271 / 356
第105話 現身! 再現される少女の面影は際限のない幻想 (Bパート)
しおりを挟む
「こんなところで大丈夫なんですか?」
アパートを出たばかりの見晴らしの廊下だった。
翠華はかなみに聞かれやしないか、ちょっと心配だった。
「かなみぃが聞かれたらぁ困る話だったぁ?」
「え、いや、それほどじゃないんですけど」
「聞き耳立てて~聞かれてたらぁ、それはそれでいいんだけどねぇ」
「どういう意味ですか?」
「私みたいに地獄耳だったらぁよかったんだけどねぇ」
「涼美さん、地獄耳といわれたこと根に持ってますか?」
「そんなことないわよぉ、どうせならぁ聖徳太子とかぁ言われたかったなぁとか全然思ってないからぁ」
(あ、これ根に持ってる人の言い方ね)
しかし、それほど根深いものに感じなかった。
「どうにもぉ、魔法の素質はぁともかく、聴覚まではぁ遺伝しなかったみないなのよねぇ」
むしろこちらの発言の方が残念そうだった。
「かなみさんの耳は涼美さんほどじゃないんですか?」
「訓練すればぁなんとかぁなりそうだけどぉ、今のところはぁ百メートル先で~小銭が落ちた音をぉ聞き分けるくらいしかできないわねぇ」
「それで十分凄いんじゃ……」
涼美の基準では、それは常人レベルらしい。
「だからぁこの話もぉかなみに聞こえてたらぁ嬉しいんだけどねぇ」
「御存知なんですか?」
どうにも涼美は全部察しているような感じがする。
「いいえぇ~、知らないわよぉ。ただ、なんとなくわかるっていうかぁ」
「人生経験なんですね」
自分の倍近く生きて、魔法少女として戦い続けている。
そこには自分なんかでは及びもつかないほどの経験が蓄積されているのだろう。
「でもぉ私が翠華ちゃんくらいの歳にはぁ翠華ちゃんほどできなかったわよぉ」
「そ、そうでしょうか?」
涼美にそう言われても自信が持てない。
「大丈夫よぉ自信持って~」
涼美は翠華の肩をポンと叩く。
「は、はい、ありがとうございます」
「それで~話ってなにぃ?」
涼美はそれで本題を切り出す。
「そうですね……」
翠華は今日遭遇した、かなみそっくりに化けたドッペルゲンガーについて話した。
かなみそっくりのせいで、攻撃を躊躇ってしまって、逃してしまったことも包み隠さず。
「ごめんなさい」
一通り話し終わると、翠華はまた頭を下げる。
「どうして~謝るのぉ?」
「いえ、私が逃してしまったせいで、かなみさんに危険が及ぶこともなかったから……」
「かなみだったらぁ、そのくらいなんとかぁできるわよぉ。翠華ちゃんがぁ気に病むことはないわぁ」
涼美はそう言って、元気づける。
「それで~話はぁ謝るだけじゃないでしょぉ?」
涼美は少し真剣味を帯びた声色で問う。
「……はい」
全て察してくれていると翠華は安心感すらもって応える。
「……教えて欲しいんです。かなみさんと同じ姿をした怪人との戦い方を」
「なるほどねぇ」
涼美は納得する。
「涼美さんは前にも、かなみさんと同じ姿をしていた怪人と戦いましたから」
「あれはぁ偽者としてはぁお粗末すぎたわねぇ」
涼美はあっさり言う。
「そうなんですか……私からはあれはかなみさんと区別がつきませんでした……」
「……そうねぇ、アレはドッペルゲンガーとはぁ違っていたからねぇ。」
あの時の怪人は、かなみと同じ姿をしていた。
でも、それは厳密には違っていて、あの時やってきていた怪人はかなみと同じ姿をしているように視えるように視百が魔法をかけていた。
「視覚からぁ惑わせようとしていたからぁ、視覚をぉ断ち切ってしまうだけで~よかったのよぉ」
「それは凄いですね」
「コツさえつかめばぁ、スイッチをオンオフするみたいにぃ簡単にできるわよぉ」
「コツ、ですか……」
「こんな感じよぉ」
涼美は翠華の耳をそっと撫でる。
翠華はいきなりそんなことをされてドキッとする。
「――!」
しかし、それも束の間、すぐに強烈な違和感に襲われる。
「何も聞こえない……!?」
翠華はそう声を発したつもりだった。
自分の声さえも聞こえない。
髪を揺らす風の音も、涼美の声も、無音で静かな世界になっていた。
いつも当たり前にあって、自然に入ってくる耳からの音が一切無い。そんな強烈な違和感でパニックに陥る。
「私も最初のうちはぁものすごく戸惑ったけどぉ何回もぉ訓練しているとぉ慣れてくるわよぉ。まあ聞こえてないけどねぇ」
涼美が何を言っているのか聞こえない。
ただ口をパクパクさせているだけにしか見えない。
「まあこのくらいにしておくわねぇ」
涼美はもう一度耳を撫でる。
ヒュゥゥゥゥッ!
その途端、強い風が吹き抜けたような気がした。
まるでダムで堰き止められた水が急になだれ込んできた感覚だった。
「ハァハァ……」
翠華は息切れする。
「どうだったぁ?」
「きっついですねぇ……何も聞こえないって思ったより」
「何回もぉ繰り返しているうちにぃ慣れるわよぉ。やり方はぁ今の感覚を思い出して~翠華ちゃんはぁセンスあるからぁすぐにできるわよぉ」
涼美の助言は、翠華の耳にすっと入ってくる。
「センスがあるかどうかわかりませんが、やってみます」
翠華の返事を聞いて、涼美は微笑む。
「話はそれちゃったけどぉ、私はこうして視覚を遮断することで~聴覚をよりパワァーアップさせることがぁできるのよぉ。何も視えなくてもぉ音で全て視えるくらいにねぇ。つまりぃ、あれがぁかなみの偽者だってことはぁすぐにわかっちゃったのよねぇ、あと目を閉じればぁ外見に惑わされずにすむのよぉ」
「すごいです……私にはとても真似ができません」
「そうねぇ、ちょっとぉ難しいかしらねぇ」
涼美は呑気に言う。
「はい、難しいです……とてもとても……」
翠華は深刻そうに応えると、涼美はニコリと微笑む。
「大丈夫よぉ、翠華ちゃんだったらぁやれるわよぉ。私が保証するわぁ」
涼美は優しくそう語りかけてくれる。
「ありがとうございます、涼美さん」
その優しさと期待にそう応えたいと心から思った。
「翠華ちゃんはぁ今日からぁうちの子供になりましたぁ」
涼美は言う。
「よろしくお願いします、翠華さん!」
かなみは恭しく一礼する。
「え、ええ……よろしく、よろしくお願いします。」
翠華は緊張のあまり、口調がたどたどしい。
「あ、今日からはお姉ちゃんって呼ぶべきですね」
「お姉ちゃん!?」
「翠華お姉ちゃん!」
かなみが笑顔でそう呼ぶと、翠華は高揚で天にも昇る気分を味わう。
翠華はベッドからパッと跳ね上げるように飛び起きた。
「キャッ!?」
悲鳴が聞こえてきたことで我に返る。
「夢……夢だったわね」
改めてそう実感する。
――翠華お姉ちゃん!
