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美琴と空

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 目を開けると見知らぬ天井だった。具体的には、学校の天井にあるような蛍光灯が見え、視線を左に移せばカーテンが見える。

 ここはどこだろう? 病院か? でもなんで病院?

 寝起きで上手く頭が回らず、さっきまで何をしていたのかすら不明だ。確か、自動販売機で白先輩と話して、それで……

 頭が痛いので、光がやけに眩しい。右手を天井に掲げ、蛍光灯から来る光を遮断する。

「あ、起きたのね」

「え? 美琴!? 」

 右に振り返ると、窓際に美琴が三脚椅子に座っていた。ブックカバーをしているので何を読んでいるのかわからないが、本を読んでいたみたいだ。美琴はそっと本を折り畳み、クールさを保ちながら微笑んだ。

「おはよう。といっても、今は夜の七時なのだけれど」

「七時? ってか俺はなんで、病院にいるんだ? 」

「あら、覚えてないのかしら。ならいいわ、忘れなさい」

「え、ちょっとまって、思い出すから」

「いいからほんとに、思い出さないで」

 本で顔を半分くらい隠す美琴。顔が赤いのが、本の隙間から窺えた。それにしても、なにかあったのか?

 ……あ、思い出した。

「思い出した! 美琴、大丈夫か! 」

「お、思い出さないでって言ったでしょ! 」

 珍しく動揺した様子の美琴。そっぽを向き、小声で「厄介ね、頭を殴ろうかしら」 などと物騒な事を言っていたが、聞こえないふりをした。

「良かった、無事で。本当に、良かった」

「それは私のセリフよ。あなた、頭から血を流して倒れたんですもの」

「えぇ!? 頭から!? 」

 頭を触ると、包帯が巻かれている事に気がついた。「今まで気がつかなかったの? 」と、美琴が苦笑を浮かべる。

「そういえば、部活のみんなは? 」

「さっきまでここにいたわ。何故か白先輩に私だけ残るよう言われて、皆んなはすぐに帰ったのだけれど」

 白先輩の仕業か。あの先輩、まじで気が利くなぁ。 

 といっても、ここから何を話せばいいのかがまるで分からない。過去でも美琴と二人で話す事はあまりなく、さらに倉庫で美琴のパンツを見てしまったこともあって、気まずさが増している。

「その、今日はありがとう」

 美琴が、俺の目を見てしっかりと感謝を伝えてくれた。俺は「い、いやぁ、全然」 と、照れながら受け止めた。

「あなたが来なければ、私はあいつらに犯されていたわ。今私がこうしてられるのは、貴方のおかげね」

「それを言うなら、美琴だって俺の事を守ろうとしてたんじゃないのか? 」

「わ、私は自分のためにしたまでよ」

 再度動揺した様子で、髪を弄りながらそっぽを向く美琴。凛としたクールな顔の美琴から、隠れていた可愛らしさが溢れ出ている。

「ありがとな」

「何を感謝されているか、わからないわね」

 窓の外を見ながら照れる美琴。

 窓のカーテンが空いている。綺麗な夜景とまでは言えないが、景色は悪くない。今日はかっこいいところも見せる事が出来た。

 ーーこれは、ワンチャンあるんじゃないか?

 今までに味わったことの無い緊張感に、心臓が跳ね上がる。手は震え、全身の毛穴から汗が滲み出ているような感覚に陥る。京也に胸ぐらを掴まれたあの時とは比べ物にならないほどに、心拍数が上がっていた。

「あの、俺と……」

「?」

 美琴にとって俺は、たかが三ヶ月間同じ部活に所属しているだけの存在。

 だがしかし、俺にとって美琴は二年間も片想いを続け、さらにはその想いを告げる事なくこの世から去っていった、どうしても忘れる事が出来なかった存在。でも今はこうして目の前に座っている。


 だから、ちょっと早いかもしれないけど、伝えよう。


「俺とーー友達になってくれ! 」


 いや俺のヘタレ馬鹿野郎!!!


