無知の罪

アキヅキナツキ

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無知の罪

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随分と昔の話、クロと名付けた雑種犬との思い出です。

クロは、名前の通り、全身黒で
口元と胸元、前足のつま先だけちょっと白い、
ひいき目に見て、ボーダーコリー風の、
大型よりの中型犬雑種のかわいい女子だった。

捨てられて、結構経つのか、ウチに来た当初
かなり痩せていた、推定3~5歳くらいだろうか、
たぶん子犬を産んですぐに捨てられた風だった。

母が仕事していた所の近くで、人間に追い回され、
棒の様な物で叩かれながら、1匹でウロウロしていたのを、
可哀想に思って、持っていた猫用のカリカリをあげたら、
「この人について行かなかったら、自分最後だ」
と、思ったんでしょうか、自宅まで3キロちょいの距離を、
自転車の後ろを、ずーっと走って、ついて来たそう。

その根性に負けた親のお陰で、めでたくうちの子となった(笑)
それからの、1年と9か月私達は、間違いなく家族でした。

楽しい時間はあっと言う間に過ぎる・・・
それを体感した1年と9か月だった。

当時の私は、中途入社した会社で、半年経たないのに、
会社の諸先輩方の全員を差し置いて昇進してしまい、
自分の仕事が出来ない位忙しく(でも、やったけど)
さらに、連日会議で死ぬ程忙しかった。

私は、実家から少し離れたアパートで、一人暮らしをしていて、
自分の家に帰ってから、実家に犬を見に行くと
意外と大きい彼女に驚きつつも、すぐに仲良しになれた。

大人しくて、とても優しく、遠慮深い子で、ビックリした。
「こんないい子を捨てる人っているんだねぇ・・・」
私は、怒りを覚えつつも、絶対この子を可愛がろうと思っていた。

クロは、ウチに来て、落ち着いた1週間後から、順番に
健康診断や避妊手術、ワクチンとかを全部済ませ、
犬の登録、鑑札も済ませた。
・・・と言っても、それらの手続きは、母が全部やった。

母の友人に、保護活動をしてる人がいて
処置する病院も、その人に紹介してもらった。

私は、小さい頃から動物が大好きで、
3歳くらいだったか、近所で飼われていた
大型犬(雑種)にしつこくした上に、尻尾をつかんで、
イラついたその犬に、手を甘噛みされ、脅かされた。
ケガはしてないけど。

普通の子供だとそれでもう、大泣きして、
恐怖で犬嫌い決定・・・と、いう事に
なるんでしょうが、そんな事があっても、
全然懲りないし、ケロリとしたもので、
ずーっと普通に動物好きだった。

クロは、我が家の初めての犬で、猫は家猫と外猫
(寝床とご飯を提供して、去勢・避妊手術済)
合わせると、当時5匹が家に居た。

家の中を好む子は家の中、外が好きな子は外猫として、
お世話していた。

そんな中、犬が来て、猫たちパニック!
・・・になるかと思ったら「我関せず」と言う状況で、
外猫の男の子、金ちゃんとだけが
クロと、すっごく仲良しになっていた。

犬を飼う事を、亡父に反対されると心配してた母だったが、
実は、大の犬好きだった亡父がクロに、メロメロになり、
心筋梗塞で入退院をしてるクセに、犬の散歩をやめない。
リハビリになるとか、いい運動になるとか、
色々言い訳をしながら、散歩を、続けていた。

そういう状況なので、何かあってはいけないと、
母が仕事で遅くなる事もあるので、私も早めに帰れる時は、
散歩しようと実家に寄るけれど、気が付けば、
妹以外の家族で、クロの散歩の取り合いになっていた。

なんだか、あの子と歩いてると、楽しい。
とても不思議な子だった。

休みの日の夕方は、出来るだけ早めに実家に戻って、
1~2時間を、一緒に散歩した。

クロは、散歩に行くと、かくれんぼするのが大好きで、
亡父は、それに味をしめていたようだった。

ある日、亡父が「クロに逃げられた・・・」と、
シオシオになって家に戻った、公園でかくれんぼをしていて
なかなか見つけてくれない亡父に、待ちくたびれて
クロはとっくに家に帰っていたという事があり、大爆笑。

うちの子になってから、まだ日が浅い頃の事で・・・
賢い子だってのはもう、それで十分解った(笑)

