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お母様の異変
朝起きると、すでにサフィールは私の部屋にいなかった。おそらく私が気絶している間に目を覚まし、転移魔法で帰ったのだと思う。
脱いだはずの寝衣は、いつの間にかきちんと身につけていた。
私が無意識に行動したのならそれでいいのだが、もしサフィールが私に寝衣を着せてくれたとすれば、かなり恥ずかしい。
でも、サフィールは弟だものね。変に意識するのもおかしいかな。
サフィールも良かれと思ってしてくれたのだと思うし、この件は忘れましょう。
私は思考を放棄した。
それ以来、夜になるとサフィールが私の部屋に転移してくることが増えた。
サフィールはお母様から毎回ひどい傷をつけられていて、私は涙をこらえながら治療を行った。
私は治療のたびに魔力を使い果たし、毎回気絶するように眠ってしまうので、サフィールが帰る場面に立ち会ったことは一度もない。
私の食事抜きが解除されてからは、監視の目を盗んで食事を取り置くようにしている。
そして、夜に転移でやってきたサフィールに食べさせるのだ。
あまり多くを食べさせることはできなくなってしまったが、それでもサフィールは嬉しそうに食べてくれている。
そんな、自由を制限された生活は長期に及び、いつしか私は18歳、サフィールは17歳になっていた。
18歳はこの世界の成人にあたる。私は監視の続く息苦しい自室で成人を迎えた。
成人を迎えてしまった以上、私はいつ嫁に出されても不思議ではなくなってしまった。
おそらくお父様が戻り次第、婚約期間などすっ飛ばし、そのまま他家に出荷されることになると思う。
そんな不安の中、エルドリッジ伯爵領では流行り病が噂されるようになった。
以前私が罹ったものと同じく、今回の流行り病も症状が重いようで、何日も高熱が続き、苦しみ抜いたうえで亡くなる場合が多いという。
この話は監視役の使用人からの情報だ。
流行り病に罹った領民は気の毒に思うが、部屋に閉じ込められている私にはどうすることもできない。
領主であるお父様は不在だし、この領は大丈夫なのかと心配になる。
そんなある日、いつものように監視が交代する時間になった頃、慌てた様子の使用人が部屋に駆け込んできた。
「何事ですか」
「そ、それが──」
入ってきた使用人の話によれば、お母様が流行り病に罹ったのだという。
昨日は元気そうだったのに、今朝になって突然熱を出し、起き上がれなくなったそうだ。
「医者の手配は?」
「それが……流行り病が蔓延しているせいで、どこも手一杯のようで」
「いつも呼んでいる医者がいたはずでしょう」
「連絡はしたのですが、『忙しい』と」
「な……」
……まあ、今は流行り病が蔓延しているから、他の患者のことでかかりきりなのかもしれない。落ち着いたら来てくれるでしょう。
「わかりました。それまでは私がお母様を看ていましょう」
「お嬢様、その……よろしいので?」
「誰も看病をしたがらないでしょう。わかっているわ」
「……」
使用人は私に一礼して去っていった。
流行り病が怖いのは誰だって同じだ。お母様の看病をすれば、自分が感染するかもしれないとなれば、使用人たちも尻込みしてしまうのも無理はない。
それでも、忠誠心の強い者であれば看病を買ってでるでしょうけどね。残念ながら、お母様には人望がなかったのでしょう。
私は使用人達それぞれに細かい指示を出し、それからお母様の部屋に向かった。
顔にはマスク代わりの布を巻いている。ないよりマシの感染対策だ。
「お母様、入ります」
返事はない。返事をする元気もないということだろうか。私はそのままドアを開けた。
お母様はベッドで寝ていた。
ゼイゼイと息を吐き、とても苦しそうだ。
私は慌てて駆け寄った。
「お母様、お水は飲めますか?」
「うう……水……」
「今身体を起こしますね。ゆっくり飲んでください」
お母様はごくごくと水を飲み干し、再び横になった。熱が高いのか、意識も曖昧だ。
私はお母様の額に濡らした布を置いた。
「ふう……」
医者でもない私にできることは、せいぜいこれくらいだ。回復魔法も病気には効果がない。
医者は夕方になってやってきた。
お母様の容態はあまりいいとは言えないようで、処方された薬も効果が薄かった。
医者は他にも患者を抱えているようで、数日分の薬を置いて、慌ただしく屋敷を出ていった。
「……」
それから数時間経ったが、薬が効いた様子はない。私は最悪の事態を考え、ぶるりと身震いした。
こんな時、お父様がいてくれたら……
連絡を取りたいが、お父様がどこにいるのか見当もつかない。このままお母様が亡くなるようなことになれば、伯爵家はどうなってしまうのだろうか。
そう思って私がため息を吐いた時、部屋のドアがノックされた。
「お嬢様、旦那様がお戻りになられました」
「え、お父様が?」
今は大変な状況だから素直に嬉しい。嬉しいけれど、タイミングが良すぎない?
