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片想い編

7.失恋

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華の金曜日。
俺は今日も柏原を飲みに誘おうと思っていたのだが、やはりここ数週間どうも付き合いが悪かった。

「柏原~、この後飲み行かね?」
「悪い。今日先約があるんだわ」
「えぇー!珍しいじゃん、お前が誰かと約束あるなんて」
「別に俺だってそういう日くらいあるって」
柏原はそう言うと鞄を持ってさっさと帰ってしまった。

(もしかしてデートか?ついに彼女が出来たのかな)

柏原に限ってそれは無いと思うが、最近のあいつはなんだか変わった気がする。
なんと言うか雰囲気が以前よりも柔らかくなったような……そんな感じだ。
胸の奥がざわざわと落ち着かない。
俺は嫌な予感を押し込め、その週末を何事もなく過ごした。

しかし後日、俺の耳に飛び込んできたのは衝撃的な事実だった。

「えっ柏原が、け、結婚……!?ちょっとその話詳しく教えてくれないか?」
それは本人の口からではなく、女性社員達の会話を偶然立ち聞きしてしまったことで知った。
「確かもう1ヶ月くらい前かなー?親友婚らしいけど」
「い、いっかげつ……!?」
「苗字変わってないし、言われなきゃ分かんないよねー」
「檜山くん知らなかったの?仲良かったのに」
最後の一言がグサリと胸に突き刺さる。

親友婚は大々的に報告しない人が多いと聞くし、柏原の性格なら尚更そうだ。
親しいと思っていたのは俺だけだったのだろうか。

親友婚という事は相手は男だ。
いっそ相手が女性だったら吹っ切れることができたのに。
これじゃ、自分にもチャンスがあったんじゃないかと未練がましく考えてしまう。
あの気難しい柏原の心を掴んだ男がいるという事実に、俺は嫉妬していた。
顔も名前も知らない相手に嫉妬するなんて、なんて惨めなんだろうか。

その日は珍しく仕事に集中できず、上司からも心配される有様だった。

「はぁ」
時刻は21時。
残業を終えた俺は荷物をまとめ帰る支度をしていた。
柏原への気持ちは完全に断ちきれていないが、もう潮時かもしれない。

「はぁ~~」
本日何度目か分からない溜息をつく。
身体は疲れていたが、今は1人の家に帰る気分になれなかった。

こんな事なら杉宮でも誘って飯に行けばよかったなと後悔した。
しかし、こういう時だけ声をかけるのも躊躇われるしこんな時間からじゃ迷惑だろう。

(今日はもう帰って寝るか)

そう思いながら俺は会社を後にしようとした。
その時だった。
「檜山先輩。お疲れ様です」
背後から声をかけられ振り返ると、そこには今まさに頭の中で思い浮かべていた人物がいた。
「杉宮。お前まだ帰ってなかったのか」
相変わらず表情筋が死んでるなぁ、と失礼なことを思いつつ、俺はいつも通り笑顔を向けた。
「はい。ちょっと資料の整理に手間取って……先輩、なんか元気ないですね」
「え?あー、仕事終わりなんてこんなもんだろ」
「そうですか」

普段から道化のようなキャラを貫いているおかげでポーカーフェイスには自信があったが、どうやら見抜かれてしまったようだ。

「今日も飲みに行かれるんですか?」
「いや、今日はもう良いかな……」
でもここでこいつを逃したら後は家に直行コースだ。
「先輩、ラーメンはお好きですか?」
唐突な質問に俺は首を傾げた。
「まぁ好きだけど」
「この間美味しいお店見つけたんですけど、良かったら今から行きませんか」

先程まで食欲が無かったのに、その言葉を聞いて途端にラーメンの口になってしまった自分がいた。
「……行く」

杉宮に連れて来られたのは歴史を感じさせる個人営業の中華料理屋だった。
外観を見て不安になったが、中に入るとほぼ満席状態でかなり繁盛しているようだった。

客の大半は常連なのか、皆顔馴染みらしく店主と親しげに話をしている。
1人で入るにはなかなかハードルが高い場所だ。
幸いなことにカウンターの端が空いていたので2人並んで腰掛けた。
俺はビールと杉宮のおすすめらしい醤油ラーメンを注文すると、程なくして湯気が立ち上るどんぶりが目の前に置かれた。

「うわっ、うま」
正直さほど期待していなかったのだが、あまりの美味しさに思わず感想が口から漏れた。
傷心中の胃袋にアルコールとスープの塩分が染み渡って行く。

「気に入っていただけて良かったです」
隣を見ると、杉宮も同じものを無表情のまま黙々と食べていた。
相変わらず何を考えているのかさっぱり分からなかったが、今はそれが心地よかった。
「杉宮ってこういう店来るんだな」
「はい。是非先輩にも食べて欲しくて……ずっと誘う機会を窺ってました」

