上 下
33 / 122
聖女の新たな日常

変わりゆく環境

しおりを挟む
 ラビオニアでの戦闘から、一ヶ月の時が過ぎていった。現地でも争いの跡が消え始め、順調に元の生活へと戻っていっていた。

 クララの魔王城生活も、ほとんど元通りになっている。基本的に、薬作り、演習の手伝い、健康のための運動の繰り返しだ。
 今までの暮らしと変わった事もある。それは、リリンへ精力を渡すようになった事だ。リリンから吸精について教えてもらったクララは、自分から提供すると言ったのだ。肌接触で吸精出来るという点から、お風呂で渡す事になった。
 相も変わらず、湯船が苦手なクララは、リリンに抱かれながら浸かっている。その時に吸精しているのだ。クララは、遠慮しないで吸って貰って良いと言っているが、吸い過ぎると、クララの体調にも影響してきそうだという事で、軽くしか吸われていなかった。
 これ以外にも、変わった事はある。それは、サーファが頻繁に遊びに来るようになった事だった。クララの事が心配という事もあるが、純粋に、サーファが遊びたいだけだった。クララも同じ気持ちではあるので、サーファが遊びに来るのを喜んでいた。

 そして、今日も今日とで、サーファが遊びに来ていた。

「クララちゃん! 遊びに来たよ!」

 サーファはそう言いながら部屋に入ってくると、クララをぎゅっと抱きしめた。毎回のことなので、クララも慣れてしまって、あまり動揺しない。

「クララちゃんは、読書しようとしていたところ?」

 サーファは、抱きしめたクララが本を持っているのを見て、今から読書をしようとしているところだと見抜いたのだ。

「はい。でも、サーファさんが来たなら、他の遊びをしますよ?」
「ううん。私は、クララちゃんを抱きしめているだけで、十分に楽しいから、本を読んで良いよ」

 サーファはそう言うと、クララを抱きしめたまま、椅子に座った。サーファからそう言われたクララは、サーファに寄りかかって本を読み始める。サーファは、それを後ろから覗き見ていた。

「薬学書?」
「はい」
「いつも薬学書を読んでいるね。他の本とかは読まないの? 最近は、大衆小説も面白いのが沢山あるって聞くけど」

 ここに何度も通っているサーファだったが、クララが薬学書以外の本を読んでいるところを一度も見たことがなかった。そのため他の本を読まないのか気になったのだ。ちなみに、サーファは本を一切読まない。文字より運動派だ。

「う~ん……あまり興味がないですね。薬学書は、私に必要な物ですし、こういう知識が増えるのは楽しいので好きです」
「ふ~ん、私には分からない気持ちだなぁ」
「サーファは脳筋に近いのかもしれないですね」

 二人の会話に、部屋を掃除していたリリンも混ざった。そして、リリンから脳筋扱いされたサーファは、少しショックを受けていた。

「も、文字を読むのは苦手ですが、勉強が出来ないわけじゃなかったですよ!?」
「そうですか? 優秀という話は聞きますが、そっちの話は一度も聞かないですね」
「私は、士官じゃないので、戦闘訓練しかしないんです。だから、仕方ないです!」
「サーファさんもお勉強しますか?」

 クララの提案にサーファは、目を丸くしてしまう。ここにリリンも便乗した。

「良いですね。クララさんと勉強をすれば、サーファも身につくのではないですか?」

 リリンがそう言うと、サーファは、少し嫌そうな顔をする。これだけで、本当に勉強が嫌いという事が分かる。

「仮に、勉強をするとしても、する内容がない気がしますけど……」
「薬学やってみますか?」

 クララが、キラキラとした眼でサーファを見る。薬学仲間を増やせるかもしれないという期待からだ。だが、勉強が苦手なサーファは、その期待の視線を直視する事が出来なかった。スーッと、視線を外していた。
 それを見たクララは、さすがに無理だったと理解して、ちょっとだけ落胆した。

