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対峙(退治)1
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「で?どこまでついてくるのつもりなのかしら?」
私は読んでいた本をパタリ、と閉じた。
本に当たりすぎてしまったかもしれないが、仕方が無い。こうでもしないと相手に苛立ちが伝わるとは思えなかったからだ。
今でも伝わってるかは不明だが。
ニコニコと笑っている彼をきっと睨みつける。
すると彼は、困ったように眉を八の字にした。
「すいません。これも仕事なので……」
さっとこちらから目を逸らすが、あまり反省しているようには思えない。
というか今まではついてこなかったでは無いか。
それが、この、図書室にまでついてくるとはどういう了見なのか。落ち着いて本も読めやしない。
いや、実を言うと、今日は、別にそれを目的でここに来た訳では無い。
剣術の本を手に入れ、それを習得できるのか?という疑問を解決するために来たのだ。
だと言うのにこの執事はちょろちょろと鬱陶しい。
まあいるならいるで読書でもしようかと思ったが、チラチラとみてくるので集中して読めやしない。
こうなってくると、どうしようもないのでこいつを追っ払うしかないのだ。要は。
まあ目的、というか、疑念は分からんでもない。
要は昨日の、散歩、が怪しまれているのだろう。反省した彼は健気にもずっと私をストーキングしている、と。全く、はた迷惑な話だ。
さて、どうしたものかね。
もういっそうのこと全部暴露してしまうのが楽な気がする。楽な気はするが、最善とは思えない。むしろ悪手に思う。
じゃあどうするかと聞かれても、いい策は思いつかない。こいつに警戒されないように、また、本を読むだけの生活に戻り、追い払える策を練る……という消極的なものなら思いつかなくもないのだが。
問題の先送りにしかなってないしなあ。
こいつの話を聞いて、懐柔する……のはありなのだろうか?しかしそれが出来るとも思えんしなあ。
ただ、こいつがなぜストーキングするか?を知ってからでも遅くはない気がする。王への忠誠心なのか、勇者と仲良くなりたいのか、理由さえ分かれば解決方法も思いつく……やもしれん。
何もしないよりはマシだろう。
ふう。と息を吐き、閉じた本を元の場所に戻す。その間もピッタリとついてくる執事。鬱陶しいことこの上ない。
そしてそのまま図書室を出ると、後ろから戸惑いの雰囲気が感じられたような気がした。が、それも一瞬。すぐさま、その雰囲気を引っ込ませると、私の後をついてきたのだった。
♱
「では、お茶の準備をしてもらおうかな」
私は部屋について早々、執事に声をかける。無論、この執事との親交を深めるためのものだ。しかし、彼は紅茶と珈琲、どちらが好きなのだろうか……?聞くのが一番早いんだろうが、それはあまりしたくない。なんとなくだが、彼は、自分には必要ない、といってしまう気がしたのだ。今までの行動を見ていて、主従関係を大切にしているように見えたからな。
でも、もし、入れたての飲み物がそこに置いてあったら?それを飲む人物が自分しかいなかったら?
