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第1話 Beyond the world

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 異世界なんて創作物の中だけの存在だと思っていた花咲詩織(はなさき しおり)はその認識を改める必要があるようだと頭を抱える。
 なぜなら、どうやら自分が異世界へとやって来てしまったみたいだからだ・・・・・・


 いつも通りの高校からの帰り道、ザ・普通としか表現しようのない女子高生の花咲詩織は大きな公園のベンチで涼んでいた。初夏であるのだがすでに気温は高く、不快指数はメーターオーバーしそうなほどである。

「あっついなぁ・・・髪、切るかぁ・・・」

 彼女は真っ黒な長髪を鬱陶しそうに払うと、さきほど自販機で購入したスポーツドリンクの蓋を開ける。ここまでならどこでも見られる女子高生の日常の一部だろう。だが・・・・・・

「ん?」

 詩織の首から下げられたペンダントの先端にある宝石が突如輝きはじめた。その虹色の光はやがて詩織そのものを包むように広がっていく。慌ててベンチから立ち上がってそのペンダントを外そうとするがうまくいかない。

「えっ・・・なんで光って・・・」

 その言葉までもが光のなかに飲み込まれ、詩織の姿は消えていた。




「んぁ・・・」

 光が収まり、目を開けた詩織は周囲を見渡して驚く。先ほどまで自分がいた公園とはかけ離れた景色が広がっているし、何よりもコスプレ少女が目の前にいるのだから戸惑うだろう。

「こんにちは!アナタが勇者様なのね?」

「ハ?」

 全く言っている意味が分からず首を傾げる。そして、どうやら自分は夢をみているようだと得心した。そうでなければこんな装飾品だらけの広間で金髪の女の子と出会うわけがない。

「私の召喚に応じてくれたのだから、勇者様なのでしょう?ようやく会うことができましたね」

「いやいや、待って?勇者って何?そもそもアナタは誰?」

「申し遅れました。わたしはタイタニア王国、第3王女リリィ・スローン」

「タイタニア?王女?」

 王女だからドレス衣装なのかと納得してしまいそうになるが、そもそもここは日本ではないのか。それに外国人風のこの娘に何故日本語が通じるのかという疑問も持ったが、口にする前に次の質問がくる。

「今度はアナタの名前を教えて」

「えっと・・・」

 知らない人間に安易に個人情報を教えるのは良くないが、どうせ夢の中なんだから問題ないだろうという考えに至る。

「私の名は詩織。苗字は花咲」

「へぇ、シオリっていうのね。可愛い名前!」

「あ、ありがとう」

 それにしてもリアルな夢だ。ヒンヤリとした空気を肌で感じるし、自分が思った通りの言葉が口から出てくる。大抵の場合、夢の中の自分の行動というのはコントロールできず、わけのわからない文言を喋っているものだろう。それならばこれは夢ではないかもしれないという疑念が詩織のなかで膨らんでいく。

「そして肝心の勇者についてだけど・・・」

 リリィと名乗った少女はマジメな顔つきになって説明を始める。

「古来から我がスローン家に伝わる古文書に記された、異世界より来たりし適合者のことよ。わたし達よりも強い魔力を生み出すことができ、魔龍とすら対等にわたりあえる者であるとされているわ」

「あ~・・・うん、よく分からん」

 科学の教科書を読んだ時と同じような感覚に陥る。専門用語ばかりが並べられ、全く理解できない。

「適合者って?」

「そこから?」

 怪訝そうにそう言われるが知らないものは知らない。基礎から知ることはどんな事柄においても大切なことだ。

「適合者とは空気中にある魔素を体内で魔力に変換することができる人間のこと。その魔力を使って魔術を行使するの。魔素に適応した人間だから適合者と呼ぶようになったみたい」

「へぇ~・・・」

 聞いておきながら詩織はあんまり興味なさそうにリアクションする。だいたい、そんなファンタジーゲームのような設定を語られたって現実的じゃないのだから頭に入ってこない。