かなみは笑顔でそう呼んでくれた。
夢だったからそこまではっきりと憶えてないけど、思い出しただけで再び天にも昇りそうな高揚が湧き上がってくる。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんか……」
「私がどうかしたの?」
「キャッ!?」
翠華は悲鳴を上げる。
今の恥ずかしい妄想を見られたかと羞恥心がこみ上げたがゆえの悲鳴だった。
「愛華お姉ちゃん……なんで私の部屋にいるの?」
翠華は冷ややかに訊く。
「なんでって、そんな言い草ないんじゃないの? せっかく起こしに来てあげたのに」
愛華は不満を漏らす。
「誰も頼んでいないんだけど」
「起きてくるのが遅いからお母さん心配してたのよ。あと、ついでに妹の寝顔を見に来たかったっていうのもあるけど」
「……は、恥ずかしいこと言わないで!」
「もう翠華はおこりんぼなんだから」
笑顔で楽しそうにしている姉に、翠華は白い目で見る。
この姉、愛華は大学生にして、小学生並の奔放さを持っていて、苦手だった。
「それで、今私のこと、お姉ちゃんって呼んだでしょ?」
「あ……違うの!」
翠華は訂正する。
「今のはお姉ちゃんのことを呼んだわけじゃなくて!」
「だったら、誰を呼んだのよ? 翠華のお姉ちゃんは私だけなのよ」
「そんなこと言われなくてもわかってるから! ともかく、お姉ちゃんのことは呼んでないから!」
「えぇ~でも、今確かに~」
「呼んでないから! というより、出ていってよ!!」
「はいはい。翠華の寝顔を見られただけでよしとするわ」
一言余計なことを言って、愛華は部屋を出ていく。
「まったく……」
姉はとにかく自由奔放だった。
でも、同時にその奔放さがちょっと羨ましくもある。
(もし、愛華お姉ちゃんみたいな感じで、かなみさんと接したら……)
今よりも進展した仲になれただろうか。
もし、夢みたいに本当にかなみが妹になったとしたら、あんな感じに接した方がいいか。
(いえ、やめましょう……)
現に、今の翠華は姉を部屋から追い出した。
あれをもし、翠華を愛華に、翠華をかなみに置き換えたら、かなみが翠華を部屋から追い出すということになる。
『部屋から出て行ってよ!』
そんなことをかなみから言われたら……落ち込むと同時に、それはそれで可愛いかもしれないとも思ってしまった。
それはまさに今出ていった愛華が持った感情と全く同じだったけど、翠華は気づかなかった。
「かなみさん……」
夢の中の笑顔がおほろげながら思い出そうとする。
――翠華お姉ちゃん!
その声を脳内で再生しただけで甘美な想いがこみ上げてくる。
(あれが現実だったらよかったのに……のに、なんでかな……あれが、――夢で良かったなんて……)
夢の中が現実だったらよかったのに、と思うのと同時に、夢が現実じゃなくて良かったとも思っていた。
どうして、そんなことを思ったのか、翠華には考えてもわからなかった。
とはいえ、時間はいつまでも待っていてくれない。
そろそろ朝食の時間だった。
思案よりも生活習慣が優先だ。
自分の部屋から出て、リビングに向かう。
『花の妖精フェアリーフラワー! 水の妖精フェアリーアクア! 土の妖精フェアリーソイル! 三人合わせてフェアリーガールズ! 三人でフェアリープリンセスを目指して、魔法の修行頑張ります! 魔法妖精フェアリープリンセス、毎週日曜9時から絶讃放送中です! みんな観てね!!』
テレビからコマーシャルが流れてくる。
「これ、翠華が好きなやつよね?」
先にテーブルについていた愛華が訊いてくる。
「そ、そんなことないじゃない……! いい歳して!」
ムキになって否定している態度が肯定を表している。それもまた可愛いと愛華は思った。
「いい歳も何もまだ十六じゃない! 若い若い!」
「そうね、二人共若いわ」
「お母さんまで……」
翠華はジト目で姉と母を見る。
「翠華がそういうのが大好きだってことはよくわかってるから! 部屋にもグッズがいっぱいあるじゃない!」
「――!」
愛華の言い様に翠華は反論の言葉を失う。
姉は無断で部屋にどんどん入っていく。そのせいで、翠華のプライバシーはまったくない。
「勝手に部屋に入らないでって何度も言ってるでしょ!!」
翠華は恥ずかしさで耐えきれず、愛華へ怒鳴り込む。
「まあまあ。私は可愛いからいいと思うよ」
「そういう問題じゃない!!」
「翠華、朝から元気ね……」
母は呑気だった。
「お母さん、なんとか言ってよ。お姉ちゃん、私を起こすためだとか言って、勝手に部屋にはいるのよ」
「そうね。でも、起こしたに行ってって頼んだのは私よ」
つまり実質共犯だった。
「あぁ……」
「部屋に入られるのが嫌なら、愛華より早く起きたら?」
母が無茶な提案をしてくる。
何が無茶かというと、愛華はちゃらんぽらんな割に、早寝早起きと規則正しく生活している。しかも、朝が異常に強く、朝寝坊なんて翠華が知っている限り、両手の指で足りるくらいしか無い。
反対に翠華は朝が苦手だった。
というより、昨日はかなみの部屋に上がり込んだせいで、すっかり夜遅くに帰り、必然的に就寝時間が遅くなってしまった。
そのせいで、今朝は眠い。できることならこのままベッドにダイブして二度寝といきたい。
しかし、朝食の時間が終わったらすぐに制服に着替えて登校しないと危ない。
「早く起きられるように頑張る」
そう結論付けてテーブルの席に着く。
「がんばれー」
愛華の気の抜けるような応援をしてくる。
翠華はキィッと睨み返す。
愛華は笑ってそれを受け流す。
「それにしても、翠華ってバイトで遅いよね。昨日も何時に帰ったの?」