後になって分かったけど、かくれんぼをするのは、
亡父と私のみ。
・・・大変、名誉な事です(笑)

近所の住宅公園(家のサンプルが沢山置いてある所)で、
人の居ない夜に、追いかけっこと、かくれんぼのコンボで、
よく遊んだ。

あれ~どこに行ったんだろう・・・そう思って、探すと
いきなり、植栽の影から、わっ!ってカンジで出て来て、
脅かす、その時のクロの嬉しそうな顔が、とても可愛かった。

たぶん、前の飼い主とも、やってたんだろうな~
そんな気がした。

クロの性格の良さや、躾けの事もあって、
ここまで可愛がっていたのにどうして捨てたのか、
それを考えると、やるせなかった。

両親は、旅行が大好きだったので、出かける事になると、
実家にお泊りで犬猫の世話をしに行った。

実家には妹が居たが、帰って来ないか戻りが遅いので、
動物を、安心して任せておけなかった。

そのうち書きますが、金ちゃんとクロは本当に仲が良くて、
クロが散歩に行くと、自分のテリトリーのギリギリまでついて来て、
私たちが帰ってくるまでその場所で、じっと待っていて、
戻ると、嬉しそうに、クロに全身でスリスリした。

ウチの猫達は、全員自分勝手で、猫同士のが仲が、とにかく悪い。

だから、犬(メス)猫(オス)と言う組み合わせにビックリ。
たぶん金ちゃんは、クロに甘えていたんだと思う。

クロも、それを嫌がる事も無く、されるがままで、
自分の子を温かい目で見ている・・・そんな感じがした。

一緒にご飯を食べて、眠って、遊んで、そうやって幸せに、
ずっと、ずっと過ごせると思っていた。

1年ちょっと経った初冬、クロの腰のあたりにシコリが有る事に、
母が気が付き、慌てて、実家近くの動物病院に連れて行った所、
腫瘍があるという事だけは、すぐ解った。

それが悪性か、良性かが解らないので、検査してもらう事になり、
腫瘍の細胞を取って、検査しなくてはならない
「患部に針を刺します、犬が暴れないようにを押さえて下さい」と、
獣医がビビりながら言った。

看護師も、クロに触る気が全然無かった。

「この子は大人しいです」と言ったが、獣医と看護師は、
クロから出来るだけ離れて、震えながら見ているだけ。

本当は、モルモットのキューを診てくれた先生の所に連れて
行きたかった・・・あの先生は、ホントにいい先生だったので。

でも、お引越しをされていた為、仕方なく、連れて行ったのが、
問題の病院だった。

実家近くの動物病院の看板に「小さい犬と猫専門」と書かれてあり
当時、獣医に病気でお世話になるという事が、
あまり無かった私達は、大型犬の扱いは、
こういうものなのかな?と、さして不思議に
思う事なく、従っていた。

大人しいクロは、痛いのも有ったろうけど、
人間の緊張が伝わるのか、ずっと意味も解らずに、
緊張しつつ、ひたすら我慢していた。

1週間経って、結果を聞きに行くと、
やはり悪性の腫瘍という事で、治療が始まった。

毎回、通院の度に、検査と何かしらの注射だけをしていて
確か・・・手術って話は出なかったように思う。

すぐに手術なのだろうと、思っていたのに。

病気が病気なので、良くなるとは思っていなかったが、
どんどん悪くなる容態の中、
ある日、その獣医から提案された事に、驚いた。

その内容は・・・
「今、実験中の、猫用の抗がん剤があるんですが、
効くかどうか解らないけど使ってみますか?」という事だった。

ビックリした。

中型犬に、猫用の抗がん剤を使うってか。

しかも、実験中の薬って・・・ありえない。

こんな事を言う獣医も獣医だけど、当時の私達は、
本当に、無知だった。

クロの為ならば、とそれを真に受けて、
さらに1か月ちょっと、効くかどうかも分からない薬に
安くもないお金を払っていた。
確か、その獣医に通っていたのは、2か月ちょいだった。

ある日、母から「クロの腫瘍が爆発した!」と、
連絡を受け、慌てて実家に戻って話を聞くと、
腰の腫瘍を自分で、かじったそうで、
それで大量に出血したらしかった。
玄関は、血の海で、すごい事になっていた。

