魔法使いの雨粒

七夕ねむり

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魔法使いの雨粒

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 ぽたり、ぽたり。
曇った空から落ちるのは、大きな雫。
「また雨だね」
梨香りかはカラフルな傘を勢いよく差して、小さな声で呟いた。
「雨が大事なのはわかってるんだけど」
 彼女はミルクティー色の髪に、華奢な指を絡める。
「最近雨、多いな」
「うん。空気はじめじめしてるし、癖っ毛は爆発するし、なんだか気が重くなっちゃう」
 梨香は俺の前髪に触れて、口を尖らせる。
「いつ見ても羨ましい綺麗な髪。魔法使いの髪ってみんなこうなの?」
 伸ばされた陶器みたいな指先に、息が詰まる。心臓がばくりと一歩遅れて跳ねはじめた。
「まあ、そうだけど。俺より姉さんの方がもっと綺麗な黒だよ」
 体内から鳴る音を誤魔化すようにそっぽ向くと、くすりと梨香は笑みを溢した。
「私はしゅうの色の方が好きだな」
 柔らかい声に憎まれ口さえ叩けないで、あっそと返した。心臓はまだ鳴り止まない。それどころか更に強く脈を打ち、身体中にとてつもない勢いで血液が巡っている。いつのまにか梨香の指先は俺の髪から離れていて、また憂鬱そうに空を見上げている。
「そうだね、まあでも」
 俺は言いかけた言葉を飲み込んだ。
「でも、柊が魔法でぴかぴかのお天気にしてくれるもんね!」
 続きを口にした彼女はきらきらと淡いブルーグレーの瞳を輝かせる。
「……まあね。俺の魔法ならこんな空すぐに晴れにできるよ」
 俺がそう言ってやると、梨香はまた一段と眩しい笑顔を見せた。幼馴染みの欲目抜きにしても可愛い笑顔だった。
「じゃあね! 柊! また明日!」
 向日葵柄の傘と共に小さくなっていく後ろ姿を眺める。それが豆粒のように小さくなった頃、俺はふうと溜め息を吐いた。

 俺たちの国は世界でも少し珍しい、魔法使いと人間が共存している。かつては半分半分にいた魔法使いも今は十%ほどになり、クラスでも五人もいれば多いぐらいだ。俺の家系はそんなに魔力が強い方じゃなく、父さんも母さんも魔法と関係ない普通の仕事に就いている。まあだから、所謂末端の末端である俺の魔法では、天気など変えることが出来ないというのが率直な結論。

「なあ、天気魔法って難しい?」
 夕飯を食べながら、ぽろりとそんな疑問が漏れた。あ、しまった。そう思った時にはもう遅い。姉さんの馬鹿笑いが聞こえてきたからだ。
「あんた、天気魔法って! 今じゃ使える人もいるかどうかでしょ」
 ひーひーと笑い転げる彼女はこう見えても、高校ニ年生だ。俺より三つも年上のくせに、全力で笑い転げるなんて大人気ないな。
「わかってる、忘れろ」
 誤魔化すために白米を掻き込む。そんなに笑わなくてもいいだろうが。
「とにかく魔力も僅かしかない、私たちの家系では絶対無理。わかった?」
「……だよな」
 味噌汁を啜る俺に、探るような視線がずきずき刺さる。
「あんたが魔法なんて……あ、梨香ちゃん絡みか」
 げほ、ごほ。味噌汁が入ってはいけない所へ流れ込んだ。鼻の奥がツンとして、みるみる視界が滲む。
「当たりかよ。単純なやつ」
 姉さんは品のない笑顔でにやにやと俺を眺めた。
「魔法は得意じゃないって、言っちゃえば?」
 俺は黙って魚フライを口に運ぶ。タルタルソースの酸味を舌の上で転がす。
「……うるさい」
 それだけ返して、ばくばくと白米を掻き込んだ。窓を打つ夏の雨は、まだ止まない。

