4種族9人の主人公の運命が絡み合い、凍える大陸を目覚めさせる!王道ファンタジー『オルダニアの春』

武濤大洋@鴻鵠ブラザーズ

文字の大きさ
2 / 60
第1章 ヒルダとウォルター

第1話 崖の町

しおりを挟む
 周囲を断崖で囲まれた、『豊穣の海』の小湾の、奥まった町だった。砂浜はそれほど広くなく、海から見れば崖が迫ってくるようである。その自然の要塞のような岩肌に、へばりつくようにして町が作られていた。

 古くから漁港、交易の拠点、そして複雑な地形を活かした軍港として栄えたが、それも今は昔だった。

 百年前の戦争で、防衛拠点であった『崖の町』は三度にわたる大規模な海からの攻撃と、その後の大嵐によってすっかり落ちぶれてしまった。

 そうはいっても、今でも領主エドマンドは崖の頂上に、『無垢なる山』を背にして、まるで稜線を作るように広がる城を構えていたし、町人は相変わらず漁業と段々畑の果樹栽培で忙しなく働いていた。

 町は海岸沿いに南北に伸びていて、東側が海だった。ヒルダが寝起きしているのは、その北端の崖の下。長い歴史の中でどういうわけか、そこは貧民窟になっていた。

 テントを出ると、朝露に濡れた草木や爽やかな潮風が彼女を迎える……ということはなく、光の差し込むことのないガレキの坂道に、同じようなテントとあばら屋がひしめきあい、四六時中、蒸れた悪臭が漂っていた。

 ぐるりと周囲を見上げれば、西側は下層の暮らしからは想像もできない賑々しい家が崖に沿って積み上がり、頂上にはその最たるものとして、翼を広げたようなエドマンド城が空を覆っている。

 東には豊かな小湾が優しい波を立てているが、それは船を持つ者の海であり、貧民に近づく術はない。

 そして北には、この場所を昼でも暗闇に陥れる元凶があった。
 天高くそびえる、異様なほどに堅牢な、黒い壁である。

 それはエドマンド城と肩を並べる高さで、珍しい硬い鉱石を混ぜ込んだ石でできており、『無垢なる山』とぴったり身を寄せ、町と外界を断絶していた。

 町の人はただ単純に「壁」と呼ぶが、故事を知るものに呼ばせれば『古代の壁』なのだそうだ。ヒルダにはどっちでもいいことだが。

 町に陸路で出入りするためには、唯一、南北を貫く『王の小道』を使うことになるが、当然壁とぶつかる。そこには頑丈な門があって、日の出から入りまで開いているが、通行には許可が必要だった。

 この辺りの町は、すべて同様に壁で覆われているのだという話も聞いたことがあるが、それを知ったところで何になるのだろうかと、ヒルダは冷めていた。

 生まれてから一度も町を出たことがない。これからも出る理由がない。だから、東の海、西の城、南北の壁と、四方を囲まれたこの小さな世界の外側のことなど、知っても何の得にもならない。そう考えていた。

 町の人々は、ほとんどがそう思っているだろう。特に、こんな底辺で生きているような連中は。

 道に寝転ぶ人は息をしているのかどうかも怪しく、狭い路地から飛び出してくる子はまともな服を着ていない。動ける男は肉体労働で日銭を稼ぐこともできたが、女の仕事は一番上等で洗濯女くらいだ。

 ヒルダの容貌は、まるで老婆だった。
 腕は痩せ細り、爪は汚れ、割れている。ほったらかしの淡い金色の髪は、長い間すいてもおらず、埃と一緒に固まってこんがらがっていた。

 だが目深に被ったローブの奥には、炎のように赤く燃える瞳と、透き通るように白い、ハリのある肌が隠されていた。

 実際の彼女の年齢を、彼女自身も知らない。

 ヒルダは樫の枝で作った杖をついて、だらだらと長い坂を登っていった。遅い朝の日課だ。

 漁師と果樹農民の家が軒を連ねる。貧民窟と似たり寄ったりのあばら屋だが、あのむせかえるような悪臭はない。

 井戸のある広場を越えると、商家が並ぶ。鍛冶屋、陶器屋、仕立て屋、靴屋、もちろん魚屋、それから公益で仕入れた肉屋、パン屋、野菜等の市場。市場の先に教会が見える。

 ヒルダはフンと鼻を鳴らした。
 なにがクルセナ教だ。

 その神は、『豊穣の海』よりも南の遠い海から、アルバ人と共に渡ってきた。『崖の町』だけでなく、あちこちの町に教会を建てたのだが、戦争に負けてほとんどのアルバ人は追い出され、神様だけが残ったのだそうだ。

