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第14話 黒猫魔女の奇策
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「シルヴェスお疲れー。ごめんね。遅れちゃった」
閉店後のシルヴァンメイト。薄暗くなった二階の猫カフェに足を踏み入れたのは、布製のバッグを肩にかけたエリスである。
「あれ? 灯りつけないの?」
エリスは怪訝な顔をして店内を見渡す。しかしすぐに、彼女は思わず吹き出しそうになった。
営業中は客席として使われる丸テーブルの上で、シルヴェスが口を半開きにしてうたた寝をしていたからだ。
「もう。こんなところで……。猫じゃあるまいし。風邪ひくわよ」
エリスは声を抑えて呟くと、悪戯っぽく笑い、足音を殺してシルヴェスに忍び寄る。
「こら!」
ポンとシルヴェスの頭の上に手を置いた。
「にゃっ!? い、いらっしゃいませっ!」
椅子がひっくり返りそうな勢いでシルヴェスが飛び起きる。
「もう今日の営業は終わったんでしょうに」
エリスが呆れた表情で言うと、シルヴェスは目を白黒させてから我に返った。エリスと顔を見合わせ、声を上げて笑う。
「あはは。そういえば、今日はエリスがハーブティーを持ってきてくれる日だったね」
「そうよ。忘れてたの? はい、これ」
エリスはバッグから茶葉の入った紙袋を取り出し、テーブルの上に置く。
「本当はもう少し早く来るつもりだったんだけどね。ちょうどハーブ店を出ようとした時に、ラークが訪ねてきたもんだから」
「へえっ。ラークが?」
「ええ。聞き込みだって言ってたわ。宮廷魔導士も大変よねー」
そう言いながら、エリスは頭上のランプに魔法で灯をともす。たちまち店内が柔らかい光で包まれ、シルヴェスの手元に並べられた数枚の羊皮紙が照らし出された。
「ところで、それ、何?」
「ああ。これね。来てくれたお客さんを記録してるの。新規さんの人数とか、魔法使いとそうじゃない人の比率とかが分かりやすいように」
「へえー」
エリスは意外そうにシルヴェスの書き込みをまじまじと見つめる。それから、「シルヴェスって、そういうまめなことできなさそうなのに」と付け加えた。
「ちょっと! 私だってそれくらいはやるよ?」
心外だとばかりに頬を膨らませてシルヴェスが言い返す。
「はいはい、えらいえらい」
エリスは適当にあしらい、ひょいと羊皮紙の一枚をつまみ上げて自分の目の前に掲げた。顎に手を添え、並んでいる数字に素早く目を走らせる。
「ほう。来客数は右肩上がりね。順調な感じじゃない」
「いやー、それが、そうでもないの。ほら、こっちの紙を見て。魔法使いじゃない人の比率が、日に日に下がってきているでしょ?」
「あら。本当ね」
エリスはシルヴェスが指さしたテーブルの上の羊皮紙に目を落として言った。
「つまり、魔法使いの客数の伸びに、一般の人の客数の伸びが追い付いてないってことよね。でも、それは猫に対する認識の違いを考えたら無理もないことじゃない? むしろ、一般のお客さんが少しずつでも増えていることを喜ぶべきだと思うわ」
「うーん。それは、そうなんだけど……。やっぱり、猫の魅力を知らない人に猫を好きになってもらってこその、もふもふ革命だから……」
「まあ、確かに。この街を変えたければ、この程度で満足していちゃいけないわね」
「でしょ? でも、だからといって、大胆に広告を打つわけにもいかないし……」
二人は難しい顔をして「うーん」と唸り声を上げた。
エリスは髪を指に巻き付けながら、思案げに呟く。
「そうねー。やっぱり私は、こつこつ草の根的に広げていくしかないと思うわよ。実際、すでにどこかで噂が広まっているからこそ、一般の人が新規さんで来てくれているわけじゃない? 小さな機会を逃さず、地道に一人ずつ増やしていくことが大事だと思うわ」
「こつこつ地道に、かあ……。そうだよね」
シルヴェスは一瞬渋い表情になったが、それしか方法はないと納得したらしく、素直に頷いた。
