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第一部 魔王の『力』を受け継ぎまして

第25話 彼女に初めてを奪われまして

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 ズギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ――――ッ!

 宝箱が走る音だよ。
 スゲェスゲェ、最高速度がものスゲェ。馬の何倍の速度だ、これ?

「も、もうだいぶアヴェルナも近いんじゃないかな……?」
「かもしれんが、景色見ても位置がわかんねぇ……」

 何せ速い。とにかく速い。
 周りを見ても残像しか見えん。地形がわかり様がないっていう、ね……。

『登録した座標までは、あと三時間くらいだよ~い!』

 聞こえる、ミミコの声。
 あのダンジョンを出てからまだ二時間ほど。そして街まで、あと三時間。
 どんだけの速度で走ってんだ……?

「ダンジョンに行くまで、二日半かけてたのにね~」

 俺の隣で、ラーナが「すごいな~」と笑っている。
 まぁ、行きのときは馬車で爆走したわけではないけど、それでもすごい差だわ。

『ウェヒヒヒ~、これがミミの最高傑作『ミミッカイザー壱號』ちゃんのスペックのなせる業なのだ~! 超絶機動力に超絶防御力! 中身を守る宝箱の模範だね!』
「『邪神崩れ』に突撃してひっくり返ってたクセにな」
『それは言いっこなぁ~し! ノーカン、ノーカン! 宝箱に攻撃力は必要なし!』

 まぁ、それは同意なんだけどさぁ。
 それ以前に宝箱にいるか? 機動力? って思ったりもするワケなんですけどね?

「…………」

 ラーナが、何か意味ありげな視線をこっちに向けている。

「どうかしたか、ラーナ?」
「えっと、ビスト君とミミコさん、仲いいな~、って……」

 あー、そういえばそうかもなー。あんま意識はしとらんかったけど。

「う~ん、そうなぁ。俺の前世の配下だったワケだけど、俺とミミコは別に何の関わりもないワケではあるからなー。でも、やっぱ近しい存在に思えるというか……」
『親戚のイカしたお姉様って感じなんだね~、わかるわかるぅ~!』

「いや、孤児院の手のかかる妹と接するときの感覚そっくりだわ」
『お~っと、ビスっちは妹系、後輩系がお好みなんだねぇ~、ふにふに。意外~!』
「おまえ、さては案外打たれ強いな?」

 などとミミコが話していると、またもやラーナがさっきの視線を俺に向ける。

「ラーナ、マジでどしたん? 何か言いたいことあるなら言え? 聞くからな?」
「あ、あの、別にそんなんじゃ……」

『バ~カバ~カ、ビスっちは察しが悪いな~! ラナっちは妬いてるんだって~!』
「へ?」
「ミミコさん!?」

 焼いてる? 何を? 赤魔法なんか使ってたっけ?

「あ、あのそれよりも、ビスト君!」
「ぉ、おお、な、何よ……?」

 何故かラーナは若干取り乱しつつ、俺に何かを問おうとする。
 彼女は、こっちを心配げに見つめてくる。

「体は、どう? 一応、白魔法で治しはしたけど……」
「あ、それね。ん~……」

 きかれた俺は、自分の右手をグッパ、グッパと握ったり開いたりする。

「……うん、だいぶいいな。かなりマシになってるよ」

 俺の答えに、ラーナは「ほっ」と安堵の息をつく。
 実際、かなりマシにはなってる。ずっとまとわりついていた虚脱感が薄まった。

『街に戻るまでは、ビスっちは魔法使わない方がいいよ~? 『魔装』まで使っちゃうなんて、大盤振る舞いしすぎなんだからさぁ~』
「わかってんよ……」

 ミミコにまで注意を受けて、俺は宝箱の上で憮然とした顔を作る。

「あの『魔装』って、ミミコさんも使えるんですか?」
『みょ? 使えるよ~。『五禍将フィフステンド』はみんな使えるし~、ミミの時代の魔王軍なら将軍格以上は大体使えたよ~。人類側だと『勇者』くらいしか使えなかったと思うけどね~。人類の皆様は使えても五属性『混色』くらいだったし~』