翠華は家族には魔法少女の仕事のことをアルバイトだと説明している。帰宅が夜遅くになることはあるものの、両親は「社会勉強」の一環だと言って放任している。
むしろ、愛華からそんな話を切り出されることが意外だった。
「そんなのお姉ちゃんには関係ないでしょ」
「関係なくないよ。心配なんだから」
「心配? お姉ちゃんが?」
翠華は意外そうな顔をする。
おおよそ姉と心配という感情が結びつかなかった。
「そうよ。翠華はだーいじな妹なんだから、夜遅くなって危ない目にあったらと思うと心配で心配で眠れないのよ」
「また、いい加減なことを……」
翠華が夜に帰っても、愛華と顔を合わせることはない。
とっくにもう寝ている時間のはずなので、「心配で眠れない」というのは嘘だと翠華は思った。
「それは本当よ。昨日も翠華が帰るまで起きてると言って、コーヒー飲んでたわよ」
母が補足する。
「え……?」
翠華は唖然とする。
母は素直な性格なので、こんな時に嘘は言わない。
だから、母の言っていることは本当で、愛華は翠華が帰ってくるまで起きていたということになる。
「それじゃ、本当に起きてたの?」
改めて翠華は愛華に訊く。
「うん。でも帰ってきたら安心してすぐに寝ちゃった、アハハハ」
なんとも姉らしい行動だと翠華は思った。
「お姉ちゃん、私のこと心配してたのね」
「そりゃ、お姉ちゃんだからね。妹のことを心配するのは当たり前だよ」
姉はまったくいつもの調子で言う。
それだけに今言ったことは大げさや冗談でもなく本音だと伝わってくる。
「……そう」
なんだか姉が少し頼もしく感じた瞬間だった。
学校が終わって、翠華はオフィスビルへ向かう。
「翠華さん」
「かなみさん?」
オフィスビルが見えたところで、かなみに呼び止められる。
「奇遇ですね。ここで会うのは」
「そうね」
いつもはオフィスにどちらかが先にやってきていて、挨拶を交わしている。
だから、オフィスの外で二人が会うのは珍しい。
「あの、かなみさん……」
珍しいのだけど、違和感がある。
「かなみさん?」
「なんでしょうか?」
かなみは訊き返す。
「………………」
翠華は判断に困った。
オフィスビルへの道でばったり、かなみと出会う。
そんな偶然が今日ここで起きるのだろうか。
かなみの返事は、その違和感を払拭するものではなかったけど、確信にはいたらないものだった。
――ドッペルゲンガーが翠華を待ち伏せしていた。
そんな考えがよぎった。
昨日、ドッペルゲンガーと遭遇しなかったら思いもしなかった考え。でも、ドッペルゲンガーと遭遇した昨日があったからこそ浮かんだ考え。
このかなみがドッペルゲンガーかもしれない疑い。
でも、ドッペルゲンガーは見た目はそっくりに変身していて、一見しただけでは区別がつかない。
昨日のかなみがドッペルゲンガーだと見破ったのは、いくつか質問をしていてようやく違和感が確信に変わった。
あれをまたやれば本物なのか、ドッペルゲンガーなのか、わかるかもしれない。
「かなみさん、あの……」
翠華はさっそく何か質問をしようとした。
「翠華さん、行きましょう!」
かなみは翠華の手を引く。
「えぇ!?」
思いもよらなかったかなみの行動に翠華は面を喰らう。
違和感はあるものの、違和感以上に目の前に起きた出来事が衝撃的すぎた。
(かなみさんが私の手を!?)
これが本物でも、ドッペルゲンガーでも、かなみが自分にこんなことするなんて頭の中が真っ白になってしまうことだった。
そうして、二人はオフィスビルへ入って、階段を上がる。
(そういえばオフィスには千歳さんの結界があって、怪人だったら入れないはずじゃ……)
しかし、このかなみは問題無く入って来られた。
(つまり、このかなみさんは本物!?)
最早、違和感どころの話じゃなかった。
本物だという証拠を突きつけられて、翠華は呆然とする。
(ということは、本物のかなみさんが私の手を……!?)
今度は真っ白どころか真っ赤に茹で上がる。
「どうしたんですか、翠華さん?」
かなみが訊いてくる。
「な、なんでもないわ! 行きましょう、かなみさん!」
翠華は大声でごまかしてオフィスへ駆け込む。
「ハァハァ……」
全速力で駆け込んだため、息を切らしてしまう。
(こんなときに……)
オフィスには誰もいなかった。
「これはピンチ……」
翠華はオフィスの状態をそう評する。
かなみと二人きり。偽者と疑った後なだけに本物の行動がドギマギしてしまう。
「ウシシ、いやこれはチャンスでもあるぜ」
ウシィが助け舟を出すように言ってくる。
「チャンス……」
翠華は噛みしめるように言う。
「チャンス……!」
そして、噛み砕いて飲み込むようにもう一度言う。
(かなみさんと二人きりでチャンス! これは一気に親密になるチャンスということね!!)
翠華は握り拳を固める。
「誰も来てないですね」
かなみが後から入ってくる。
「そうなのよ。みあちゃんと紫織ちゃんもすぐ来ると思うんだけど」
「それは残念ですね」
「残念?」
「翠華さんと二人きりでお仕事できると思ったので」
「――!」
かなみのその返答に、翠華は心臓が飛び出そうになる。
さっきまでだったら違和感に思えたものが、このかなみは紛れもなく本物だとわかるとどうして突然そんな事を言うのか大いに困惑させられる。
(かなみさんが私と二人きりでお仕事できる、なんて言い出して一体どうしたの!? そりゃ、かなみさんと二人きりでいるのは嬉しいけど、もしかしてかなみさんも嬉しいと思ってくれてるの!? そ、それはもしかして……両想い!?)
