京都もふもふ、けもののけ 〜ひきこもり陰陽師は動物妖怪専門です〜

ススキ荻経

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第九章

犬神の怪 後編 3

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 そうか。俺は正体が狐だから、人間生活が上手くいかなかったのか……。どおりで、普通の人以上に社会に適応するのに苦労していたわけだ……。

 これまでの人生で味わってきたみじめな経験が脳裏に次々とよみがえる。

 誰からも理解を得られないと思い、人との関りを避けてひきこもっていた日々……。

 でも、ようやくその辛さが認めてもらえたのだ。

「ありがとうございます」

 恭は感極まって、思わず頭を下げた。

 稲荷狐たちは優しく微笑む。恭は温かい空気に包まれているのを感じた。

 自分が本来いるべき場所はここだったのだ、と思った。

 現世は自分には冷たく、そして厳しい。

 戻れば、また苦労を強いられることになるだろう。

 だが、それでも……

「兄様は現世に帰りたいんだよね?」

 その時、不意に横から三尾が首を伸ばし、恭の顔をのぞき込んできた。恭は一瞬目を丸くしてから、ふっと苦笑し、三尾の頭をくしゃっと撫でる。

「……流石によく分かってるな。お前は」

 そう呟いてから、恭は姿勢を正し、目の前に並んだ稲荷狐たちに向かって真っ直ぐ顔を上げた。

「みなさん、お誘い感謝いたします。ですが、私は異界に帰るわけにはいきません。現世には私を待ってくれている人がいます。私にしか祓えない動物妖怪たちもいます。私には、現世でやるべきことがあります。ですから私は、これからの人生を人間として生きていきます」

 一息で言い放った。稲荷狐たちの顔に驚きの色が浮かぶ。恭は少し心が痛むのを感じたが、彼の強固な決意はそんなものでは揺るがなかった。

「そうか……。恭殿がそれを自分の使命だと考えているのなら、それこそが、恭殿の転狐としてのお役目なのじゃろう……」

 祖父は少し寂しそうな笑みをこぼして言った。

「すみません……。でも、みなさんにお会いしたお陰で、私はすごく救われた気がします」

 恭は膝に手を当ててゆっくりと立ち上がった。稲荷狐の家族を順番に眺め、二度と会えないであろう彼らの姿を脳裏に焼き付けようとする。

「短い間でしたが、お話しできて嬉しかったです」

 軽く一礼した。

「ああ。こちらこそ……」

「元気でね! 健康には気を付けて!」

「頑張れよ!」

「立派な転狐になるんじゃよ!」

 皆が口々に声をかけてくれる。すると見る間に辺りが白い霧に覆われ、彼らの姿は霞の向こうに消えていった。

「さよなら……」

 感傷に浸って呟く。と、次の瞬間、

「さあ、現世に戻ろう!」

 三尾が尻尾を振り、恭の腕に飛びついてきた。

「あれっ? お前はこれからも俺についてくるのか?」

 恭は驚いて振り返る。三尾は恭を見上げてフンと鼻を鳴らした。

「当然! 私がいなくなったら、兄様は陰陽師のお仕事ができないでしょ? 今後も呼び出されたら何時でも現世に行くよ! 残念ながらあっちでは狐の姿になっちゃうけどね」

「そっか。ありがとな」

 恭はふっと笑みを浮かべた。そして、次の瞬間には三尾の笑顔も白い霧に沈む。視界が真っ白になり、ついに何も見えなくなった時――



 恭は目を覚ました。

「うわっ。恭が起きた!」

 与一が驚いた声を発して飛び上がる。仰向けに寝かされた体勢の恭が身を起こすと、膝の上に三尾さんびの狐が丸まっているのが彼の目に入った。

 三尾の狐は耳をぴくっと動かしてから、顔を上げて大きな欠伸をする。

 ここは――稲荷山のお塚か。

 見覚えのある光景に、恭は自分と三尾みおが無事に現世に戻ってきたことを悟った。

「具合はどう?」

 美鵺子が心配そうに顔をのぞき込んでくる。恭はハッとして、自分の胸に手を当てた。

「不思議だ……。体が治っている……」

「良かった。きっと異界に入って魂が浄化されたんやね」

 美鵺子は安堵の表情を浮かべた。

「え? い、異界!?」

 与一は理解が追いついていない様子である。恭は三尾の狐をつついて足の上から退かせると、立ち上がってズボンについた塵を両手ではたいた。

「……美鵺子は知ってたんだな。俺が転狐ってこと」

 恭の問いかけに、美鵺子は申し訳なさそうに「うん」と頷いた。

「知ってたけど、恭のところに異界からお迎えが来るまでは言わへん方がいいと思って、黙ってた……」

「そっか。それもあの妖刀の記憶を見て知ったの?」

「うん。この妖刀は、歴代の転狐が受け継いできた特別な武器やってん。だから、恭の正体が転狐やって気がつくのに時間はかからへんかったよ」

「なるほど。転狐が継承してきた妖刀だったのか。それで俺が正当な所有者だって言ってたんだな」

 恭はポンと手を打った。やっと点と点が繋がり、全体像が見えてきた。

「そう。この妖刀は、平安時代に天皇の勅命を受けた刀鍛冶が転狐と二人で協力して作った名刀『小狐丸』の片割れ。小狐丸に蓄積された残留思念が本体から独立して妖怪化した、いわば『小狐丸の影』やねん。歴史上に小狐丸が何本も登場して記録が混乱してるのは、この『影』が本物と同時に存在してた期間が長かったからみたい。現在、本物の方は失われてしまっているらしいけれど……」

 そう言って、美鵺子は件の妖刀を虚空から取り出した。

「小狐丸の影……。か」

 恭は目を細めて、陽炎のように揺らぐ刀身に視線を走らせる。

「うん。先代転狐が亡くなってから百年近く稲荷山に放置されていたせいで、今はこんなにボロボロになっちゃってるけどね……。でも、これは転狐に作られた妖刀やから、転狐の手に戻れば妖力を取り戻すはず……」
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