 人間基準で見ればそれでも大概バケモノなんだけどな、五属性『混色』。
 ま、ラーナなら割と早めにそこら辺まではできるようになると思うけどねー。

『さらにさらに~、実はパパッちは『魔装』のも一つ『上』を~』
「待て」

 言いかけていたミミコを遮って、俺は立ち上がる。

「……ビスト君?」
『およよ、どしたん、ビスッち~?』

 二人の呼ぶ声を聞きながら、俺はしばし無言でそこに立ち尽くす。
 すると、俺の耳にまたしても遠くからズンと響く音が聞こえた。

「何、今の重い音?」

 ラーナも気づいたようで、音がした方向へと目をやる。そっちは――、

「アヴェルナの方だ……!」

 それに気づいた瞬間、俺は、右手を広げて大気から式素の抽出を始めていた。
 銀、銀、銀、赤、赤、赤の二属性多重連鎖で『混色』。術式を組み上げ簡易発動。

「『疾走転移ラピッドドライブ』!」

 ヴン、と一瞬だけ景色が揺れて、次の瞬間に四足歩行宝箱は短距離を転移する。

「え、何、今の……!?」
『バ――』

 理解できていない様子のラーナと、俺に何かを言いたげなミミコ。
 しかし、ミミコの言い分を聞いているヒマは今はない。俺はもう一度術式を構築。

「『疾走転移』!」

 空間を跳躍し、再度の転移。ここでミミコが声を荒げた。

『何してんの、ビスっち~! 今のキミの状態で、簡易発動とはいえ空間転移なんて消費のおっきい術式使ったら、どんだけ体に負担がかると思って――』
「ンなコト、言ってる場合じゃなくなったんだよ! いいから走ってろ!」

 今の重い音は『邪神』の足音だ。間違いない。
 それが、アヴェルナの街の方向から聞こえてきた。――平静でいられるものか!

「ビスト君!」
「アヴェルナに突撃する。すぐ着く、待ってろ!」

 ラーナにも言って聞かせ、俺は灼熱の焦燥感の中、みたび術式を発動する。

「『疾走転移』ッ!」

 三度目の転移。しかし、簡易発動では一度に転移できる距離が短い。
 が、長距離の転移は、転移する先の座標に目印を刻んでおく必要があって無理だ。
 クソ、あらかじめ、冒険者ギルドにでもマーカーを仕込んでおけばよかった。

「『疾走転移』!」

 四度目の短距離転移。
 ミミコの宝箱の速度にこの転移を加えれば、かなりの時間短縮に繋がるはず。

「ビスト君、ダメだよ、そんな無茶……!」
「アヴェルナの街がヤベェんだよ! 今、無茶しないで、いつするんだ!」

 ラーナの制止を振り切って、俺は五度目の空間――、ぐ……ッ、

「ビスト君!」
『ほら~、体がついてけてないじゃ~ん!』

 立ちくらみを起こして倒れかける俺を、ラーナが抱きとめてくれる。
 クソ、不覚。いきなり体が重くなり、視界が暗転しかけた。

「こんな、ひどい熱……」
「大丈夫だ……!」

 早鐘を打つ自分の鼓動を耳元に聞きながら、俺はラーナから離れる。
 それだけで視界がグラリとかしいだ。うまく立てずにどうにもフラついてしまう。

「――『疾走転移』!」

 ヴン、と、五度目の空間転移。
 同時に、頭の奥の方から激しく疼くような熱い痛みが襲ってくる。

「ぐぎ……ッ!」
『バカバカバカバカ~ッ! ちょっと、一回速度を緩め――』
「止まるな、走れ! アヴェルナに急げ!」

 全身を不快な熱に蝕まれながら、俺はミミコに命じる形で懇願する。

「俺は大丈夫。大丈夫だッ! だから、一刻も早く、アヴェルナに……!」
『~~ッ! もぉ~~ッ! ビスっち、あとでいっぱいおせっきょだからね~!』

 一瞬緩みかけた四足歩行宝箱の速度が、すぐまた元に戻る。
 俺は、呼吸を深くしながら、真っすぐアヴェルナの方向を目指して、術式を組む。

「ビスト君……」
「すまん、ラーナ」

 俺は、六度目の転移を行ない、ラーナに謝った。

「叱るなら、あとでいくらでも聞く。今はとにかくアヴェルナに急がせてくれ」
「…………わかった」

 絶対にわかってない調子で言われたが、まぁ、いい。今はそれでいい。
 頭痛と同じような疼痛が、胸と腹にも及んでいる。
 さらには全身を隈なく冒す虚脱感に抗いながら、俺は、転移の術式を発動させる。

「『疾走転移』!」

 ――頼む、間に合ってくれ!