と、ちょうどそのタイミングで、「にゃー」とエリスの足元で鳴き声がする。
「おっ。来たかー。君は――えーっと……ロイ?」
「それはルイの方ね」
「ルイかー。シルヴェス、よく見わけつくわね」
エリスは感心したように言うと、その場にしゃがみこみ、ルイの頭を撫でまわし始めた。
「ところで、今日は白猫ちゃんは来てないのね」
エリスは改めて、明るくなった店内を見回して言う。シルヴェスは苦笑して頬をかいた。
「うん。あの子は時々ふらっと遊びに来るだけだからねー。悔しいけど私、白猫ちゃんとはちっとも距離が縮められる気がしないの……」
「へえー。黒猫魔女ともあろうお方が、苦戦するなんて珍しいわね」
「うん。近寄ろうとすると逃げちゃうし、ごはんをあげても食べてくれないし……」
「ふーん……。だけど、それでもここに来てくれるってことは、シルヴェスのことが気になってるって証拠じゃない?」
エリスは人差し指を唇に当て、にやりと笑みを浮かべた。
「サイベルさんに白猫ちゃんに、攻略しないといけない相手が多くて大変ねー」
「ちょっ! 何よ、いきなり!」
「あはは。照れちゃってー」
シルヴェスの反応に、エリスは声を出して笑う。シルヴェスの耳がみるみる真っ赤になった。
「ところで、最近サイベルさんとはどうなのよ?」
「どうって……。ここのところお客さんが増えて、開店前の準備が忙しいからほとんど話せてないよ。毎朝、玄関でパンを受け取る時に顔は合わせてるけど」
「じゃあ、ちっとも進展はないの? おやおや」
エリスが呆れたように肩をすくめ、シルヴェスは黙ってこくりと頷く。
その時であった。突然階下から扉をノックする音が響き、二人は口を閉じて顔を見合わせる。
こんな日暮れに閉店後の猫カフェを尋ねる人なんているはずがない。聞き間違いだろうか?
しかし、数秒後に再びノックの音が聞こえたので、二人は来客を認めざるを得なかった。
「ちょっと見てくるね」
シルヴェスが席を立つと、エリスも腰を上げる。
「酔っ払いとかかもしれないから、私も行くわ」
二人は急いで階段を下り、玄関ドアを開けた。
「はーい。うちはもう閉店しておりますが……」
「お姉ちゃんが猫カフェの魔女さん?」
「えっ?」
予想していたよりも低い場所から返事があり、シルヴェスはびっくりして視線を落とす。そこにいたのは、手提げかばんを持った可愛らしい茶髪の女の子だった。
「お願いします! うちの子を預かって下さい!」
いきなり女の子は涙目になると、シルヴェスに手提げかばんを差し出して頭を下げた。かばんが微かにもぞもぞと動く。
「う、うちの子って? 急にそんなこと言われても困るよ。えっと、とりあえず中に入って事情を聞かせて?」
シルヴェスはあたふたしながら、女の子をひとまず店の中に招き入れた。エリスも状況がつかめない様子だったが、気を利かせて一階の灯りをつける。三人は玄関に一番近いテーブルを囲んで座った。
「じゃあ、まずは名前を聞かせてもらっていい?」
「はい。私、ミアって言います」
「ミアちゃんね」
小さいけれど、受け答えはしっかりしている。歳の割に落ち着いているなとシルヴェスは思った。
「それで、どうしてこの店に来たの? 『うちの子』っていうのは飼い猫ちゃんのこと?」
シルヴェスはいまだに動いている手提げかばんに目を向けて尋ねる。
「はい。この中にいます。出してあげてもいいですか?」
「いいよ。どうぞ」
シルヴェスが頷いたので、ミアはすぐにかばんの口を開けた。中からグレーの猫がひょこっと顔をのぞかせる。シルヴェスの目がたちまち丸くなった。
「アルル!」
つい声が出る。
「えっ。この子を知ってるんですか?」
「あ、いや、まあ、アルルには何回か会ったことがあってね……」
シルヴェスは言葉を濁した。猫に変身して猫集会に行ったなんて話をしても、信じてもらえるか分からない。しかし、ミアは一応納得したようで、
「そうだったんですね。この子、私の言いつけを破って、しょっちゅう家を抜け出して外に出ていたから……」
