テーラーのあれこれ

アキノナツ

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残り香.3

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飲みに出るより整体に行った方がいいだろうか。
少々身体を酷使した。
今回は納期が随分重なった。
コレを見越して前倒しで作業してたのだが、気づけば、いつもこうなってしまう。
こだわり過ぎるのか。

仕上がりは納得のいく物だったし、何よりお客さまが喜んでくれた。あの笑顔を見たら、作って良かったと思えるから、この仕事は辞められない。疲れも吹き飛ぶってものだが、気力では身体の不調はどうにもならない。

首にきたか……。

迷う。
随分と飲みに行ってない。
自分へのご褒美は必要だと、ジャケットを掴んだ。

いつもの整体に予約は入れて置く。

さて、コレで明日の怠惰に過ごす準備はできた。
鼻歌と共にチャリっと家の鍵に指をかけ、靴を履いて外へ出る。

夜の風が、淫靡な空気を運んでくる。
にんまりと笑みが溢れる。



ジンの苦味が爽やかに喉を刺激して沁みていく。

ふぅ…
店内の騒めきに浸って自分が無になる。
この空気感が好きだ。

んー、首が痛い。
浸り切れないな。やはり整体行けば良かったか……。

グラスを傾ける。

ふわっと首が温かくなった。

「また、君か…」
ホワイトムスク。

「こんばんは。こうすると、気持ちいいでしょ? 僕、体温高いのか、手が温かいらしいですよ」
グラス片手に横に座った。

「君は何がしたいんだ」

「んー、首摩ってたから痛いのかと。なかなか会えないと思ったら、仕事大変だったんですか?」
「君は暇そうだな」
首の後ろに添えられた手は確かに気持ち良く、楽になった。
もう少しこのままでいて欲しい…。

「学生ですからね。ーーー遊んでばかりではないですよ」
店にも馴染んだのか、初めて声をかけて来た時の固さはもう無かった。

「ありがとう。随分と楽になった」
手が離れない……どころか、襟の後ろに這入り込もうしてる。

そこまでは望んでいない。

この悪戯な手はどうしたものか。

「苦しんだが。辞めてくれないか?」
きっちりとした襟回りが、喉を締める。

私が睨んだところで、この目に眼光など望めないが、なるだけ力を込めて睨みつけてみた。

戯けた様子でパッと手を離して、掌を向けて、離しましたよとアピールしながら、笑ってる。
エクボが……可愛いな。

ケホッと乾いた咳が出そうになるのを、ジンで治める。

「何がしたいんだ」
乱れた服を整えて、再びグラスに口をつける。

「貴方とお近づきになりたい」
「止せと言ったが?」
グラスの縁を指で辿る。

「貴方はそうでもないかと」
何故か余裕を感じる。癪に障る。

「笑わせないでくれ。君は私の守備範囲じゃない」
グラスを傾けた。
コレで帰ってしまうか。

「直接的に言っていいですか? ーーー僕は貴方とやりたいんです。セックス」

本当に直接的です。
それから、その卑猥な指表現も辞めなさい。
ため息が出ますよ。
癒されに来たのに、疲れた。

指の輪に通してる指の方の手をワシッと掴むと、カウンターテーブルに静かに押しつけた。
にんまり笑ってる。
たぶんコイツは私と同じタチだ。
相容れないな。

「ココではこういう誘い方はやめろ」
本格的に気分を悪くする前に出るか。

「あっちではそうしてますよ?」
テーブル席の方をチラッと見る。
あちらは若いのが集まってる。

丸い背の高いテーブルが幾つも点在していて、スツールが付いてるのもあるがほとんどが、立って皆談笑している。

「カウンターはゆっくりしたい者がほとんどだ。ーーー空気を読め」

ふーんと納得した雰囲気を醸してるが、コレは解ってないな。

「それから、私はこっちだから、君はそっちになるが。それでもいいのかい?」

『こっち』で握った手を軽く叩き、指を立てると『そっち』で輪を作ってた手を指した。

手を引っ込めて、口直しにグラスを傾ける。
ピッチを変えて、早々に空けた。

今日はもう帰って寝よう。
調子が狂う。

マスターを見る。
面白そうだな!
明らかにこちらを伺ってた顔だ。

軽く合図を送ると、いつものルーティン。

財布を仕舞って、脇を通り過ぎようとした時、質問した人間が忘れてた回答が返ってきた。

「別にいいですよ」

???

はぁあ?! 

反応が遅れた。
既に数歩前に出てた。
振り返ると、エクボの笑顔があった。
振り返ってしまったよ。

「考え直せ」
言い残して、外に出た。

首が少し楽になっていた。

やはり私はクラッシャーなのか。

時間が経てば、いい相手も見つかるさ。



そうならないのか?!

お前なら相手は選り取り見取りだろ?

見た目は悪くない。爽やか好青年。体つきも筋肉質で上背もある。
雰囲気もふわっと包み込むように、寛容さが漂っている。

な、の、に!

執拗い!
なんだって私の癒しの場を荒らす。

ああ、酒が不味くなる。

あれから、ココへ来るとこの男は近づいてくる。

この香りだって気に入らん。
穏やかに過ごしたいのに、なんだってこうなる。

「あっちで飲め」
自分でもよく分からない苛立ちで、傾けるグラスがの荒くなる。

「荒れてます? 何かありました?」
穏やかだ。
初対面の固さが懐かしくなってしまう。

「ーーー君が消えてくれれば、穏やかになれるがね」
「やだなぁ。まるで僕が原因みたいじゃないですか」
ニッコリ笑ってる。
お前が原因だ。

今日はミモザを飲んでいる。

ふと思いついた。

マスターを呼ぶ。
彼のグラスが空きそうだ。

「別な物を飲んでみないか?」
「おすすめですか?」
「奢るよ」
頷く。
よしよし。学生にはこの一言が効くな。

「彼にブルーム…いや、シャンディ・ガフを。私には、コンク…すまない。いつもの」

さて、迷ってしまった。かっこ悪いな。思いつきだったが、何か意味があると思うだろう。
スマートに決めれなかったのは、不本意だったが。ま、伝わればいいだけの事……。

「迷ってましたね。カクテルって色々ありますものね」

ん? 分かってないのか?

ギムレットにでもして別れて貰うか?
付き合ってもいないのだから、コレはないな。

「叶わぬ想い」としようと思ったが、「無駄な努力」としておこう。
「鍵のかかった部屋」としようかと思ったが、「強い意志」で断固としてお断りである。

さぁ、諦めてあっちへ行け。

渋い顔のマスター。
なんだ?

「謎かけは、彼には無理でしょう」
私にコソッと呟いて、ジントニックを出した。

無理なのか?

「ビールとジンジャーエールって。炭酸に炭酸」
レシピでも聞いたのだろうか。笑ってる。

確かに、無駄だったようだ。

シャンディ・ガフは私が飲むべき飲み物だったようだ。

ピッチを上げて、グラスを空けた。
ため息が出る。

帰ろう。


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