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第五章
雷獣の怪 5
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「まあ、確かにどうかしてるかもな……。でも、俺はできるだけ人間と妖怪を対等に扱いたいんだよ。陰と陽、どちらも尊重してこその陰陽師だろ?」
「恭の言いたいことも分かるけどさあ……。あー、もう。この変わり者め……」
与一はため息をつき、テーブルに肘をついて額に手を当てた。
「すまん。勘弁してくれ。俺にはあの雷獣を放っておくことはできなかったんだ」
「ちぇっ。分かったよ。あーあ。せっかく晴明賞に王手がかかっていたっていうのにな……」
「そのことだけど、この怪異を解決したところで、大した実績にはならなかったと思うぜ?」
「えっ?」
与一が目を丸くして顔を上げると、恭は肩をすくめて付け加えた。
「だって、こいつ、本物の雷獣じゃねえもん。伝説の幻獣だったら、妖気の強さはこの比じゃないはずだろ?」
「なっ!? だってお前、あいつは恐ろしい力を持った妖怪だって言ってたじゃねえか!」
「あれはただのこけおどしだよ。できれば白川さんに穏便に出て行ってもらいたいと思ってね。あんまり効果はなかったみたいだけど」
「まじかよ……。じゃあ、その雷獣の正体はなんなんだ?」
「雷に打たれて死んだ、とある動物の霊ってところだな。――さて。それじゃあ、そろそろ出ようぜ。日も暮れたことだし、今宵は人間退治と洒落こむとしよう」
*
黄昏の住宅街。人気のないブロック塀の陰に自転車を停め、周囲を警戒する怪しい人影が二つ。
「おい。恭、どうやって白川夫妻に出て行ってもらうかは考えているんだろうな?」
影の片方がひそひそ声で囁くと、もう片方が小さく頷いた。
「当然だ。俺の式神をあの古民家に送り込んで、ひと暴れしてもらう」
「ひえ……。えげつな……」
青くなった与一を尻目に、恭は淡々と印を結んで呪を唱え、三尾の狐を呼び出した。顔の前にふわりと浮かび上がった純白の毛玉の鼻面を、人差し指で軽くつつく。
「やあ、三尾。ちょーっと脅かして欲しい人間がいるんだけど、いいかな?」
「こやーっ!」
細長い口から猫とも犬ともつかぬ鳴き声が漏れた。尻尾を振っているところを見ると、どうやら興奮しているらしい。恭は苦笑してその頭を撫でる。
「はいはい。お前が悪戯好きなのは分かってるけど、やりすぎないようにな。せいぜい巨大化した雷獣の幻覚を見せるくらいにしとけよ」
「いや、十分やりすぎじゃねーか」
隣から与一が突っ込んだ。恭は無視して続ける。
「三尾に向かってほしい古民家はここの三軒隣だ。雷で焼けた木があるから――って、言わなくても分かってるか。お前とは以心伝心だからな」
恭が言うと、三尾の狐は笑うように口を半開きにしてその場で宙返りした。早く行きたくて仕方がないらしい。
「オーケー。それじゃあ、五分以内に仕事を片付けてここに戻ってこい。頼んだよ」
恭の言葉が終わるのを待たずに、妖狐は尻尾を一振りして姿を消してしまった。
「三尾の奴、いつになくノリノリだったな。まあ、これも妖狐の性ってやつか……」
恭はやれやれと困ったような笑みを浮かべ、頭の後ろをかく。
「ああ……。白川さん、ごめんなさい……」
与一は古民家がある塀の方に向かって手を合わせた。それから三十秒もしないうちに、塀の向こう側で鋭い悲鳴が上がる。
「おっぱじめたな……」
恭は携帯端末に表示された時計に目を落として呟いた。
「ほんとすみません……」
与一が頭を下げると、今度はガラスか何かが割れるような派手な音が二人の耳に響いてきた。ドーン! と、大きな物が壁か柱にぶつかるような音も聞こえてくる。白川夫妻が大騒ぎして逃げ惑っている様子が目に浮かぶようだ。
「あいつ、二人に怪我させたりしていないだろうな……。まあ、うちの三尾に限って、そんな失敗はしないか」
「おい。親バカ言ってる場合か? あの狐ちゃん、全然手加減してなさそうだけど!?」
「大丈夫だよ。まあ、見てなって」
恭は落ち着き払って親指を立てる。与一は「不安しかねえ」と言いたげな表情で肩を落とした。
古民家の玄関ドアが乱暴に開く音が聞こえたのはその時である。
「誰か、助けて! 雷獣が……。雷獣が!!」
白川夫人の叫び声。
近隣住民も異常を察知して、窓から外をのぞいたり、様子を見に表に出てくる気配が感じられた。
「……物音を立てるなよ。結界を張ったから、俺たちの姿は誰にも見えなくなっているはずだ」
と恭が囁く。二人が壁際に張り付いていると、T字路の向こうを白川夫人が髪を振り乱し、スリッパで駆け抜けていくのが見えた。
「おい、お前、どこに逃げるんだ! 待ってくれ! 置いていかないでくれ!」
夫が息を切らしながらその後を追っていく。その声もすぐに遠くなり、次第に聞こえなくなった。続いて塀の角からふわりと姿を現したのは、満足げに三本の尻尾を揺らした純白の妖狐である。
恭は無言で三尾の狐を手招くと、そっとその頭を撫でて姿を消させた。
そして恭と与一は目配せして頷くや否や、同時に自転車に跨り、白川夫妻が走って行ったのとは反対方向の坂道を猛スピードで駆け下って行ったのである。