使用人から詳しい話を訊けば、お父様に連絡してくれたのは先程の医者だそうだ。
お父様は領内にいたらしい。
灯台もと暗しというヤツかしらね。
いや、お父様は伯爵領で流行り病が蔓延しているのを知って、他領から戻ってきただけかもしれない。
流行り病がなければ、ずっと戻らなかった可能性すらある。
「お父様は今どちらに?」
「自室でお召しかえの途中です」
「そう。わかったわ」
私は使用人に礼を言い、お父様の私室に向かう。
部屋の前に着いた私は、一度深呼吸してからドアをノックした。
「お父様、ルディアです」
「入りなさい」
入室の許可を得て、私はドアを開ける。
お父様は私の姿を見るや、驚いたように声を上げた。
「ルディア、随分とスリムになったな。見違えたぞ」
「……ありがとうございます」
私が痩せてから、もう随分経つ。
それだけ長い間お父様がいなかったことを実感し、私は複雑な気持ちになった。
私はお父様の話を聞き流し、さっさと本題に入ることにした。
「お父様、お母様が流行り病に罹ったことはご存知ですか?」
「ああ知っているとも。私もこれでようやく伯爵家に戻ってこられる」
「……それは、どういう意味ですか?」
「言葉の通りさ。流行り病でカミラが亡くなれば、私はようやくあの女から解放される」
「っ、お父様!!」
いくらお父様でも、言っていい事と悪い事がある。
お母様はまだ生きているのに、死ぬ前提で話をするのはどういう事?
お父様はお母様に死んでほしいの!?
「お父様は……お母様がお嫌いなのですか?」
私の言葉に、お父様は冷笑で返した。
そして、頼んでもいないのにお父様達が結婚した経緯を語りだす。
「ルディア。カミラはな、若かった私に薬を飲ませ、強引に関係を持ったんだ。私はカミラの純潔を奪った責任を取らされ、カミラと結婚するしかなかった」
「なっ───」
「子どもだったお前には話せなかったが、成人した今のルディアなら、この意味がわかるだろう?」
「……」
わかるかと訊かれれば、わかると答えるしかない。私は黙って頷いた。
つまり、お父様は薬で好きでもないお母様と関係を持ち、その責任を取らされるかたちで、無理やりお母様と結婚させられたということだ。
お父様は最初からお母様に愛情はなく、それどころか強い恨みがあったのだろう。
お母様に死んでほしいと願うほどの恨みが。
医者からお母様が流行り病に罹ったことを聞かされたお父様は、嬉々として屋敷に帰ってきたというわけだ。
まったく……反吐が出そうになるわ。
お父様に対しても、お母様に対しても。
「お父様、お母様はまだ生きています」
「だが、容態は思わしくないのだろう?」
「……っ」
医者からすべて聞いていたのだろうか。
でも、お母様はまだ生きている。
助かる可能性だってあるのに……
私はやるせない気持ちになり、思わず瞳から涙がこぼれ落ちてしまう。
その時、私の背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「汚い話を姉さんに聞かせないでもらえますか、エルドリッジ伯」
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