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第一部 魔王の『力』を受け継ぎまして

第30話 彼女の二度目を奪いまして

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 五日が過ぎて、ようやく俺は立ち上がれるようになった。

「あ~、まだダルい……」

 朝、冒険者ギルドに向けて歩くさなか、軽く首をひねるとゴキッとか鳴った。

『ひゃあ、気持ちいい音しちったねぇ~、今』

 隣を歩く四足歩行宝箱が、何故か楽しげに言ってくる。

「何を楽しんでんだよ、おまえは……」
『えぇ~? 聞いてて気持ちのいい音ってあるでしょ~?』

 ある。
 クソッ、ミミコの言ってることが心から理解できてしまったぜ!

『ビスっち、今日はラナっちはどうしたんだ~い?』
「自分トコの孤児院に帰ってるよ。夕方くらいに合流する予定だなぁ」

『へ~ほ~ふ~ん』
「何ですかね?」

『別にぃ~。ところで、ルイっちに会ったってホントォ~?』
「ルイナか? ああ、会ったぜ。あの『邪神』倒した直後に転移してきやがったよ」
『ふにふに』

 毎度の鳴き声を漏らすミミコ。
 四つ足の宝箱の中で、こいつはかつての同志に何を思うのか。

『ヤだな~、会いたくないなぁ~、あの子、いっつも『働け』とか『怠けるな』とかうるさいんだモォ~ン、全然、ミミの好きにやらせてくれないの、やぁ~ん』
「ああ……」

 そういえば、そうだったねぇ……。
 ルイナのヤツ、見た目、いかにも悪い魔族っぽいけど、あれも演出だしなぁ。

 そうなんだよなー、ルイナって実はすごい生真面目な性格なんだよな。
 あの露出度高めの服装も、あいつ的には『魔族としての正装』のつもりだろうし。

「おまえとは水と油って感じか……」
『ついでに言うなら金と銀~。属性的な意味でも合わないんだよねぇ~』

 こいつは『金禍の将ガイア・カラミア』でルイナは『銀禍の将エアロ・カラミア』だからね。
 魔導学的見地から見ても、地属性の金魔法と風属性の銀魔法は背反している。

「おまえは『青禍の将アクア・カラミア』と仲良かったモンな」
『リルっち、元気にしてるかにゃ~ん』

 さて、そんな話をしつつ道を歩いていると、後から元気な足音が聞こえる。

「わ、ミミッカイザー様だ~!」
「うお~! でっか~い、カッコいい~!」

 走ってきたのは、街の子供が数人。
 中には、俺の孤児院の弟もいる。何だ何だァ~?

『わっふ~ん、ガキ共、こんちわだぜ~。ヘッヘ~、ミミッカイザー様だぞ~!』
「「「わぁぁぁぁぁ~~~~!」」」

 子供達は、ミミコを囲んではしゃぎまわっている。
 それだけで、ああ、なるほどね。と、ことのなりゆきを理解する俺がいる。

 そうかそうか、ミミコは『私』のところにいたときから、子供が好きだったな。
 そして、ガキ共もこの四つ足宝箱に興味津々なワケだ。

「ねぇねぇ、ミミッカイザー様~! 上に乗せて~!」
「あ、ずるいぞ、俺も俺も~!」
「僕も! 僕も乗ってみたい~!」

 大人気やん、ミミッカイザー様。

『にゃっふ~、困ったにゃ~ん』

 これから冒険者ギルドに向かおうというところで、ミミコも困惑している。が、

『じゃ、今日は休日! ヘイヘイ、おめーらを子分にして遊び回ってやるぜ~!』
「「「やった~~~~!」」」

 そうです、これがミミコ・ミッコです。
 思考時間、三秒弱。速攻で開店前休業を選んで、遊ぶことを選択する。

 そして、それを知ったルイナがキレてミミコを追っかけ回すまでがデフォ。
 こうして考えてみると『私』の周りも決してつまらなくはなく、賑やかだったな。

 でも、それに『私』は気づけていなかった。
 バカだよな。ちゃんと人生を楽しめる要素はたくさんあったはずなのに。

『じゃ、ビスっち、オイラちょっくら街中をドライブしてくらぁ~』

 早くもガキ共を上に乗せたミミコが、俺にそんなことを言ってくる。
 ま、しゃーない。ミミコがそれを選択するなら、俺は別に止めようとは思わんし。

「へいへい、落としたりすんじゃねーぞ」
『ヘッヘッヘ、オイラのドラテクは激しいぜ~?』
「落とすなと言ってんだよ!」

 激しかったら落とすかもしれんだろ、おバカ!