「・・・ちょっと待って。異世界って言った?」

「そうよ。言ったでしょ?わたしが異世界からシオリを呼び寄せたの」

「そういえば、私が召喚に応じたとかなんとか言っていたような・・・」

 ほんとうに夢ではなく目の前の少女の言うことを信じるならここは詩織の住む世界とは違う異世界ということになる。

「でも、とても勇者には見えないね・・・」

 さっきまでの高揚した雰囲気は消え、リリィは険しい表情だ。

「だって違うもの。私は普通の人間よ?魔力なんて使えないし」

「触媒まで用意して術を行使したのに、ミスるなんてあり得ないはずだけどなぁ・・・」

 二人の間に沈黙が流れる。その空気に耐え切れなくなった詩織が立ち上がり、広間の奥にある扉に向かおうとする。実はこれは巧妙なドッキリで、あの扉を開けたらさっきまでいた公園に戻れるのではないかという希望的感情に突き動かされた。
 しかしそこまで辿り着く寸前で急に扉が開く。

「リリィ様!見つけました!」

「うへぇっ、しまった!」

 バツの悪そうな顔でリリィが俯く。

「城の中から特異な魔力の流れを感じたのでもしやと探してみれば・・・古文書に書かれた魔術を使ったのですね?」

「だってぇ・・・」

「だってではありません!あれほど、ダメだと注意しましたよね!?」

 そう叱る人物は二十台くらいの女性だった。かっちりとしたスーツにも似ている服装で、リリィに比べれば違和感のない容姿だ。
 その彼女がリリィから目線を詩織に動かしてきて別に悪いことをしたわけでもないのにドキッとして姿勢を正す。

「アナタはリリィ様の魔術のせいで呼び出されたのですね」

「そうみたいです」

「申し訳ありません。リリィ様に代わり、教育係の私が謝罪いたします」

 深々と頭を下げられ詩織も恐縮する。

「い、いえ・・・」

「今すぐに元の世界へと戻す手はずを整えるので、お待ちください」

「はい」

 その女性がリリィに近づいてしゃがむと目線を合わせて語り掛ける。

「リリィ様。このようなことをせずとも、皆に認められる時はいずれくるはずだと申し上げたはずですよ」

「でも・・・家族の誰もわたしを評価してくれない・・・出来の悪いわたしが皆に認められるためには、これくらいしないとって思ったの!」

 涙目でそう訴えるリリィの様子は悲しさであふれていた。彼女なりの事情があるようだが・・・

「ですが、そのために人さまに迷惑をかけてはいけません。そんな方法は誰も評価してくれませんよ?」

「・・・そうね、ターシャのいう通りだわ」

 スッと立ち上がり、リリィは詩織に向き直る。

「ごめんなさい。わたしの都合で迷惑をかけてしまって・・・今、元の世界へと戻すわね」

「うん・・・お願いします」

 リリィは古びた本を持ち上げ、自分の背丈よりも長い杖を掲げる。

「それじゃあ、いくよ・・・シフト!!」

 その短い詠唱が魔術なのだろう。杖は確かに発光したが・・・

「・・・アレ?」

 なにも起こらない。

「もう一度・・・シフト!!」

 やっぱり何も起こらない。

「おかしいな・・・あーーーーーー!!!」

 そのリリィの驚いた声にビックリする。

「えっと・・・どうしたの?」

 プルプルと震えながらリリィは大粒の涙を流していた。

「こ、これは・・・!」

 ターシャと呼ばれた教育係の女性がリリィの足元にある水晶体を見て困惑している。おそらく何か悪いことが起こったに違いない。

「どうしたんです?」

「それが・・・」

 水晶体を詩織にも見えるように持ち上げる。綺麗な球体であるのだが細かいヒビが入っていて破片が落ちた。

「これはスローン家に代々伝わるソレイユクリスタル。特別な力を秘めているとかなんとか・・・」

 貴重な物らしいが詩織にはその価値は分からない。

「古文書に記されていた転移魔術の”シフト”を行使するためには、このソレイユクリスタルの力を借りなければなりません。それがこうして破損したことで魔術が使えなかったようです・・・」