と困り顔で言った。
「で、この子を預かってほしいのはどうしてなの?」
今度はエリスがアルルの鼻先に指を差し出しながら尋ねる。
「それは――」
ミアは表情を曇らせ、ここに来るまでの経緯を説明し始めた。
墓地で見つけた猫たちを追いかけたこと。自警団から猫を守ろうとして魔女の疑いをかけられ、飼い猫の処分を強要されたこと。猫の味方になってくれる人を探し回り、やっとこの店の噂を聞きつけたこと……。
ミアが話し終わる頃には、シルヴェスとエリスの眉間には見事な皺が刻み込まれていた。
「なるほど……。つまり、タイムリミットは明日の日没までということね」
エリスは椅子の背にもたれかかり、大きなため息をついた。
「はい。だから、とりあえず猫カフェでこの子を預かってもらえないかと思って……」
とミアが言う。しかし、エリスは暗い表情で首を横に振った。
「それじゃだめよ。その子を殺した証拠がないと、自警団の人は納得しないと思うわ。それに、この店には魔法使い以外のお客さんがいるから、アルルがここで匿われているという情報が外に漏れてしまう可能性だってある」
「そんな……」
ミアは絶句し、再び瞳を潤ませる。エリスは悔しそうに親指の爪を噛んだ。
「アルルを殺していないことが自警団にばれたら、ミアちゃんの命が危ないの。だから、こちらとしても、安易にアルルを引き取るわけにはいかないのよ。何か、別の方法を考えないと……」
エリスは助けを求めるように、肘をついて考え込んでいるシルヴェスに目を移した。
「シルヴェス、何か良い案はない?」
「うーん……」
シルヴェスは目を閉じてひとしきり唸ってから、パチッと瞼を開け、エリスに向き直る。その双眸には、強い意志が静かに燃えていた。
「ねえエリス、自警団の人たちの猫に対するイメージって変えられないかな?」
「え?」
予想外の発言に、エリスは反射的に聞き返す。シルヴェスは大きく息を吸い、今度はさらにはっきりと言った。
「私は自警団のやり方そのものに異議がある。だから、こちらから自警団に乗り込んで、目を覚ましてやりたいの」
「へっ!? 嘘でしょ!? 気は確か?」
頓狂な声を上げるエリス。しかし、シルヴェスは大真面目に言葉を継いだ。
「エリス、この前見せてくれた通信魔法石付きの首輪、まだ残ってるよね? あれって、音声を拾うこともできるの?」
「あ、あの首輪? そりゃ、まあ、送信する信号を位置情報から音声に切り替えるだけだから、設定の変更は簡単だけど……」
「じゃあ、潜入中に私が危険な目にあったら、音で分かるよね。いざという時には助けに来てもらってもいい?」
「いやいやいや、ちょっと待って。シルヴェス、本気なの?」
「うん」
シルヴェスは澄んだ瞳でエリスを見返した。その表情には強い決意の色が浮かんでいる。
「これは見方を変えれば、猫嫌いの人に猫の魅力を伝えられるまたとない機会よ。正直、私も無謀だとは思うけれど、ここで希望を失ったら、もふもふ革命はいつまでたっても実現しない気がする」
「…………」
エリスは黙って、シルヴェスの視線を正面から受け止めた。
見つめ合う二人――。しかし、すぐにエリスは苦笑して、シルヴェスから目を逸らした。
「やれやれ。シルヴェスらしいというか何というか……。全く、振り回されるこっちの身にもなってよね」
深々とため息をつく。だが、長年の付き合いから、シルヴェスにはそれが肯定の意味であると分かった。
「ありがとう!」
「はいはい。そうと決まれば早速作戦会議よ。チャンスは明日一回きりなんだから」
頭を下げたシルヴェスのつむじをエリスが人差し指で突く。
「ホント、とんだギャンブルだけど、シルヴェスに賭けることにするわ」
エリスは男前に宣言した。
「さあ、やるわよ。一世一代の大勝負!」
かくして、賽は投げられた。その日は遅くまで猫カフェの明かりが消えることはなく、夜が更けていったのである。
