幽 閉(大川周明)

具流次郎

文字の大きさ
上 下
5 / 50

担当医師『西丸四方』

しおりを挟む
 院長室から笑い声が聞こえて来る。
周明氏が美味そうにドーナツを食べている。
内村院長が、

 「どうですか、自家製ドーナツの味は」
 「私は生来甘いものが苦手です。しかし、この甘さは実に美味だ。羊羹などとは比較にならない」
 「佐藤と云う看護婦が作ったんです。院内ではすこぶる評判でね。よかったらもう一つ」
 「じゃ、遠慮なく・・・」

畑 看護婦長が、

 「コーヒーのお替りは?」
 「・・・出来たら、私は紅茶の方が」
 「あら、御免なさい。大川先生はインド通でしたね。気が付きませんで。ちょっとお待ち下さい。今お持ちしますわ」
 「いや、私は病人です。あんまりお構いしないで下さい」
 「あ~、そうでしたね。先生は病人だったんですね。ハハハ。で、何の病気でしたっけ」

周明氏は内村院長を見る。

 「・・・」
 「おお、そうだ。先生に担当医を紹介しておこう」

畑 婦長が紅茶を盆に載せて院長室に入って来る。

 「畑さん、西丸先生を呼んでくれないか」
 「あッ、はい」

畑 婦長はテーブルに紅茶を置き、院長室を出て行く。

 病院の廊下を畑 婦長と松葉杖の西丸四方医師(周明氏の担当医)が、言い争いながら歩いて来る。

 「い~いよ~、紹介なんて・・・」
 「だめです! 子供じゃないんだから、ちゃんと私の言う事を聞いて下さい」
 「僕は、あの院長の雰囲気が好きじゃないんだ」
 「好き嫌いじゃ世の中渡れませんよ。しっかりして下さい。情けない」

畑 婦長が院長室のドアーをノックする。

 「は~い。どうぞー。」

畑 婦長がドアーを開ける。
西丸医師が松葉杖で不自由な身体を支え、とっておきの「作り笑顔」を浮かべて現れる。
内村院長は西丸医師を見て、

 「おお、来た来た。西丸先生、どうぞどうぞ。あなたに素敵な患者を紹介しておきましょう。さあ、さあ入って下さい」

おずおずと部屋に入って来る西丸医師。
内村院長は西丸医師を見て微笑みながら、

 「こちら、大川周明さんと云う患者さんです」
 「オオカワ シユウメイ?・・・どこかで聞いたような名前ですな」
 「? あなたは毎朝、新聞を読まないのですか?」
 「僕の朝は東のお天道様に向かい拝礼、コーランを唱えてそれで終りです」

内村院長は呆れた顔で西丸医師を見る。

 「簡単で良いですね。まあ、良い。そこに座りなさい」

西丸医師は松葉杖をソファーに置き、周明氏と対座する。

 「今、お茶をお持ちしましょう」
 「あ、僕は紅茶で」
 「そうでしたネ!」

畑 婦長が院長室を出て行く。
周明氏は西丸医師を見て、

 「コーランですか?」

西丸医師は大きな眼で周明氏を一瞥する。
身体を伸ばし、周明氏の眼の「奥」を覗く西丸医師。

 「僕の方をよく見て。・・・若干の斜視が有るなあ。脳・・・? 神経衰弱かな? アンタ、歳は?」
 「はあ?」

周明氏は突然の問診に頭を掻きながら、

 「え~と、満で六十歳位かな?」
 「クライ? くらいねえ。還暦か・・・。恍惚が始まる頃だな? ・・・で、趣味は?」
 「シュミ? 趣味は・・・研究ですかなあ」
 「ケンキユウ? ああ・・・斜視は顕微鏡の覗き過ぎだな。で、何を研究してらっしゃる?」

内村院長はが口を挟む。

 「西丸先生、今日はその位で良いでしょう。別に大した病気ではないのだから」 
 「何?」

西丸医師は内村院長をキツイ眼で見る。

 「いや、こちらの話です。それから、大川さんには東病棟に入ってもらいますから。宜しくお願いしますね」
 「東病棟? あそこは不治の患者が入る病棟です。大した病気ではない患者は入れません!」

内村院長は西丸医師を諭(サト)すように、

 「まあ、良いから」

西方医師は、またキツイ眼で内村院長を睨む。
気を静め更に周明氏に問診を始める西丸医師。

 「もしかしてアンタは院長の親戚ですか?」

いやみを言う西丸医師。

 「違います!」
 「そうですか。いや、随分親しそうだからね。じゃどこかの病院から廻されて来た?」

内村院長がまた口を挿む。

 「米軍病院!」

西丸医師は周明氏を見て、

 「米軍病院? アンタ、俘虜だったのか?何でこんな所に」

内村院長がまた言葉をはぐらかし、

 「お天道様を叩いたんだよ。ハハハ」
 「オテント?・・・?」

西丸医師は内村院長を睨んで、

 「私の患者だ。院長は黙ってて欲しいですな」

融通の利かない西丸医師である。
                つづく
しおりを挟む

処理中です...