「柊、おはよう!」
 玄関を出た先には今日も、パステルイエローの傘を差した梨香が立っていた。
「おはよ」
 俺が朝が苦手だと知ってから、梨香は毎朝俺を迎えに来る。もう何年も続いている朝の恒例行事だ。灰色の空の下、朝から元気な幼馴染みの笑顔は眩しい。
「今日も起きれたね。えらいえらい」
「子供みたいな言い方やめろよ」
「だって柊のこと、幼稚園の時から知ってるんだもん。嫌だった? ごめんね」
 子供の頃と変わらない長い髪を揺らして、梨香は俺の顔を覗き込む。クラスで美人だと騒がれていても、十四という歳になっても、何年経っても梨香は変わらない。変わらないのは、この困ったようなあどけない表情に心底弱い自分もだ。
「……べつに」
 俺の声から何かを読み取って、梨香はくるくると傘を回した。大きな雨粒がこちらに飛んでくる。これは梨香がご機嫌な時にする癖だった。彼女から一歩離れて、人間が一人通れそうな距離を取る。広がりすぎると危ないと梨香は怒ったけれど「雨、飛んでくるから」とだけ言っておいた。
 教室の随分手前で梨香と別れた。梨香は何か言いたそうな顔で俺を見つめたけど、気づかないふりをした。俺と別れた瞬間、梨香の周りを沢山の人間が囲む。梨香の方がよっぽど魔法使いみたいだなんて、捻くれたことを思った。

 コンコンと部屋をノックされる音で、夕食の時間になっていることを知った。時計を見ると、短針が七を少しすぎている。
「ごはん、もうみんな食べかけてるけど?」
 姉さんの呆れた声がドア越しに聞こえる。
「もうちょっとしたら行く」
「あんた昨日もそう言って、なかなか来なかったでしょ!」
 出てくるまでここに居るからねと、まるで俺が駄々を捏ねているような言葉を吐く。ドアを背凭れにし、ずるずると座り込む音が僅かに聞こえてきた。参ったな、あと少しで完成するかもしれないのに。
「何をそんなに焦ってるの」
 ドアで遮れなかった声が、耳に届いた。決めつけのように言われる言葉は好きじゃない。わかっているだろうに、姉さんは俺にわざと苛立つ言葉を投げた。
「そんなのじゃない。別に焦ってなんかない」
 部屋に落ちた自分の声は、嘘が下手な人のそれだ。ふうんとだけ相槌を打って、姉さんは俺の言葉を追求しなかった。でもドアの前から動く気配はない。
 机の上では晴れの日の光と、今日集めた雨粒が小さな反応を起こしていた。ぱちぱち、ぱちぱち。稲妻にも似た光を眺めながら、手元の本を読み返す。手順は暗唱できるぐらい読み込んでいたから、ただのおまじないのようなものだった。仮にも魔法使いがおまじないに頼るなんて、なんだかすごく滑稽だ。
「ねえ、部屋入ってもいい?」
 俺の祈りも虚しく弾けていた光は不意に止んだ。本当はあと数分赤や青や黄色といった七色で光り続けてなければいけなかった。今日も、失敗らしい。
「どうぞ」
 まるで見ていたかのように姉さんが声をかけてきたので、返事をした。ため息が上手く隠せない自分に苛々しながら。
「真っ暗じゃん」
 ガチャリとドアが開く。
「この方が成功するって読んだから」
「あっそう」
 姉さんは足元に転がっていた本を掻き分けて、ベッドを背に座り込んだ。どうやら本当に俺がリビングへ行くまで居座る気のようだ。
「もう行くよ」
「もういいの? 私はごはん食べ終わったから全然いいけど」
 先手を取られて言葉に詰まる。俺が姉さんのせいにしてこの場から離れることを、見越されていたようだった。何もかも中途半端で嫌になる。子供じみていてはっきりしない、本物にだってなれるわけじゃない自分が。
「……なんで俺は魔法使いなんだろう」
 手元で色を失った材料たちが視界に映る。なんで俺は弱い魔法使いなんだろう。なんで人間じゃないんだろう。なんで梨香を喜ばせることすらできないんだろう。
「そんなの私たちの曾祖父さんと曽祖母さんが魔法使いで、お祖父様とお祖母様が魔法使いで、父さんと母さんも魔法使いだからでしょ」
「そういうことじゃなくて」
「そういうことだよ」
 凛とした声がやけに大きく響いた。思わず振り返ると、俺と同じ金色の目が暗闇で光る。
「もともと私たちと人間は違う生き物だよ。暮らしていた世界も価値観も何もかもが違う」
 静かに姉さんはそう言って、ふっと息を吐いた。
「でもさ、魔法使いとか人間とかさ。梨香ちゃんがあんたに求めてるのってそういうものなわけ?」
 ひゅっと心臓に風が吹き込む。彼女の言葉が真っ直ぐに刺さって抜けない。梨香の笑顔が脳裏に浮かんだ。そうだ、俺は笑顔が見たかった。魔法使いとか人間とかそんなのいつから。いつから考えてしまっていたんだろう。
「そろそろ降りて来なよ。ごはん冷めちゃうの、嫌でしょ?」
 姉さんはそう言い残して、真っ暗な部屋を出ていった。ドアの隙間から差し込む電気の光がやけに眩しい。俺は手元に残った雨粒をじっと眺める。夕飯はあとで温め直すことにしよう。