翠華はぎこちなくかなみを見る。
「あ、あの……か、かなみさん!?」
「はい、なんでしょうか?」
これはいつもの反応だ。
「ふ、二人きりでお仕事できるって、どど、どういう意味!?」
「どういう意味も何もそのままの意味ですが」
かなみは首を傾げる。
「そ、そのまま……?」
「翠華さんと二人きりになれて嬉しいということです」
(違和感!?)
翠華は心の中で叫びを上げる。
(でも、このかなみさんは本物!? ということは、今のはかなみさんの本音!?)
翠華は困惑しつつも、なんとか思考を整理して、かなみを見つめる。
「翠華さんは嬉しくないですか?」
(だから違和感!? かなみさんはこんなこと言わない!! でも、かなみさんは本物!!)
「翠華さんは嘘つきですね、とても嬉しそうですよ」
かなみはニヤリと笑って言う。
「え、私が嬉しそう……?」
「ほら、自分の姿を見てくださいよ」
かなみはそう言って、翠華へ顔を近づける。
「え、え……!?」
翠華は、かなみが何をしようとしているのかわからず狼狽する。
しかし、かなみは肩をつかんでいる為、逃げられない。
顔は口が触れてしまいそうなほど接近されている。
(かなみさんは一体なぜこんなことをするの!?)
「ほら、私の眼を見てください」
(あぁ!?)
もう一度言われて、翠華はかなみの言っていることを理解する。
かなみの眼を見ると、そこには自分の姿が映っている。
冷や汗を垂らして狼狽して慌てふためいている翠華。
紛れもなく私、青木翠華だった。
想いを寄せるかなみに迫られて、どうしたらいいかわからない私の姿がかなみの目に映っている。
「どうですか、見えましたか?」
「え、ええ、見えたわ……」
「翠華さん、嬉しそうじゃないですか?」
かなみは三度問う。
「……う、嬉しい……たしかに、そうね……!」
翠華はとうとう認めてしまう。
「そうですか、それはよかった。それでは――」
「それでは、何!?」
「言わなくてわかりますよね?」
かなみはさらに顔を近づける。
(え、えぇ、そんな、かなみさん!? こんな、いきなりでまさか、キ、スなんて!?)
しかし、翠華は声を出すことができず、受け入れざるを得なかった。
「あぁッ!?」
そこへ唐突に背後から声がした。
「え……?」
翠華は声のした方へ視線をそらす。すると、そこには、かなみが立っていた。
「かなみさん……?」
そう、かなみがもう一人立っていた。
「……チィ」
それに勘付いた目の前のかなみは舌打ちする。
それは本物のかなみだったら、絶対にしないだろう仕草だと翠華は確信を持って言える。
(――ドッペルゲンガー!)
最早違和感どころの話じゃない。
現に本物のかなみは彼女の背後にいるのだから。
「あんた、何してるの!?」
かなみは迫り、彼女へ手を伸ばす。
パシィ!
彼女はそれを弾く。
「嫌なタイミングでくるわね、本物!」
「コソコソしてるからそう感じるのよ、偽者!」
かなみにそう言われて、偽者は忌々しげにかなみを睨む。
「だったら、お前を倒して本物に成り代わってやる!」
ドッペルゲンガーは敵意を剥き出しにして、翠華を振り払って距離を取る。
「翠華さん、大丈夫ですか!?」
「え、ええ……でも、ごめんなさい。ドッペルゲンガーなのに騙されてしまって」
「そんなこといいんです! あいつは私が倒しますから!」
かなみはコインを取り出す。
「私も戦わせてもらうわ!」
翠華もコインを取って、二人を同時に投げる。
「「マジカルワークス!」」
コインから降り注ぐ光が二人を包み込む。
「愛と正義と借金の天使、魔法少女カナミ参上!」
「青百合の戦士、魔法少女スイカ推参!」
黄色と青色の魔法少女がオフィスへ降り立つ。
「忌々しいわね!」
ドッペルゲンガーはそう言って、魔法少女カナミの衣装へと変化させる。
「どっちよ、忌々しいのは!」
カナミはドッペルゲンガーへ嫌悪をむき出しにする。
「どっちがね」
ドッペルゲンガーは魔法弾を撃つ。
「わわ!?」
かなみは慌てて魔法弾を受け止める。
「オフィスが壊れるじゃないの!?」
「そんなの気にしてる場合!?」
「場合なのよ!!」
さらにドッペルゲンガーは魔法弾を撃ってくる。
「壊れたら、私は社長に怒られるのよ!!」
「だったら、私が代わりに怒られてあげるわよ!」
「え、それはちょっといいかも!」
「カナミさん!」
スイカは一喝して、一足飛びでドッペルゲンガーの懐へ踏み込む。
「私を呼びましたか、スイカさん?」
ドッペルゲンガーは挑発的な笑みを浮かべて、スイカのレイピアをステッキで受ける。
カキィィィィン!
「あなたに言ってない! その顔で、その声で、私の名前を呼ばないで!!」
「怖いですね」
キィン! キィン! キィン!
レイピアとステッキがぶつかり合う。
狭いオフィスではスイカの速度を活かせず、存分に立ち回れない。
バァン!