さすがの彼でも飲まざるを得ないだろう。
まあ、それでも飲まなかったら、何をしても飲まないのだろうし、どうしようもない、と諦めるしかない。
腹を割って話すからには、やっぱり、対等な立場であるべきだろう。少なくとも、私がリラックスしてお茶を飲んでいるのに、彼は立ちっぱなしで話を聞いている……なんていう状況は避けなくてはならない。
そのための努力は惜しまないつもりだ。
ふむ。
「ああ、飲み物は二つ分頼む。珈琲と紅茶、一つずつな」
こうすれば彼がどちらが好きか悩む必要はないだろう。
私は別にどちらが好きだ、というのはない。強いて言うならどちらも好きである。だからこそ、彼がどちらか好きなほうを選べば丁度いい、とそういうことだ。我ながら完璧な解決策である。
両方嫌いだった場合は、我慢して飲んでもらうしかないが……。そうならないことを祈ることにしよう。
「誰かとお話しする予定でもあるのですか?」
「まあ、」
彼は、紅茶を入れている。
私はそれをぼうっと見ながら、言葉を濁した。
まだ二杯分入れてないから、言うには早い。然し、詳細に言って後から嘘を問い詰められても困る。いや、困りはしないが、わざわざ説明するのが面倒くさい。
つまり、これぐらいが丁度よいのだ。
何を勘違いしたのか、いや、まあ分かる。つまり言葉を濁したのは照れているからだろう、と解釈したらしい彼はふと微笑んだ。きっと、いつもボッチだった私が……とか思っているのだろう。お前は私の親か。鬱陶しい。
然しながら、これ、その話し相手が自分だと知ったとき、どんな反応をするのだろうな……?その、驚いた表情を想像して、つい、ニヤケそうになる。
それを思えば、今、生暖かい目で見られるのも苦ではなかった。むしろ、よい調味料になっている。眉を顰め、足と腕を組んだ。これでバレないだろう。
「お待たせいたしました。ところで、どちらがギボ様のでしょうか?」
ふむ。彼は私の言ったとおり、きちんと二人分用意してくれたらしい。まだ客人がいないから、と私の飲み物を聞かれることも予想していたが、そうはならなかったようだ。
いい風に捉えれば、文意を読み取ってくれる。悪い風に捉えれば、言葉の通りのことしか実行できない。
前者のような気はしているが……さて。
「お前はどちらがいいと思う?」
私は、ニヤリ、と笑って見せた。
「は、はあ」
執事はそれを見て戸惑う。
その戸惑いは、聞いてきた意味が分からないからなのか、初めて執事のことをお前呼ばわりしたからなのか、それともこの笑いの所為か。
何だってよい。
彼の戸惑いが収まる頃合を見て、彼が口を開くより先に言う。
「そういえば、話し相手が誰か、聞いてきたな?」
「は、はい」
「お前だ」
「……は?」
流石に指を刺すまでするのは、やり過ぎだろうし、失礼だろうと思ったのでやめておく。演出としては悪くないのだが……。
ぽかん、と口をあけたまま、固まった執事は、それはそれはもう傑作だった。この時、初めてまともに執事の顔を見たが、案の定、その顔のまあ、整っていることよ。然し間抜けな顔をしてしまえば、形無しだな。
今まで抑えていた分も含め、思いっきり口角を上げてやる。本当は声を上げて笑ってやりたいところであったが、別に私は彼に喧嘩を売りたい訳ではないのだ。
一頻り、愉快さを噛み締めた後、なおも固まっている執事に目配せをする。
「まあ、座れよ」
執事は怪訝な顔をしながらもおずおずと座る。反対しないところを見るに、未だに、頭はまともに働いていないらしい。
「紅茶と珈琲はどちらがいい?」
「えっと……では紅茶で」
だと思った。
見た目からそんな感じだよな。優雅に紅茶を飲んでいるのが似合いそうだ。
彼の目の前に紅茶を置いてやる。私の目の前には珈琲を置いて、それから座った。
彼は目の前に置かれた紅茶を手に取り、目を閉じる。それから一口。
……。
私も珈琲に手をつける。
うん。旨い。
すると唐突に、彼はガタリ、と立ち上がった。
「取り乱しました。申し訳ありません」
それから、最敬礼。つまり直角のお辞儀だ。
私はそれを目を細め眺め、はあ、とため息をついた。
「とにかく座ったらどうだ?」
「そ、そういう訳には……」
「今更では?」