 ここらあたりの連中もすっかり感化されて、唯一絶対のクルセナ様におすがりすれば、飢えも病もすべて癒されるのだという。

 最下層で喘いでいる奴らでさえ、「いつかは祈りが通じる」とか、「現世の苦しみは来世の喜びに変わる」とか言っている。本当は、信仰だの教義だの、どうだっていいくせに。

 彼らが教会に首を垂れるのは、慈善事業で炊き出しが出るからだ。晩に椀を持って並べば、薄いスープが飲める。それに固いパンがついてくるときもある。

 ヒルダは、八角形の塔を持つ荘厳な作りを横目に、また鼻を鳴らして通り過ぎた。

 さらに坂をのぼると、酒場の扉が大きく開いて、外に飛び出して朝から呑んでいる連中がいた。中でも顔なじみの男が三人、鼻の頭を赤くしているのを見つけて、ヒルダはひょこひょこと近づいていった。

 三人とも、髪も瞳もダークブラウンだった。上背があって、肌は青白い。この町の、たいていの人間が同じだった。

 ヒルダの姿を確認するなり、そのうち一人が手をあげて合図してきた。
「ヒルダばあさん、こっちだ」
と、顔中をシワだらけにして歯を見せる。

 他の二人も振り返った。

 ヒルダは、この辺りでは「ばあさん」で通っていた。

「あんたら、今日も朝っぱらから飲んでんのかい」
と、わざとしゃがれた声で憎まれ口を叩くが、男たちは一向に構わず、
「労働後の一杯さ」
と、彼女のために場所をあけた。

 ヒルダも遠慮なく腰をおろす。

 生鮮品を扱う商人たちだ。朝市後の一休みだった。もちろん、ヒルダはその時間を狙ってやってきていた。

「ばあさん、どうだ? 今後の俺の商売は。さあ、占ってくれよ」
 さっそく一人が手のひらを突き出してきた。

 ヒルダの生きる術。それがこの力だった。
 特別な能力。
 予知だ。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

転生後はゆっくりと

衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。 日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。 そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。 でも、リリは悲観しない。 前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。 目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。 全25話(予定)

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

【完結】転生したら断罪イベントの真っ最中。聖女の嘘を暴いたら、王太子が真っ青になりました

丸顔ちゃん。
恋愛
王太子は私――エリシアに婚約破棄を宣言し、 隣では甘ったるい声の“聖女”が「こわかったんですぅ♡」と泣き真似をしている。 だが私は知っている。 原作では、この聖女こそが禁術で王太子の魔力を吸い取り、 私に冤罪を着せて処刑へ追い込んだ張本人だ。 優しい家族を守るためにも、同じ結末は絶対に許さない。 私は転生者としての知識を武器に、 聖女の嘘と禁術の証拠を次々に暴き、 王太子の依存と愚かさを白日の下に晒す。 「婚約は……こちらから願い下げです」 土下座する王太子も、泣き叫ぶ聖女も、もう関係ない。 私は新しい未来を選ぶ。

間違えられた番様は、消えました。

夕立悠理
恋愛
※小説家になろう様でも投稿を始めました!お好きなサイトでお読みください※ 竜王の治める国ソフームには、運命の番という存在がある。 運命の番――前世で深く愛しあい、来世も恋人になろうと誓い合った相手のことをさす。特に竜王にとっての「運命の番」は特別で、国に繁栄を与える存在でもある。 「ロイゼ、君は私の運命の番じゃない。だから、選べない」 ずっと慕っていた竜王にそう告げられた、ロイゼ・イーデン。しかし、ロイゼは、知っていた。 ロイゼこそが、竜王の『運命の番』だと。 「エルマ、私の愛しい番」 けれどそれを知らない竜王は、今日もロイゼの親友に愛を囁く。 いつの間にか、ロイゼの呼び名は、ロイゼから番の親友、そして最後は嘘つきに変わっていた。 名前を失くしたロイゼは、消えることにした。

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

処理中です...