人間観察記『ドヤの店』

具流次郎

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指切りをする人(林くん)

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 林くんが眠い目を擦りながら事務所に戻って来る。

 「お疲れっス」

龍太郎は林くんを見て、

 「おお、お疲れさま。・・・そう云う喋り方、いまハヤ(流行)ってるの?」
 「何スか?」
 「あ、いや、良いんだ。眠いところ悪いんだけど、初めてだから面接でもしょうか」
 「いっスよ」

龍太郎は机の上の『履歴書ファイル』を広げ、林くんの名前を探す。

 「え~と・・・。あ、その前にオレ、百地(モモチ)って云うんだ」

林くんはぶっきらぼうに、

 「そースか」

龍太郎はファイルを捲りながら、

 「林・・・ハヤ、お、有った。林 辰巳(ハヤシ タツミ)。タッちゃんか。良い名前じゃないか。浅草から通って来るんだ。浅草にピッタリの名前だな。十八。え!? 十八歳! 新卒?」

龍太郎は驚いて林くんを見る。

 「そっス」
 「じゃ高校の時からず~とここでバイト?」
 「そっス」
 「へえ~。で、こう云う仕事好きなの?」
 「え?」
 「いや、こう云う仕事をどう思う?」
 「どうでも良いっス」
 「あ、まあそうだろうな」

龍太郎と林くんの会話がかみ合わない。
龍太郎はまた履歴書に眼を移す。
すると林くんが一言。

 「兄貴がここでバイトやってたんス。ソイツの紹介っス」
 「ソイツ!? ああ、兄さんの紹介ね」

また龍太郎は履歴書に眼を移し、

 「兄弟が三人、みんな男。へえ、みんな男か。で、君は末っ子。家は煎餅屋。じゃ、将来はセンベイ屋の跡継ぎか?」
 「長男が焼いてっス」
 「あ、そう。そうスか。じゃ、林クンの目標は?」
 「アーチストっス」

龍太郎は驚いて、

 「アーチスト? 芸術家?」

林くんは怪訝な顔で龍太郎を見る。

 「? パンクっス」
 「ええ! 自転車屋?」
 「? ロックっス」
 「あ、ごめんごめん。R&Bだね」
 「? 知ってんスか?」
 「知ってるよ。リトル・リチャードの大フアンだ。林クンにピッタリじゃないか」
 「ハア?」

龍太郎のその一言で急に会話に白い空気が漂う。

 「あッ、君は知らないよな」

龍太郎は話題を変えて、

 「で、当分この仕事は続けられるのか?」
 「良いっスよ」
 「よし。じゃ、一緒に頑張ろう」

龍太郎は『小指』を立てて、右手を差す。
林くんはそれを見て、

 「何スかそれ」
 「指切りだ」
 「ハ?」
 「男の約束だ」
 「ああ、ヤクソクね。ハハハ」

龍太郎の右手の小指に自分の小指を絡ませる林くん。
龍太郎は林くんの目を見て、

 「よろしく頼むぞ」

林くんは笑いを堪えて、

 「ウイッス」
 「え~と、何か質問とか要望はないか?」

林くんは素っ気なく、

 「無いっス」

龍太郎も林くんの言葉を真似(マネ)て、

 「そ~スか。何でも言ってくれ。相談ぐらいは乗ってやるぞ」

林くんは龍太郎をチラッと見る。
龍太郎が、

 「じゃ、お疲れさん! 御免な。時間取らせちゃって」

龍太郎は履歴書のフアイルを机の引き出しに仕舞い、ストコンをタップする。
林くんはやっと解放されたかのように椅子を立ち、龍太郎の目の前で大きく伸びをする。

 「うッう~~う! お疲れっス」

林くんはロッカーを開け、ユニホームをハンガーに掛けながら、

 「オーナーっチ、どっから通ってんスか?」
 「うん? 根岸だ」
 「根岸スか? 近いっスね」
 「うん? まあな」

林くんはロッカーを閉め、タオルを頭に被る。

 「じゃ!」
 「おう、またな」

龍太郎は廃棄の弁当を思い出し、

 「あ、そうだ。そこのカゴから、好きなもの持って帰って良いよ」
 「え、良いんスか?」

林くんは床にしゃがみカゴの中を漁る。

 「もったないなあ。そう思わないか?」
 「そおッすねえ。プー太郎にでもくれてやれば良いんスよ」

龍太郎の打つストコン・キーの手が止まる。

 「プー太郎?」
 「この辺の住人っスよ。うちの塵ボックスもよく漁ってるっスよ」

ストコンの画面が一瞬暗くなる。

 「アサッてる?」

龍太郎のキーボードの指が硬直する。

 「じゃ、オニギリとこの蕎麦、貰って行きます」
 「え、お、おお。良いよ。何だったら、それ全部持って帰れば」
 「全部っスか? い~スよ。じゃ」 
                つづく
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