それを、ほんの、と言ってしまうあたりに、それぐらい年季の入った人物だと感じさせられた。
「俺は田舎が嫌になって都会に出てきて、鉄工所で働いてたんだ」
「え、釜須さん、働いてたんですか!?」
釜須は苦笑いする。
「俺だって生まれた時からホームレスじゃなかったんだ。田舎にはそれなりの土地があってな、ってそういう話じゃなくてな」
「どういう話なんですか?」
「昔話だ。そんなわけで、鉄工所の近くに住んでたまいかって別嬪さんに一目惚れしてな。毎日家まで挨拶に行ってな、マメに口説いたもんだ」
「す、ストーカー……」
かなみは素直に言う。
「まあ、よく警察に駆け込まれなかったもんだって、俺も思う。向こうも気があったてわけだ」
「そ、そういうものなんですか……?」
「そういうものだ」
釜須は得意げに言うものだから、かなみは困る。
「そんなわけで、俺達は結婚したんだ」
「飛びましたね、話!?」
「男と女、気持ちがあえば、あとはトントン拍子で話が進むもんだよ」
「は、はあ……」
かなみは少し理解できない話だった。
「それで、まいかにはもう赤ん坊ができちまっててな。まさに幸せの絶頂だったわけだ」
「本当にトントン拍子なんですね」
「ああ、だが、そういいことは続かなかったんだ」
釜須はいきなり神妙な顔持ちになって話を続ける。
「死産でな、赤ん坊もまいかも助からなかった」
「え……」
かなみは絶句した。
奥さんと赤ちゃんをいっぺんに失う。幸せだった人生が一気に急転直下する。想像を絶する絶望としか言いようがない。
「以来、俺もすっかりやる気をなくしちまってな。仕事も辞めて、いまじゃすっかりこの暮らしよ」
「それで、ホームレスに……」
「俺一人生きていてもしょうがねえし、かといって死ぬ気にもなれなくてな」
「そんなこと言わないでください!」
いきなり強く言い切ってきたかなみに、釜須は面を喰らう。
「釜須さんのおかげで私は九死に一生を得ました! すごく嬉しかったんです! 釜須さんが生きていなかったら、こんなことなかったんですよ!」
「あ、ああ……」
「生きていればいいことあります! ですから、死ぬなんて言わないでください!」
「嬢ちゃん、あんた凄いな」
「え……」
思っても見なかった返しに、今度はかなみが面を喰らう。
「その歳で野垂れ死にしそうな、相当辛い想いしてるのにそう言い切れるんだからな」
「そんな私なんか……」
「もう帰った方がいいな」
「え……?」
唐突に言われる。
「もう夜は遅いんだ、嬢ちゃんにも帰る家があるだろ」
夜は遅い。言われてみてもう日付が変わってもおかしくないほどの時間だ。
帰らなきゃ……明日も仕事があるのだから。
「ジジイの長話に付き合ってくれてありがとうな」
「……はい」」
釜須は笑顔で別れを告げられて、思わず答えてしまう。
ガタンゴトンガタンゴトン
電車が走り抜ける。
かなみは振り向き、釜須のテントを見る。
鉄橋を渡る電車の灯りに照らされたテントがさっきまでいた世界を別世界に移させる。
なんだか不思議な体験をした気分になってくる。ただ、野菜のスープの温もりが身体に残っている。
「かなみちゃーん」
「うわあ!?」
辺りに人はいなかったはずなのに、いきなり呼び止められて驚きの声を上げる。
「千歳さん、驚かさないで下さいって言ってるでしょ!」
「ただ呼んだだけなのに、驚くとは思わないでしょ」
ただ呼んだだけ。
幽霊がフラフラと舞い降りることを、ただ呼んだだけと言えるのだろうか。
「それでオフィスを出てからついてきたんですか?」
「うん、かなみちゃん。幽霊みたいに生気が抜けてフラついてたから心配になってね」
幽霊に幽霊みたいって言われるなんて心外だ。
でも、それだけ空腹で元気が無かったという事か。
「よくわからないホームレスにノコノコ連れて行こうとしたあたり、どうしようかなって思って……見守ることにしたわ」
「放置の間違いじゃないんですか!?」
「いざとなったら、守るつもりだったから大丈夫よ」
「その、いざっていつなんですか……?」
あまり想像したくないことであった。
「実際何もなかったじゃない」
「まあ、それはそうですが……」
それは、結果オーライというものじゃないか、とかなみは心中で文句をぼやく。
「でも、かなみちゃんって本当に妙な人に好かれることが多いわね」
「それ、みあちゃんから散々言われているんですよね。釜須さん、普通にいい人だと思いますよ」
「私も思ったわ。なんだか懐かしい感じがしたし」
「懐かしい?」
千歳からそんなことを言われるとは思って見なかった。
「懐かしいって、どういうことですか?」
「それがよくわからないのよね。ただなんとなくっていうか。初めて会った気がしないのよね」
「ええ……また物忘れですか?」
「物忘れなんかじゃないわよ。ただなんとなくそう思うだけというか」
「思い出せないのが物忘れなんですってば……もう、帰ります」
かなみは呆れてアパートの部屋に帰った。
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