私が沈めたもの

神楽堂

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神社の境内の静けさの中で

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今朝も、私は神社の境内を掃除している。
ほうきをはく手を止めると、辺りは全くの無音となる。

しばらく待ち続けると、遠くから小鳥の鳴き声が聞こえてくる。

静けさの中で、私は神社の宮司になる前にしていた仕事のことを思い返していた。
あの職場では、物音を立てることはすなわち、全員の死を意味していた。
乗組員全員がひたすらに、無音状態を保ち続けていたものだった。

そして、私は数少ない生き残りの一人でもあった。

神社は、午前中が最も参拝者が多いが、
午後になると訪れる人は少なくなっていく。

そんな中、毎日のように私の神社に来て、宮司である私と雑談をしてくれる男の子がいた。
高校の帰り道に寄っているのだろう。いつも学ラン姿だ。

高校生なら、同年代の友達と遊んだりお話したりした方が楽しいだろうに、なぜに、こんなおじさん宮司と話したがるのか。

彼と毎日話しているうちに、だんだんと彼の事情が飲み込めてきた。

彼の名前は「カズユキ」くん。

ご両親は二人とも、彼が幼い頃に癌で亡くなったため、カズユキくんはこの神社近くの親戚の家に引き取られ、育てられてきたとのこと。
放課後、彼がなかなか家に帰りたがらないのは、そういう事情もあるようだ。
高校生くらいなら、親に生意気な口を聞いたりする年頃だろうに、育ててもらっている恩があるからか、家ではそんな態度をとれないでいるようだ。

赤の他人である私と話をしている方が気が楽なのだとか。

私は言った。

「カズユキくん、放課後は部活にでも入って汗を流したらどうだ?」

「いや、俺、人と関わるのが苦手なんで……」

彼は私と話しているときは気さくに話せているので、同じように同級生にも話しかければいいのに、なんて思っていたのだが、どうやら、彼は学校でいじめられているようであった。


「父さんも母さんも、ピカで死んだからさ……」

カズユキくんのご両親は、原爆投下後の広島に入り、救援活動を行っていた。
当時の日本には新型爆弾への知識は広まっておらず、ご両親は大量の放射線を浴びてしまっていた。
そして、戦争も終わって平和になった頃、カズユキくんは生まれた。

な世の中でせに生きてほしいとの願いを込めて、「和幸カズユキ」と名付けられたのだそうだ。
そんなご両親も、和幸くんを生んだ数年後、原爆の後遺症による癌で亡くなってしまった。


ピカの子に近づいたら死ぬ、などという風評が立ち、和幸くんはいじめられていたのだった。
原爆の後遺症が人にうつるなんてありえないことだ。
しかし、日本人というのは風評に弱いものだ。

どんなにいじめられても、彼は毎日、学校に通っていた。
自分を育ててくれている親戚への恩もあるのだと思う。

「俺、高校出たら、すぐに就職しようと思うんだ」

大学の学費まで出してくれとは言いづらいのだろう。

「宮司さんは、どうして宮司になろうと思ったの?」

「私の兄が亡くなったんで、後を継いだんだよ」

「へぇ~、じゃあ、宮司さんになる前は、何をしていたの?」

「……」

私は黙ってしまった。
それを見た和幸くんは、ニヤニヤしてこう言ってきた。

「あ、なんだか人には言えないような仕事をしていたのかな?」

「……そうかもな。私は人を殺してきた……」

「またまた~、宮司さんはそんなことできるタイプじゃないでしょ?」

「……ああ、……」


和幸くんは、私が冗談を言っているわけではないことを感じ取ったようだ。

「宮司さん、前の仕事は何だったの? 俺の親の命と関係あるの? 教えてよ」

私の背負っているものは、未来ある若者に聞かせるには重すぎるのかも知れない。
しかし、過去の事実を後世に伝えることも大切なことだ。

そう考えた私は、宮司になる前の仕事について和幸くんに語ることにした。

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