ほら、こんなにも罪深い

スノウ

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鍵のない鳥籠




 ──翌日。

 私は今、最後の治療をサフィールに施したところである。


「ふう。これですべての傷が完治したと思うわ。サフィール、調子はどう?」

「そうですね。とても身体が軽いです」


 サフィールの返答に、私はホッと胸を撫で下ろす。

 これで私のしたことが赦されるとは思っていないけれど、一応の区切りはついたと思っていいかしらね。


「明日からは何をしようかしら。サフィールの背が伸びたことだし、服を新調したいところね」

「姉さんの気持ちはありがたいですが、服のことは心配要りませんよ。半年に一度は新しい服を買ってもらえますから」

「──そう」


 サフィールは特に気にした様子もないが、伯爵令息が半年に一度しか服を新調してもらえないのは異常だ。
 しかも、買ってもらえるのは平民が着るような質素な服だけ。そして、そのことを誰も疑問に思わない。

 余談だが、私の服をオーダーする時は採寸を行わない。以前採寸された時の記録をもとに仕立てさせている。
 自分の体型を気にしていたルディアは、自分の身体を採寸されることを何よりも嫌っていたからだ。

 ──そうだ、採寸!
 サフィールも服を新調するのよね。


「サフィール、新しい服を買ってもらう時、あなたの身体を調べられるんじゃない?その……サイズを測ったり」

「……使用人に身体を見られることは確実でしょうね。背中まで見られるかどうかは五分五分でしょうか」

「背中を見られなくても、あなたが痩せていないことに疑問を持たれるかもしれない。もしかして、かなりまずい状況なんじゃ…」


 私は顔を青くしてうろたえるが、サフィールの表情は悟りを開いたかのように凪いでいる。


「隠していても、いつかはバレることです。最近は、残飯を持ってくる使用人にも疑われていそうな雰囲気がありましたし」

「っ、使用人はまだ残飯を持ってきていたの!?……いえ、そうよね。そうでなければ、サフィールは今ごろ餓死しているはずだものね」

「そういうことです。姉さんの持ってくる料理に慣れたあとでは厳しいですが、まあ食べられなくもないですよ」

「サフィール……」


 私は自分の不甲斐なさに唇を噛み締める。

 暴力を振るわれなくなったからといって、サフィールの置かれた状況は何ひとつ変わっていなかったのだ。

 使用人部屋に押し込まれ、残飯を押し付けられる毎日。
 それは、サフィールの人間性を否定し、踏みにじるような行為ではないのか。

 サフィール……あなたは何を思って毎日を過ごしているの?いっそ伯爵家を出たほうが、あなたは幸せになれるのかしら。

 私はサフィールの表情の変化を見逃さないように注意しながら、話を続けた。


「ねえサフィール。私は今まであなたを伯爵家の当主にしようと考えていたの。それがサフィールの幸せにつながると思ったから…」

「ええ、姉さんは以前もそう言っていましたね」

「でも、あなたはここにいたらひどい扱いを受け続ける。お父様さえ帰ってくれば、この状況をなんとかできるかもしれないけれど」


 私の言葉を、サフィールは皮肉げに笑い飛ばした。


「エルドリッジ伯が帰ってきたところで、すべてが上手くいくとは思えませんけどね」

「サフィール……」


 サフィールはお父様のことを『エルドリッジ伯』と呼んでいるのね。

 赤の他人であるお母様はともかく、お父様はサフィールの実の父親ではないの?お父様はそこを明言してはいないけれど、姿はお父様に生き写しだし、間違ってないと思うのだけれど……。