  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 目の前にあるのは、アヴェルナの街の南門。
 今は誰の姿もないそこに、ミミコの四足歩行宝箱が到着した。

「ぅ、ぁ……」
『ああああああああ、ビスっち~!?』

 立っていられず、俺は宝箱の上からズリ落ちてしまう。
 体が地面にぶつかる音はしたが、痛みはない。いや、そもそも感覚がないのか。

 仰向けになった俺は、空を見る。
 まだ陽が高い。街も無事みたいだ。何とか、間に合った。

「行かなきゃ、な……」

 俺は、グッと体に力を込めて立ち上がろうとする。
 しかし意識がくらんで、地べたに座り込んでしまう。オイオイ、冗談だろ。

『ほら~、クタクタのクタタ~ンじゃないのよ~! 無理しすぎだよぅ!』
「その必要があったんだよ……」

 地面が揺れる。
 その揺れの激しさからわかる。『邪神』は、もうすぐ近くまで来ている。

「はぁ、はぁ……」

 俺は呼吸を乱しながら、何とか立ち上がろうとする。
 体が重い。鉛どころじゃない。まるで自分の体じゃないみたいな錯覚を覚える。

 ミミコの言う通り、転移魔法の連発は体への負担が大きすぎたか。
 だが、それに見合うだけの結果は出せた。こうして、間に合うことができた。

 しかしそれだけではダメなのだ。
 街の近くにまで迫っている『邪神』を駆逐しなけりゃ、終わりとはいえないから。

「行か、なきゃ……」

 グググと全身に力を込める。
 しかし、全精力を使い尽くした体は冷え切って、凍ってしまったかのようだ。

「ク、ソ……ッ!」

 結局、立ち上がることができず、俺はまたしても地面に尻もちをついてしまった。
 何て情けない。街を壊される前に帰ってこれたのに、この体たらくとは。

『バカバカ! 休んでなきゃダメだよ~!』
「この状況で休んでられるかよ……」

 そんな楽しくないこと、できるワケがない。何のために急いだと思ってんだ?

「――ビスト君」
「お?」

 声がして、見上げれば、いつの間にか俺の前にラーナが立っていた。
 まさか、彼女もミミコ同様に、俺を止めるつもりなのだろうか。

 そう思って観察していると、俺はふと気づく。
 あれ、どうしてラーナの頬が赤く染まってるんですかね……。

「ごめんね、ビスト君」
「え、何……」

 いきなり謝られて、俺は疑問を返そうとする。
 直後、彼女はその身を屈ませて俺の顔を両手で挟んで、自分の顔を近づけてきて、

「え」

 一声漏らしたすぐあとの俺の唇に、やけに柔らかいものが押しつけられる。
 見開かれた俺の瞳が映すのは、間近にある目を閉じたラーナの顔。

 え? これ?
 まさか? え、まさか? え、この感触、ラーナのくちび……?

 俺の頭の中を埋め尽くす、大量の『?』。
 自分が何をされているのか、二割理解しながら、その理解のせいで八割混乱する。

「ん……」

 という悩ましげな彼女の声と、

『わ、わわわ、わぁ~~~~!?』

 というミミコの驚愕の声で、俺は否応なしに認識させられる。

「…………ッ!」

 ラ、ラーナにキスされたァ~~~~!?
 なな、な、何で、何でェ! え、何、何で、ど、ど、どうしてェェェェ~~~~!