閉店後のシルヴァンメイト。薄暗くなった二階の猫カフェに足を踏み入れたのは、布製のバッグを肩にかけたエリスである。
「あれ? 灯りつけないの?」
エリスは怪訝な顔をして店内を見渡す。しかしすぐに、彼女は思わず吹き出しそうになった。
営業中は客席として使われる丸テーブルの上で、シルヴェスが口を半開きにしてうたた寝をしていたからだ。
「もう。こんなところで……。猫じゃあるまいし。風邪ひくわよ」
エリスは声を抑えて呟くと、悪戯っぽく笑い、足音を殺してシルヴェスに忍び寄る。
「こら!」
ポンとシルヴェスの頭の上に手を置いた。
「にゃっ!? い、いらっしゃいませっ!」
椅子がひっくり返りそうな勢いでシルヴェスが飛び起きる。
「もう今日の営業は終わったんでしょうに」
エリスが呆れた表情で言うと、シルヴェスは目を白黒させてから我に返った。エリスと顔を見合わせ、声を上げて笑う。
「あはは。そういえば、今日はエリスがハーブティーを持ってきてくれる日だったね」
「そうよ。忘れてたの? はい、これ」
エリスはバッグから茶葉の入った紙袋を取り出し、テーブルの上に置く。
「本当はもう少し早く来るつもりだったんだけどね。ちょうどハーブ店を出ようとした時に、ラークが訪ねてきたもんだから」
「へえっ。ラークが?」
「ええ。聞き込みだって言ってたわ。宮廷魔導士も大変よねー」
そう言いながら、エリスは頭上のランプに魔法で灯をともす。たちまち店内が柔らかい光で包まれ、シルヴェスの手元に並べられた数枚の羊皮紙が照らし出された。
「ところで、それ、何?」
「ああ。これね。来てくれたお客さんを記録してるの。新規さんの人数とか、魔法使いとそうじゃない人の比率とかが分かりやすいように」
「へえー」
エリスは意外そうにシルヴェスの書き込みをまじまじと見つめる。それから、「シルヴェスって、そういうまめなことできなさそうなのに」と付け加えた。
「ちょっと! 私だってそれくらいはやるよ?」
心外だとばかりに頬を膨らませてシルヴェスが言い返す。
「はいはい、えらいえらい」
エリスは適当にあしらい、ひょいと羊皮紙の一枚をつまみ上げて自分の目の前に掲げた。顎に手を添え、並んでいる数字に素早く目を走らせる。
「ほう。来客数は右肩上がりね。順調な感じじゃない」
「いやー、それが、そうでもないの。ほら、こっちの紙を見て。魔法使いじゃない人の比率が、日に日に下がってきているでしょ?」
「あら。本当ね」
エリスはシルヴェスが指さしたテーブルの上の羊皮紙に目を落として言った。
「つまり、魔法使いの客数の伸びに、一般の人の客数の伸びが追い付いてないってことよね。でも、それは猫に対する認識の違いを考えたら無理もないことじゃない? むしろ、一般のお客さんが少しずつでも増えていることを喜ぶべきだと思うわ」
「うーん。それは、そうなんだけど……。やっぱり、猫の魅力を知らない人に猫を好きになってもらってこその、もふもふ革命だから……」
「まあ、確かに。この街を変えたければ、この程度で満足していちゃいけないわね」
「でしょ? でも、だからといって、大胆に広告を打つわけにもいかないし……」
二人は難しい顔をして「うーん」と唸り声を上げた。
エリスは髪を指に巻き付けながら、思案げに呟く。
「そうねー。やっぱり私は、こつこつ草の根的に広げていくしかないと思うわよ。実際、すでにどこかで噂が広まっているからこそ、一般の人が新規さんで来てくれているわけじゃない? 小さな機会を逃さず、地道に一人ずつ増やしていくことが大事だと思うわ」
「こつこつ地道に、かあ……。そうだよね」
シルヴェスは一瞬渋い表情になったが、それしか方法はないと納得したらしく、素直に頷いた。
と、ちょうどそのタイミングで、「にゃー」とエリスの足元で鳴き声がする。
「おっ。来たかー。君は――えーっと……ロイ?」
「それはルイの方ね」
「ルイかー。シルヴェス、よく見わけつくわね」
エリスは感心したように言うと、その場にしゃがみこみ、ルイの頭を撫でまわし始めた。
「ところで、今日は白猫ちゃんは来てないのね」