そこへカナミの魔法弾が飛んできて、ドッペルゲンガーの肩に命中する。
「いたッ!?」
「私の姿で好き勝手させないんだから!」
「つくづく目障りな本物ね」
ドッペルゲンガーはカナミを睨みつける。
それは、標的をカナミに定めた瞬間だった。
「――!」
そこでカナミは違和感に気づく。
「忘れたの、私の能力を?」
「くッ!」
カナミはステッキから刃を引き抜いて、ドッペルゲンガーへ立ち向かう。
アパートを出たばかりの見晴らしの廊下だった。
翠華はかなみに聞かれやしないか、ちょっと心配だった。
「かなみぃが聞かれたらぁ困る話だったぁ?」
「え、いや、それほどじゃないんですけど」
「聞き耳立てて~聞かれてたらぁ、それはそれでいいんだけどねぇ」
「どういう意味ですか?」
「私みたいに地獄耳だったらぁよかったんだけどねぇ」
「涼美さん、地獄耳といわれたこと根に持ってますか?」
「そんなことないわよぉ、どうせならぁ聖徳太子とかぁ言われたかったなぁとか全然思ってないからぁ」
(あ、これ根に持ってる人の言い方ね)
しかし、それほど根深いものに感じなかった。
「どうにもぉ、魔法の素質はぁともかく、聴覚まではぁ遺伝しなかったみないなのよねぇ」
むしろこちらの発言の方が残念そうだった。
「かなみさんの耳は涼美さんほどじゃないんですか?」
「訓練すればぁなんとかぁなりそうだけどぉ、今のところはぁ百メートル先で~小銭が落ちた音をぉ聞き分けるくらいしかできないわねぇ」
「それで十分凄いんじゃ……」
涼美の基準では、それは常人レベルらしい。
「だからぁこの話もぉかなみに聞こえてたらぁ嬉しいんだけどねぇ」
「御存知なんですか?」
どうにも涼美は全部察しているような感じがする。
「いいえぇ~、知らないわよぉ。ただ、なんとなくわかるっていうかぁ」
「人生経験なんですね」
自分の倍近く生きて、魔法少女として戦い続けている。
そこには自分なんかでは及びもつかないほどの経験が蓄積されているのだろう。
「でもぉ私が翠華ちゃんくらいの歳にはぁ翠華ちゃんほどできなかったわよぉ」
「そ、そうでしょうか?」
涼美にそう言われても自信が持てない。
「大丈夫よぉ自信持って~」
涼美は翠華の肩をポンと叩く。
「は、はい、ありがとうございます」
「それで~話ってなにぃ?」
涼美はそれで本題を切り出す。
「そうですね……」
翠華は今日遭遇した、かなみそっくりに化けたドッペルゲンガーについて話した。
かなみそっくりのせいで、攻撃を躊躇ってしまって、逃してしまったことも包み隠さず。
「ごめんなさい」
一通り話し終わると、翠華はまた頭を下げる。
「どうして~謝るのぉ?」
「いえ、私が逃してしまったせいで、かなみさんに危険が及ぶこともなかったから……」
「かなみだったらぁ、そのくらいなんとかぁできるわよぉ。翠華ちゃんがぁ気に病むことはないわぁ」
涼美はそう言って、元気づける。
「それで~話はぁ謝るだけじゃないでしょぉ?」
涼美は少し真剣味を帯びた声色で問う。
「……はい」
全て察してくれていると翠華は安心感すらもって応える。
「……教えて欲しいんです。かなみさんと同じ姿をした怪人との戦い方を」
「なるほどねぇ」
涼美は納得する。
「涼美さんは前にも、かなみさんと同じ姿をしていた怪人と戦いましたから」
「あれはぁ偽者としてはぁお粗末すぎたわねぇ」
涼美はあっさり言う。
「そうなんですか……私からはあれはかなみさんと区別がつきませんでした……」
「……そうねぇ、アレはドッペルゲンガーとはぁ違っていたからねぇ。」
あの時の怪人は、かなみと同じ姿をしていた。
でも、それは厳密には違っていて、あの時やってきていた怪人はかなみと同じ姿をしているように視えるように視百が魔法をかけていた。
「視覚からぁ惑わせようとしていたからぁ、視覚をぉ断ち切ってしまうだけで~よかったのよぉ」
「それは凄いですね」
「コツさえつかめばぁ、スイッチをオンオフするみたいにぃ簡単にできるわよぉ」
「コツ、ですか……」
「こんな感じよぉ」
涼美は翠華の耳をそっと撫でる。
翠華はいきなりそんなことをされてドキッとする。
「――!」
しかし、それも束の間、すぐに強烈な違和感に襲われる。
「何も聞こえない……!?」
翠華はそう声を発したつもりだった。
自分の声さえも聞こえない。
髪を揺らす風の音も、涼美の声も、無音で静かな世界になっていた。
いつも当たり前にあって、自然に入ってくる耳からの音が一切無い。そんな強烈な違和感でパニックに陥る。
「私も最初のうちはぁものすごく戸惑ったけどぉ何回もぉ訓練しているとぉ慣れてくるわよぉ。まあ聞こえてないけどねぇ」
涼美が何を言っているのか聞こえない。
ただ口をパクパクさせているだけにしか見えない。
「まあこのくらいにしておくわねぇ」
涼美はもう一度耳を撫でる。
ヒュゥゥゥゥッ!
その途端、強い風が吹き抜けたような気がした。
まるでダムで堰き止められた水が急になだれ込んできた感覚だった。
「ハァハァ……」
翠華は息切れする。
「どうだったぁ?」
「きっついですねぇ……何も聞こえないって思ったより」
「何回もぉ繰り返しているうちにぃ慣れるわよぉ。やり方はぁ今の感覚を思い出して~翠華ちゃんはぁセンスあるからぁすぐにできるわよぉ」
涼美の助言は、翠華の耳にすっと入ってくる。
「センスがあるかどうかわかりませんが、やってみます」
翠華の返事を聞いて、涼美は微笑む。
「話はそれちゃったけどぉ、私はこうして視覚を遮断することで~聴覚をよりパワァーアップさせることがぁできるのよぉ。何も視えなくてもぉ音で全て視えるくらいにねぇ。つまりぃ、あれがぁかなみの偽者だってことはぁすぐにわかっちゃったのよねぇ、あと目を閉じればぁ外見に惑わされずにすむのよぉ」
「すごいです……私にはとても真似ができません」
「そうねぇ、ちょっとぉ難しいかしらねぇ」
涼美は呑気に言う。
「はい、難しいです……とてもとても……」
翠華は深刻そうに応えると、涼美はニコリと微笑む。
「大丈夫よぉ、翠華ちゃんだったらぁやれるわよぉ。私が保証するわぁ」
涼美は優しくそう語りかけてくれる。
「ありがとうございます、涼美さん」
その優しさと期待にそう応えたいと心から思った。
「翠華ちゃんはぁ今日からぁうちの子供になりましたぁ」
涼美は言う。
「よろしくお願いします、翠華さん!」
かなみは恭しく一礼する。
「え、ええ……よろしく、よろしくお願いします。」
翠華は緊張のあまり、口調がたどたどしい。
「あ、今日からはお姉ちゃんって呼ぶべきですね」
「お姉ちゃん!?」
「翠華お姉ちゃん!」
かなみが笑顔でそう呼ぶと、翠華は高揚で天にも昇る気分を味わう。
翠華はベッドからパッと跳ね上げるように飛び起きた。
「キャッ!?」
悲鳴が聞こえてきたことで我に返る。
「夢……夢だったわね」
改めてそう実感する。
――翠華お姉ちゃん!
