幽 閉(大川周明)

具流次郎

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看護婦『朝倉みち子』

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 静かに成った廊下。
周明氏は部屋の一画に戻り、座禅を組み直す。
ドアーをノックする音。

 「どうぞ」

引き戸が静かに開き看護婦が顔を出す。

 「夕食をお持ちしました」
 「お、有り難う」
 「食事などを受け持つ朝倉と申します。宜しくお願いします」
 「ああ、あなたが朝倉さんですか。あのドーナツの?・・・」

周明氏はまじまじと朝倉を見る。
真面目で少し田舎の香りがする『可愛い看護婦』である。

 「あら、召し上がりました? あれ私の十八番なんです」

朝倉看護婦は、周明氏の食事を机に配膳して行く。
周明氏は置かれた盛り付けに驚き、

 「ええ! 牛皿ですか。随分豪勢ですねえ。市ヶ谷や巣鴨とは大違いだ」
 「ここは刑務所ではありませんから。でも、カロリーの計算が大変なんです。いつも同じ物では患者さんが飽きちゃうし。あッ、オカワリは有りませんから悪しからず」
 「それはそうでしょう。旅館でもあるまいし」
 「それがね、隣の患者さんは酒が無いとか味が薄いとか、うるさくて」
 「隣の患者? 堀田くんの事ですか」
 「あら、ご存知で?」
 「ああ、さっき風呂で一緒でした」
 「慶応出の売れない作家です。ただのボンボンですよ」
 「ボンボンですか。ハハハ。彼は、幾つですか?」
 「二七歳ですって。いろんな作家の批評ばっかりしていて。でも、私は全然興味はありませんので」
 「なるほど。頭は良いみたいだが、器(ウツワ)が小さい様ですね」
 「まだ、子供ですよ。甘チャン・・・」
 「アマチャン。ところで岡田さんと云う方は大変なようですね」
 「オカダ? ああ、あの患者さんは重症です。南方のニューギニアと云う島で戦って来たみたいです。ヒルとか虫にいっぱい刺されて・・・。頭がおかしく成ったのもそのせいもあるかもしれませんわ。でも、可哀想な人です。ようやく生き残って帰って来たのに、家族は皆んな、空襲で亡くなっていたそうです。あの方はずっとこのまま、ここで戦って居た方が良いのかもしれませんわ」

周明氏はため息交じりで、 

 「終わらない戦争か・・・」
 「先生」
 「うん?」
 「先生は本当に東条さんの頭を叩いたんですか?」

周明氏は暗い窓を見て割りきれない返事をする。

 「うん? う~ん・・・」

朝倉看護婦は執拗に迫る。

 「なぜですか?」
 「ナゼ?」

周明氏は大きく溜息を付き、

 「・・・私は軍国主義者では無い」
 「シュギ? 主義で戦争をしたのですか?」
 「うん?」

朝倉看護婦は鋭い質問を周明氏に返す。

 「私は頭が悪いから主義なんて言葉は分かりません。隣の堀田さんも君は何とか主義か! とか言って私を蔑むのですが、主義と云うものはそんなに大切なものなのですか?」

周明氏はその質問には答えられない。

 「東条さんは何でそんな主義に成ったんですか? 私は岩手の山奥で育って大好きだった兄が兵隊にとられてしまって・・・。だから私も看護婦に成ろうと思ったのです。看護婦に成ればいつかは兄に会えるかと思って。・・・でも会えませんでした。母は今でも兄の帰りを首を長くして待ってます。ちょうど今頃は田植えの時期です。男手が必要なんです」

朝倉看護婦は考え込む。

 「・・・兄の主義って何だったのでしょう」

周明氏は硬く眼を閉じる。

 朝、六時。
周明氏は布団を畳んで日課の座禅を組む。
蝉の声が騒がしい。
屋根の樋(トイ)で二羽の雀が何かを話している。
突然、中庭の電柱に備え付けた拡声器から声が響く。

 「ラジオ体操第一~!」

いつ出て来たのか院内の医師達と看護婦達が並んで体操を始める。
前に出て音頭を取るのは、あの足の悪い? 西丸医師である。

 「オイッチニーサンシー、オイッチニーサンシー、ハイ! 胸を大きく広げてー・・・」

内村院長が畑 婦長の後ろに隠れるようにして身体を前後させている。
院内の各部屋から患者達が大声で号令を掛け始める。

 「オイッチニーサンシー、オイッチニーサンシー」

岡田が一〇六号室の窓から薄笑いを浮かべて覗いている。
突然、岡田が怒鳴る。

 「キサン、気合が入っておらん。こらッ! そこの衛生兵!」

 賑やかな朝の「精神病院」の風景である。

 朝、九時。
周明氏が朝食を摂り終え一休みしている。
ドアーをノックする音が、

 「はい」

引き戸が開き、畑 婦長と内村院長が入って来る。

 「いや~、先生、ご機嫌よう。夜はグッスリと?」
 「え? あ、まあ・・・」
 「それは良かった。私は先生をこんな所に閉じ込めてしまって心苦しくて。ハハハ」
 「気にせんで下さい。これも修養です」
 「いや先生、ここは収容所では有りませんよ」