『は~い。で、ビスっちもちゃんとラナっちとお話するんだよ~?』
「は?」

 ラーナと話? 何のことだよ?
 俺が不思議に思っているところに、他には聞こえないよう魔力の念話でミミコが、

『キ・ス・の・こ・と♪』
「ぶっは!?」

 俺、噴き出しちゃった。
 おぉ、お、おま、おまえ、おまえ……ッ!?

『ニャッハハ~! なぁなぁにするのはナシだよ~! じゃ、出発だド~ン!』
「「「出発だド~ン!」」」

 俺が立ち直る前に、ミミコはガキ共を乗せて発進してしまった。
 あっという間に見えなくなった。
 地属性担当のクセに、それこそ風みたいな速度で走り去りやがって……!

 さて、こうして俺は一人きりになってしまった。
 ミミコのヤツめ、最後の最後にとんでもねぇ赤魔法を炸裂していきやがった……。

「クッソ~、あいつめぇ~……」

 俺はボヤきながら、テクテクと歩いていく。
 そして、気がつけば冒険者ギルドの建物前にまで来ていた。

「あ~……」

 入り口前に立つと、中からガヤガヤといつも通りの騒々しい声が聞こえてくる。
 扉をくぐれば冒険者達が依頼を探したり、報酬を受け取ったりしているのだろう。

「…………」

 俺は、すぐには扉をくぐらず、しばしの間、建物を見上げる。

「う~ん……」

 ラーナと合流するまで、まだ半日近くある。
 待ち合わせは冒険者ギルドの予定だが、どうしたモンかな。

「ん、いいか。少しブラつこう」

 何となく、ギルドに入る気になれず、俺は踵を返す。
 夕方に冒険者ギルドにいればいいだろ。そんな風に思い、俺はまた歩き出した。

 ……何を話せってんだよ。


  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 歩きながら、俺は考える。
 ラーナがどういうつもりでいるのかがわからない。

 一昨日、ギルドで休ませてもらっていた俺のところに来た、ラーナ。
 そのときにも話したが、特に照れる様子もなく、態度とか物言いは普通だった。

 そうなんだよな、本当にいつもと変わらないラーナだった。
 でも、キスしたあとなんだよな、俺とあいつ。

 ……キス。キスかぁ。

 と、考えている俺の脳裏に、突如としてラーナの唇がどアップで蘇る。
 それだけで、俺は体内の熱が急激に上昇するのを感じた。ほ、頬が熱ゥい!?

「く、何なんだよ、こりゃ……」

 別に、ラーナが俺にしたキスは、じゃないだろ。
 あのときは俺が魔法の乱発で疲れ切って、それをラーナがカバーしてくれたんだ。

 必要なことだった、ともいうことができる。
 ラーナが俺との接触箇所を唇にしたのだって、魔法の性質に基づいた選択だった。

 人口呼吸にも繋がるそれをすぐに思いつけるラーナのセンスは本当に非凡だ。
 うんうん、つまりそうなんだよ。
 俺とラーナとのあれは、キスという形にはなったが厳密にはキスではないんだよ。

『わたしの最初のキス、ビスト君にあげちゃった……。えへへ……』

 ふと思い出される、ラーナのそのセリフ。
 込み上げてきた熱が、俺の心を一気に炎に包みこむ。

「んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん~~~~ッ!」

 ク、クソッ! ダメだ、落ち着こうとしても、無理! ダメ! 不可能!
 ダメだァァァァァァァァ! 身も心もほっぺたも熱いんじゃァァァァァァァァァ!

「あ~……」

 どうすんだよ、どうすんだよ!
 ラーナはどういうつもりであのセリフを言ったんだよォ~~~~!