 まるで、自分に関係のない相手のような一線を引いた呼び方に、私は混乱してしまう。
 でも、今重要なのはお父様の呼び方などではない。


「お父様が助けにならないなら、なおさらサフィールがここにいるのは危険ということよね」

「……」

「サフィール。あなたが望むなら、ここから逃げるのを私が手助けするわ」

「……どうやって?」

「伯爵家には宝石や絵画、お金になりそうな骨董品だってたくさんあるわ。それを売れば──」


 サフィールは話にならないとでも言いたげに首を振った。私は思わず口をつぐむ。


「それを売るのは僕ですか?それとも姉さん?まさか使用人に頼むなんて言いませんよね」

「っ、それは──」

「高価な宝石などを買い取りに出せば、どうしたって目立ちます。あの女が盗難にあったと届け出れば、僕はすぐに捕まりますよ」

「そんな……」

「こんなみすぼらしい格好の男が高価なものを売りにくれば、まず窃盗を疑われます。あるいは、足元を見られて買い叩かれるのがオチですよ」

「それなら、私が代わりに」

「姉さんは宝石を買い取ってくれる場所を知っているんですか?」

「……っ」

「買い取り価格の相場は?二束三文で買い叩かれても、気づくことができますか?」

「……いいえ」

「……姉さんの場合、うかつに街に出れば、親切そうな顔で近づいてくる男にすぐに騙されそうで、僕はそっちのほうが心配ではありますね」

「……私、そんなに騙されやすそうに見えるの?」

「見えますね。あなたは自分のことを何もわかっていない。性悪令嬢?あの女に比べれば、姉さんなんて雛鳥みたいに見えますよ」

「雛鳥……」


 サフィールから見れば、私はおしりに卵の殻をつけたままのヒヨコみたいなものなのかしらね。
 
 でも……そうよね。

 私が考えつく程度のことくらい、私よりずっと頭の良いサフィールが、とっくに思いついていて当然だったわ。

 サフィールはそんなことくらい、何年も前から考えついていたのでしょうね。

『ここから出て、盗んだ貴金属を売って自由に生活する』

 サフィールは頭の中で何度もシミュレートし、いくつもの道筋を模索したはずだ。

 ──それでも、その先に自分が生き延びる未来が見えなかったのだろう。
 だから、サフィールは今もここにいる。
 この地獄のような場所に、自らの意思で。

 ここにいれば、命だけは守れるから。
 その代償に、自分の尊厳や自由といったものを私達に取り上げられるとしても。


「……」


 私はサフィールにかける言葉を失くし、力を失ったように肩を落とした。

 そんな私に、サフィールは追い討ちをかけるかのように言葉を重ねる。


「僕にとってここは『鍵の掛かっていない牢獄』のようなものでしたが、姉さんだって僕とそう変わりませんよ」

「それは……どういう意味なの……?」


 私は力なく言葉を返す。


「姉さんはここを出てひとりで暮らすつもりのようですが、外の世界をろくに知らないあなたが生きていけるほど、外は甘い世界ではないということです」

「一人暮らしくらい、私だって……」

「姉さんは、パン1個の値段がどれくらいか知っていますか?」

「……っ」

「宿の相場は?働いて、少ない給金を渡されても、姉さんにはわからないでしょう?」

「……そうね、わからないわ……」


 私、楽観的に考え過ぎてた?
 前世の記憶があるから大丈夫だと漠然と考えていたけれど、それは間違いだったの?

 ……そうね。ここは日本ではなかったわね。
 でも、それなら私は───


「私……ここを出ては生きていけないということ?」

「なりふり構わなければ、生きてはいけると思いますよ。姉さんは女だから、そちらの仕事はいくらでもあるでしょうし」

「っ、それは──」

「……わかってます。少し言い過ぎましたね。すみません」


 サフィールが、いつの間にか流れていたらしい私の涙を拭ってくれる。
 私はここを出ていけないことがショックで、サフィールにされるがままだ。

 私はここを出ていけない。
 サフィールも同じ。
 ああ、サフィールが言いたかったのは、そういうことだったのね……。

 私は静かに涙を流した。
 そんな私を呆れるでもなく、とめどなく溢れ出る私の涙を、サフィールは優しく拭い続けてくれた。



 この日私は、自分が『鍵のない鳥籠』に囚われていることを自覚した。
 
 鳥籠には鍵が掛けられていないというのに、私はここを出ていくことができない。
 だって私は、何もわかっていない雛鳥なのだから。

 無力な雛鳥にできるのは、親鳥の機嫌を損ねないように可愛くさえずることだけ。



 広くて豪奢な伯爵家のお屋敷が、何故だか急に息苦しく感じた。






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