これはもう、あの獣医に任せてはおけない!と、
母の友人に紹介してもらった、獣医さんへ行く事にした、
実家から車でしか行けない距離だったが
亡父の車にクロを乗せて、大急ぎで向かった。

その、某獣医さんに診せた所、
「もう1か月早く来てもらったら、何とかなったかも知れない」
そう言われた、ガンは骨に転移して、手遅れだった。

それでも、まだ元気そうだと言ったら、獣医さんは、
「犬は、我慢強いんですよ」そう言った。

涙が出そうだった。

私達は、後悔した。

某獣医さんは、それでも出来るだけの事をしてくれた。
夜でも、具合の悪くなったクロを診に来てくれた、
入院した時もクロに良くしてくれて、可愛がってくれた。

入院してたケージは、掃除が行き届いて、敷いてるタオルか、
毛布かは忘れたが、とても清潔でフカフカしていた。

20キロ超えるクロを、嫌がる事も無く、
看護師さんは抱っこして、お世話してくれた。

それを当たり前と、ふんぞり返って言うつもりはないが
実家近くの獣医はそれくらい、異常だった。

よく解らない薬を使われ、ぞんざいに扱われ
通院以外は、全く知らんぷりだった。

実家近くの獣医とは何もかもが、雲泥の差で、
あんな所に連れて行かなければ良かったと、心底思った。

本当に、無知は罪です。

病気になるのは仕方ない。

誰にも解らない事だけど、そこから先は、
きちんと調べて、信頼のおける獣医さんを
探さなくてはならない。

どの子の命も大切なのです。

自分では無理と判断したら、紹介状を書いてくれるくらいの
獣医さんだったら、良かったのに・・・
当時の私は、実家近くの獣医さんを、恨んだ。

入院中のクロの所に、様子を見に行っていた私達に、
獣医さんは
「家に戻って、家族と最後を迎えた方がいい」と言った。

私達も、クロに何かあって連絡をもらってから、
病院に向かったのでは間に合わないと思ったので、
クロを家に連れて帰った。

亡父は、クロが痛がって鳴く姿に耐えられず、
安楽死させようと言ったが、母と私は、
それが本当に良い事なのか、すごく悩んだ。

もしも、自分がガンだったら、それを望むだろうかと考え、
きちんと相談して、安楽死させない事を選んだ。

自分の時間ギリギリまで、生きたいと、クロならば
そう言うだろうと思って、辛くても、悲しくても、
時間の空く限り、クロを介護した。

某獣医さんも心配して、クロの様子を見に来てくれた。

苦しんで、それでも頑張って生きて、冬のある日、
クロは母が見守る中、虹の橋を渡った。

苦しいのを我慢させた事が正しかったか、
間違っていたかは、解らない。

エゴだと言われれば、そうかも知れないと、
受け止めるだけ。

たった、1年と9か月・・・
クロは、私達に色々な事を教えてくれた。

ウチに来て、すぐに「この家の住人は、私が守る」と
決めたらしく、たとえ家人でも、夜遅くにドア前で
モタモタする人(主に妹)は、吠えられたし、
不審な人間からも守ってくれた。

リードを付けなくても、決して玄関から上に上がらない
クロを、シャンプーする為、風呂場まで連れて行く時、
自分を担いで行く人に、「申し訳ない」って顔をする。

実家近くの公園に散歩で連れて行った時、
オシッコの後始末で、水で流そうとした私めがけて、
砂を後ろ足で勢いよくぶっかけてるので、
「クロ、痛い!痛い!」って言ってるのにやめられない、
「足が、勝手に動きます、止まりません、すいません」
って、砂を蹴りながら、悲しそうな顔をしたり・・・

私が、クロに買ってあげた、靴の形をしたガムが大好きで
それを取ろうとした母に、初めて唸って皆をびっくりさせた。

たぶん、自分の物として、何かをもらったのが
初めてだったのだろう。

私が、多忙だった仕事のせいで、バセドー氏病になり、
療養の為、仕事を辞め、実家に戻って養生した時に、
リハビリがてら散歩した。
クロも、ガンの治療中だったが、かくれんぼをして遊んでくれた。

