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先生視点
01
しおりを挟むあの子を拾ったのはとても冷える冬の夜だった。
吐き出した白い息が空に溶けていく。降り積もった雪を踏みしめて重厚な石造りの門の前に立つ。
門番は訪問者の顔を見ると何も言わずに軽く会釈だけをしてそのまま業務に戻る。自分がすることなど何もないと理解していたからだ。彼はいつも勝手に屋敷の中に入って勝手に帰っていく。それを証拠に門番が横目で彼がいたところを見ると既に彼は消えていた。卓越した転移魔法に門番は表情に出さずに感嘆した。
アンティークの照明だけがぶら下がったうす暗い窓が一つも無い広い部屋の中に円卓を囲むようにして身なりのいい服装の男女が静かに座っていた。
その場に唐突に何もない空間から男が現れても彼らは驚く仕草は無い。
その中で比較的歳を取っているように見える一人の男が唐突に部屋の中に現れた男に声をかけた。
「よく来たな、キーラン」
癖のある黒い艶やかな長髪を一つに束ね、仕立ての良いスーツを着こなす紳士の男は特徴的な赤い瞳で声の主達を見つめてニコリと笑った。
男は千年以上を生きた吸血鬼である。
“キーラン”という名はその千年の中で呼ばれた数ある名前のうちの一つであったが、目の前に傲慢な様子で座ってこちらを見つめる吸血鬼達の中ではその名に統一されたようだ。
キーランは桁外れの魔力を持って生まれてきた吸血鬼だった。幼い頃から魔法を自在に操り優秀だった彼は長い生のほとんどを惰性に生きていた。
何せキーランの目にはこの世の中は非常に陳腐なものに見えたもので。一時期は暇に飽きて人間を食い荒らすという“やんちゃ”をしていた事もあった。
それにも飽きると研究職に就き知識欲を満たすとまた引きこもって惰性を貪った。
しかし気が付けば出来ていた古い吸血鬼達が上に立つ“連盟”に自分たちの管轄である魔法の教育施設の教員になれと命令されたキーランは面倒な高位吸血鬼達から不和が生じるのをやはり面倒に思って大人しく従い教職に就く。
教職はキーランが思っていた以上に楽しめた仕事だったが面倒事も多く、百年ほどで面倒な高位吸血鬼からの苦情にうんざりしてあっさりと辞めた。
教職から離れたはいいものの古く強い力を持つキーランを手元に置いて監視して置きたかった連盟は度々キーランを会合に呼んでは厄介事を押し付けていく。
今日もやはり厄介事を押し付けられてため息を溢したくなるのをキーランは耐えた。
最近人間達が随分と物騒な事をしていると聞いていたがまさか自分がそれを処理するハメになるとは……。
その話題が口火を切ってしまったのか先ほどまで静かだった部屋の中が吸血鬼達の不満と文句で熱気を帯びて騒がしくなっていく。
あの過激な人間嫌いの吸血鬼はシュバルツ家だっただろうか。人間を卑下し差別的発言を随分と気持ちよさそうに口にしている。
一方で穏健派や中立派は黙秘を貫いていた。それはそうだろう彼らは裏で人間を飼っているものも多い。
そんな話題を変えるためだったのか世間話と言わんばかりに自分と同じ歳ほどだった元同僚の吸血鬼に「そろそろ身を固めてはどうか」というお節介を言われてキーランはわかりやすく固まる。
先ほどまで盛り上がっていた者たちもそれを聞いてこちらの話に入ってきた。
「いいじゃないの、キーランうちの家に来なさい好きな子を持っていっていいわよ」
「ただでさえ吸血鬼の血が薄まっていく中で吸血鬼狩りなんてものが起きてしまったんだ純血の君もそろそろ身を固めてほしいとは思っていたんだよ」
「子孫を残すのも純血たる吸血鬼の使命だよキーラン」
余計なお世話もいいところだ。吸血鬼として長く生き世界の色んな所を点々としてきたからこそ思う。
誰かと正しく永遠を誓って共に生きるなど馬鹿馬鹿しくてしょうがない。
そもそも血が薄まったのも吸血鬼達が妙に人間に恋慕を抱きがちだからだろう。
それは最近の若い吸血鬼達だけでなくここにいる古い吸血鬼達も含めてだ。
最近は人間の血が濃すぎて吸血鬼の特徴を持って生まれない子もいるほどらしい。ゆえに吸血鬼の数が相対的に減っているとの事だがそれをこちらに押し付けないで貰いたい。
と、キーランは長々しく考えた後に「結構です」と貼り付けた笑みで返した。
「そんなに吸血鬼が減っちゃってたんだ~」
そんな間延びした声が部屋に響いて皆が声をした上の方へ目を向ける。
大きなシャンデリアの上に座って彼は足をぶらぶらと遊ばせてこちらを見下ろしていた。
彼はニュイ。彼と称しているが性別は不明。
白い髪の中性的な少年のような姿、キーランが初めて彼と出会った頃から姿は全く変わっていない。