 一瞬、呆けた顔になる美琴。だが、吹き出して笑い、

「ふっ、何それ、へ、変なの。ふふっ、ダメ、おかしい」

「ちょっと待ってくれ、そんなに笑うか!? 」

「だって、友達なってって。そんな事言う人、見た事ないもの。しかも、こんな状況で」

 必死に笑いを堪える美琴。もしかしたら、こんなに笑っている所を初めて見たかもしれない。

「あーもうだめ。見ないで、恥ずかしいから」

 両手で顔を覆い隠して、蹲(うずくま)る美琴。まぁ、見ないでと言われても可愛いので凝視するが。

 暫くして落ち着きを取り戻した美琴は、軽く深呼吸をし、

「ふぅ。ごめんなさい。で、友達になるのよね? 」

「あ、ああ」

「いいわよ。これから私達は、友達ね」

 美琴は、告白の返事をするかのようにそう言った。俺の目をきちんと見て、微笑みながら。

「よろしく、空」

「ああ、よろしく。美琴」

 俺は、名前を呼ばれた事に動揺した。それと同時に、恥ずかしくもある。

「ん? なにか変? 」

「いや、名前で呼んでくれてるなぁって」

「それは友達なのだから、当然でしょう。それにさっきから空だって、私の事普通に美琴って呼んでたわよ? 」

「えぇ嘘だろ!? 気付かなかった」

「なんで気付かないのよ」

 美琴がクスッと笑う。今日はなんだか、美琴がずっと笑っている気がする。それも、すこぶる楽しそうに。あんなにひどい事をされた後なのに、どうしてだろう。

 ともかく、これでひとまずは落ち着いた。美琴との仲も進展したし、京也達はあんな事をしたのだから退学は免れないだろう。そういえば、俺はどうなるんだ? 

「そういえば俺は、停学になるのかな? 」

「さっき先生に、カメラの中に入ってたSDチップのデータを見てもらった結果、空はお咎め無しみたいよ。あいつらは退学でしょうけど」

 美琴は小声で「あいつらなんて、地獄に落ちるべきだわ」 と付け加えるように呟いた。その恐ろしい表情の中には、可愛さなど一切入っていない。

 それから三十分程、他愛のない話をした。文芸部のみんなの事、豊中と最近ショッピングに出かけた事、俺と先輩の出会いの事などだ。

 面会時間も残り少ないため、「そろそろ帰るわ」 と言って美琴が席を立った。

 その時だった。

 病院内で聞こえてこないはずの慌ただしい足音が、徐々に近づいてくる。その足音は俺の病室の前でピタリと鳴り止み、扉が開かれる。

「お兄ちゃん、大丈夫!? ってあれ? 」

 そこにいたのは、奏だった。厳密に言えば、入口付近には患者用のベット(今は誰もいない)が置かれており、奏から見るとカーテンで仕切られた向こう側に俺たちがいるので、俺のいる奥の部屋からは奏の顔は見えないのだが、声で奏だとわかった。

