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権威づけのない小説は広告したところで読まれない
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まず最初に質問がある。
「あなたは素人長編小説を、読み切ったことはあるだろうか?」
○無名小説を読むほど現代人は暇ではない。
ファスト映画がはやり、アニメ・映画・小説の要約サイト・要約動画がはびこり、業務効率化・成果最大化が求められ、「この世は弱肉強食、自己責任、努力して成長しないと置いてかれる」「税金払わない奴に人権はない」と急かされ、ズル賢く金を稼ぐこと&生産性が神とあがめられる時代。
哲学書や古典文学ですら「仕事で効率よく金を稼ぐための教養」扱いされる。
一日二十四時間ではとても足りず、書店には時間術の本が並ぶ。神絵は秒で消費され、短い動画は「切り抜き」でさらに短くされる。
みんな、好きなゲームをする暇も、観たいアニメを観る体力も、本を読む集中力も残されていない。
物や本を買うときはGoogleやAmazonで検索して、「おすすめの本」「高レビューの本」の中から選ぶ。「失敗の恐れは少ないコスパのよいもの」がもてはやされる。
作品を見るのは、作品を楽しむためではなく、流行りに乗ってSNSで一体感を得て、あわよくばパズるため。
無名小説のタイトルを読む暇があるなら、TikTokを選ぶ人がほとんどだろう。
そんな世の中で、「星の数0。レビューなし。著者の名前も知らない。値段は0円」の電子書籍を、あなたは読むだろうか。
○そもそも、「面白い」商業誌の布教すら難しい。
あなたの職場にもいないだろうか。「推し活」と称して、自分の好きなキャラや人物の話を聞きたくもないのに聞かせてくる人。飲み物と一緒に、推しグッズを押しつけてくる人。こちらの好みや性癖を鑑みず、「これ見て!」と動画を見せつけてくる人。
「推し」への情熱はすごいと思う。でも、情熱が過ぎて視野が狭くなり、自己客観視ができていない。
あなたはそういう人を見て、「ウザい」「イタい」「時間の無駄」とは思わなかっただろうか。
商業作品ですら人に勧めるのは難しい。
相手の好みや性癖をまず聞き、「○○ちゃんなら気に入るかもしれない」と、断定口調を避けつつ控えめに作品を薦める。物足りない情報量で、相手が自力で「推し」情報を調べるように仕向ける。「是非読んで!」、「あの作品観た?」とプレッシャーをかけたりしてはいけない。布教のプロは、「一度でも強引な勧誘で引いた心を、呼び戻すのは不可能」と知っているからだ。
面白さが確約されている商業作品の布教ですらこうなのだ。
じゃあ、「読者ゼロの素人小説」の布教は? その結果は、書き起こす必要すらない。
○SNSでの布教も困難
無名同士相互フォローして拡散するのは、良いアイデアだとおもう。
ところで、あなたは拡散されてきた素人小説を開いたことがあるだろうか? 二話目まで読んだのはいくつ? ハッシュタグ経由で素人小説を読んだことがある? ノベルサイトのハッシュタグがついたツイートがパズっているところを見たことは? 文章書き方本や、コピーライティング、SNSマーケティング、商業マーケティング本の技術を実際に試してみて、反響があったことはある? もしくは、それらを用いた小説紹介ツイートがパズっているのを、見たことがある?
あなたの脳に浮かんできたもの、それが結論である。
多くの人の目に触れたところで、実績がなければ、あなたの小説は読まれない。
○友達に布教するのは愚行である。
では、友達に布教するのはどうだろうか?
結論から言うと、相手が「その小説について聞かせてくれ」と言わない限りは、「布教のふの字」も口にしてはならない。また、相手にその気があったとしても「物足りない」程度の情報量で、話を切りあげることが大切だ。
私たちにできることはせいぜい「小説を書くときの失敗談や苦労話」をエピソードトークで丁寧に包装し、相手にプレゼントする位だろう。
なぜか?
もし、あなたが友達に「魂を込めた小説を読んでくれ」と言ったとしよう。あなたの友達は一度くらいなら、あなたの小説を読んでくれるかもしれない。
しかし、友達は、あなたへの不満を募らせていく。
「聞きたくもない話を聞いて『あげている』」
「読みたくもないのに読んで『あげている』」
「思い浮かばない感想を考えて『あげている』」
自覚の有無は別として、これが正直な感想だろう。
人は強い感情と結びつけられたエピソードを記憶する。もし、小説布教で相手に不快感を与えたらどうなるか。友達は、あなたと話すことがトリガーとなり「素人小説を押しつけられた不快感」を思い出すようになってしまう。
何物にも代えがたい人間関係を危険にさらしてまで、強引に小説を布教するのは、正気の沙汰でない。
私みたくボッチになる前に、コミュニケーションについて学び直し、視野を広く持て。
○布教よりも執筆
もし、あなたの小説がヒットしたことがあるならわかるはずだ。ヒット作は布教しなくても閲覧数が増える。ランキングに乗り、多くの人の目に触れる。SNSで布教するときも「ランキング上位」、「賞を取った作品」という「ハロー効果」を得られる。全く実績のない作品よりは、何倍も布教しやすくなる。
まず、ヒット作を書いて、ランキングや佳作賞に載るのが先だ。そこが、布教のスタートライン。
そのためにできることはただ一つ。「読まれない小説をひたすら書ききること」である。
○あとがき
素人小説書きが、創作論・資料作り・小説布教などについて考えているときは大抵、『「読まれない」という敗北が露見するのを避けるために、あえて小説を完結させないよう努力している』最中である。
布教方法を考える暇があったら、一行でも小説を書く。自分の「読まれない小説を書ききる技術」を信じて。