畑 婦長が口を挟む。

 「院長、そのシュウヨウではありません。精神の修養の方です」
 「ああ、そちらの方か。実に漢字と云うモノは、ハハハ。ねえ」

内村院長は周明氏を見る。

 「あ、そうだ。昨日、先生が部屋に行った後、病歴を見たんです。米軍はひどい診断をするものだ。先生の病を梅毒性精神障害と書いてありました」
 「梅毒!? やっはり梅毒の方を採りましたか」
 「ヤハリ?」
 「東大病院で赤月と云う担当医が、突発性精神障害と書き直したんです。最後の抵抗だとか言ってね」
 「ほう。赤月君が・・・」
 「ご存知ですか!?」
 「うッ? まあ」

内村院長は言葉を濁す。
内村院長は赤月医師の過去の経歴(関東軍防疫給水部本部満州七三一部隊)を知ってる様である。

 「で、米軍病院ではどんな検査をされました」
 「検査? そんなものはしていません。あッ! 歯の検査をしました」
 「ハ?」
 「私は昔から胃と歯性(ハショウ)が悪くて。口臭が・・・」
 「口臭? それは梅毒とは関係ないなあ。・・・米軍は先生を梅毒と云う事にして社会から隔離、抹殺したかったんじゃないかな。でもそのおかげで命拾いをしたのかもしれませんよ? ハハハ」

周明氏は命拾いと云う言葉を聞いて、

 「命拾い? 私は命なんかに未練は持っていませんッ! 私は日本経済の糧を大陸に求め、アジア圏を日本を中心にした一つの共同体に纏(タバネ)、共存共栄にしたかったのです。私はきっかけを、あえて求めるような厭(イヤ)しい根性など持ち合わせていませんッ! 満州三角同盟の『参スケ』どもと一緒にされては心外です! 総て日本国民の経済的繁栄と精神の安寧の為に方向を指(サ)して来たのです。自由、平等、友愛、共存。これが無くて国家の繁栄など有り得ません」

内村院長は声を張り、

 「その通りッ! だから私は先生を米国の茶番法廷から救いたいんです。アイツ等はイタリアを腑抜けにしてドイツを解体し、日本の伝統的精神を葬ろうとしている」

周明氏は気を静めて、

 「院長、・・・もう良い」

深く溜息を付く周明氏。

 「・・・。私はA級戦犯で思想犯です。私を絞首刑にしなければ連合軍は結論が出せないのです。少ない余命を此処で楽しく過ごさせて頂きます」
 「そう悲観なさるな。私がたくさん病名を見つけて進駐軍に提出してやります」

内村院長は畑 婦長を見て、

 「ところで・・・、この部屋に以前居たあの患者は無事に退院出来たのかな」

畑 婦長は突然の質問に、

 「あ、いえ」
 「いえ?」

内村院長は畑 婦長の顔を凝視して、

 「何か遭ったのかな?」
 「えッ? まあ・・・」
 「そうか・・・。まあ、そんな事はこの病院ではよくある事だ。私は先生が長生きしてくれればそれで良い。じゃ、そろそろ行こう。他の患者達も診ないとね」

内村院長と畑 婦長が部屋を出て行く。
ドアーは開けっ放しである。
周明氏はだらしない二人に少し苛立(イラダチ)ち、立ち上がり戸を閉める。
ふと、鉄格子の窓の向こうを眺める周明氏。
堀田が中庭を散歩している。
周明氏はガラス戸を開け鉄格子越しに、

 「堀田くん!」

周明氏の突然の呼び掛けに驚く堀田。

 「!・・・何だ、大川さんじゃないか」
 「何をしてるんだ」
 「見ての通り、歩いているんです」
 「散歩か?」
 「とも云うね」

堀田は理屈っぽい。

 「そうだ! 私も散歩でもしょうか。どうせここに居ても何もする事がない。仲間に入れてくれ」
 「仲間? 若い女の方が良いなあ」
 「そう年寄りを邪険にするものではない。ちょっと待っとけ!」

周明氏は急いでワイシャツとズボンに着替えて部屋を出て行く。

 「参 考」
満州七三一石井部隊
「当時、GHQでは七三一部隊に所属経験の医師達を別の意味で捜していた」

参スケ
「① 鮎川義介(あいかわ よしスケ)満業社長(満州重工業開発株式会社) ② 岸信介(きし のぶスケ)離満前役職(総務庁次長)③ 松岡洋右(まつおか ようスケ)離満前役職(満鉄総裁)通称(満州三角同盟)と呼ばれ岸信介は安倍晋三氏の曽祖父である。そして三人は全て姻戚関係でも ある」

弐キ参スケ「弐キ」とは、
「① 東条英機(ひでキ)② 広田弘毅(こうキ)である」
                つづく
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