かなみは笑顔でそう呼んでくれた。
夢だったからそこまではっきりと憶えてないけど、思い出しただけで再び天にも昇りそうな高揚が湧き上がってくる。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんか……」
「私がどうかしたの?」
「キャッ!?」
翠華は悲鳴を上げる。
今の恥ずかしい妄想を見られたかと羞恥心がこみ上げたがゆえの悲鳴だった。
「愛華お姉ちゃん……なんで私の部屋にいるの?」
翠華は冷ややかに訊く。
「なんでって、そんな言い草ないんじゃないの? せっかく起こしに来てあげたのに」
愛華は不満を漏らす。
「誰も頼んでいないんだけど」
「起きてくるのが遅いからお母さん心配してたのよ。あと、ついでに妹の寝顔を見に来たかったっていうのもあるけど」
「……は、恥ずかしいこと言わないで!」
「もう翠華はおこりんぼなんだから」
笑顔で楽しそうにしている姉に、翠華は白い目で見る。
この姉、愛華は大学生にして、小学生並の奔放さを持っていて、苦手だった。
「それで、今私のこと、お姉ちゃんって呼んだでしょ?」
「あ……違うの!」
翠華は訂正する。
「今のはお姉ちゃんのことを呼んだわけじゃなくて!」
「だったら、誰を呼んだのよ? 翠華のお姉ちゃんは私だけなのよ」
「そんなこと言われなくてもわかってるから! ともかく、お姉ちゃんのことは呼んでないから!」
「えぇ~でも、今確かに~」
「呼んでないから! というより、出ていってよ!!」
「はいはい。翠華の寝顔を見られただけでよしとするわ」
一言余計なことを言って、愛華は部屋を出ていく。
「まったく……」
姉はとにかく自由奔放だった。
でも、同時にその奔放さがちょっと羨ましくもある。
(もし、愛華お姉ちゃんみたいな感じで、かなみさんと接したら……)
今よりも進展した仲になれただろうか。
もし、夢みたいに本当にかなみが妹になったとしたら、あんな感じに接した方がいいか。
(いえ、やめましょう……)
現に、今の翠華は姉を部屋から追い出した。
あれをもし、翠華を愛華に、翠華をかなみに置き換えたら、かなみが翠華を部屋から追い出すということになる。
『部屋から出て行ってよ!』
そんなことをかなみから言われたら……落ち込むと同時に、それはそれで可愛いかもしれないとも思ってしまった。
それはまさに今出ていった愛華が持った感情と全く同じだったけど、翠華は気づかなかった。
「かなみさん……」
夢の中の笑顔がおほろげながら思い出そうとする。
――翠華お姉ちゃん!
その声を脳内で再生しただけで甘美な想いがこみ上げてくる。
(あれが現実だったらよかったのに……のに、なんでかな……あれが、――夢で良かったなんて……)
夢の中が現実だったらよかったのに、と思うのと同時に、夢が現実じゃなくて良かったとも思っていた。
どうして、そんなことを思ったのか、翠華には考えてもわからなかった。
とはいえ、時間はいつまでも待っていてくれない。
そろそろ朝食の時間だった。
思案よりも生活習慣が優先だ。
自分の部屋から出て、リビングに向かう。
『花の妖精フェアリーフラワー! 水の妖精フェアリーアクア! 土の妖精フェアリーソイル! 三人合わせてフェアリーガールズ! 三人でフェアリープリンセスを目指して、魔法の修行頑張ります! 魔法妖精フェアリープリンセス、毎週日曜9時から絶讃放送中です! みんな観てね!!』
テレビからコマーシャルが流れてくる。
「これ、翠華が好きなやつよね?」
先にテーブルについていた愛華が訊いてくる。
「そ、そんなことないじゃない……! いい歳して!」
ムキになって否定している態度が肯定を表している。それもまた可愛いと愛華は思った。
「いい歳も何もまだ十六じゃない! 若い若い!」
「そうね、二人共若いわ」
「お母さんまで……」
翠華はジト目で姉と母を見る。
「翠華がそういうのが大好きだってことはよくわかってるから! 部屋にもグッズがいっぱいあるじゃない!」
「――!」
愛華の言い様に翠華は反論の言葉を失う。
姉は無断で部屋にどんどん入っていく。そのせいで、翠華のプライバシーはまったくない。
「勝手に部屋に入らないでって何度も言ってるでしょ!!」
翠華は恥ずかしさで耐えきれず、愛華へ怒鳴り込む。
「まあまあ。私は可愛いからいいと思うよ」
「そういう問題じゃない!!」
「翠華、朝から元気ね……」
母は呑気だった。
「お母さん、なんとか言ってよ。お姉ちゃん、私を起こすためだとか言って、勝手に部屋にはいるのよ」
「そうね。でも、起こしたに行ってって頼んだのは私よ」
つまり実質共犯だった。
「あぁ……」
「部屋に入られるのが嫌なら、愛華より早く起きたら?」
母が無茶な提案をしてくる。
何が無茶かというと、愛華はちゃらんぽらんな割に、早寝早起きと規則正しく生活している。しかも、朝が異常に強く、朝寝坊なんて翠華が知っている限り、両手の指で足りるくらいしか無い。
反対に翠華は朝が苦手だった。
というより、昨日はかなみの部屋に上がり込んだせいで、すっかり夜遅くに帰り、必然的に就寝時間が遅くなってしまった。
そのせいで、今朝は眠い。できることならこのままベッドにダイブして二度寝といきたい。
しかし、朝食の時間が終わったらすぐに制服に着替えて登校しないと危ない。
「早く起きられるように頑張る」
そう結論付けてテーブルの席に着く。
「がんばれー」
愛華の気の抜けるような応援をしてくる。
翠華はキィッと睨み返す。
愛華は笑ってそれを受け流す。
「それにしても、翠華ってバイトで遅いよね。昨日も何時に帰ったの?」
翠華は家族には魔法少女の仕事のことをアルバイトだと説明している。帰宅が夜遅くになることはあるものの、両親は「社会勉強」の一環だと言って放任している。