ちょっと歩くだけで、具合が悪くなってたけど、
ベンチでひっくり返って、落ち着くのを待ってる間
クロは物陰に隠れて、私が見つけるのを、じっと待ってた。

遊んであげると、嬉しそうなその瞳に、辛かった体調が、
ちょっとだけ楽になった。

困った顔、やんちゃな顔、ビシッと厳しい顔、
優しい顔、色々な表情を見せてもらえた。

楽しかったし、明るくなれた、とても幸せな時間だった。

無知で、ひどい獣医に連れて行ってしまって、
こんな最後になったのを、母はいつも後悔して
「あの子は幸せだったかな」って、泣きながら言った時、
私は「きっと幸せだったよ」と、言ったけど、
本当にそうかは解らない。

ただ、その当時の出来る限りの事はした・・・
それだけは言える。
今なら、もうちょっとマシだけどね・・・

色々考えた所で、クロはもう戻らない。

そして、あのひどい獣医も、もう無いようだ。

もしもあったら、注意喚起する為に、ネットで
色々書いてやろうと思ったけど、それも出来ない。

クロがどう思っていたか、何を思っていたか、もう誰にも解らない。

ただ、言える事は、ああされた、こうされたと、
人を恨む子では、無かったという事。

なでた時の頭の暖かさ、クリクリの茶色の瞳
ブラッシングして艶々の黒い少しカールした毛並み、
大きくて、もしゃもしゃの手、温かい肉球、
何もかも忘れない。
本当に、とてもいい子だった。

私は、最後にクロと握手をした。
ぎゅっと、冷たくなった手を握ってサヨナラをした。

「また会おうね」

それは、虹の橋を渡る子へ必ず言う言葉。

次にもし会えたら、もっと幸せにするよ。
次にもし会えたら、もっと遊ぼう。

某獣医さんから紹介してもらった、
ペットの火葬場に向かう時、
クロを車に乗せるために、
霊園から持ってきてもらった
段ボールにクロを入れて、
お花や、好きだったおもちゃ、
燃えやすい、おやつも入れて、
使っていた毛布に包んで、家から運び出す時、
クロのお腹の中が、チャポチャポ
鳴っていたのが忘れられない。

たぶん全身に転移したガンのせいで、
内臓がダメになっていたんだろうとの事だった。

その日、母と私だけでクロを送った。

火葬してもらう時に、
「この骨壺に入ってもらって、お寺に行きます」と
説明されてるのに、母は、ボーっとして聞いてなくて、
持って来られた骨壺を見て
「こんなになって」と、泣いて触ろうとしたのを、
「まだ火葬中だから!」と、火葬場の人と私で
止めたという、泣き笑いがあった。

2時間くらいして、戻って来た
真っ白い陶器で出来た骨壺は、
手のひらよりちょっと大きくて、
ほんのり温かかった。

こんなサイズで、クロが入るかが心配だったけど、
不思議と全部入った・・・

頭蓋骨が手のひらジャストの大きさで、
それ以外の骨の細くて、小さい事が、切なかった。
推定10歳になってないクロのものだった。

私も、かなりボーっとしてたので、うろ覚えだけど、
確か、白木の小さい箱に骨壺を入れて、
キレイな布に包んでもらって、同じ車で、
少し離れたペット霊園に行って、お経を読んでもらって
同じ車で、火葬場まで帰って、実家に歩いて帰った。

母は、暫くの間ペットロスで、ボーっとする事が
多かったが、猫がまだ居てくれたし、
仕事にも行かなきゃなので、じんわり
良くなって行ったようだった。

クロは、今も、そのお寺に眠っている。

このお寺には、少し後に逝った金ちゃんも眠っいて、
仲が良かったから、一緒のお寺で、喜んで遊んでるかも知れない。

それだけは、良かったと思う。

みーちゃんも、同じお寺で眠ってるけど、
あの子はきっと気にしてないでしょう。

東京を離れてから、着いた仕事で、私はまた忙しくなって、
お墓参りに行きたいのに行けず・・・

今度は、私がガンになって、超忙しかった仕事を
やっと辞めて、療養してたら、我が家の
2匹目のワンコのラブ(ラブラドールレトリーバー)が
10歳で歩けなくなって、その後6年間ずっと介護して
16歳で、虹の橋を渡ってしまったけど、大往生だった。

やっと、東京のペット霊園にお墓参りに行けると思ったら、
今度は別件で行けない。

なかなか、うまくいかないものだ。

第一京浜沿いのお寺なので、いつも正月の駅伝放送の時
ランナーが、お寺の近くを走ってる映像を見ながら
手を合わせている。
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