執事が、不思議そうな顔をしているので、補足してやる。
「お前はもう、私の前で座ってお茶を飲んでしまった。最早これから何をしようとも、そう大差はないだろう」
「え、えぇ……。それは極論なのでは……?」
戸惑いながらも、彼は一向に座ろうとはしない。
「そうかもな。然し私の中では大差ない」
「そ、そうですか……」
なんだか落ち込んでいるな。勘違いをされている気がする。
一度失敗した時点で終わりなのだ、と言う風に受け取っていそうな。この状況にしたのは私だろうに……。面倒なやつめ。
「別に責めているわけではない。そもそも、執事がどう動こうが、何をされようが、そんなに気にしてないから、大差ない、とも言う」
「は、はあ……」
またもや微妙そうな顔をしている。ふむ、また言い方が悪かったか。もうこればかりは仕方がない。これ以上何かを言うと状況が悪化する気がしたので、じっと執事を見つめた。
すると彼は恐る恐る座る。
安心して、ふう、と息を吐くと、彼は肩をびくりと震わせた。……なぜそんなに怯えているのやら。
「それで、話したいこと、と言うのは……?」
話したいこと、か。聞きたいことはあるが、いきなり本題に入るのは良くない。話が話だけに、素直に答えてもらえない可能性がある。だからこそこうやって、環境を作って、親しくなろうとしているのだ。
つまり、親しくなるような話が良いのだが……。
「そうだな、まず名前を教えてほしい」
「名前、ですか……?」
先程よりは控えめであるもののの、程々には驚いた顔を見せる。
まあそれも無理はないのかもしれない。今まで私は彼を気にしたことがなかったもんなあ。言い方は悪いが、それこそ、道端に転がっている軍手くらいにしか見ていなかった。
だからこそ、今頃、名前を聞かれて動揺しているのだろう。
「フェデル……、フェデル・エーシスタです」
立ち上がり、お辞儀をした。
その顔にはいつものような薄ら笑みを浮かべるが、少し引きつっているようにも見える。これ以上失態見せまいと必死なのだろう。
「フェデル、フェデルだな」
珈琲を口に含む。
外国人の顔やら名前は、覚えにくくて仕方がない。ただでさえ、人の名前を覚えるのは苦手なのである。それが聞きなれない名前なり、見慣れない顔だったりするのだから覚えづらさは倍増だ。
仲良くなるためにも、間違えないようにしなくては……。まあ、この世界で名前を聞いたのは、彼一人しかいないのだから、間違えようもないと思うが。……そう思いたい。
「ところでなぜ私の名前を聞いたのですか?」
いそいそと椅子に座る彼。どうやら抵抗は無駄だと、学んでくれたようで何よりだ。
「まあ、そんなに急がずとも、時間はまだあるのだから」
と言うかそんなに急がれては困る。できるだけ会話を引き伸ばして、仲良くしてる感を出したい。そう思う私はズレている、のだろうが、こればかりは仕方がない。
そもそも話したがっていたのは彼のほうなのだから、そんなに警戒せずとも、掛かった餌に飛びついてくればいいだろうに。何が気に食わないのか。
彼は今も、微妙な顔をしている。
まあ、そうだよな。何故?とは言ったものの予想はつく。
つまりこの豹変振りに警戒を抱き、戸惑っているのだろう。
「とりあえず、名前を聞いたからには、名乗り返そうと思うのだが?」
「…………いえ、私はギボ様の名前を把握していますので特に必要ないかと……」
執事は控えめにそう零す。その顔には何を企んでいるのか?と書いてあるような気がする。
「うむ。それもそうだな。そもそも自分の名前が嫌いなのだから、無駄に連呼する意味もないか……」
となると何を話せばよいのか……。好きな食べ物やら色やらを聞いてみるか?保育園の頃にクラスメイトと交わした手紙を思い出すな……。なぞに質問攻めをしあう手紙。互いにそれが本当に気になっていたかは甚だ疑問であった。
まあ、この状況でそのシチュエーションを思い浮かべる時点で、それ以来成長していない、とも言える。
人と関わってこなかった自分の身の上を呪いながらも、何かヒントはないか、彼の顔をぼんやりと見ていると、彼は、最早見飽きた驚き顔を見せた後、キュッと表情を引き締めた。