「あ~も~、わっかんねぇ~~~~!」

 俺は、一人でいきり立って、髪をクシャクシャと掻きむしる。
 そこに、甘い香りが漂ってくる。

「あ~、あ?」

 周りを見れば、そこはアヴェルナの街ではなかった。
 悩みながら歩いているうちに、街を出てしまっていたようだ。

 そして、目の前には色とりどりの花々が咲き乱れている。香ったのは蜜の匂いか。
 ここ、アヴェルナ平原じゃねぇかよ。
 いつの間にかこんなところまで歩いちまってたか、俺。

「あ~……」

 すぐに戻るのも何か躊躇われて、俺は花畑に身を投げて寝そべった。
 そして、一度途切れさせた思考の続き。止めようとしても考えてしまうだけだが。

 ヤバいわ。何も考えていないと、すぐにラーナの顔が頭に浮かぶ。
 おのれミミコめ、余計なことを吹き込みやがって。……いや、余計じゃないけど。

 悩むよ、悩む。どうにも悩む。
 今こうして寝ていても、目をつむればまぶたの裏にあいつの顔が浮かぶ。

 それだけ、俺の中でラーナが占める割合が大きいってコトだろう。
 そんなことはわかっちゃいたが、改めてこうして考えると、逆に驚きすら湧く。

 いつから、彼女は俺の中でこんなにも大きな存在になっていたのか。
 それを思うと同時に、やはりハッキリさせねばという思いもまた、出てくる。

 そうだな、ハッキリさせなきゃな。
 俺とラーナについて、なぁなぁにはできない。キチンとしないと。

「ぁふ……」

 そうやって、考えがまとまりかけたところであくびが出た。
 あたたかな春の日差しに、花々から流れてくる甘い蜜の香り、眠くもなるか。

「少しだけ昼寝する、かな……」

 夕方まではまだ時間がある。
 少しだけなら、構わないだろ。少しだけなら。――ほんの、少しだけ。

 …………すぴ~。


  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 心地よい眠りの中に沈んでいた俺は、気づく。
 誰かが、俺を呼んでいる。

 あれ、何で俺は寝てるんだっけ。
 すぐにはそれを思い出せずに、俺は「う~ん?」と唸る。

 呼び声は止まらない。
 ずっと、俺の名前を呼び続けている。

 寝ているのがあんまりにも気持ちよくて、俺は起きたくないと思った。
 だが、それでも声は俺のことを呼び続ける。

「――スト君、ビスト君ってば」

 声がして、俺の体を彼女の手が揺する。――彼女? 彼女って誰だ?

「ビスト君、起きて。ねぇ、ビスト君」

 ああ、この声は彼女の声だ。ラーナの声だ。……ラーナ?

「あ……」

 その名が明確に意識に浮上したとき、残っていた眠気はあっさりと消し飛んだ。
 そうして目を開ければ、最初に見えたのは鮮やかな星空。

 何てこった、夜まで寝ちまったのか、俺。
 不覚だ、とか思いながら、目の焦点が合っていく。すると、間近に彼女がいた。

「あ、起きた」

 至近距離で俺の顔を覗き込みながら、ラーナが言って、ニッコリと笑う。
 彼女の背後には、冴え冴えと光を放つ丸い月が見えている。

 淡く輝く月と数多の星を背にして、ラーナ・ルナは可憐な笑みを向けてくれる。
 身がすくんで、胸が高鳴った。
 体の芯からジンと熱いものが溢れて、体を瞬く間に満たすのがわかった。

「――ラーナ」

 頭の中は真っ白のまま、俺は彼女の名を呼び、伸ばした手でその頬を軽く撫でる。
 指先に感じた彼女の頬は柔らかく、夜気に晒されて冷たさもあった。

「ビ、ビスト君……?」

 だが、俺の名を呼ぶと、その頬ににわかにぬくもりが感じられる。
 こりゃ、無理だ。だって、ラーナが近すぎる。

「ラーナ」

 頭の髄に甘い痺れを感じながら、俺は彼女の名をもう一度呼ぶ。
 そして、少しだけ身を起こし、俺は、ラーナの唇に自分の唇を重ねていた。

 ――夜に流れる風の香りは、やっぱり甘かった。
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