「こら、病院で走っちゃダメでしょ。後、大声出さない」

 母が後に続いて入ってくる。「あでっ」と奏の声が聞こえてきたので、母にチョップでも食らわされたのであろう。

「お兄ちゃんは? 」

「奥のようね」

「あ、そっか」

 つかつかと足音が近いて来る。奏が仕切りのカーテンを開け、姿を現した。

「お兄ちゃん? 」

「奏、来てくれたのか」

 奏は元気な俺の姿を見て安心した面持ちになったが、すぐに真剣な表情に変わり、美琴に視線を移した。

「この方は? 」

「同じ部活の友達だよ」

「へぇ、」

 意外そうに美琴を見つめる奏。まるで、「お兄ちゃんにも女の子の友達がいたんだ」 とでも言いたげな顔で。

 美琴は奏を見て不思議そうな顔をしていた。誰かに似ているけど誰かわからないといった感じだ。

 その後「良かった、元気そうね」と奏の後ろから現れた母を見て、美琴はギョッとした顔になり、

「赤井京子さん!? 」

「あらあら、私の事知ってくれてるの? 」

 母が嬉しそうな顔で微笑んだ。

「泣くよそれなりに、毎週姉と楽しみに見てます! 」

「それは嬉しいわね。いつもありがとう」

 美琴は興奮した顔で目を輝かせていた。奏は拗ねた顔で嘆息した後、

「私の事は知らないんですね」

「え、えっと、、」

 助けて欲しいと言わんばかりの困り顔で、美琴は俺の方を向いた。可愛いけど、俺は助けてあげない。

「私の娘役の子よ」 と母がフォローを入れる。

「あー昨日ドラマで泣いてた……」

「あ、あくまで演技ですからね! 」

 恥ずかしさを無くすためか、必死に弁解する奏。俺と話す時とは違い、話し方や仕草が可愛い。もちろん、わざと付け足していると思われる。

 というか、美琴が母と奏の事を知っているのが意外だった。一週目の過去でも、このような話はしたことが無かったからだ。

「あの、もしよかったらサイン頂けませんか? 」

 そう言って美琴はカバンからノートを取り出し、母に渡した。

 母は快くノートにサインをし、奏にもノートを渡してサインを貰った。「私はどーせ、ついでですよ」 と小さく声を漏らした奏を見て、美琴が苦笑する。

 俺の前でテンションが上がってしまった事を恥ずかしく思ったのか、ノートを返してもらった美琴はコホンと咳払いをして、鞄を持った。

「では、失礼します」

「あ、ちょっと待って、タクシーで送って行くから」

「そんな、申し訳ないです」

「いいの、気にしないで。それより、ありがとうね。空のお見舞い来てくれて」

「いえ、当然です。私のせいですから……」

 横目に映した美琴の目には、黒い雲がかかっていた。俺は複雑な感情になり、

「いや、美琴のせいじゃ無いって! 」

「え、何があったの? 」 

「私がその、襲われそうになって、それで……」

 美琴が訥々と語っていると、奏が俺に対して訝しげな表情を浮かべ、

「お兄ちゃん、最低ね……」

「おいちょっとまて」

「つまりは空が美琴さんを襲おうとして、それで頭を殴ったわけね」

「違うよ母さん! むしろ俺がーー」

「言い訳はやめてよ! 」

 奏は目に涙を溜めながら俺の言葉を遮った。侮蔑の表情を浮かべ、今にも殴りかかりそうな勢いだ。

「お兄ちゃん、奏と一緒に警察行こ? 奏、お兄ちゃんがきちんとした大人になるまで待ってるから……

 奏の頬に大粒の涙が伝う。その涙を拭う事なく、奏は努めて明るい笑顔を作りそう言った。それを見て母が、

「奏、演技上手になったね~」

 その言葉に反応した奏は、流した涙を右手の裾で拭って素に戻り、

「そ、そう? 今の何点? 」

「六十点」

「低っ! 」

「え、どう言う事……? 」

 美琴はかなり困惑している様子で奏を見ていた。そりゃそうだ。俺はこのレベルの高い茶番を日常的に見ているが、美琴にとっては急に奏が泣き出して、それが演技だと種を明かされたのだから。

「あ、すみません美琴さん。今のは冗談です」

「私達、先生から電話で事情を聞いてたから、元々知ってたのよね」

 じゃあなんで美琴にどう言うことか聞いたんだよ。と思ったが口にはしなかった。

「そうそう。ドラマ撮影の休憩中にお母さん、『うちの息子が倒れたんです! どうすれば治りますか!? 』 ってメイクさんに聞いてたもんね」

 からかうように微笑を浮かべながら言う奏。それに反抗しようと母が、

「それを言うなら奏だって、『金属バットで頭を殴られた 死亡率』 で検索してたの、お母さん知ってるんだから」

「なっ!? それを言うならーー」

 その後も親子の言い争いは続いた。

 その最中(さなか)、美琴が「いつもこんな感じなの? 」 と聞いてきたので、「まぁ、珍しくはないな」 と返しておいた。

 暫く経った後、美琴が帰りたそうにしているのを察した母が話を止め、「そろそろ帰りましょうか」 と言い出したのでここで解散となった。

 帰り際、美琴が小さく手を振ってくれたのが嬉しくて、病室で一人、俺は気持ちの悪い笑みを浮かべていた。

 あぁ、今日は頑張った。

 初めは恐怖心で何もできなかった。でも、勇気を出して変わる事が出来た事が、何よりも嬉しい。

 これで白先輩にも認められるだろう。

 そして一年半後、先生に誘拐される美琴と美羽先輩を助ける事ができるだろう。

 根拠のない自信が、次々と湧き出してきた。俺は美琴を助ける事が出来た事によって、天狗になっていたのだ。

 ただ、やはり気になる事が一つ。

「そう言えば、俺はなぜ一年生になったんだろう? 」

 美琴達が亡くなるのは今から一年半後の十二月二十四日。もし俺が神様だったとして、眺めていて楽しい事を基準に置いて過去に飛ばすのであれば、こんなに前からではなく、それこそ美琴達が亡くなる一ヶ月前などに飛ばすであろう。俺が一年生をやり直すメリットがどこにある? 俺だって、二年生からやり直して早く美琴達を助けたい。なのにどうしてだ?

 俺が美琴を助ける所を見たかったとか?

「うーん」

 俺は唸り声を上げながら考えていた。

 すると不意に、病室の扉が開いた。

 母が忘れ物でもしたのかな? と思ってベットの下などを覗いたが、特に何もない。

 つかつかと軽い足音を立てて近づいてくる。カーテン越しに小さなシルエットが映り、その瞬間、勢いよくカーテンが開いた。

「わっはっは! 久しいのぅ、空よ! 」

 そこにいたのは、見覚えのある金髪ツインテールの幼女だった。

「神様!? 」

 仁王立ちで立つ幼女はまさしく、俺達を過去に飛ばした、あの神様であった。







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