「その、差し支えなければ、名前が嫌い……というのを詳しく聞きたいのですが」
私は読んでいた本をパタリ、と閉じた。
本に当たりすぎてしまったかもしれないが、仕方が無い。こうでもしないと相手に苛立ちが伝わるとは思えなかったからだ。
今でも伝わってるかは不明だが。
ニコニコと笑っている彼をきっと睨みつける。
すると彼は、困ったように眉を八の字にした。
「すいません。これも仕事なので……」
さっとこちらから目を逸らすが、あまり反省しているようには思えない。
というか今まではついてこなかったでは無いか。
それが、この、図書室にまでついてくるとはどういう了見なのか。落ち着いて本も読めやしない。
いや、実を言うと、今日は、別にそれを目的でここに来た訳では無い。
剣術の本を手に入れ、それを習得できるのか?という疑問を解決するために来たのだ。
だと言うのにこの執事はちょろちょろと鬱陶しい。
まあいるならいるで読書でもしようかと思ったが、チラチラとみてくるので集中して読めやしない。
こうなってくると、どうしようもないのでこいつを追っ払うしかないのだ。要は。
まあ目的、というか、疑念は分からんでもない。
要は昨日の、散歩、が怪しまれているのだろう。反省した彼は健気にもずっと私をストーキングしている、と。全く、はた迷惑な話だ。
さて、どうしたものかね。
もういっそうのこと全部暴露してしまうのが楽な気がする。楽な気はするが、最善とは思えない。むしろ悪手に思う。
じゃあどうするかと聞かれても、いい策は思いつかない。こいつに警戒されないように、また、本を読むだけの生活に戻り、追い払える策を練る……という消極的なものなら思いつかなくもないのだが。
問題の先送りにしかなってないしなあ。
こいつの話を聞いて、懐柔する……のはありなのだろうか?しかしそれが出来るとも思えんしなあ。
ただ、こいつがなぜストーキングするか?を知ってからでも遅くはない気がする。王への忠誠心なのか、勇者と仲良くなりたいのか、理由さえ分かれば解決方法も思いつく……やもしれん。
何もしないよりはマシだろう。
ふう。と息を吐き、閉じた本を元の場所に戻す。その間もピッタリとついてくる執事。鬱陶しいことこの上ない。
そしてそのまま図書室を出ると、後ろから戸惑いの雰囲気が感じられたような気がした。が、それも一瞬。すぐさま、その雰囲気を引っ込ませると、私の後をついてきたのだった。
♱
「では、お茶の準備をしてもらおうかな」
私は部屋について早々、執事に声をかける。無論、この執事との親交を深めるためのものだ。しかし、彼は紅茶と珈琲、どちらが好きなのだろうか……?聞くのが一番早いんだろうが、それはあまりしたくない。なんとなくだが、彼は、自分には必要ない、といってしまう気がしたのだ。今までの行動を見ていて、主従関係を大切にしているように見えたからな。
でも、もし、入れたての飲み物がそこに置いてあったら?それを飲む人物が自分しかいなかったら?
さすがの彼でも飲まざるを得ないだろう。
まあ、それでも飲まなかったら、何をしても飲まないのだろうし、どうしようもない、と諦めるしかない。
腹を割って話すからには、やっぱり、対等な立場であるべきだろう。少なくとも、私がリラックスしてお茶を飲んでいるのに、彼は立ちっぱなしで話を聞いている……なんていう状況は避けなくてはならない。
そのための努力は惜しまないつもりだ。
ふむ。
「ああ、飲み物は二つ分頼む。珈琲と紅茶、一つずつな」
こうすれば彼がどちらが好きか悩む必要はないだろう。
私は別にどちらが好きだ、というのはない。強いて言うならどちらも好きである。だからこそ、彼がどちらか好きなほうを選べば丁度いい、とそういうことだ。我ながら完璧な解決策である。
両方嫌いだった場合は、我慢して飲んでもらうしかないが……。そうならないことを祈ることにしよう。
「誰かとお話しする予定でもあるのですか?」
「まあ、」
彼は、紅茶を入れている。
私はそれをぼうっと見ながら、言葉を濁した。
まだ二杯分入れてないから、言うには早い。然し、詳細に言って後から嘘を問い詰められても困る。いや、困りはしないが、わざわざ説明するのが面倒くさい。