結局それが、素人小説布教の王道。
地道こそ、近道なのだ。
……泣きたい。
「あなたは素人長編小説を、読み切ったことはあるだろうか?」
○無名小説を読むほど現代人は暇ではない。
ファスト映画がはやり、アニメ・映画・小説の要約サイト・要約動画がはびこり、業務効率化・成果最大化が求められ、「この世は弱肉強食、自己責任、努力して成長しないと置いてかれる」「税金払わない奴に人権はない」と急かされ、ズル賢く金を稼ぐこと&生産性が神とあがめられる時代。
哲学書や古典文学ですら「仕事で効率よく金を稼ぐための教養」扱いされる。
一日二十四時間ではとても足りず、書店には時間術の本が並ぶ。神絵は秒で消費され、短い動画は「切り抜き」でさらに短くされる。
みんな、好きなゲームをする暇も、観たいアニメを観る体力も、本を読む集中力も残されていない。
物や本を買うときはGoogleやAmazonで検索して、「おすすめの本」「高レビューの本」の中から選ぶ。「失敗の恐れは少ないコスパのよいもの」がもてはやされる。
作品を見るのは、作品を楽しむためではなく、流行りに乗ってSNSで一体感を得て、あわよくばパズるため。
無名小説のタイトルを読む暇があるなら、TikTokを選ぶ人がほとんどだろう。
そんな世の中で、「星の数0。レビューなし。著者の名前も知らない。値段は0円」の電子書籍を、あなたは読むだろうか。
○そもそも、「面白い」商業誌の布教すら難しい。
あなたの職場にもいないだろうか。「推し活」と称して、自分の好きなキャラや人物の話を聞きたくもないのに聞かせてくる人。飲み物と一緒に、推しグッズを押しつけてくる人。こちらの好みや性癖を鑑みず、「これ見て!」と動画を見せつけてくる人。
「推し」への情熱はすごいと思う。でも、情熱が過ぎて視野が狭くなり、自己客観視ができていない。
あなたはそういう人を見て、「ウザい」「イタい」「時間の無駄」とは思わなかっただろうか。
商業作品ですら人に勧めるのは難しい。
相手の好みや性癖をまず聞き、「○○ちゃんなら気に入るかもしれない」と、断定口調を避けつつ控えめに作品を薦める。物足りない情報量で、相手が自力で「推し」情報を調べるように仕向ける。「是非読んで!」、「あの作品観た?」とプレッシャーをかけたりしてはいけない。布教のプロは、「一度でも強引な勧誘で引いた心を、呼び戻すのは不可能」と知っているからだ。
面白さが確約されている商業作品の布教ですらこうなのだ。
じゃあ、「読者ゼロの素人小説」の布教は? その結果は、書き起こす必要すらない。
○SNSでの布教も困難
無名同士相互フォローして拡散するのは、良いアイデアだとおもう。
ところで、あなたは拡散されてきた素人小説を開いたことがあるだろうか? 二話目まで読んだのはいくつ? ハッシュタグ経由で素人小説を読んだことがある? ノベルサイトのハッシュタグがついたツイートがパズっているところを見たことは? 文章書き方本や、コピーライティング、SNSマーケティング、商業マーケティング本の技術を実際に試してみて、反響があったことはある? もしくは、それらを用いた小説紹介ツイートがパズっているのを、見たことがある?
あなたの脳に浮かんできたもの、それが結論である。
多くの人の目に触れたところで、実績がなければ、あなたの小説は読まれない。
○友達に布教するのは愚行である。
では、友達に布教するのはどうだろうか?
結論から言うと、相手が「その小説について聞かせてくれ」と言わない限りは、「布教のふの字」も口にしてはならない。また、相手にその気があったとしても「物足りない」程度の情報量で、話を切りあげることが大切だ。
私たちにできることはせいぜい「小説を書くときの失敗談や苦労話」をエピソードトークで丁寧に包装し、相手にプレゼントする位だろう。
なぜか?
もし、あなたが友達に「魂を込めた小説を読んでくれ」と言ったとしよう。あなたの友達は一度くらいなら、あなたの小説を読んでくれるかもしれない。
しかし、友達は、あなたへの不満を募らせていく。
「聞きたくもない話を聞いて『あげている』」
「読みたくもないのに読んで『あげている』」
「思い浮かばない感想を考えて『あげている』」
自覚の有無は別として、これが正直な感想だろう。
人は強い感情と結びつけられたエピソードを記憶する。もし、小説布教で相手に不快感を与えたらどうなるか。友達は、あなたと話すことがトリガーとなり「素人小説を押しつけられた不快感」を思い出すようになってしまう。
何物にも代えがたい人間関係を危険にさらしてまで、強引に小説を布教するのは、正気の沙汰でない。
私みたくボッチになる前に、コミュニケーションについて学び直し、視野を広く持て。
○布教よりも執筆
もし、あなたの小説がヒットしたことがあるならわかるはずだ。ヒット作は布教しなくても閲覧数が増える。ランキングに乗り、多くの人の目に触れる。SNSで布教するときも「ランキング上位」、「賞を取った作品」という「ハロー効果」を得られる。全く実績のない作品よりは、何倍も布教しやすくなる。
まず、ヒット作を書いて、ランキングや佳作賞に載るのが先だ。そこが、布教のスタートライン。
そのためにできることはただ一つ。「読まれない小説をひたすら書ききること」である。
○あとがき
素人小説書きが、創作論・資料作り・小説布教などについて考えているときは大抵、『「読まれない」という敗北が露見するのを避けるために、あえて小説を完結させないよう努力している』最中である。
布教方法を考える暇があったら、一行でも小説を書く。自分の「読まれない小説を書ききる技術」を信じて。
結局それが、素人小説布教の王道。
地道こそ、近道なのだ。
……泣きたい。
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