Black.Willow.Maple.

菅原 龍飛

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第三話

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 ……と、まあ、なにもかも首尾よくいけばいいのだけど。

    残念ながら人生はそう甘くない。
    スキンヘッドを沈黙させたまでは良かったが、その後すぐに数の暴力に屈してしまった。
    まずい、捕まった。冗談抜きで本当にこれはやばい。こんなとき絵里がいれば……。

「はあ、手間をかけさせないでくれよ。それで、掃除は終わったか?」
 韓流の男は、腕を捻られて地面に膝を突かせられている私の目の前にしゃがみこんだ。私を捕まえたことで少し機嫌が良さげであった。
 私の機嫌は最っ悪だけど。
「さっきまであんなに威勢が良かったのに捕まった途端黙り込むのか。まあいいさ、そっちの方が運びやすい。だが……」
 奴はスーツに固められて動けない私の頰を殴った。反対にもう一発。
    冷めた頬に痛みが滲む。私は男を睨みつけた。
「女を殴るなんて最低ね」
「あの、そういうことはあまりよろしくないのでは?」
    復活したスキンヘッドが男の顔色を探りながら心配そうに聞く。
    あれ?もしかして、見た目に反してこいつって優しいやつ?猫とか好きだったりするのかも。
「別に構わない。綺麗な顔を傷つけたのは失敗だったかもしれないが、内臓は傷つけてないからそっちの筋に売ればいい」
    そりゃどーも、私は吐き捨てるようにいった。
「ならいいのですが」
    スキンヘッドはあっさりと引き下がった。
    え、別に私の心配をしてくれたわけじゃないんだ。わかってはいたのに裏切られたような気分を味わされた。ただ単に人身売買の商品として心配されただけだった。なるほど、これが痛みものの野菜の気持ちか。
「ところで、君はさっきから呑気に考え事をしているようだが自分の立場をわかっているのかな?」
    そうだった。男にそれを言われて、忘れかけていた頬と捻られている腕の痛みが蘇る。ここからうまく脱出する方法はないかな。
 すると、男の奥、路地の入り口の建物の影に誰か立っているように思えた。まさかあいつ……。
「聞いてるのかい」
    男が私の顎をがっしりと掴み、頰に再び痛みが走る。そして、ガムテープで口を塞がれた。どうやらこれ以上私に話をさせるつもりはないらしい。そもそも叫ばれないようにするには最初からそうした方がいい気がしないでもないが。
    それにしてもなにやってんのよあいつ。なんで来ないの?
「さっきのやり取りを聞いてわかったと思うが、内臓が無事で君が死んでなければどうとでもなると思うんだ。君は我々のことを馬鹿にした上、部下に怪我を負わせたんだ。しっかりと責任はとってもらおう。……さあ、どうやってとってもらおうか、そうだなぁ」
    男は、私を頭から脚まで鑑賞物でも見るかのように、じっくりと品定めでもするかのごとく見た後、デコピンの要領で私の胸を人差し指で二回弾いた。そして、私の股のあたりをつついた。まるで楽しむかのように気持ち悪いくらいの笑みを浮かべて。
    ……え、嫌、嘘、でしょ。それは、それだけは嫌だ。自業自得だからどんなに殴られてもいいけどそれだけはぜったいに
「まず最初に相手にして欲しいのは誰だい?特別に選ばせてあげよう」
    私は叫んだ。身を大きく震わせ、涙を滲ませ今までにないまでに大きく。しかし心の声を内包した叫びは、自らの唇と粘着質な布に阻まれ吸われ、ようやく鼻から外界に出ても、ただただ虚しく決して高くない音を出すだけだった。
「それくらいにしてやってくれないか。そいつが先に手を出したのかもしれんが嫌がってるだろ」
    声の出所は路地の入り口。一人街灯に照らされて、火のついていないタバコを咥えフードを被った男。
    たける……。やっぱりあの影あなただったのね。私はほっと胸をなでおろした。
    健はタバコに火を点け一息分吸った後、白い煙とともに言葉を吐き出した。
「そいつは知り合いなんだ。ここは俺に免じて許してくれないか?」
「……あんたが誰か知らないが、彼女は部下を傷つけたんでね。そう簡単に許すわけにはいかないんだ」
    男が立ち上がって答えた。
「でもガムテープくらい剥がしてやったらどうだ?痛そうだろ」
「痛そうだろうがなんだろうが、叫ばれて困るのはこっちなんでね。さっきも危なかった……あなたは来ましたがね」
「んじゃしょうがない、別のやつに頼もう」
「勝手に部下に指図しないでもらいたい」
「わかったよ。別んとこから連れてくるよ」
    健は振り返ってその場を立ち去ろうとした。
「おい待て待て待て。待てよ。あんたは頭がおかしいのか?このまま無事にどこか行かせるわけがないだろう」
「じゃあどうする?」
 男は頭を押さえため息をついた。
「やれ」
 男は低いトーンでスーツの部下たちに命令した。
    私を掴んでいるやつを除いてだが一斉に部下たちが健に向かって走り出した。
    街灯に照らされた5人の男の影が重なり混りあった。
    そして私は、私を掴んでいる部下の一人がそれを見て一瞬掴みの手が緩くなるのを逃さなかった。
    次の瞬間、私はその部下を地面に叩き伏せた。そして思いきり私の鉄槌を頬に食らわせてやった。
    ガムテープを剥ぎ取り、こちらに気づいた男と対峙し睨み合う。というよりは相手は怯んだようでこちらが一方的に睨んでいるだけだった。
「覚悟はいい?」
「お、おい誰かこ──」
    言い終わる前に私は低姿勢で相手の懐に入り込み、渾身の右アッパーを韓流イケメンクズやろうの尖った顎に叩き込んだ。相手は今度こそ本当に、想像ではなく後ろに倒れこんだ。一発で伸びたらしく、ピクリともしない。
    ここ数日で一番清々しく晴れ晴れとした気持ちになった気がした。そのように思ったのも束の間、右拳の激痛に全ての感情が支配ジャックされた。