「ってことは・・・」

「はい・・・元の世界に帰る手段を失ったということです・・・」

「マジですか・・・」

 とんでもない事になったぞと詩織は落胆を隠せない。

「直るんですか?」

「分かりません・・・これから国王様にも相談いたしますが・・・」

 直ってくれないと困る。これが夢でないのなら本当に異世界に来てしまったというわけで、戻れないということはいつもの日常に帰れないということだ。たいして面白みのない人生を生きてきたけれど、唐突に当たり前の生活を奪われたのだから絶望感に苛まれてもしかたのないことだろう。

「これからどうすれば・・・」

 その場にへたり込んで詩織は呟く。

「ひとまず、客室へと案内いたします。そこでお待ちください」

 詩織と同じようにリリィも困った顔のまま固まっていた。



 それからシオリは客室の一つへと案内され、お茶にも似た飲料を啜って待機していた。異世界に飛ばされるという異常事態にどう対処すればいいのかなんて知る由もない。となれば、もう現地の人間に任せるほかに解決方法はないだろう。

「お待たせいたしました。我がタイタニア国王である、デイトナ様がシオリ様をお呼びです」

 メイド服を着ているその女性はフェアラトと名乗り、詩織に対して膝をついて移動を促す。

「国王との、いきなりの面会・・・」

 今まで出会ったことのある身分の高い人間といえば思いつくのは校長先生くらいだ。それなのに国王だなんて、一体どんなふうに接すれば良いのか。
 とりあえず相手の気を損ねて打ち首にならないよう精一杯の礼儀を尽くすことだけを考えていた。



 城の中は広く、案内人に誘導されなければ完全に迷子になるほどだ。その城の最上階に国王との謁見の間があるようで、階段を何段も昇り、もうへとへとになったころにようやく辿り着いた。

「この扉の先の部屋にてお待ちです。くれぐれも無礼の無いように」

「は、はい」

 ここまで案内してくれたフェアラトは汗一つかかず澄ました表情でそう指示する。この人はきっと人間じゃないんだろうなとどうでもいいことを考えながら、門番のように佇む騎士が開けた扉に向かって進んで行く。



「君が例の?私はデイトナ。リリィの父親だ。此度は娘のせいでとんだ迷惑をかけてしまったな」

「あっ・・・いえ・・・」

 いかにも国王といった感じの玉座に座る人物はかなり装飾過多な服に身を包んでおり、厳つい顔で詩織を見据えている。その周囲には先ほど扉の前で警護していた騎士と同じ格好の者達が静かに立っていて、その脇でリリィが俯きながらも視線を詩織に向けていた。目を真っ赤にしている様子を見るに相当怒られたのだろう。

「ソレイユクリスタルの件だが、修復の目途は立っていない」

「そ、そうなんですか」

 あぁもう帰れないのかと暗い気持ちになる。

「これから直す方法を探す。君を元の世界に戻すのもそうだが、ソレイユクリスタルは我が家系に代々引き継がれてきた宝なのだから失うわけにはいかない」

 その言葉はリリィのほうに向けられて発せられているのだろうと詩織は思った。国王にしてみれば貴重なクリスタルを壊されたことの方がよっぽど心を痛める事なのだろう。

「その間、君は我がタイタニアで保護することになるが、いいかね?」

「はい」

 異世界に親戚がいるはずもなく、他に行くあてもないのでここから追い出されたら死しか待っていない。

「それでな、君をこんな事態に巻き込んでおいてなんだが、頼まれてほしいことがある」

「私に、ですか?」

「そうだ。君の力を借りたい。近頃、この大陸では魔物の数が増えていて、我がタイタニアにおいても被害が広がっている。聞くところによると、かつての勇者と呼ばれた適合者は強力な魔力によって魔物を次々と葬ったそうだ。君にも同じ力があるのだろうから、それを使って魔物達を排除してほしい」

「そう言われましても・・・戦ったことなんてないんです」

「伝記によれば、以前の勇者もこちらの世界で初めて適合者として覚醒したそうだ」

 そう言ってデイトナはリリィに視線を送る。

「ちょっと失礼・・・」

 リリィがシオリに近づいて手を握る。その行動の意図が読めなかった詩織が身じろぎするがリリィは気にしない。

「な、なにかな?」

「・・・間違いない。シオリの体には魔力がある。そして、それは私達のような一般的なものじゃない、特殊な・・・こんな魔力を感じるのは初めてよ」

 どうやら本当に自分には特別な力があるようだ。リリィの様子から見て嘘ではないことは分かる。

「君が魔物の数を減らしてくれればソレイユクリスタルを修復するための素材を集めるための危険も減って、よりスムーズに事が進むと思う。悪い話ではないだろう?リリィは彼女をしっかりとサポートしろ。それが、失態を犯したものの責任だ」