むしろ、愛華からそんな話を切り出されることが意外だった。
「そんなのお姉ちゃんには関係ないでしょ」
「関係なくないよ。心配なんだから」
「心配? お姉ちゃんが?」
翠華は意外そうな顔をする。
おおよそ姉と心配という感情が結びつかなかった。
「そうよ。翠華はだーいじな妹なんだから、夜遅くなって危ない目にあったらと思うと心配で心配で眠れないのよ」
「また、いい加減なことを……」
翠華が夜に帰っても、愛華と顔を合わせることはない。
とっくにもう寝ている時間のはずなので、「心配で眠れない」というのは嘘だと翠華は思った。
「それは本当よ。昨日も翠華が帰るまで起きてると言って、コーヒー飲んでたわよ」
母が補足する。
「え……?」
翠華は唖然とする。
母は素直な性格なので、こんな時に嘘は言わない。
だから、母の言っていることは本当で、愛華は翠華が帰ってくるまで起きていたということになる。
「それじゃ、本当に起きてたの?」
改めて翠華は愛華に訊く。
「うん。でも帰ってきたら安心してすぐに寝ちゃった、アハハハ」
なんとも姉らしい行動だと翠華は思った。
「お姉ちゃん、私のこと心配してたのね」
「そりゃ、お姉ちゃんだからね。妹のことを心配するのは当たり前だよ」
姉はまったくいつもの調子で言う。
それだけに今言ったことは大げさや冗談でもなく本音だと伝わってくる。
「……そう」
なんだか姉が少し頼もしく感じた瞬間だった。
学校が終わって、翠華はオフィスビルへ向かう。
「翠華さん」
「かなみさん?」
オフィスビルが見えたところで、かなみに呼び止められる。
「奇遇ですね。ここで会うのは」
「そうね」
いつもはオフィスにどちらかが先にやってきていて、挨拶を交わしている。
だから、オフィスの外で二人が会うのは珍しい。
「あの、かなみさん……」
珍しいのだけど、違和感がある。
「かなみさん?」
「なんでしょうか?」
かなみは訊き返す。
「………………」
翠華は判断に困った。
オフィスビルへの道でばったり、かなみと出会う。
そんな偶然が今日ここで起きるのだろうか。
かなみの返事は、その違和感を払拭するものではなかったけど、確信にはいたらないものだった。
――ドッペルゲンガーが翠華を待ち伏せしていた。
そんな考えがよぎった。
昨日、ドッペルゲンガーと遭遇しなかったら思いもしなかった考え。でも、ドッペルゲンガーと遭遇した昨日があったからこそ浮かんだ考え。
このかなみがドッペルゲンガーかもしれない疑い。
でも、ドッペルゲンガーは見た目はそっくりに変身していて、一見しただけでは区別がつかない。
昨日のかなみがドッペルゲンガーだと見破ったのは、いくつか質問をしていてようやく違和感が確信に変わった。
あれをまたやれば本物なのか、ドッペルゲンガーなのか、わかるかもしれない。
「かなみさん、あの……」
翠華はさっそく何か質問をしようとした。
「翠華さん、行きましょう!」
かなみは翠華の手を引く。
「えぇ!?」
思いもよらなかったかなみの行動に翠華は面を喰らう。
違和感はあるものの、違和感以上に目の前に起きた出来事が衝撃的すぎた。
(かなみさんが私の手を!?)
これが本物でも、ドッペルゲンガーでも、かなみが自分にこんなことするなんて頭の中が真っ白になってしまうことだった。
そうして、二人はオフィスビルへ入って、階段を上がる。
(そういえばオフィスには千歳さんの結界があって、怪人だったら入れないはずじゃ……)
しかし、このかなみは問題無く入って来られた。
(つまり、このかなみさんは本物!?)
最早、違和感どころの話じゃなかった。
本物だという証拠を突きつけられて、翠華は呆然とする。
(ということは、本物のかなみさんが私の手を……!?)
今度は真っ白どころか真っ赤に茹で上がる。
「どうしたんですか、翠華さん?」
かなみが訊いてくる。
「な、なんでもないわ! 行きましょう、かなみさん!」
翠華は大声でごまかしてオフィスへ駆け込む。
「ハァハァ……」
全速力で駆け込んだため、息を切らしてしまう。
(こんなときに……)
オフィスには誰もいなかった。
「これはピンチ……」
翠華はオフィスの状態をそう評する。
かなみと二人きり。偽者と疑った後なだけに本物の行動がドギマギしてしまう。
「ウシシ、いやこれはチャンスでもあるぜ」
ウシィが助け舟を出すように言ってくる。
「チャンス……」
翠華は噛みしめるように言う。
「チャンス……!」
そして、噛み砕いて飲み込むようにもう一度言う。
(かなみさんと二人きりでチャンス! これは一気に親密になるチャンスということね!!)
翠華は握り拳を固める。
「誰も来てないですね」
かなみが後から入ってくる。
「そうなのよ。みあちゃんと紫織ちゃんもすぐ来ると思うんだけど」
「それは残念ですね」
「残念?」
「翠華さんと二人きりでお仕事できると思ったので」
「――!」
かなみのその返答に、翠華は心臓が飛び出そうになる。
さっきまでだったら違和感に思えたものが、このかなみは紛れもなく本物だとわかるとどうして突然そんな事を言うのか大いに困惑させられる。
(かなみさんが私と二人きりでお仕事できる、なんて言い出して一体どうしたの!? そりゃ、かなみさんと二人きりでいるのは嬉しいけど、もしかしてかなみさんも嬉しいと思ってくれてるの!? そ、それはもしかして……両想い!?)
翠華はぎこちなくかなみを見る。
「あ、あの……か、かなみさん!?」
「はい、なんでしょうか?」
これはいつもの反応だ。
「ふ、二人きりでお仕事できるって、どど、どういう意味!?」
「どういう意味も何もそのままの意味ですが」
かなみは首を傾げる。
「そ、そのまま……?」
「翠華さんと二人きりになれて嬉しいということです」
(違和感!?)