*
「……ここまで来れば、もう騒ぎに巻き込まれることはないだろう」
「恭の言いたいことも分かるけどさあ……。あー、もう。この変わり者め……」
与一はため息をつき、テーブルに肘をついて額に手を当てた。
「すまん。勘弁してくれ。俺にはあの雷獣を放っておくことはできなかったんだ」
「ちぇっ。分かったよ。あーあ。せっかく晴明賞に王手がかかっていたっていうのにな……」
「そのことだけど、この怪異を解決したところで、大した実績にはならなかったと思うぜ?」
「えっ?」
与一が目を丸くして顔を上げると、恭は肩をすくめて付け加えた。
「だって、こいつ、本物の雷獣じゃねえもん。伝説の幻獣だったら、妖気の強さはこの比じゃないはずだろ?」
「なっ!? だってお前、あいつは恐ろしい力を持った妖怪だって言ってたじゃねえか!」
「あれはただのこけおどしだよ。できれば白川さんに穏便に出て行ってもらいたいと思ってね。あんまり効果はなかったみたいだけど」
「まじかよ……。じゃあ、その雷獣の正体はなんなんだ?」
「雷に打たれて死んだ、とある動物の霊ってところだな。――さて。それじゃあ、そろそろ出ようぜ。日も暮れたことだし、今宵は人間退治と洒落こむとしよう」
*
黄昏の住宅街。人気のないブロック塀の陰に自転車を停め、周囲を警戒する怪しい人影が二つ。
「おい。恭、どうやって白川夫妻に出て行ってもらうかは考えているんだろうな?」
影の片方がひそひそ声で囁くと、もう片方が小さく頷いた。
「当然だ。俺の式神をあの古民家に送り込んで、ひと暴れしてもらう」
「ひえ……。えげつな……」
青くなった与一を尻目に、恭は淡々と印を結んで呪を唱え、三尾の狐を呼び出した。顔の前にふわりと浮かび上がった純白の毛玉の鼻面を、人差し指で軽くつつく。
「やあ、三尾。ちょーっと脅かして欲しい人間がいるんだけど、いいかな?」
「こやーっ!」
細長い口から猫とも犬ともつかぬ鳴き声が漏れた。尻尾を振っているところを見ると、どうやら興奮しているらしい。恭は苦笑してその頭を撫でる。
「はいはい。お前が悪戯好きなのは分かってるけど、やりすぎないようにな。せいぜい巨大化した雷獣の幻覚を見せるくらいにしとけよ」
「いや、十分やりすぎじゃねーか」
隣から与一が突っ込んだ。恭は無視して続ける。
「三尾に向かってほしい古民家はここの三軒隣だ。雷で焼けた木があるから――って、言わなくても分かってるか。お前とは以心伝心だからな」
恭が言うと、三尾の狐は笑うように口を半開きにしてその場で宙返りした。早く行きたくて仕方がないらしい。
「オーケー。それじゃあ、五分以内に仕事を片付けてここに戻ってこい。頼んだよ」
恭の言葉が終わるのを待たずに、妖狐は尻尾を一振りして姿を消してしまった。
「三尾の奴、いつになくノリノリだったな。まあ、これも妖狐の性ってやつか……」
恭はやれやれと困ったような笑みを浮かべ、頭の後ろをかく。
「ああ……。白川さん、ごめんなさい……」
与一は古民家がある塀の方に向かって手を合わせた。それから三十秒もしないうちに、塀の向こう側で鋭い悲鳴が上がる。
「おっぱじめたな……」
恭は携帯端末に表示された時計に目を落として呟いた。
「ほんとすみません……」
与一が頭を下げると、今度はガラスか何かが割れるような派手な音が二人の耳に響いてきた。ドーン! と、大きな物が壁か柱にぶつかるような音も聞こえてくる。白川夫妻が大騒ぎして逃げ惑っている様子が目に浮かぶようだ。
「あいつ、二人に怪我させたりしていないだろうな……。まあ、うちの三尾に限って、そんな失敗はしないか」
「おい。親バカ言ってる場合か? あの狐ちゃん、全然手加減してなさそうだけど!?」
「大丈夫だよ。まあ、見てなって」
恭は落ち着き払って親指を立てる。与一は「不安しかねえ」と言いたげな表情で肩を落とした。
古民家の玄関ドアが乱暴に開く音が聞こえたのはその時である。
「誰か、助けて! 雷獣が……。雷獣が!!」
白川夫人の叫び声。
近隣住民も異常を察知して、窓から外をのぞいたり、様子を見に表に出てくる気配が感じられた。
「……物音を立てるなよ。結界を張ったから、俺たちの姿は誰にも見えなくなっているはずだ」
と恭が囁く。二人が壁際に張り付いていると、T字路の向こうを白川夫人が髪を振り乱し、スリッパで駆け抜けていくのが見えた。
「おい、お前、どこに逃げるんだ! 待ってくれ! 置いていかないでくれ!」
夫が息を切らしながらその後を追っていく。その声もすぐに遠くなり、次第に聞こえなくなった。続いて塀の角からふわりと姿を現したのは、満足げに三本の尻尾を揺らした純白の妖狐である。
恭は無言で三尾の狐を手招くと、そっとその頭を撫でて姿を消させた。
そして恭と与一は目配せして頷くや否や、同時に自転車に跨り、白川夫妻が走って行ったのとは反対方向の坂道を猛スピードで駆け下って行ったのである。
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「……ここまで来れば、もう騒ぎに巻き込まれることはないだろう」
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