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凍りついた心
「サフィール……?」
どうして?
昨日は少し感情を見せてくれていたのに、今は完全に心を閉ざしちゃってる。
いつも私を見る時の無感情な瞳に戻っているわ。
私はしばらく考え、やがてひとつの可能性に思い至る。そして、恐る恐るサフィールに話しかける。
「サフィール……まさか、昨日の食事は届かなかったの……?」
私がそう言った瞬間、サフィールがキッとこちらを睨みつけた。しかし、すぐもとの無表情に戻る。
私はサフィールの反応で自分の予想が間違いではないことを確信する。
ああ、サフィールはそれで私を──
昨日伝言を頼んだあの使用人は、私の伝言を料理長に伝えてくれなかったらしい。
その上でお母様に告げ口したのだ。
……冷静に考えれば簡単にわかることだったのに、私は自分の都合のいいように考えてしまっていたようだ。
あの使用人は私の伝言を料理長に伝えた上で、そのことをお母様に報告したのだと。そんなわけないのにね。
これはつまり、私がサフィールに嘘をついてしまったことになる。サフィールが怒るのも当然だろう。
「サフィールお願い、聞いてちょうだい。あなたに食事を食べさせようとしたことがお母様にバレたの。それで──」
「……うしてですか…?」
「え?」
「どうして…こんな回りくどい方法で僕を傷つけようとするんです?いつものように好きなだけ暴力を振るえばいいじゃないですか」
「サフィール……」
「こんな……期待させておいて裏切られるくらいなら、そちらの方がずっといい」
「!!」
期待……してくれていたんだね。
そして、私はその期待を裏切った。
だからサフィールは傷ついている。殴られるよりもずっとつらいと感じるほどに。
私は静かにサフィールの前に座り、彼の前ににお弁当箱を置いた。そして、そのままお弁当箱の蓋を開ける。
「っ!!」
サフィールが息をのむ。
久しぶりに見るまともな食事から目が離せないようだ。
「どうぞ。あなたのために持ってきたから好きなだけ食べて」
「……」
サフィールは注意深くこちらを窺っている。
毒でも入ってるんじゃないかと疑っているのかしらね。
それだけ今の私は信用がないと言うことだろう。
「何か混ざっていると思うなら、私がすべての料理をひと口ずつ食べてもいいわ」
私がそう言うと、サフィールは反射的にお弁当箱を私から遠ざけた。ほんの少しでも私に食べられるのが惜しいようだ。
この反応を見るに、毒を警戒してるわけではなさそうね。もしかしたら、どうしていいかわからずに戸惑っているだけなのかもしれない。
私はサフィールを後押しするべく、彼に食事を促した。
「さあ食べて。あ、コップがあるなら持ってきて。水を出すから」
「……」
サフィールは無言で立ち上がり、端の欠けたコップを持ってきた。
ああ、コップも新しいものを買いたいわね。でも今は我慢するしかないわね。真新しいコップが部屋にあるのをお母様に見つかると面倒なことになる。
私はコップに手をかざし、水魔法を使う。
『清浄なる水よ。その汚れなき一滴を以て、かの器を生命の恵みで満たしたまえ』
魔法が成功し、コップの中に水が満たされる。
これくらいの水を出すくらいならできるが、水魔法はあまり得意ではない。サフィールの前で失敗しなくて良かったわ。
「魔法……使えたんですね」
サフィールが驚いている。
そういえばサフィールは私が魔法を使えることは知らなかったわね。
この世界の人間は魔法を使えるが、そのほとんどが生活魔法しか使えない。一般的に魔法が使えると言えば、それは生活魔法以外の魔法のことを指す。
魔法を使えるのは大抵貴族で、魔力量が多ければ魔法学園に入ることも可能だ。
あ、私程度の魔力では無理よ。
これくらいの人間なら貴族にもたくさんいるからね。
「私が使えるのは初級の魔法だけよ。でもいずれ回復魔法を習得したいと思っているわ」
「……何故ですか?」
サフィールの問いに、私は静かに彼を見つめ返す。サファイアの瞳が美しい。
「いつか、あなたの傷を治せればと思って」
「!!」
「それで私の罪が消えるとは思わないけれど、サフィールがその傷を一生抱えて生きていく必要はないものね」
「あなたは……」
「さあ、早く食べて。お腹が空いているでしょう?」
「……わかりました」
サフィールがようやくお弁当を食べ始め、私は内心ホッとしていた。
ここで突っぱねられると私も困ってしまうところだった。無理矢理食べさせるわけにもいかないからね。
やはりというべきか、サフィールは相当お腹が空いていたようで、木製のフォークを料理に突き刺しては口に運ぶことを一心不乱に繰り返している。
私は時折コップの水を補充しつつ、サフィールの食事を見守った。
サフィールが食事に夢中なのをいいことに、私は言い訳じみたことを独り言のようにつらつらと並べていく。
「昨日、サフィールに食事を作るように使用人に伝言を頼んだのだけど、彼は私の言いつけを聞かず、このことをお母様に報告したようなの」
「……」
サフィールは無言だ。
食べることに夢中で、私の声など聞こえていないのかもしれない。それでいい。
「お母様はひどくお怒りで、私は罰を受けたわ」
「……」
「だから、これからは表立ってサフィールを助けることは難しくなるけれど、こうしてお母様の目を欺いて食事を持ってくることはできると思うわ」
「……」
「落ち着いたらサフィールに勉強を教えてあげたいわね。ううん、回復魔法を習得するのが先かしら」
「どうして…どうしてそんなことを言うんですか?」
「サフィール?」
いつの間にかサフィールの食事は終わっていたようだ。
空になったお弁当箱を前に、サフィールはきつく両手を握りしめ、肩を震わせている。
「そんなことを言われてしまえば、愚かな僕はまた期待してしまう。もう期待しないと心に誓ったのに」
「サフィール」
「……っ!」
「期待してよ、サフィール」
「っな……」
「私って単純だから、期待されてると思えば頑張れると思うわ」
「姉さん……」
「ふふ、初めて私をそう呼んでくれたわね。嬉しいわ」
サフィールにルディア様と呼ばせていたのは私自身だけどね。
「姉さん……。僕、期待してもいいの?」
「ええ。私はもう二度とあなたを裏切らないわ。すぐには無理だけど、いつか必ずサフィールを幸せにしてみせるわ」
「姉さん…姉さん…!!」
サフィールは憎いはずの私の胸に飛び込んできた。
彼は現在14歳だが、ろくに食事を与えられなかったせいで発育が十分ではなく、身体も痩せている。
そのせいで、飛びつかれても私の身体は小揺るぎもしなかった。……決して私が太ましいからではないはず。
私はサフィールを刺激しないように、彼をできるだけ優しく抱き締めた。
つらかったよね、サフィール。
突然伯爵家に連れてこられて、頼れるはずのお父様はサフィールを放置。
私とお母様には痛めつけられ、心も身体も限界だったのだろう。
だから今、サフィールはこんな私にすがり付いてしまっている。こんな、ろくでもない最低の女に。
でも、こんなろくでもない女でも、これからは絶対にサフィールにひどいことなんてしないと誓うわ。
いつかサフィールを幸せにして、私は彼の前から消えるから。
だからそれまでは「姉さん」と呼び続けてくれると嬉しいわ。
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