    健たちのほうを見てみると、スキンヘッドがこちらに走ってきていた。
    再びスキンヘッドと対峙する。距離は二メートルほど。相手がにじり寄り、大振りに殴りかかってきた。今度は向こうも手加減なしだった。左手でそれをカバーするが勢いを殺しきれず押される。しかしそれを利用して腕を掴んで足をかけ、背中を使って投げ飛ばす。相手は着地しナイフを取り出した。
 まじで?それは聞いてないって。さっきから思ってたけど、今回いつもより相手が強くない?
 ほとんど間をおかず、相手はナイフを正面構え、突っ込んできた。私は思わず、両手で体を守った。避けるという選択肢を思いついたのはそのコンマ何秒後であった。
 しかし、ナイフが私を傷つけることはなかった。相手が駆け出したときに助けに来てくれた健が、相手を後ろから殴り伏せたのだ。

「ありがとう。助かったわ健」
 部下たちをほぼ一人で倒した健はこちらを呆れた顔で見ていた。
「助かったわ、じゃねえんだよ。カエデちゃんとわかってるか?こいつらは」
「あら、“カエデちゃん”なんて呼んでくれるの?嬉しい~」
    手を口元に持っていき可愛い子を演じてみて、ちらりと健を見る。
    完成させたロボットの脇に落ちている未使用のネジを見るような目だった。
「冗談でしょ。やめてよ、私が本当にそんな人みたいに。わかってるわよ。こいつら人身売買とかやってた俳優崩れでしょ」
「よくこいつが俳優だとわかるな」
「だって、イケメンだもん」
「すると俳優崩れなのか?」
「じゃないの?」
「まあ、いいんだが……いや、よくない。こいつらは人身売買やってる奴らだからな。小規模な奴らだからといって、いつもみたいなただのチンピラや窃盗犯とは訳が違う。素人が手を出していい相手じゃない」
「でもあなたは倒した」
「……まあ、な。治安も悪くなったもんだよ全く」
 健はなんとも複雑そうな顔をしていた。
「ていうか、あんた私が触られてるのみてわざと助けるの遅らせたでしょ」
「いや、別に、これで懲りないかなとか思ったわけじゃ……ごめん」
 言い逃れがどうやっても無理だと悟ったのか、素直に謝ってきた。
「別に謝ることなんてないよ。いくら彼女の友達だからって。それに今回は助けてもらったし」
「今回も、だろ。ていうか彼女の友達とか言わずに幼馴染とかでいいじゃん」
 健は再び呆れたように、そしてどこか寂しそうに言った。私は彼の顔を見る。さっきの話で彼の耳が赤くなっているように見えた。幼馴染で一人残された身にもなってほしいものだ。
「そうね。あ、そういえば絵里から電話なかった?」
「あったよ。それでここにきたんだ。カエデが危なっかしいから近くにいるなら行ってって」
「おー、ついに恋人同士の会話に参加してしまったか」
 私は助けてもらったことに悪びれずに嬉々として答えた。
「……まあいい、とにかくこいつらはいつもの始末でいいんだよな?」
 絵里の恋人で幼馴染でもある彼は、話をそらすかのように、そして確認するように聞いてきた。そりゃ久々にこんなことすれば心配にもなるだろう。
「うん、いつも通り警察呼んでくれる?」
「今回はしっかりお前もいろよな。あと呼ぶ間も無く巡回がここを通る。あいつらずっと時計確認してたろ」
「わかってるわよ……え、ていうかなんで時計見てたこと知ってんの?健、あんたいつからいたのよ」
「それは……企業秘密」
「……馬鹿」

 はあ、疲れた。今から聴取とかだから遅くなるだろうな。横目に、街灯に照らされた頼もしい顔つきの彼をしばし見つめる。そして小さく息を吐いた。あーあ、あとでしっかり絵里にもお礼言わないとな。
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