エリスは改めて、明るくなった店内を見回して言う。シルヴェスは苦笑して頬をかいた。
「うん。あの子は時々ふらっと遊びに来るだけだからねー。悔しいけど私、白猫ちゃんとはちっとも距離が縮められる気がしないの……」
「へえー。黒猫魔女ともあろうお方が、苦戦するなんて珍しいわね」
「うん。近寄ろうとすると逃げちゃうし、ごはんをあげても食べてくれないし……」
「ふーん……。だけど、それでもここに来てくれるってことは、シルヴェスのことが気になってるって証拠じゃない?」
エリスは人差し指を唇に当て、にやりと笑みを浮かべた。
「サイベルさんに白猫ちゃんに、攻略しないといけない相手が多くて大変ねー」
「ちょっ! 何よ、いきなり!」
「あはは。照れちゃってー」
シルヴェスの反応に、エリスは声を出して笑う。シルヴェスの耳がみるみる真っ赤になった。
「ところで、最近サイベルさんとはどうなのよ?」
「どうって……。ここのところお客さんが増えて、開店前の準備が忙しいからほとんど話せてないよ。毎朝、玄関でパンを受け取る時に顔は合わせてるけど」
「じゃあ、ちっとも進展はないの? おやおや」
エリスが呆れたように肩をすくめ、シルヴェスは黙ってこくりと頷く。
その時であった。突然階下から扉をノックする音が響き、二人は口を閉じて顔を見合わせる。
こんな日暮れに閉店後の猫カフェを尋ねる人なんているはずがない。聞き間違いだろうか?
しかし、数秒後に再びノックの音が聞こえたので、二人は来客を認めざるを得なかった。
「ちょっと見てくるね」
シルヴェスが席を立つと、エリスも腰を上げる。
「酔っ払いとかかもしれないから、私も行くわ」
二人は急いで階段を下り、玄関ドアを開けた。
「はーい。うちはもう閉店しておりますが……」
「お姉ちゃんが猫カフェの魔女さん?」
「えっ?」
予想していたよりも低い場所から返事があり、シルヴェスはびっくりして視線を落とす。そこにいたのは、手提げかばんを持った可愛らしい茶髪の女の子だった。
「お願いします! うちの子を預かって下さい!」
いきなり女の子は涙目になると、シルヴェスに手提げかばんを差し出して頭を下げた。かばんが微かにもぞもぞと動く。
「う、うちの子って? 急にそんなこと言われても困るよ。えっと、とりあえず中に入って事情を聞かせて?」
シルヴェスはあたふたしながら、女の子をひとまず店の中に招き入れた。エリスも状況がつかめない様子だったが、気を利かせて一階の灯りをつける。三人は玄関に一番近いテーブルを囲んで座った。
「じゃあ、まずは名前を聞かせてもらっていい?」
「はい。私、ミアって言います」
「ミアちゃんね」
小さいけれど、受け答えはしっかりしている。歳の割に落ち着いているなとシルヴェスは思った。
「それで、どうしてこの店に来たの? 『うちの子』っていうのは飼い猫ちゃんのこと?」
シルヴェスはいまだに動いている手提げかばんに目を向けて尋ねる。
「はい。この中にいます。出してあげてもいいですか?」
「いいよ。どうぞ」
シルヴェスが頷いたので、ミアはすぐにかばんの口を開けた。中からグレーの猫がひょこっと顔をのぞかせる。シルヴェスの目がたちまち丸くなった。
「アルル!」
つい声が出る。
「えっ。この子を知ってるんですか?」
「あ、いや、まあ、アルルには何回か会ったことがあってね……」
シルヴェスは言葉を濁した。猫に変身して猫集会に行ったなんて話をしても、信じてもらえるか分からない。しかし、ミアは一応納得したようで、
「そうだったんですね。この子、私の言いつけを破って、しょっちゅう家を抜け出して外に出ていたから……」
と困り顔で言った。
「で、この子を預かってほしいのはどうしてなの?」
今度はエリスがアルルの鼻先に指を差し出しながら尋ねる。
「それは――」
ミアは表情を曇らせ、ここに来るまでの経緯を説明し始めた。
