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第一章
狐坂の怪 4
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「なるほど……。動物に詳しい恭じゃないと思いつかない方法だな……」
与一は感心した声を漏らす。同時に恭が木立の向こうを指さした。
「あ、ほら見ろ。俺の三尾が狐を連れてきたぜ」
与一が首を伸ばしてそちらを見ると、ちょうど三尾の狐の発する燐光が巣穴に向かって近づいていくところだった。その後ろを狐の成獣が一匹追ってきている。
「ホントだ。やっぱり恭の式神はすごいな。生きている動物にも干渉できるのか」
「まあな。幻でも見せておびき寄せてるんだろう。しかし問題はここからだ。あの成獣が子狐たちに気が付いた時にどういう反応をするか……」
成獣が巣穴の前に来たタイミングで、三尾の狐は闇に溶けるようにフッと姿を消す。同時に幻術が解けたのだろう――成獣は不思議そうに辺りを見回し、すぐに巣穴の存在に気付いた。巣穴の上には親狐の霊が座っているが、成獣にそちらは見えていないようだ。
「やっぱりあの親狐は自力で他の狐を呼ぶには妖力不足だったんだな。だから俺に助けを求めてきたということか……」
恭は独り言ちた。
成獣が巣穴に近づくと、中から子狐たちが姿を現した。成獣は少し戸惑った様子だったが、すぐに子狐たちに顔を寄せて匂いを嗅ぎ始める。
そしてついに――
「お、やった……」
成獣が子狐の一匹の首の後ろをくわえて森の奥へと運び去った。恭は胸をなでおろして安堵のため息をつく。
「里親が見つかったってことかな?」
「ああ。これできっと大丈夫だ。残った二匹もすぐに引き取ってもらえるだろう。……ん?」
恭が気配を感じて目を落とすと、いつの間にか彼の足元には三尾の狐が戻ってきていた。何かを訴えるような目で恭を見上げている。どうやら仕事をやり遂げたことを褒めてほしいらしい。
「ありがとう、三尾」
恭は微笑んでそっとしゃがみこむと、実体のない三角の耳の後ろを指先でかいてやった。三尾の狐は満足げに目を細める。――触られている感覚はなくても、親愛の情は伝わるものらしい。
「見ろ、恭! あの親狐の姿が薄くなっている!」
与一の声に恭が顔を上げると、巣穴の上では狐の霊が淡い光を放ち、その輪郭がぼやけ始めていた。
無数の星屑のような光が親狐の周囲に弾ける。その様はまるで線香花火のよう……。
それは、この世とあの世が繋がる瞬間――永遠の別れの時。
いくら陰陽師でも、成仏して彼岸に旅立った死者とは二度と会うことができないのだ。
「さよなら……」
燃え尽きるように光を失って消えていく親狐に向かって、恭はおごそかに呟いたのであった。
*
「あーやれやれ。これで一件落着だな」
森から出て車道に戻ってくると、与一は体を屈めて大袈裟にため息をついた。
「なあ、頑張った感出してるけど、結局与一は何もやってなくないか?」
涼しい顔をして与一の後ろを歩いていた恭は、思わず苦笑して突っ込みを入れる。
「ひでえなあ。俺、ちゃんと頑張ったぞ? ……運転とか」
「運転かよ」
空はすでに白み始めていた。二人は清々しい表情で、がらんとした車道を渡る。与一は歩きながら両腕を上げ、大きく伸びをした。
「うーん……。それにしても、妖怪祓いをして、こんなに満ち足りた気分になったのは初めてだよ。子狐たちも無事救うことができたしさ」
「そうだな。俺もだよ」
恭が微笑んで頷くと、不意に与一が彼を振り返り、「あれ?」と不思議そうに小首を傾げた。
「そういえば恭、妖怪を祓ったのに全然疲れた様子がないな」
「え? ああ。言われてみれば確かに……」
指摘されるまで気づかなかったが、今回は怨霊を調伏した時のような精神ダメージを全く受けていない。
「何でだろう。やっぱりあの狐の霊からは怨念を感じなかったからかな……? むしろ純粋な魂に触れて、心が浄化された気分だ」
「純粋な魂……ねえ。俺には大して違いが分かんなかったけどな。でも、陰陽師には『妖怪との相性』が重要だって聞いたことはあるぜ。恭には動物妖怪が合ってるってことじゃないのか?」
「うーん、そうかもしれないな……。いっそ人の世から離れて、動物妖怪たちを相手に仕事してみるかねえ」
恭は自嘲気味に小さく笑い声を上げながら車のドアを開ける。
「おっ、遂にプロデビューか? 本気なら協力するぜ」
与一はにやりと笑って運転席に滑り込み、助手席の恭の肩を叩いた。恭の口元がちょっと迷惑そうに歪む。
「馬鹿。冗談だよ。このご時世に依頼を選り好みしててプロとしてやっていけるわけがないだろ?」
「そんなのやってみないと分かんないぜ? とりあえず陰陽師組合に登録だけしとけよ。依頼が回ってきやすくなるからさ」
「陰陽師組合ねえ。あんまり気が進まねえなあ……。陰陽師業を続けられる自信もないのに……」
「大丈夫だろ! 恭の実力なら!」
「あのな、『できる』と『やれる』は同じじゃないんだよ。そうやって他の組合員に期待されるのが一番面倒なんだ」
恭はため息をついて座席の背もたれに身を沈めた。「霊能のパラドックス」という用語は広まったものの、その意味をちゃんと理解している人間は本当に少ない。
確かに恭の霊能力は怨霊を含めほとんどの妖怪を祓うことが「できる」。しかし、恭は自分の身を守るため、敢えてそれを「やらない」のだ。恭が陰陽師コミュニティーから距離を取っているのも、このような事情をなかなか分かってもらえないからである。