「ご、ごめんね、クララちゃん。さすがに、薬学は難しすぎるから……」
「サーファの勉強は、やった方がいい内容が出て来てからになりそうですね。私は、ベッドメイキングをして来ますので、しばらくクララさんをお願いします」
「はい。お任せ下さい」

 リリンは、サーファにクララを任せて、ベッドメイキングを始めた。今日は、シーツなども換えるため、少し時間が掛かる。
 その間、クララとサーファは、同じ本を一緒に見ていた。

「本当に難しそうな内容だね。全然理解出来ないや」
「これは応用編ですから、基礎が備わっていない状態だと、全く分からないと思います」
「それを理解出来るクララちゃんは、やっぱり凄いんだね」

 褒められたクララは、嬉しそうに笑う。そんな時、クララの部屋の扉が開かれる。

「クララちゃんいる?」

 ノック無しに入ってきたのは、魔王妃であるカタリナだった。クララ達は、扉に背を向ける形で据わっているため、サーファの影に隠れて、クララの姿は見えなくなっていた。
 クララは、サーファの横から首を出して、カタリナに手を振る。

「ここにいます」
「あら、そこにいたのね。ちょっと用があったんだけど、サーファも一緒なら丁度良かったわ」
「?」

 話が見えなくて、クララは首を傾げる。だが、サーファは、一切驚いていなかった。カタリナが話そうとしている内容を知っているようだった。
 カタリナは、テーブルを挟んで、クララ達の正面にある椅子に座る。

「こっちの準備は、完全に整ったわ。そっちの方は大丈夫?」

 カタリナは、サーファにそう問いかけた。

「は、はい。大丈夫です」

 魔王妃であるカタリナに話しかけられているので、サーファは、かなり緊張しながら答えた。一応、クララの部屋に遊びに来ている間に、何度か会っているのだが、それでも緊張が解れることはなかった。

「?」

 二人の会話を聞いても、全く話が見えてこないので、クララは眉を顰めていた。そんなクララを、カタリナは微笑ましいと感じ、思わず笑みが溢れた。

「これは、クララちゃんにとっても頼もしい話だと思うわよ」
「頼もしい……ですか?」
「そうよ。今、クララちゃんを抱きしめているサーファが、クララちゃんの専属の護衛になるわ」

 クララは、眼をぱちくりとさせる。話を理解していないというよりも、いきなり過ぎて反応に困っているという感じだ。

「四六時中というわけにはいかないけど、おはようからおやすみまで、サーファが護衛として付くという事ね。今までは、リリンが世話係と並行していたけど、この前みたいな事があったからね。見守りの眼を増やす事にしたのよ」

 カタリナから説明を受けて、クララはサーファの顔に視線を向ける。クララの視線に気が付いたサーファは、こくりと頷いた。これで、カタリナが言っていることが、本当の事だと確定した。

「驚いた? クララちゃんを驚かせるために、黙っていたんだ」

 サーファは無邪気な笑みをしながら、クララを抱きしめる力を上げる。

「驚きました。でも、軍の方は大丈夫なんですか? 私の護衛をしていたら、向こうの仕事が出来ないんじゃ……」

 クララは、サーファが所属している軍の仕事に支障が出るのではないかと心配になっていた。

「大丈夫。私、軍を辞めたから」
「!?」

 クララは驚いて、サーファを見る。

「その手続きとこっちの手続きで、今日まで時間が掛かってしまったのよ。こういう処理をもっと早く済ませることが出来ればいいんだけどね。これを機に、もっと最適化しようかしら」
「軍の方だと、引き継ぎとかもあったから、余計に時間が掛かりました。新人なので、これでも早い方らしいですけど」
「そうね。上の地位にいたら、引き継ぎにもっと時間が掛かっていたでしょうね。軍に所属したままだと、色々なしがらみで、クララちゃんの護衛に集中出来ないと判断されたから、必要な処理だったのよ」
「何だか申し訳ないです」
「別に気にしなくて良いよ。私も納得した上で受けた事だもん」