墓地で見つけた猫たちを追いかけたこと。自警団から猫を守ろうとして魔女の疑いをかけられ、飼い猫の処分を強要されたこと。猫の味方になってくれる人を探し回り、やっとこの店の噂を聞きつけたこと……。
ミアが話し終わる頃には、シルヴェスとエリスの眉間には見事な皺が刻み込まれていた。
「なるほど……。つまり、タイムリミットは明日の日没までということね」
エリスは椅子の背にもたれかかり、大きなため息をついた。
「はい。だから、とりあえず猫カフェでこの子を預かってもらえないかと思って……」
とミアが言う。しかし、エリスは暗い表情で首を横に振った。
「それじゃだめよ。その子を殺した証拠がないと、自警団の人は納得しないと思うわ。それに、この店には魔法使い以外のお客さんがいるから、アルルがここで匿われているという情報が外に漏れてしまう可能性だってある」
「そんな……」
ミアは絶句し、再び瞳を潤ませる。エリスは悔しそうに親指の爪を噛んだ。
「アルルを殺していないことが自警団にばれたら、ミアちゃんの命が危ないの。だから、こちらとしても、安易にアルルを引き取るわけにはいかないのよ。何か、別の方法を考えないと……」
エリスは助けを求めるように、肘をついて考え込んでいるシルヴェスに目を移した。
「シルヴェス、何か良い案はない?」
「うーん……」
シルヴェスは目を閉じてひとしきり唸ってから、パチッと瞼を開け、エリスに向き直る。その双眸には、強い意志が静かに燃えていた。
「ねえエリス、自警団の人たちの猫に対するイメージって変えられないかな?」
「え?」
予想外の発言に、エリスは反射的に聞き返す。シルヴェスは大きく息を吸い、今度はさらにはっきりと言った。
「私は自警団のやり方そのものに異議がある。だから、こちらから自警団に乗り込んで、目を覚ましてやりたいの」
「へっ!? 嘘でしょ!? 気は確か?」
頓狂な声を上げるエリス。しかし、シルヴェスは大真面目に言葉を継いだ。
「エリス、この前見せてくれた通信魔法石付きの首輪、まだ残ってるよね? あれって、音声を拾うこともできるの?」
「あ、あの首輪? そりゃ、まあ、送信する信号を位置情報から音声に切り替えるだけだから、設定の変更は簡単だけど……」
「じゃあ、潜入中に私が危険な目にあったら、音で分かるよね。いざという時には助けに来てもらってもいい?」
「いやいやいや、ちょっと待って。シルヴェス、本気なの?」
「うん」
シルヴェスは澄んだ瞳でエリスを見返した。その表情には強い決意の色が浮かんでいる。
「これは見方を変えれば、猫嫌いの人に猫の魅力を伝えられるまたとない機会よ。正直、私も無謀だとは思うけれど、ここで希望を失ったら、もふもふ革命はいつまでたっても実現しない気がする」
「…………」
エリスは黙って、シルヴェスの視線を正面から受け止めた。
見つめ合う二人――。しかし、すぐにエリスは苦笑して、シルヴェスから目を逸らした。
「やれやれ。シルヴェスらしいというか何というか……。全く、振り回されるこっちの身にもなってよね」
深々とため息をつく。だが、長年の付き合いから、シルヴェスにはそれが肯定の意味であると分かった。
「ありがとう!」
「はいはい。そうと決まれば早速作戦会議よ。チャンスは明日一回きりなんだから」
頭を下げたシルヴェスのつむじをエリスが人差し指で突く。
「ホント、とんだギャンブルだけど、シルヴェスに賭けることにするわ」
エリスは男前に宣言した。
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騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
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「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
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