「はい、お父様」

 詩織が魔物との戦闘に投入されるのは決定事項らしい。国民のために使えるものは使おうとしているのだろう。それだけ魔物に困っているのかもしれないが、ちょっとはこちらに考える時間をくれてもいいのではと思わざるを得ない。
 有無を言わさぬ雰囲気になり、リリィに手を引かれて謁見室をでることになってしまい、ちゃんと抗議しておけばよかったなという後悔の念だけが残った。



「詩織は適合者としての素質があるわ。でも、まだその力が封印された状態にあるから、それを開放しないと」

 城から外に連れ出され、広いグラウンドのような場所にてリリィが興奮気味にそう言う。

「どうやって?」

「まずは私がシオリに魔力を流すわ。そうすればシオリの体が魔力を認識し、体内にある自分自身の魔力を解き放てる」

 再びリリィが詩織の手を掴んだ。すると詩織は今まで感じたことのない不思議な感覚に包まれる。

「うっ・・・これが魔力なの・・・?」

「未通だと最初は痛みを感じるかもしれないけど、我慢してね。慣れてくればなんてことはなくなるから」

「あぁ、うん。変な感じではなくなったかも」

「よかった。これで魔力が体に通いはじめたから、それを意識することで適合者としての力を発揮できるようになるよ。魔力で肉体を強化すれば普段の数倍の身体能力になる。それで魔物と戦えるわけだ」

 体が軽く感じる。これが魔力で強化された状態というわけか。

「試しにこの剣を持ってみて」

「これを?」

「この剣は普通の物じゃない。魔具と言われる適合者用の武器なんだ。これに魔力を流して使用することで魔物に対して有効なダメージを与えられる」

「へぇ・・・」

 今まで包丁すらあまり握ったことが無いのに、こんな大きな刃物を持たされて緊張する。鋭い刃に触れれば間違いなく怪我するだろう。

「魔力の扱いになれるためにまずはこの剣に流してみて。体内の魔力の流れをイメージするの」

 難しいことを平然と言ってくるが、とにかく言われた通りにやってみるしかない。詩織は目を閉じ、剣に意識を集中させた。その瞬間、

「うわっ!凄い光!」

 眩いほどの光が剣から発せられ、リリィが驚きの声を上げる。

「こ、これってどういう状態!?」

「魔力がちゃんとコントロールできてないんだ!多分、シオリの体内の全魔力が剣に集中してる!」

 そうこう話しているうちに剣は詩織の魔力に耐え切れなくなって粉砕される。そして行き場を失った魔力が閃光と共に迸り、空高くまで立ち昇った。

「これが勇者となる者の力・・・」

 腰を抜かしてその場にへたり込んだリリィは空を彩る虹色の輝きに目を見張る。隣国からも見えるほどに拡散され、多くの人がその現象を目撃することになり、何事かと騒動になった。

「ごめん、剣を壊しちゃった・・・」

 詩織の手元には刃を失い、柄だけになった剣の残骸が残っている。

「そんなのいいのよ。それよりも凄いわね、勇者の力というのは。本当に魔物達を討ち滅ぼせるかも」

「できるかな?」

「やれるわ。そのためにも、まずは基礎的な魔力の使い方を身につけないとね」

 壊れた剣を見ながらリリィは苦笑する。いくら強い力を持っていても、それを正しく使わなければ真価を発揮できない。
 予備に用意していた魔具を取り出し訓練を再開した。魔力の使い方をもっと詳しく教えてあげようと、リリィも自分用の魔具を取り出して改めて説明を始める。



 不本意ではあったがこうして詩織の異世界生活は幕を開けたのだ。

 これは後世にまで語り継がれることになる、勇者と呼ばれた少女の物語

               
                    -続く-
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