わかっているのはここにいる誰よりも長く生きていて色々と不明な点が多い吸血鬼だという事。
有体に言えばキーランはニュイの事が苦手だった。しかしそれはこの会合の誰もが同じだったようで、周りがニュイに今回の厄介事の説明を始めてキーランは察した。これはニュイを押し付けられるな、と。
予想は当たって何の滞りも無くニュイがキーランについてくる事になった。
「それで?なんだっけ?」
先ほど説明された話は何も頭に入っていなかったようなのでキーランが再度説明をした。
「吸血鬼狩りをおこなっている魔術師の家系の人間達を滅ぼせ、との事です」
「ふ~ん……殺した後の人間達の処理はぁ?」
「隠蔽しろ、やり方はそちらに任せよう」
「は~い」
「じゃ、いこっかぁキーラン」
キーランはニュイが苦手だ。キラキラとまるで子供のように純粋に輝く色素の薄い瞳も、吸血鬼としての在り方も。
******
「アルバート家ってどういう家~?」
元来、優秀な魔術師を輩出しているというアルバート家は由緒ある家柄で、土地柄もあってか吸血鬼との仲は非常に険悪。
ここ最近は人間の生き血を吸わない吸血鬼すら狩り始めて吸血鬼を素材に魔術の素材にしているんだとか。
人間側もどうにかアルバート家を止めようとしているらしいがその実、吸血鬼狩りを都合良く思っている者やアルバート家からの賄賂などで口を出せない者達が動いているせいで身動きが取れなくなっているらしい。
そして吸血鬼側がいい加減動かざるを得ない状況にまでなりキーランの元まで話がやってきたというわけだ。
人間達の中には吸血鬼は危険だと警鐘を鳴らす団体もいる。今回証拠を残して吸血鬼の残忍な面を訴える口実を人間達に与えてしまだろう。
そうなってしまえば人間との関係が面倒な事になるのは確かだった。
だというのに何故食い荒らすニュイをお供につけたのか……こういう時だけ権力を持たなかった事をキーランは後悔した。
「……吸血鬼差別をする昔ながらの魔術師の家系ですよ」
「あはっ、吸血鬼も似たようなのいるもんなぁ」
「違いがあるとすれば彼らは我々を魔術の素材として見ているという事です」
「吸血鬼は下等な人間が魔法の材料になるなんて思わないかぁ」
******
「雪めちゃくちゃ降ってるねえ」
この日はいつも以上に冷え込んでいた。
さむいさむいと言いながらキーランのコートに入り込んできてまるで恋人のようにすり寄ってくるニュイを無視してキーランはこれから滅びるアルバート家を見下ろした。
聞いた話によれば今日は親戚一同が集まって集会をしているらしい。時間は深夜になりそうだったが未だに屋敷の電灯はついたままだ。
さっさと終わらせようと動いたキーランをニュイがコートを引っ張って止める。
「なにか屋敷の中が騒がしくないかい?」
まさか襲撃がバレたのかと思ったがどうにも様子がおかしい。
人間の怒号が屋敷の外にまで響いたかと思えば中から使用人が何かを担いで屋敷の外に出てきた。
あまりにぞんざいな扱いに一瞬何かわからなかったがそれは人間の子供で、そのまま使用人は子供を門の外まで放り出すと「魔力無しの落ちこぼれがいていい場所じゃないんだよ」と吐き捨てて屋敷の中に入っていった。
キーランはその子供に近づいて見下ろした。子供は殴られたのか頭から血を流してピクリとも動かない。
先ほどのやり取りで何が起きたのかはよく理解できた。
名門の魔術師を輩出している家だ。
あの使用人が言った通り一切無いわけでは無いが今時珍しいほどにこの子供からは魔力を感じられない。
魔術の才能が無いという理由だけで疎まれ、蔑まれてきたのだろう。
碌に食事も与えられていないのであろう事が枯れ枝のように瘦せ細った腕から察してこんな時期にこのように放り出されてはこの子は持たないだろう。
今もなお降り続けている雪が子供の身体を隠していく。死にかけで血の気が失せた顔色は人間が想像する吸血鬼像そのものだ。
「そっかぁ、人間は掃いて捨てるほどいるんだな……」
ニュイがそう呟いたので隣を見たがすでにニュイはいない。
今日はもうキーランの仕事は無いだろう、いや後片付けはあるだろうが。
しかしキーランはそれもやりたくないなと考えた。何故ってこんなクソみたいな仕事とニュイを押し付けられた挙句に嫌なものを見たしこの後の惨状を見るのはもっと嫌だ。
ただじっと子供を見下ろして事が終わるのを待つ。屋敷の中から悲鳴が聞こえ始めるとニュイが隠れもせずにわざと派手に暴れながら惨殺している事を察した。
おそらくこの後人間達は全身から血が無くなるまで血を吸われる事だろう。