 サーファはそう言って、クララの頭を撫でる。サーファの言っている通り、サーファは、今述べたもの以外も含めた全てを受け入れて、カタリナからの提案を受けたのだ。そのため、サーファの中に後悔は一切ない。

「それじゃあ、従属の儀式を執り行うわよ。とは言っても、やるのはクララちゃんとサーファだけどね」

 カタリナがそう言うと、サーファは、クララを膝から降ろした。従属の儀式と言われもパッと来ないクララは、立ちつくしていた。

「そうか。クララちゃんは、従属の儀式って言われても、分からないよね」

 サーファは、そう言いながら立ち上がる。

「これは、私達獣族の伝統なんだ」
「じゅう……?」
「同じ音の言葉が続いちゃって分かりにくいよね。クララちゃん、これを持ってくれる?」

 クララは、サーファから綺麗な首輪を受け取る。

「?」

 何故首輪を渡されたのか分からないクララは、首を傾げつつ、自分の首に巻こうとする。

「違う! 違う!」

 サーファは、慌ててクララを止める。

「それは、私の首に付けるものだよ。まずは、その首輪に、クララちゃんの魔力を通して」
「魔力を……?」
「そうだよ」

 クララは、言われたとおりに、首輪に魔力を通していく。

「それじゃあ、それを私の首に巻いてくれる?」
「はい」

 自身の魔力を通した首輪を、締めすぎないように注意しながら、サーファの首に巻いていく。巻き終えた首輪は、クララの魔力の色である金色に瞬く。
 それが収まると、先程巻いた首輪は消え去り、首輪に入っていた刺繍と同じ模様が、入れ墨のように刻まれていた。その色は、金色になっている。

「これで、従属の儀式は終わりだよ」
「そうなんですか? 意外と簡単なんですね」
「そうね。簡単だけど、大事な儀式よ。これで、サーファは、クララちゃんの所有物になったわ」
「しょ、所有物!?」

 従属の儀式と聞いたクララは、サーファが側付きのようになる儀式だと思っていた。しかし、たった今、カタリナの口から紡がれた『所有物』という言葉に、驚きを隠せなくなる。

「そ、それって、だ、大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だよ。そういうものだから」

 サーファはそう言って、クララに抱きつく。その様子は、とても嬉しそうだ。
 少し不安になっていたクララだったが、その様子を見て、ちょっと戸惑っていた。

「クララちゃんは、人族だから、余計に戸惑っちゃうわよね。この従属の儀式は、獣族からしたら、とても嬉しい事なのよ」
「そうなんですか?」

 クララは、サーファを見て確認する。

「うん。私達獣族は、主人が出来る事に充実感を覚えるの。だから、クララちゃんという主人が出来た私は、今、凄く幸せなんだよ」

 サーファはそう言って、クララに頬ずりする。

「他にも、従属の儀式は、従属先の相手に命を渡すという意味あるのよ」
「命を……ですか?」
「そう。もうサーファは、クララちゃんに危害を加える事は出来ないわ。主人が相手だから当たり前ね。逆に、クララちゃんは、サーファを簡単に殺す事が出来るの。サーファに刻まれた首輪に魔力を流すだけで、サーファの首が絞まるわ」
「!?」

 突然、怖いことを言われ、クララは、サーファの首を見る。

「もちろん、クララちゃんにその意思がなければ、発動しないから、安心して」
「それは、良かったです。でも、私に命を握られるのに、サーファさんは、本当に幸せを感じるんですか?」
「うん。幸せだよ。命を渡せるだけの相手に巡り会えたんだもん。そうじゃなきゃ、この話は受けないよ」

 完全に生殺与奪の権利を握られているにも関わらず、サーファの眼に、怯えなどは一切ない。ここからも純粋に喜んでいるということが分かった。
しおりを挟む

処理中です...