つまり、これぐらいが丁度よいのだ。
何を勘違いしたのか、いや、まあ分かる。つまり言葉を濁したのは照れているからだろう、と解釈したらしい彼はふと微笑んだ。きっと、いつもボッチだった私が……とか思っているのだろう。お前は私の親か。鬱陶しい。
然しながら、これ、その話し相手が自分だと知ったとき、どんな反応をするのだろうな……?その、驚いた表情を想像して、つい、ニヤケそうになる。
それを思えば、今、生暖かい目で見られるのも苦ではなかった。むしろ、よい調味料になっている。眉を顰め、足と腕を組んだ。これでバレないだろう。
「お待たせいたしました。ところで、どちらがギボ様のでしょうか?」
ふむ。彼は私の言ったとおり、きちんと二人分用意してくれたらしい。まだ客人がいないから、と私の飲み物を聞かれることも予想していたが、そうはならなかったようだ。
いい風に捉えれば、文意を読み取ってくれる。悪い風に捉えれば、言葉の通りのことしか実行できない。
前者のような気はしているが……さて。
「お前はどちらがいいと思う?」
私は、ニヤリ、と笑って見せた。
「は、はあ」
執事はそれを見て戸惑う。
その戸惑いは、聞いてきた意味が分からないからなのか、初めて執事のことをお前呼ばわりしたからなのか、それともこの笑いの所為か。
何だってよい。
彼の戸惑いが収まる頃合を見て、彼が口を開くより先に言う。
「そういえば、話し相手が誰か、聞いてきたな?」
「は、はい」
「お前だ」
「……は?」
流石に指を刺すまでするのは、やり過ぎだろうし、失礼だろうと思ったのでやめておく。演出としては悪くないのだが……。
ぽかん、と口をあけたまま、固まった執事は、それはそれはもう傑作だった。この時、初めてまともに執事の顔を見たが、案の定、その顔のまあ、整っていることよ。然し間抜けな顔をしてしまえば、形無しだな。
今まで抑えていた分も含め、思いっきり口角を上げてやる。本当は声を上げて笑ってやりたいところであったが、別に私は彼に喧嘩を売りたい訳ではないのだ。
一頻り、愉快さを噛み締めた後、なおも固まっている執事に目配せをする。
「まあ、座れよ」
執事は怪訝な顔をしながらもおずおずと座る。反対しないところを見るに、未だに、頭はまともに働いていないらしい。
「紅茶と珈琲はどちらがいい?」
「えっと……では紅茶で」
だと思った。
見た目からそんな感じだよな。優雅に紅茶を飲んでいるのが似合いそうだ。
彼の目の前に紅茶を置いてやる。私の目の前には珈琲を置いて、それから座った。
彼は目の前に置かれた紅茶を手に取り、目を閉じる。それから一口。
……。
私も珈琲に手をつける。
うん。旨い。
すると唐突に、彼はガタリ、と立ち上がった。
「取り乱しました。申し訳ありません」
それから、最敬礼。つまり直角のお辞儀だ。
私はそれを目を細め眺め、はあ、とため息をついた。
「とにかく座ったらどうだ?」
「そ、そういう訳には……」
「今更では?」
執事が、不思議そうな顔をしているので、補足してやる。
「お前はもう、私の前で座ってお茶を飲んでしまった。最早これから何をしようとも、そう大差はないだろう」
「え、えぇ……。それは極論なのでは……?」
戸惑いながらも、彼は一向に座ろうとはしない。
「そうかもな。然し私の中では大差ない」
「そ、そうですか……」
なんだか落ち込んでいるな。勘違いをされている気がする。
一度失敗した時点で終わりなのだ、と言う風に受け取っていそうな。この状況にしたのは私だろうに……。面倒なやつめ。
「別に責めているわけではない。そもそも、執事がどう動こうが、何をされようが、そんなに気にしてないから、大差ない、とも言う」
「は、はあ……」
またもや微妙そうな顔をしている。ふむ、また言い方が悪かったか。もうこればかりは仕方がない。これ以上何かを言うと状況が悪化する気がしたので、じっと執事を見つめた。
すると彼は恐る恐る座る。
安心して、ふう、と息を吐くと、彼は肩をびくりと震わせた。……なぜそんなに怯えているのやら。
「それで、話したいこと、と言うのは……?」
