世界樹の庭で

サコウ

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 汚れた衣服も洗って、焚火のそばに干して座った。こんなこと前にもあったな、と気づく。そんなに日にちが経っているわけでもないのに、ずいぶんと昔のことに思えるのは、ここまででいろいろとありすぎているのだと思い至って息を吐いた。
 焚火の向こうでロジェさんが考え込んでいる。上半身裸になったリビオが干し肉サンドを作り、テオがそこらに生えていた赤い実を集めてきて、口に含んでいた。
「食べられるの、それ」
「いける。多分、普通のキイチゴ。ただ甘くてすごくおいしい」
 言って、二、三個同時に頬張っていた。
「サンド作ってやったのに、つまみ食いかよ」
「食べた内に入らねぇよ」
 差し出されたサンドを受け取って、こちらも頬張る。暖かめに作られているのは、固めに焼いたパンになったからだ。今日が三日目の夜。想定していた予定よりも長くなっていた。帰りは道がわかっているから来た時よりも早くは移動できるが、そろそろ帰り時ではないか。
「に、しても不思議なところだよな。森にこんなところがあるだなんて、思わなかったわ」
 テオが、そこらを歩きながら草をむしっては口に運んでいた。食べられるもの、食べられないものが彼には分るらしい。それが飽きたら今度は、水槽ができるように石やレンガで水の流れを変え始めた。
ちょうどいいと、リビオが水を掬っている。
「昼間はもっとのどかな感じだったがな。なんなんですか、あの青い光」
 その問いはロジェさんへだ。ロジェさんもわからないように首を振った。
「危険ではなさそうだが、あまりよくもないと感じた。私だけかもしれないが、我を失いそうな気がして恐ろしく感じたよ」
「それ、僕もです」
 皆一様にうなずいていたが、あれを恐ろしいと表現するのは、ロジェさんならではの観察眼だと思う。確かにあれは怖いという感覚だったのかもしれない。
「ここは普通ではない。メニル師が言っていたように、森の中心だろう。昔、天界の門を開こうとした教団の拠点だったそうだ」
「天界の門ですか。それって死後に行くところじゃないんですか」
 リビオが言う。
「死ななくても天界に行きたいと思った人々がいたんだよ。ここにね。どうやら本当に怪しげな儀式と研究に明け暮れていたようだが」
 その言い方は将軍が怒りそうだが、わかりやすさを優先するとそうなるか、と挟みそうになった口をつぐんだ。
「当時、それを危ぶんだ権力者がこぞって出兵してこの塔へ攻め込んで、彼らを滅ぼした。階下の惨事はそのためだ」
「権力者って王様のことですか」
 テオが聞く。
「いや、陛下は彼らのパトロンだった。陛下の慈悲深い庇護にもかかわらず、彼らは裏切るような計画を企んでいたため、陛下の国を巻き込んで滅ぼされたのが、一般的に知られている話だ」
 君たちも知っているだろう。そう促されて、あいまいにうなずく二人。きっと初耳だろう。だって、僕たち庶民が気にするところではない。多くの人々は日々生活することで精いっぱいだし、それは彼らも同じだ。
「詳しいことは君たちには興味がないことだろうし、割愛してもよいか」
 その妥協案に僕も含めて頷いた。その様子にロジェさんが苦笑していた。
「では、これが世界樹ってやつですか」
 唐突ともリビオが言った。その単語を聞いてロジェさんが怪訝そうに眉をゆがめた。
「誰に聞いた」
「昔村に来ていた偉い司祭様が言ってたとかなんとか。ああ、お前、ナセルが言ってた話だ」
「え、僕が」
 全く覚えていない。
「おう。でも、お前、いろんな人に知っている話と違うって否定されてそれから人前では話さなくなったけどな」
 思い出した、という彼の明るい表情に対して、僕は全く呑み込めていなかった。
「本当に覚えてないのかよ。よく来ていたあの司祭様だって。ああ、そっかあの人って、」
 そこまで言って口をつぐんでしまった。ロジェさんが今度はこっちを向いている。
「その司祭の名は覚えていないのか。教区でもよいが」
 期待しても無駄ですと。あの頃の記憶って正直あまり思い出したくないからか、忘れ去っている。もしかしたら、手掛かりがあれば思い出すこともあるかもしれない。
「え……っとジャンとかなんとか。だめですね。顔は覚えてはいるんですけど」
「他に何を教えられたか覚えているか」
 僕は分からないと、あきらめて早々に頭を振る。リビオに視線をやれば、うーんと唸りなっていた。 
「天界の門に至るには世界樹が必要で、天界の門があれば、冥界の門もあるとか。……すみません、すごく中途半端な記憶で口をはさんでしまって」
「いや、興味深い。ナセル、君も何か思い出したら教えてほしい」
 はぁ、と締まらない返事をする。その司祭は熱心に御使い像を買い求めていた上客だ。もちろん、僕にもとてもよくしてくれていた。確かに訪れるときは長く滞在していったし、熱心に話しかけられていた気がする。だから顔も覚えているし、その人の大きな暖かい掌だって覚えている。だた、名前が思いだせなかった。よくある名前だったような気がするし、治めていた教区に運ぶのも別の職人たちにお願いしていて、気にもしていなかったのだ。それに、そもそもあの人たちは素性をあまり出したがらなかったから、ずっと「司教さま」とでしか僕も認識していなかった。僕が村から出るころには、彼が訪れることも少なくなっていたが、石像だけは使いの者に買わせていたっけ。故郷の誰かに聞けば知っている人もいるはず。それには一度帰るしかないが、そんな機会はあるのだろうか。
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