本能のままにニュイが吸血しているところを見てからそのあまりの醜さに自身もそうなのでは無いかと生き血を啜る行為そのものが苦手になってしまっていた。ニュイの食事はそれほどまでにキーランにとってはおぞましい光景だったのだ。
これが周知されれば潔癖が過ぎると笑われてしまうだろうが結果人口血液や血液錠剤の研究が進んだことを思えばよかったのかもしれない。
潔癖な吸血鬼も昨今では珍しくない存在だ。
あまりに屋敷からの悲鳴が大きかったのか子供の指が一瞬動く。子供が重そうにゆっくりと瞳を開けると子供の色素の薄い瞳と目が合った。
暗い夜の中、月の光に照らされて生気の無い瞳がキーランを静かに見つめて、またゆっくりと目を閉じた。
この後のキーランの行動は二十年後のキーランでも説明できないだろう。
アルバート家の人間は全員排除。これはその家でどんな扱いを受けていたとしても。もちろんこの子供にも適用されるだろう。
その後の隠蔽作業の事も考えると雑なニュイ一人に任せる事はあり得ない。
しかしキーランは静かにその子供から雪を払いのけ自身のコートに包んで抱き上げた。
コートに包まれた子供が再度薄っすらと目を開くと空を見上げて手を伸ばした。
「ちょう……ちょ」
「コラコラ」
振り返るとニュイの使い魔の蝶が屋敷を飛び回っていて血を出している子供のところに向かってこようとしていた。
血液から出るほんの僅かな魔力に反応して来たのだろう。使い魔まで趣味が悪いなとキーランは一瞥してから、子犬や子猫を拾うかのような感覚でキーランは子供を連れて帰った。
この時、けしてキーランは子供に同情したとは思わなかった。何故ならキーランは感情の無い冷血な吸血鬼だと自負していたから。
******
家に連れ帰った子供は回復魔法をかけてやればすぐに元気に回復した。
最初はおどおどとしていたが元の家よりも居心地のいい場所だと理解したのか、キーランはペットのように扱っていたがどうもそれがお気に召したらしい。
知識は無かったものの聡かった子供は何も言わず現在の境遇を享受するようになった。
お互いに自己紹介などしなかったためにお互いの名前を知らなかった。
二人暮らしの事もあってか名を呼ばなくても案外問題はなかったからだ。
しかしある時どう呼んでいいのかわからず少し言いよどむキーランにすぐに察した子供は自分はノラという名前だと教えた。
生活も慣れるとノラの常識の無さが気になってくる。
それに加えてどうやらあの家の中では話す事も許されていなかったのかノラは同じ年頃の子供達と比べてどうにも活舌が悪い。
気まぐれで拾いはしたが躾はしておくべきだろう。
自身が教員職であってよかったなと思った。当時の悪童共を思えば聡く、言う事をよく聞くノラは扱いやすかった。
否、そういう風になるように教育されていたのだろうが。
そうして一つずつ教養を身に着けさせるとノラはキーランを舌足らずに“先生”と呼んだ。
呼ばれ慣れているし特段困ることも無かったため了承の意味を込めて頭を撫でてやるとノラは嬉しそうに目を細めた。
キーランは二つ、ノラにしてやって気に入っている事があった。
一つは頭を撫でてやること。あんな生気の無い瞳をしていたとは思えないほど嬉しそうにする。尻尾でも生えていたら振り回している事だろう。しかし些細な事で大げさに喜ぶ事に自尊心の低さを感じた。
もう一つは一緒に眠ってやる事だった。どうも夜に不安を感じる事が多いようで一緒に眠ってやると安心するようだ。
人間の体温が吸血鬼よりも高い事は知っていたが随分と心地良いものだなとキーランは思った。
何故吸血鬼はあんなに人間を好きになるのかと疑問に思っていたがそれを理解できると思う程度にはキーランはノラの温かさを気に入っていた。
教材の一つとして適当に人間達が読むお伽話をいくつか見繕って眠る前に読み聞かせてやると、よりにもよって一番最初に選んだ本は吸血鬼への偏見が凄まじいものだった。
「おやマァ……なんて偏見と差別意識に塗れたお伽話なんでしょう」
「せんせがえらんだほんだよ?」
ノラは難しい言葉は理解できなかったがキーランがこの本を好ましく思わなかった事に気が付いたのだろう。
しかしキーランはノラが自身の感じたことをしっかりと口に出した事に何故だか痛く感動して本を閉じて頭を撫でてやった。
この時に本は処分して無くしてしまえばよかったのかもしれない。そのお伽話は適当にしまい込んで次々と別の本を読み聞かせた。
大きくなったノラがそのお伽話を一番お気に入りのものだと言って頭を抱える事になるとは露とも知らずに。
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