話したいこと、か。聞きたいことはあるが、いきなり本題に入るのは良くない。話が話だけに、素直に答えてもらえない可能性がある。だからこそこうやって、環境を作って、親しくなろうとしているのだ。
つまり、親しくなるような話が良いのだが……。
「そうだな、まず名前を教えてほしい」
「名前、ですか……?」
先程よりは控えめであるもののの、程々には驚いた顔を見せる。
まあそれも無理はないのかもしれない。今まで私は彼を気にしたことがなかったもんなあ。言い方は悪いが、それこそ、道端に転がっている軍手くらいにしか見ていなかった。
だからこそ、今頃、名前を聞かれて動揺しているのだろう。
「フェデル……、フェデル・エーシスタです」
立ち上がり、お辞儀をした。
その顔にはいつものような薄ら笑みを浮かべるが、少し引きつっているようにも見える。これ以上失態見せまいと必死なのだろう。
「フェデル、フェデルだな」
珈琲を口に含む。
外国人の顔やら名前は、覚えにくくて仕方がない。ただでさえ、人の名前を覚えるのは苦手なのである。それが聞きなれない名前なり、見慣れない顔だったりするのだから覚えづらさは倍増だ。
仲良くなるためにも、間違えないようにしなくては……。まあ、この世界で名前を聞いたのは、彼一人しかいないのだから、間違えようもないと思うが。……そう思いたい。
「ところでなぜ私の名前を聞いたのですか?」
いそいそと椅子に座る彼。どうやら抵抗は無駄だと、学んでくれたようで何よりだ。
「まあ、そんなに急がずとも、時間はまだあるのだから」
と言うかそんなに急がれては困る。できるだけ会話を引き伸ばして、仲良くしてる感を出したい。そう思う私はズレている、のだろうが、こればかりは仕方がない。
そもそも話したがっていたのは彼のほうなのだから、そんなに警戒せずとも、掛かった餌に飛びついてくればいいだろうに。何が気に食わないのか。
彼は今も、微妙な顔をしている。
まあ、そうだよな。何故?とは言ったものの予想はつく。
つまりこの豹変振りに警戒を抱き、戸惑っているのだろう。
「とりあえず、名前を聞いたからには、名乗り返そうと思うのだが?」
「…………いえ、私はギボ様の名前を把握していますので特に必要ないかと……」
執事は控えめにそう零す。その顔には何を企んでいるのか?と書いてあるような気がする。
「うむ。それもそうだな。そもそも自分の名前が嫌いなのだから、無駄に連呼する意味もないか……」
となると何を話せばよいのか……。好きな食べ物やら色やらを聞いてみるか?保育園の頃にクラスメイトと交わした手紙を思い出すな……。なぞに質問攻めをしあう手紙。互いにそれが本当に気になっていたかは甚だ疑問であった。
まあ、この状況でそのシチュエーションを思い浮かべる時点で、それ以来成長していない、とも言える。
人と関わってこなかった自分の身の上を呪いながらも、何かヒントはないか、彼の顔をぼんやりと見ていると、彼は、最早見飽きた驚き顔を見せた後、キュッと表情を引き締めた。
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湖畔の賢者
そらまめ
ファンタジー
秋山透はソロキャンプに向かう途中で突然目の前に現れた次元の裂け目に呑まれ、歪んでゆく視界、そして自分の体までもが波打つように歪み、彼は自然と目を閉じた。目蓋に明るさを感じ、ゆっくりと目を開けると大樹の横で車はエンジンを止めて停まっていた。
ゆっくりと彼は車から降りて側にある大樹に触れた。そのまま上着のポケット中からスマホ取り出し確認すると圏外表示。縋るようにマップアプリで場所を確認するも……位置情報取得出来ずに不明と。
彼は大きく落胆し、大樹にもたれ掛かるように背を預け、そのまま力なく崩れ落ちた。
「あははは、まいったな。どこなんだ、ここは」
そう力なく呟き苦笑いしながら、不安から両手で顔を覆った。
楽しみにしていたキャンプから一転し、ほぼ絶望に近い状況に見舞われた。
目にしたことも聞いたこともない。空間の裂け目に呑まれ、知らない場所へ。
そんな突然の不幸に見舞われた秋山透の物語。
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