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え、幸せそうだって。
母が亡くなるまでは、そうでした。
不愛想で不器用な父も、母のおかげでそれなりに人と話すようにはなっていましたし、僕もよく相手してもらっていましたから、多分一般的な家庭だったのだと思います。工房に母と僕の像が日に日に増えていくことを除けば。
工房に籠りきってしまっては父の顔をしばらく見ないこともありましたが、兵士であれ、商人であれ、領主であれ、そう変わらないんじゃないですかね。
ともかく、僕がある程度一人でできるようになった頃、病気――流行り病だったかな、それでいともあっさりと母は亡くなってしまったんです。もうその頃には祖母も祖父もおりませんでしたので、家の中は火が消えたようでした。父一人子一人。途方にくれましたね。
そうすると父はふさぎ込んでしまって、もう、石像を彫るなんてしなくなりました。
僕は食べるために在庫を売りさばくことにしました。でも、母のだけは売ることはできなかった。僕もまだ母が恋しかったんです。そうすると、僕を模したものを売るしかない。考えた結果、御使いに見立てるよう、親しい石工に頼んで加工してもらいました。
ほら、御使いって布を目を塞いでいるでしょう。たしか、普通の人間が直視すれば狂ってしまうほどに清らかな瞳だから、優しい聖母様は人間界に降りる時は目隠しをするようにご命令なさったとか、でしたね。
あと御使いは、ちょうど少年から青年にかかるくらいが描かれることが多いですよね。その頃の僕は、年の割には小柄だったんで、ちょっと幼い感じの御使い様でしたよ。まぁ、目を隠してしまえば、誰かなんてわかりません。初めこそ恥ずかしいと思いましたが、まァ、慣れてしまうものです。
聖母像であれば、領主様から商人まで幅広くお客さんがいました。でも不思議なことに、僕の時は僧侶の方ばかり。結構高位の方もおられましたね。
モデルが僕だとわかれば、お小遣いを渡してきてね。怖くない仲良くなろうと、いろんなものをくれました。珍しい食べ物、美味しいお菓子、綺麗な服。ありがたいお話をしてくださったり、一緒に食事をいただいたり、僕を御使いに見立てて礼拝、ですかね。聖なる儀式とか。
あ、気になります?
そうですね。正直あんまり思い出したくないです。
僕としては、食うに困らなければそれでよかった。こんな状況がいつまで続くのかもわからなかったから、ただ、利益になることは何でもしました。まだ人足としては雇ってはもらえないくらいでしたから。
え、まだ聞きますか。そうですね……。御使いなら目隠しをしているでしょう。だから僕も目隠しをして、要望通りにするだけです。
石像や絵と同じ格好をしてほしいと言われれば、指示されるがまま身体を委ねました。
祝福を授けて欲しいと言われれば、差し出されたものに唇を付けたり、咥えたり、握ったりしました。
うへェ、知りませんよ、目隠ししてましたし。そんなこと。……考えたくもない。
あとは御使いは良い香りであるべきだとかで、やたら香油を塗りたくられたこともありましたね。
まァ、ともかくお蔭で食うには困まることはありませんでした。
中には僕を村から連れ出そうとした人もいました。が、その時はさすがに抵抗しました。
金を高く積み上げられても、父は無感動でした。手を引かれて連れて行かれそうになった時、初めてお客の手を振り払って、父に泣き付きました。これ以上家族を奪わないでほしいって、その時に僕が言ったそうです。後から父に聞きました。
で、我に返った父は、その人を追い出したかと思えば、僕と抱き合って一緒にワンワン泣きましたよ。
憑き物が落ちたとはこういうことなのかもしれません。
それから父はまた石像を彫るようになって、やっと普通になりました。
少しずつ生活が戻る中で、たくさんの人に見守れていたことに気づきました。みんな、なんだかんだで世話を焼こうとしてくれていたんです。手を差し伸べてくれていたのに、父と僕はいじけてしまって気づくことができなかったんですね。僕たちが戻って来れるまでじっと待っててくれたんです。
ああ、石工職人はひとり工房で籠って、みたいな印象があるかと思いますが、石を運ぶにも、商品を売るにも、人手がたくさん必要なんですよ。良くも悪くも、同族意識が強いんです。
それからは、御使いの実績もありましたので、父は僕をモデルにして彫るようになりました。聖母は一体でいいですが、御使いはたくさんいた方がいいのでね。ふふ、いい儲けになりましたよ。
えぇ、はい。モデルになっている時は動くの厳禁。ただ父の指示を待つ忍耐の時間でしたが、嫌じゃなかったです。表情は無かったかもしれませんが、その目はもう曇ってはなかったですから。
不憫、ですか?もう、同情なんて止めてください。怒りますよ。
哀れだ哀れだなんて言われると、本当に可哀そうな人になってしまうじゃないですか。
だから、この話はもう終わり、です。