 混乱。混乱。混乱。混乱。
 動転。動転。動転。動転。
 動揺。動揺。動揺。動揺。

 ワケが、ワケがわからない……!
 だけども、俺の唇は今もしっかりラーナの唇のあたたかな柔らかみを感じている。

 ひぇ? ひぇッ!?
 な、なな、ななななな、何が、何がァ~~~~!?

「…………ぁ」

 驚きと混乱にまみれた俺の意識が、しかし、そのさなかに感じる。
 体を満たしていた疲労感が、少しずつ抜けて、体に力がみなぎってきている?

 これは、ラーナか。
 直に接した唇を介して、彼女の生命力がこっちに注ぎ込まれているのか!

「…………」
「…………」

 それから、たっぷり五秒ほど、俺と彼女は唇を重ね続けた。

「――――ッは、ァ」

 ようやくラーナが唇を離す。
 そのときには、彼女の顔色はまるで死体のように生気を欠いたものとなっていた。
 だが、俺の視界を独占しながら、ラーナは笑う。

「『命力譲渡トランスエナジー』、できたよ」

 それは儚げな、けれどもとても可憐な、一輪の花のような笑顔。
 こんなときだってのに、俺は、ラーナが見せたその笑顔に見惚れてしまう。
 だが、彼女はフラリと身を傾けてそのまま横に倒れ伏した。

「ラーナ!」
『あばばばばばば~、今度はラナッち無茶しすぎなりぃ~!?』

 俺はすぐさまラーナを抱え起こす。
 すると、彼女は最悪の顔色のままで、うっすらと目を開ける。

「ビスト……、君」
「バカ、おまえ、何してるんだよ……!?」

「ダンジョンで言ってたでしょ。この魔法は、触れる場所によって注げる活力の量が変わる、って……。だから、唇なら体の中に直接注ぎ込めるかなって、思って……」
「――大当たりだよ。おかげで、元気いっぱいだよ、俺」

 さすがだ。覚えたての魔法でも、ちゃんと考察ができている。
 そんなところに感激している場合ではないが、おかげで疲れは消し飛んだ。

 いや、この場合は、ラーナが疲れを持っていってくれたと思うべきか。
 俺はグッと拳を握り込む。ああ、最高だ。絶好調だよ。

「わたしの最初のキス、ビスト君にあげちゃった……。えへへ……」
「バカ、何言ってんだ! 大人しく寝てろよ?」
「うん。そうするね」

 ラーナは満足そうに言って、目を閉じる。
 俺は彼女を抱き上げると、そこにミミコの宝箱がやってきて、ふたが開く。

「ビスっち~、ラナっちは中で休ませるよ~!」
「頼む」

 俺はラーナを宝箱の中に入れようとするが、その俺の手を、彼女が弱く握った。

「ラーナ?」
「ビスト君、アヴェルナのみんなを、助けてあげて……」

 おまえ、ほとんど生命力失ってる状態でそれを言うのか。おまえってヤツは……。

「わたしは、ビスト君に助けてもらって『楽しい明日』を迎えられるようになったから、だから、今度は街のみんなが迎える『楽しい明日』を、守ってあげて……」
「わかってるよ」

 弱々しい声で頼んでくるラーナの手を、俺はしっかりと握り返す。

「アヴェルナの街がなくなるなんて、楽しくなさすぎる。……やらせねぇよ」
「――うん」

 ラーナはうなずき、そこで意識を失った。
 地面が揺れる。漂う空気には、濃密な邪気が混じり込んでいる。

『ビスっち、ラナっち、収容完了だよ~』
「おまえはここで、ラーナを頼む」
『わかってら~い! ……ちゃんと戻ってくるんだよぉ~?』

 ケッ、誰に言ってやがる、おまえ。
 俺は『慌てず、騒がず、目立たず、気楽に』生きていきたい、ビスト・ベル。
 誰よりも『楽しくないこと』が嫌いで許せない、ビスト・ベルなんだぜ。

「行ってくる」

 ラーナがくれた活力を感じながら、俺は、全力で地面を蹴った。
 地鳴りのした方向は、西。そこに『邪神』はいる。

 ……それにしても、ラーナとキスしたのか、俺。……キス、か。……キス。
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