 重い瞼を擦ると、朝日が机の上に落ちていた。どうやら眠ってしまっていたらしい。空っぽの胃が食べ物を催促するように叫ぶ。スマホを見ると、午前五時。シャワーを浴びてリビングへ向かうと、そこはしんと静まり返っている。朝が弱い家族は全員、まだ起きていないようだった。ラップに覆われた夕飯の皿が、机の隅にぽつんと佇んでいる。引き寄せてつまんだ唐揚げは、衣が冷めていたのに嘘みたいに美味しかった。
〝昨日はごめん〟
 書き置きをして、手早く支度を整えた。スニーカーを引っ掛け、静かに玄関出る。霧のような雨がさらさらと降っていた。ビニール傘を開いて学校と真逆の道へ足を進める。

 チャイムを鳴らすと、白い柵の向こうからミルクティー色の髪が覗く。
「どうしたの? 珍しいね!」
 驚いた表情はすぐにくすぐったい笑みに変わった。
「偶然早く起きたから」
 心の中で何度も繰り返した言い訳を音に乗せる。俺の言葉を耳にした梨香はくすくすと笑った。
「目元の隈すごいけど、ね」
 かっと耳が熱くなる。俺は何もかもが恥ずかしくなって、鞄の中に放り込んだそれを梨香の手のひらに押し付けた。
「これ、やる」
「わあ! すごい綺麗な石! 宝石みたい!」
 俺が押し付けた水色の石を覗き込み、梨香は嬉しそうな声を上げる。
「これどうしたの?」
 梨香の指先から解いた石を、ぱらぱらと降り注ぐ雨粒に触れさせる。すると、石は柔らかい橙色へと変化した。隣からわあとまた小さく声が漏れた。
「梨香、あのさ。本当は天気魔法を使いたかったんだけど。でも天気魔法は難しい魔法でさ。俺に雨を止めることはできないんだ」
 梨香の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめていた。息を吸うのが少しだけ、こわかった。何か目に見えないものがガラガラと崩れてしまいそうで。薄暗い感情に飲み込まれる前に、息を吸って言葉を紡ぐ。
「これは魔法の失敗作で作ったんだけど。雨の日をさ、梨香が楽しみにできればいいと思って」
 視線に耐えきれず目を背ける。スニーカーの先ばかりを見つめていると、手のひらの石ころの色みたいに柔らかい声が降った。
「なんだ、そういうことだったの。私てっきり柊が私のこと嫌になったのかと思っちゃった」
 くすくすと、でもゆったりと梨香は続ける。
「最近クラスでも全然話してくれないし、離れて歩くし。だって私、柊と違って普通の人間だから。私じゃだめなのかなって」
 顔を上げるとブルーグレーの瞳が、揺れていた。優しい声とは真逆に、強く噛まれた唇。
「そんなの、俺の方が」
「柊にいっぱい無理させたって知らなかった。それは私が人間だからじゃない。そういうのは言い訳だもん」
 梨香の眉がゆるりと下がる。
「私、柊のこと全然わかってなかった。ごめんね」
 でも。梨香の声が少しだけ浮ついた空気を孕んだ。梨香はいたずらを仕掛けた子供みたいに続ける。
「柊が私のことをたくさん考えてくれたの、嬉しかった」
「……なんだそれ」
 くすくすと澄んだ笑い声が夏のぬるい空気に溶けていく。もうさっきまでの沈んだ声色は消えかけていた。腹が立っても仕方がないはずの無邪気な笑い声が耳に馴染む。心地の良い理由はわかっている。梨香が梨香で、俺が俺だからだ。
「私たちってお揃いだ」
 梨香のローファーがアスファルトを軽やかに踏んで、半歩俺に近づいた。触れた傘から流れる雫が制服の肩に染みていく。温い雨粒は少し高くなった体温に少し似ている。
「ね、そういうことだよね?」
 嬉しそうに梨香は俺を見上げ、橙色の石ころを灰色の空にかざす。返事の代わりにもう片方の手に触れると、またくすくすと笑い声が零れた。少しずつ大きくなってきた雨粒を俺の傘のビニールが弾いていく。向日葵柄の傘は、今日も隣でくるくると回ってる。
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