与一は感心した声を漏らす。同時に恭が木立の向こうを指さした。
「あ、ほら見ろ。俺の三尾が狐を連れてきたぜ」
与一が首を伸ばしてそちらを見ると、ちょうど三尾の狐の発する燐光が巣穴に向かって近づいていくところだった。その後ろを狐の成獣が一匹追ってきている。
「ホントだ。やっぱり恭の式神はすごいな。生きている動物にも干渉できるのか」
「まあな。幻でも見せておびき寄せてるんだろう。しかし問題はここからだ。あの成獣が子狐たちに気が付いた時にどういう反応をするか……」
成獣が巣穴の前に来たタイミングで、三尾の狐は闇に溶けるようにフッと姿を消す。同時に幻術が解けたのだろう――成獣は不思議そうに辺りを見回し、すぐに巣穴の存在に気付いた。巣穴の上には親狐の霊が座っているが、成獣にそちらは見えていないようだ。
「やっぱりあの親狐は自力で他の狐を呼ぶには妖力不足だったんだな。だから俺に助けを求めてきたということか……」
恭は独り言ちた。
成獣が巣穴に近づくと、中から子狐たちが姿を現した。成獣は少し戸惑った様子だったが、すぐに子狐たちに顔を寄せて匂いを嗅ぎ始める。
そしてついに――
「お、やった……」
成獣が子狐の一匹の首の後ろをくわえて森の奥へと運び去った。恭は胸をなでおろして安堵のため息をつく。
「里親が見つかったってことかな?」
「ああ。これできっと大丈夫だ。残った二匹もすぐに引き取ってもらえるだろう。……ん?」
恭が気配を感じて目を落とすと、いつの間にか彼の足元には三尾の狐が戻ってきていた。何かを訴えるような目で恭を見上げている。どうやら仕事をやり遂げたことを褒めてほしいらしい。
「ありがとう、三尾」
恭は微笑んでそっとしゃがみこむと、実体のない三角の耳の後ろを指先でかいてやった。三尾の狐は満足げに目を細める。――触られている感覚はなくても、親愛の情は伝わるものらしい。
「見ろ、恭! あの親狐の姿が薄くなっている!」
与一の声に恭が顔を上げると、巣穴の上では狐の霊が淡い光を放ち、その輪郭がぼやけ始めていた。
無数の星屑のような光が親狐の周囲に弾ける。その様はまるで線香花火のよう……。
それは、この世とあの世が繋がる瞬間――永遠の別れの時。
いくら陰陽師でも、成仏して彼岸に旅立った死者とは二度と会うことができないのだ。
「さよなら……」
燃え尽きるように光を失って消えていく親狐に向かって、恭はおごそかに呟いたのであった。
*
「あーやれやれ。これで一件落着だな」
森から出て車道に戻ってくると、与一は体を屈めて大袈裟にため息をついた。
「なあ、頑張った感出してるけど、結局与一は何もやってなくないか?」
涼しい顔をして与一の後ろを歩いていた恭は、思わず苦笑して突っ込みを入れる。
「ひでえなあ。俺、ちゃんと頑張ったぞ? ……運転とか」
「運転かよ」
空はすでに白み始めていた。二人は清々しい表情で、がらんとした車道を渡る。与一は歩きながら両腕を上げ、大きく伸びをした。
「うーん……。それにしても、妖怪祓いをして、こんなに満ち足りた気分になったのは初めてだよ。子狐たちも無事救うことができたしさ」
「そうだな。俺もだよ」
恭が微笑んで頷くと、不意に与一が彼を振り返り、「あれ?」と不思議そうに小首を傾げた。
「そういえば恭、妖怪を祓ったのに全然疲れた様子がないな」
「え? ああ。言われてみれば確かに……」
指摘されるまで気づかなかったが、今回は怨霊を調伏した時のような精神ダメージを全く受けていない。
「何でだろう。やっぱりあの狐の霊からは怨念を感じなかったからかな……? むしろ純粋な魂に触れて、心が浄化された気分だ」
「純粋な魂……ねえ。俺には大して違いが分かんなかったけどな。でも、陰陽師には『妖怪との相性』が重要だって聞いたことはあるぜ。恭には動物妖怪が合ってるってことじゃないのか?」
「うーん、そうかもしれないな……。いっそ人の世から離れて、動物妖怪たちを相手に仕事してみるかねえ」
恭は自嘲気味に小さく笑い声を上げながら車のドアを開ける。
「おっ、遂にプロデビューか? 本気なら協力するぜ」
与一はにやりと笑って運転席に滑り込み、助手席の恭の肩を叩いた。恭の口元がちょっと迷惑そうに歪む。
「馬鹿。冗談だよ。このご時世に依頼を選り好みしててプロとしてやっていけるわけがないだろ?」
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「陰陽師組合ねえ。あんまり気が進まねえなあ……。陰陽師業を続けられる自信もないのに……」
「大丈夫だろ! 恭の実力なら!」
「あのな、『できる』と『やれる』は同じじゃないんだよ。そうやって他の組合員に期待されるのが一番面倒なんだ」
恭はため息をついて座席の背もたれに身を沈めた。「霊能のパラドックス」という用語は広まったものの、その意味をちゃんと理解している人間は本当に少ない。
確かに恭の霊能力は怨霊を含めほとんどの妖怪を祓うことが「できる」。しかし、恭は自分の身を守るため、敢えてそれを「やらない」のだ。恭が陰陽師コミュニティーから距離を取っているのも、このような事情をなかなか分かってもらえないからである。
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