人間観察記『ドヤの店』

具流次郎

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指切りをする人(石田さん)

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 龍太郎と石田さんが事務所で面接を始める。

 「じゃ、そこに座って下さい」
 「はい」

龍太郎は机の引き出しから例の履歴書ファイルを取り出す。
ファイルを開き石田さんの履歴書を探し始める。

 「え~と・・・、あれ? 無い」
 「え~えッ? そんなあ。すいません、ちょっと貸して下さい」

石田さんは龍太郎の見ているファイルを取り上げ、履歴書を捲る。

 「あれ~・・・ないっスねえ。オッカシイなあ」

龍太郎は引き出しを開け、もう一度奥を覗く。

 「無いなあ。あ、奥に紙が挟まってる。居たッ! こんな所に居たぞ」
 「ナニそれぇ~、もう」
 「ハハハ。ゴメンゴメン。引継ぎの時、外れちゃったんだろう。ハハハ」
 「お願いしますよお。ッたく~」

龍太郎がクシャクシャになった履歴書を伸ばしながら、石田さんの顔を見て苦笑する。
石田さんは皺(シワ)だらけの履歴書を見て、

 「あ~あ。アタシのプロフィール」
 「いや~、ゴメン、ゴメン」

龍太郎は伸ばした履歴書の写真を見る。

 「おおッ! 茶髪だったんだ」
 「そおっス。ヤンキーにハマッテたんス」

龍太郎は石田さんをマジマジと見て、

 「ヤンキー?」
 「変スか?」
 「あ、いや」 

龍太郎はまた履歴書に目を移す。

 「随分、字が綺麗だなあ。石田陽子(イシダ ヨウコ)。二十歳。ええ! 書道初段? すげえなあ」
 「なんて事ないっスよ」
 「そうか~? ・・・あれ? 高校三年で中退? 何で卒業しなかったの」
 「したくなかったからっス」

龍太郎は石田さんを見て、

 「したくなかった?・・・へえ」

龍太郎はまた履歴書に目を移す。

 「で、趣味は猫と遊ぶ事? 猫は何匹飼ってるの?」
 「三匹。皆この店にはぐれて来た子」
 「へえ。落語でも下町にはネコが付き物だからなぁ。で、家族構成は・・・あれ? お母さんは」
 「居ないっスよ、あんなクソババア」
 「クソババア? そう云う言い方は良くないぞ」

龍太郎は石田さんの顔を見る。

 「良いスよ。母親の事は」
 「まあ、いろんな事が遭ったんだろうけど、母さんは母さんだ。許せるものなら許してやらなくっちや。君も、もう大人なんだし」

石田さんは急に黙り込む。

 「どうした? 元気が無いな。ま、それはそれとして、ずっと働けるのかな?」
 「・・・ハイ」
 「よし、じゃ、これから一緒に頑張ろう」

龍太郎はまた、右手の『小指』を立て、差し出す。

 「? 何スかそれ」
 「指切りだ」
 「ユビキリーッ?」
 「そう。石田サンとの約束」
 「あ~、約束ね」

石田さんは右手をジーンズの腿で拭いて、元気良く小指を絡ませる。

 「お願いします」
 「うん」

石田さんは席を立ち、大きく背伸びをする。

 「あ~あ、金が欲しいなあ」
 「カネ? いいねえ。僕も欲しいな。今まで時給いくら貰ってたっけ?」
 「八百五十円っス」
 「そう。じゃ少し上げてやろうか」

石田さんは急に顔色が変る。

 「エッ! マジっスか?」
 「うん。十円で良いかな」
 「十円? ウンナ、大人っスよ」
 「じゃいくらなら良い?」
 「最低五十円ショ」
 「五十円か。じや、五十円!」
 「えッ! 良いっスか?」
 「良いよ」
 「アタシの仕事見ないで上げちゃって良いっスか」
 「うん? だって、お金が欲しんだろう」
 「そりゃあ。でも、今までそんな感じで時給を上げてくれた人って誰も居ないっスよ」
 「じゃ、やめよう」

石田さんは焦って、

 「いや、男は一度言った言葉は曲げちゃだめっスよ」
 「僕は、石田サンが気に入ったんだ。黙って取っとけ」
 「格好良い~! でも、オーナーってちょと変ってますね」
 「変ってる?」
 「ええ、絶対に変わってる。だって面接で指切りしたり、金が欲しいと言ったら時給上げてくれる人って始めてっスよ」
 「そおっスか」
                つづく
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