世界樹の庭で

サコウ

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「ロジェさん、僕、あんなの初めて見ました」
 地面に伏せたまま、口と目だけが自由だった。どう見ても大きいヤモリ。人の三、四倍もする体躯をくねらせ、二本足で飛び跳ねていた。
「ブルイエ閣下」
 ロジェさんが唇を震わせた。
「助っ人を呼ぶにはエラく大物ですね」
 ああ、女神様、御使い様、お母さま。超常のものにだって縋りたくなるのもわかる。
「違う。あの人」
「え、何言っているンですか。そんな偉い人が居るわけないじゃないですか」
「よく見てみろ」
 冗談を言ってられる状況じゃないし、そんなこと言う人でもない。でも、まさか。
「……」
 ブルイエ閣下。セルジュ・ブルイエはこの要塞の主人であり、英雄だ。その昔、世界の転覆を狙った教団の企みを打ち砕いたと言う。そんな人なら、この化け物でも立ち回りできそうだ。
「間違いない」
 その伝説は四十年以上も前の話だ。
「あの人って六十そこそことかじゃなかったですか。あそこの人ってどう見てもそんな老人には見えませんよ」
 そうやって無駄口を叩けるのは、その巨大トカゲがその人に気を取られているからだった。振り回す槍の切っ先が時々煌めくだけで、僕には見えない。甲高い音を立てるたびに、巨大トカゲが怯んだようにのたうつのだから、当たっているのだと推測できるだけだ。
「て、手助けを」
 そこでやっと我がに帰る。未だに腰を抜かしていたのか、動かないロジェさんを揺すり、立ち上がった。支えた時に気づく。膝が震えているのは自分だけではなかったと。
「ロジェさん、行かないと」
「しかし」
 ロジェさんが言いたいことは解る。あれに対して僕たちが役に立つかと言うことだ。だって、あの――よくは知らないけど――巨悪の組織を一人残らず殲滅した英雄が苦戦しているのだ。僕たちみたいな下っ端が何ができようか。
「刃が通らないんだ」
 ガン、ガンと何度も打ち込まれていると言うのに、その身は削られていない。怯んでいるのもその衝撃によるものらしいが、追い払えるほどでもない。体力で言うと人間の方が断然不利だ。どこかで振り切らなければ、あの英雄と言えども限界がある。
「バリスタなら」
「届かない」
「誘導すれば」
 ロジェさんは頷いて腰の長剣を構えた。
「閣下」
 鋭く呼びかけた声に、すぐ様にその人物は反応した。やっぱりそうなのか。
「城塞へ。弩砲があります」
「わかった」
 短く返事をしたその人は、立ち上がって威嚇をする魔物の足を、地面ごと刺し貫いた。断末魔とまではいわないが、不快な金切声が空気を切り裂いた。
「走れ」
 怒鳴るように指示されて咄嗟に走り出す。背後でバリバリと木材が裂ける音がした。多分、将軍の槍が折られたんだ。
 月が明るくて良かった。何度もこけそうになりながら必死に走る。いつの間にかブルイエ将軍が並走していた。
「合図は」
「閃光玉があります」
 後ろを振り向かなくても音や振動で追ってきているのがわかる。木々がなぎ倒されて、岩が砕かれている。合図が無くとも仲間たちは気づいているだろう。城壁の黒さが近づく。
「そろそろか」
「はい」
 閃光球を思いっきり空に放り投げた。
 辺り一帯が輝く。映し出された光景に、城壁の上からどよめきが起こった。約束通り兵士たちが集まっていたのだった。
「打て、打て」
 力の限り叫ぶ。それを合図に弩の腕が軋み、弾けた。いくつかの矢じりが空気を切り裂いて頭の上を過ぎていった。
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