母が亡くなるまでは、そうでした。
不愛想で不器用な父も、母のおかげでそれなりに人と話すようにはなっていましたし、僕もよく相手してもらっていましたから、多分一般的な家庭だったのだと思います。工房に母と僕の像が日に日に増えていくことを除けば。
工房に籠りきってしまっては父の顔をしばらく見ないこともありましたが、兵士であれ、商人であれ、領主であれ、そう変わらないんじゃないですかね。
ともかく、僕がある程度一人でできるようになった頃、病気――流行り病だったかな、それでいともあっさりと母は亡くなってしまったんです。もうその頃には祖母も祖父もおりませんでしたので、家の中は火が消えたようでした。父一人子一人。途方にくれましたね。
そうすると父はふさぎ込んでしまって、もう、石像を彫るなんてしなくなりました。
僕は食べるために在庫を売りさばくことにしました。でも、母のだけは売ることはできなかった。僕もまだ母が恋しかったんです。そうすると、僕を模したものを売るしかない。考えた結果、御使いに見立てるよう、親しい石工に頼んで加工してもらいました。
ほら、御使いって布を目を塞いでいるでしょう。たしか、普通の人間が直視すれば狂ってしまうほどに清らかな瞳だから、優しい聖母様は人間界に降りる時は目隠しをするようにご命令なさったとか、でしたね。
あと御使いは、ちょうど少年から青年にかかるくらいが描かれることが多いですよね。その頃の僕は、年の割には小柄だったんで、ちょっと幼い感じの御使い様でしたよ。まぁ、目を隠してしまえば、誰かなんてわかりません。初めこそ恥ずかしいと思いましたが、まァ、慣れてしまうものです。
聖母像であれば、領主様から商人まで幅広くお客さんがいました。でも不思議なことに、僕の時は僧侶の方ばかり。結構高位の方もおられましたね。
モデルが僕だとわかれば、お小遣いを渡してきてね。怖くない仲良くなろうと、いろんなものをくれました。珍しい食べ物、美味しいお菓子、綺麗な服。ありがたいお話をしてくださったり、一緒に食事をいただいたり、僕を御使いに見立てて礼拝、ですかね。聖なる儀式とか。
あ、気になります?
そうですね。正直あんまり思い出したくないです。
僕としては、食うに困らなければそれでよかった。こんな状況がいつまで続くのかもわからなかったから、ただ、利益になることは何でもしました。まだ人足としては雇ってはもらえないくらいでしたから。
え、まだ聞きますか。そうですね……。御使いなら目隠しをしているでしょう。だから僕も目隠しをして、要望通りにするだけです。
石像や絵と同じ格好をしてほしいと言われれば、指示されるがまま身体を委ねました。
祝福を授けて欲しいと言われれば、差し出されたものに唇を付けたり、咥えたり、握ったりしました。
うへェ、知りませんよ、目隠ししてましたし。そんなこと。……考えたくもない。
あとは御使いは良い香りであるべきだとかで、やたら香油を塗りたくられたこともありましたね。
まァ、ともかくお蔭で食うには困まることはありませんでした。
中には僕を村から連れ出そうとした人もいました。が、その時はさすがに抵抗しました。
金を高く積み上げられても、父は無感動でした。手を引かれて連れて行かれそうになった時、初めてお客の手を振り払って、父に泣き付きました。これ以上家族を奪わないでほしいって、その時に僕が言ったそうです。後から父に聞きました。
で、我に返った父は、その人を追い出したかと思えば、僕と抱き合って一緒にワンワン泣きましたよ。
憑き物が落ちたとはこういうことなのかもしれません。
それから父はまた石像を彫るようになって、やっと普通になりました。
少しずつ生活が戻る中で、たくさんの人に見守れていたことに気づきました。みんな、なんだかんだで世話を焼こうとしてくれていたんです。手を差し伸べてくれていたのに、父と僕はいじけてしまって気づくことができなかったんですね。僕たちが戻って来れるまでじっと待っててくれたんです。
ああ、石工職人はひとり工房で籠って、みたいな印象があるかと思いますが、石を運ぶにも、商品を売るにも、人手がたくさん必要なんですよ。良くも悪くも、同族意識が強いんです。
それからは、御使いの実績もありましたので、父は僕をモデルにして彫るようになりました。聖母は一体でいいですが、御使いはたくさんいた方がいいのでね。ふふ、いい儲けになりましたよ。
えぇ、はい。モデルになっている時は動くの厳禁。ただ父の指示を待つ忍耐の時間でしたが、嫌じゃなかったです。表情は無かったかもしれませんが、その目はもう曇ってはなかったですから。
不憫、ですか?もう、同情なんて止めてください。怒りますよ。
哀れだ哀れだなんて言われると、本当に可哀そうな人になってしまうじゃないですか。
だから、この話はもう終わり、です。
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