いじらしいセリフに心が揺れ動く。
こんな風に真っ直ぐ好意を向けられたのはいつぶりだろうか。
今までずっと柏原のことばかり考えていたが、あいつに恋をしている間にも杉宮は変わらず想いを伝え続けてくれていたのだ。
それが今になってじわりと胸に染み渡っていく。

柏原への想いはまだ完全に消えてはいないが、この気持ちは大切にしたいと思った。



「あー、食った食った」
「すみません。俺が誘ったのにご馳走になっちゃって」
「良いんだよ。うまい店教えてくれたお礼」
無性に誰かと一緒に居たかったから寂しさを埋めてくれたお礼、という理由もあるがそれは言わないでおいた。

それから俺たちはなんとなくまだ話し足りなくて駅へ向かう途中にある公園へ立ち寄った。
ベンチに座り一息つく。
夜風が火照った頬に心地よい。

「……先輩、やっぱり何かあったんですか」
さすがに露骨過ぎたかと思い、俺は苦笑いした。
杉宮の惚れた弱みに漬け込んでいる自覚はあるが、今日だけは許されたいと思ってしまう自分がいた。

「柏原が結婚したんだってさ。親友婚らしいけど先越されてショックだわー」
冗談めかして言ったつもりだったが、こうして実際に言葉にするとなかなか堪えるものがあった。
「あれ、檜山先輩知らなかったんですか」
「……へ?」
予想外の反応に俺は戸惑ってしまった。

「俺はたまたま噂で聞いただけなんですけど……先輩は本人から直接聞いているものだと思ってました」
「まじか……」
「はい。檜山先輩への告白を決めたのもその噂を聞いたのがきっかけですし」

まさか俺より先にこいつの耳に入ってるとは思わなかった。
あの日、突然杉宮が飲みに誘って来た謎がようやく解明された。
つまり、恋の(?)ライバルである柏原が消えた
ことで杉宮のアプローチがより積極的になったというわけだ。
俺は自分の鈍感さに呆れ果てていた。

「そうだったのか……」
「もしかしてそれで落ち込んでたんですか?」
「いや、まぁ……うん。だってあんな結婚とは程遠そうな男がさぁ。独身仲間だったのに」
「檜山先輩だってその気になればいつでも結婚できるじゃないですか」
「はは、誰とだよ」

「俺と」
膝の上に置かれた俺の手に杉宮の手が添えられる。
「檜山先輩が俺に恋愛感情を抱けないと言うなら親友婚でも構いません」
「……傷心中にそういう事言うのズルくね」
俺が苦笑すると、杉宮は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。そんなつもりは……」
「あぁ、いいよ別に。お前の気持ちは嬉しいから」
「じゃあ」
杉宮の顔がぱっと明るくなる。
「それとこれとは別」
俺はスルリと手を解き、勢いよく立ち上がって大きく伸びをした。
このまま彼の優しさに甘えていたら本当に絆されてしまいそうで怖い。

「杉宮は普通に女と結婚して普通の幸せを掴むのが似合ってるよ」
「……それって、俺は振られたって事ですか」
「ごめんな」

杉宮は何も答えなかった。
「ほら、そろそろ帰るぞ」

明日は休みとは言え、終電を逃しては洒落にならない。

「……分かりました」
杉宮は渋々立ち上がると俺の後に続いた。
それから2人で駅まで歩いている最中も会話は無かった。

「俺、こっち方面だけど杉宮は?」
「俺は逆方向です」

駅のホームに着き、電車が来るまであと5分ほどある。
俺は杉宮の方を向き直った。
「今日はありがとうな。気をつけて帰れよ」
「いえ、こちらこそ付き合っていただいて有難うございました」

これで杉宮との曖昧な関係も終わりだ。
そう思うと少し寂しい気持ちもあったが、これ以上杉宮の人生に割り込むような真似はできない。
そんな事を考えているとちょうど良いタイミングで電車がやって来た。

「じゃあ、また来週」
「はい。お疲れ様でした」
深々とお辞儀をする杉宮に俺は曖昧な笑みを浮かべながらヒラヒラと手を振った。

こうやって見ると過剰なまでに礼儀正しい男なのだが、中身はとんでもない爆弾魔だということを俺は忘れていた。
ドアが閉まる直前、杉宮が顔を上げ口を開いた。

「俺、諦めませんから」
「えっ」
俺の反応を待たずに扉は閉じ、そのまま発車してしまった。
窓越しに見えた杉宮の表情は例の如く感情が読み取れなかったが、その目はどこか決意に満ちているようだった。

(あいつの『わかりました』は信用ならない…!)
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