翠華は心の中で叫びを上げる。
(でも、このかなみさんは本物!? ということは、今のはかなみさんの本音!?)
翠華は困惑しつつも、なんとか思考を整理して、かなみを見つめる。
「翠華さんは嬉しくないですか?」
(だから違和感!? かなみさんはこんなこと言わない!! でも、かなみさんは本物!!)
「翠華さんは嘘つきですね、とても嬉しそうですよ」
かなみはニヤリと笑って言う。
「え、私が嬉しそう……?」
「ほら、自分の姿を見てくださいよ」
かなみはそう言って、翠華へ顔を近づける。
「え、え……!?」
翠華は、かなみが何をしようとしているのかわからず狼狽する。
しかし、かなみは肩をつかんでいる為、逃げられない。
顔は口が触れてしまいそうなほど接近されている。
(かなみさんは一体なぜこんなことをするの!?)
「ほら、私の眼を見てください」
(あぁ!?)
もう一度言われて、翠華はかなみの言っていることを理解する。
かなみの眼を見ると、そこには自分の姿が映っている。
冷や汗を垂らして狼狽して慌てふためいている翠華。
紛れもなく私、青木翠華だった。
想いを寄せるかなみに迫られて、どうしたらいいかわからない私の姿がかなみの目に映っている。
「どうですか、見えましたか?」
「え、ええ、見えたわ……」
「翠華さん、嬉しそうじゃないですか?」
かなみは三度問う。
「……う、嬉しい……たしかに、そうね……!」
翠華はとうとう認めてしまう。
「そうですか、それはよかった。それでは――」
「それでは、何!?」
「言わなくてわかりますよね?」
かなみはさらに顔を近づける。
(え、えぇ、そんな、かなみさん!? こんな、いきなりでまさか、キ、スなんて!?)
しかし、翠華は声を出すことができず、受け入れざるを得なかった。
「あぁッ!?」
そこへ唐突に背後から声がした。
「え……?」
翠華は声のした方へ視線をそらす。すると、そこには、かなみが立っていた。
「かなみさん……?」
そう、かなみがもう一人立っていた。
「……チィ」
それに勘付いた目の前のかなみは舌打ちする。
それは本物のかなみだったら、絶対にしないだろう仕草だと翠華は確信を持って言える。
(――ドッペルゲンガー!)
最早違和感どころの話じゃない。
現に本物のかなみは彼女の背後にいるのだから。
「あんた、何してるの!?」
かなみは迫り、彼女へ手を伸ばす。
パシィ!
彼女はそれを弾く。
「嫌なタイミングでくるわね、本物!」
「コソコソしてるからそう感じるのよ、偽者!」
かなみにそう言われて、偽者は忌々しげにかなみを睨む。
「だったら、お前を倒して本物に成り代わってやる!」
ドッペルゲンガーは敵意を剥き出しにして、翠華を振り払って距離を取る。
「翠華さん、大丈夫ですか!?」
「え、ええ……でも、ごめんなさい。ドッペルゲンガーなのに騙されてしまって」
「そんなこといいんです! あいつは私が倒しますから!」
かなみはコインを取り出す。
「私も戦わせてもらうわ!」
翠華もコインを取って、二人を同時に投げる。
「「マジカルワークス!」」
コインから降り注ぐ光が二人を包み込む。
「愛と正義と借金の天使、魔法少女カナミ参上!」
「青百合の戦士、魔法少女スイカ推参!」
黄色と青色の魔法少女がオフィスへ降り立つ。
「忌々しいわね!」
ドッペルゲンガーはそう言って、魔法少女カナミの衣装へと変化させる。
「どっちよ、忌々しいのは!」
カナミはドッペルゲンガーへ嫌悪をむき出しにする。
「どっちがね」
ドッペルゲンガーは魔法弾を撃つ。
「わわ!?」
かなみは慌てて魔法弾を受け止める。
「オフィスが壊れるじゃないの!?」
「そんなの気にしてる場合!?」
「場合なのよ!!」
さらにドッペルゲンガーは魔法弾を撃ってくる。
「壊れたら、私は社長に怒られるのよ!!」
「だったら、私が代わりに怒られてあげるわよ!」
「え、それはちょっといいかも!」
「カナミさん!」
スイカは一喝して、一足飛びでドッペルゲンガーの懐へ踏み込む。
「私を呼びましたか、スイカさん?」
ドッペルゲンガーは挑発的な笑みを浮かべて、スイカのレイピアをステッキで受ける。
カキィィィィン!
「あなたに言ってない! その顔で、その声で、私の名前を呼ばないで!!」
「怖いですね」
キィン! キィン! キィン!
レイピアとステッキがぶつかり合う。
狭いオフィスではスイカの速度を活かせず、存分に立ち回れない。
バァン!
そこへカナミの魔法弾が飛んできて、ドッペルゲンガーの肩に命中する。
「いたッ!?」
「私の姿で好き勝手させないんだから!」
「つくづく目障りな本物ね」
ドッペルゲンガーはカナミを睨みつける。
それは、標的をカナミに定めた瞬間だった。
「――!」
そこでカナミは違和感に気づく。
「忘れたの、私の能力を?」
「くッ!」
カナミはステッキから刃を引き抜いて、ドッペルゲンガーへ立ち向かう。
0
あなたにおすすめの小説
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
スーパー忍者・タカシの大冒険
Selfish
ファンタジー
時は現代。ある日、タカシはいつものように学校から帰る途中、目に見えない奇妙な光に包まれた。そして、彼の手の中に一通の封筒が現れる。それは、赤い文字で「スーパー忍者・タカシ様へ」と書かれたものだった。タカシはその手紙を開けると、そこに書かれた内容はこうだった。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
自力で帰還した錬金術師の爛れた日常
ちょす氏
ファンタジー
「この先は分からないな」
帰れると言っても、時間まで同じかどうかわからない。
さて。
「とりあえず──妹と家族は救わないと」
あと金持ちになって、ニート三昧だな。
こっちは地球と環境が違いすぎるし。
やりたい事が多いな。
「さ、お別れの時間だ」
これは、異世界で全てを手に入れた男の爛れた日常の物語である。
※物語に出てくる組織、人物など全てフィクションです。
※主人公の癖が若干終わっているのは師匠のせいです。
ゆっくり投稿です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる