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東京オリンピック

金九事件(前)

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 1950年、皇紀に治しては2610年、元号に於いては昭和二十五年。
 大日本帝国憲法は昭和帝自身の手を以て改訂された。
 そこでまず最初に書かれた項目が、信教の自由であったのは痛烈な皮肉であった。
 そして、臣民の自由というものの制限を次々と撤廃していったのも特徴であった。
 そして、徴兵制を撤廃したのもこのときであった。百家争鳴はあったものの、「もう、米ソの脅威も去ったし、いいだろう」という先の大戦での最も偉大なる提督、高松宮が発言したことが切欠となり、軍費や人員を縮小せずに軍縮を行うという離れ業を行い、国民に復員した者はもれなく年金を与えるといった飴も与え、遂に大日本帝国は戦時体制から平時体制への移行、最も難しいとされる経済体制の移行に成功したのだ。
 斯くて、大日本帝国は強大な軍備を整えつつ、先の大戦で苦戦した技術面においての開発を再開した。その破壊と創造の辣腕たるや、この兄弟にできないことなどないのではないかと思わせる程であった。
 そんな折である、この東京オリンピックが差し迫った最中に第三次世界大戦の可能性が生まれたのは。後に人はその事件をこう呼ぶ。

――――金九事件、と。

 昭和二十五年、京都は三条、本能寺にて。
「陛下!」
「誰か、陛下をお守りしろ!」
 京洛は未曾有の大混乱に満ちていた。無理もあるまい、在日朝鮮人によるテロ行為によって上京は焼け野原になりつつあったからだ。そして、それだけであればなにも軍隊が出張らずとも良いのだが、その上京に国家元首がいるのが最大の問題であった。そう、金九をはじめとした反日在日朝鮮人が天皇暗殺を目的として爆薬を持ち込んだのだ!


「兄上!」
 まず、天皇陛下を発見したのは高松宮率いる近衛陸戦隊であった。彼らは近衛師団よりも機動力を優先したことにより、部隊員数は少ないもののその実迅速的な行動を可能とした。
「おお、高松宮か」
 一方で、発見時に特に慌てることなく鷹揚に対応する昭和帝。慌ててもおかしくない現状でその態度は相当な胆力あってのものであった。
「ひとまず、京都を脱出しましょう!」
「の、ようだな」
「……落ち着いておられますな」
「ああ。あの頃のようにはいかんよ」
「……兄上?」
 僅かな違和感を感じた高松宮。あの頃とは一体何のことであるか。桜田門か?或いは虎ノ門か?数々の修羅場をくぐり抜けてきた眼前の兄を思い起こすが、どれも現在ほどの状況ではないはずだった。
「案ずるな。閲兵式で率いた軍を使って脱出する」
「……かしこまりました」
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