透明姫の幸せな婚約

nsk/川霧莉帆

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3.友人協定(後編)

 翌朝、セレネの姿は屋敷の裏手にあった。
 なるべく簡単な格好で、と言伝されたので、ブラウスとスカートという格好だ。
 いつも朝食の後は一日の予定を確認することにしているのだが、その日課が乱されたせいでなんだか落ち着かない。普段と比べて薄着であることも心細い。
 そこへ、一頭の鹿毛がユーグを乗せて軽やかに歩いてきた。
「おはよう、セレネ」
 気障な手振り付きだ。
 シャツとベスト、乗馬用のズボンとブーツという爽やかな装いでセレネの前に降り立つ。
「ごきげんよう。朝から活発ね」
「そういう貴方は憂鬱そうだ。馬に乗ったことは?」
「数年前は一人で乗れていたわ」
 まさか一緒に乗ろうと言うのではないか、と案じたが、そのまさからしい。
「おてんば王女様もさすがに今日の格好じゃ跨がらないよな?」
「そうね。でもどこに行くかも聞いていない内は乗らないわ」
「警戒は無用さ。この辺を散策するだけだよ」
 屋敷の周囲はだだっ広い平原だ。ぽつぽつと木立がある他は、王都まで何もない。走っても風が得られるだけだろう。風は顔のベールを捲くるので好きではない。
「その頭の、脱いだらどうだ? 後できっと邪魔だぜ」
 頭を覆うボンネットのことだ。普段のものよりは小ぶりだ。
「乗るとは言ってないのだけれど」
「おっと上手いな。だがガルシアに言葉遊びが通用するかな?」
 ガルシアと呼ばれた鹿毛は黒い目でじっとこちらを見つめた。探るような視線に少々たじろぐ。
「な……何?」
 ユーグは腕を組んで傍観に徹するようだ。
 やがてガルシアは頭を下げると、膝を折って身を屈めた。まるで背中の鞍を差し出すような仕草にセレネは目を瞠る。
「乗っていいの?」
 思わず馬に尋ねる。ユーグが横から手を差し伸べた。
「さあどうぞ、俺たちのお姫様」
 誘われるがままセレネはそこに手袋に包んだ手を乗せ、ガルシアの鞍にそっと腰を下ろした。体重をかけるや否やガルシアは意気揚々と立ち上がってセレネを持ち上げる。
「きゃっ!」
「すごい気合だな、ガルシア……失礼」
 鞍の後部にユーグが飛び乗り、横乗りをしているセレネに腕を回す。手綱を握ったのだが、抱きしめるような距離感だ。
「出発しても?」
「……ええ、いいわ」
 セレネは呆然としながら答えた。
 ガルシアが歩き始め、僅かな振動が背中から伝わってきた。鞍の座り心地は悪くないが、ユーグと触れ合ってしまわないかが心配で気が抜けない。
「こいつもなかなかの紳士だろ? 公爵家で育てている由緒正しい軍馬なんだよ。俺がいつも自分で世話をしているんだ。エリニアではあまり走らせてやれなかったから、帰ったらたっぷり楽しませてやろうと思っていたんだ」
 緊張をほぐそうとしてくれているようだ。セレネは黒いたてがみが揺れている頭へ目を向けた。
「なら今日の遊びはこの子のためなのね」
「一番はな。もちろん貴方を振り回すことを忘れちゃいないぜ」
 不穏な言葉にユーグを見上げると、いたずらっぽく笑っている。
「走るから、俺にしっかりつかまっててくれよ。王女様を落っことしたくない」
「え、……!?」
 にわかにガルシアが駆け出した。
 体に力がかかりセレネはユーグの胸へ軽く倒れ込んだ。しがみつくと、体のしっかりした感触や体温が伝わってくる。昨夜の自分の行動は何という無茶だったのだろう、心臓が保ちそうにない。
「こ、こ、これは、友達同士でやることなのっ?」
 耳元で風が高く唸っている。ユーグは胸を震わせて笑った。
「友達になれば二人乗りもするさ!」
「そうではなくて……!」
 近すぎる。ベールが顔にぶつかることもあり、景色を見る余裕は当然ない。
 やがてガルシアは木立に近づき、ようやく速度を落とした。影の中へ入って足を止める。
「今日はいい天気だな」
 呑気な声でセレネは我に返った。慌てて体を離して服装を整える。ユーグはその間に先に降りた。
「どうぞ」
 差し出された手を借りてセレネも地面へ降りた。木陰はまだ夜の冷気を残していて涼しい。
 ユーグはガルシアに胸元から出した銀色の細い馬笛を見せている。
「よし、行って来い」
 合図を受け、ガルシアがどこへともなく走り去った。
「呼ぶと戻ってくるのね?」
「いつもはな。今日は俺たちに気を利かせてくれるかもしれない」
「紳士ならどうすべきか分かると思うわよ」
 見えない微笑へユーグは肩をすくめて返した。
 セレネたちは木立に入った。しっとりした澄んでいる空気が胸を満たす。
 木立は平原の小動物の住処になっているようで、小鳥の声があちこちから聞こえる。素早く動き回る小さな影はリスだ。
「ここに座ろう」
 木の根元にユーグがベストを脱いで敷いた。背中合わせになり二人で座る。
 ふと何かを感じて視線を下ろすと、平たい靴の上に大きいバッタが乗っていた。驚いて身を引いてしまい、ユーグにぶつかる。
「どうした?」
「あの……靴に」
 言い終わらない内に、振り向いたユーグが前方を指差した。
 一匹のリスが体勢を低くしてこちらを睨んでいる。バッタを狙って来たのだろうが、人間たちを警戒しているようだ。ユーグが体を捻り腕を伸ばしてバッタを追い払うと、人間から十分離れたところで勢いよく飛びかかった。
 大きな口で食料をくわえて走り去るのを二人で見送る。
「意外と雑食だからな。怖かった?」
 セレネは間近な窺う視線から顔を背けた。
「別に平気よ」
「助けを求めていたようだったけど」
「気のせいじゃないかしら。小さい頃はよく外で遊んでいたから虫は平気よ。それにリスも見慣れているわ」
「本当におてんばだったんだな。じゃあリスを食べたことは?」
 ぎょっとしてユーグへ振り返る。
「ないわ」
「冗談だよ、俺もないからそんな目で見ないでくれ。……まあ食用リスってのが世の中にはあるらしいが」
「もうこの話は終わりよ」
 背後で小さな笑い声が立った。セレネは両膝を抱えて座り直す。
「貴方は度胸があるんだな。さっきのスピードなら絶対音を上げると思ったんだが」
「試したの?」
「ちょっと違う。貴方のことをもっと知りたかったのさ」
 ベールの中で呆れ顔をした。
「ものは言いようね。それで何か有益なことが分かって?」
「ああ。花と動物と綺麗なドレスが好きな普通の女性だってことが分かった」
「……一緒に馬に乗ってそれが分かったというの?」
「本音を言ったら怒るだろ」
 声色が笑っていることから、ろくなことではないと知れた。
「そうね。聞かないでおくわ」
「俺も胸に大事に秘めておくよ」
 今日は既に散々だ、とセレネは密かに思った。しかも午後になっても予定があるわけではない。今までどおりのことなど何一つないのだ。
 途方に暮れたような気持ちのところへ、ユーグが声を掛けてきた。
「そうだセレネ。友達の貴方に今度手伝ってほしいことがあるんだが……」
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