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先輩、恋人ごっこからはじめませんか。

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街は煌びやかなイルミネーションに彩られ、どこからともなくクリスマスソングが聞こえてくる季節になった。
道ゆくカップルは幸せそうに笑い合いながら手を繋いで歩いている。
俺はそんな光景を横目に、ため息をついた。

今年はクリスマスも年末年始も1人で過ごす事が確定している。
何しろ俺は彼女いない歴イコール年齢の男だ。
社会人になってからは友達と呼べるような奴も片手で数えらる程度しか残らなかった。
去年までは親友の鹿目と2人で鍋パーティーをするのが毎年恒例行事だったのだが、今年からはそれもできない。
だって彼にはもう一緒に過ごす大切なパートナーが居るのだから。

「はぁ」
鹿目から結婚報告を受けたあの日から既に1週間が経過しようとしていた。
そりゃ30手前にもなれば結婚くらい珍しい物でもない。
しかし、異性に関心がなく病的なまでに人間嫌いだった彼が結婚という選択を選んだという事実が未だに信じられなかった。

なによりショックだったのは5年以上彼女の存在を隠され続けていた事だ。
『30になってもお互い独身だったら2人でルームシェアでもして生きていこう』と言っていたのは一体なんだったのだろうか。
それとも、今まで彼女よりも俺を優先し続けてくれたことを感謝すべきなのだろうか。

偏屈な彼に特別な存在が居たことも、その彼女と結婚するということも、全て喜ばしいことなのに、どうしても素直に祝福することができない自分が嫌になる。
考えれば考えるほど落ち込んできて、俺は何度目かわからないため息をついた。

「はぁ」
「……悪かったですね。せっかくの花金なのに隣にいるのが俺で」
隣を歩いていた男が嫌味ったらしく呟く。
そういえば、職場から駅へと続く道を歩き始めたところで彼に声をかけられ一緒に帰ることになったのだ。

「別にそういうわけじゃないけど」
「でも先輩、さっきからずっとため息ついてるじゃないですか」
「仕事終わりで疲れてんだよ」
「まぁ別にどうでもいいですけどね。梅代うめしろ先輩が俺に興味ない事なんて分かりきってますし」
俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、隣りを歩く男は小さく笑った。

彼はひいらぎ涼真りょうま
彼は俺よりも4つ年下の25歳で、ここ1年ほどでよく話すようになった後輩だ。
仕事の相談をされた事をきっかけにプライベートな話もするようになり、最近では2人で飲みに行くことも多くなった。
サラサラの黒髪にクールな印象を与える整った顔立ち、仕事もできて社交性も高いというハイスペック男なのだが、何故か俺に懐いている不思議な奴だ。
きっと彼のような注目を集めやすいタイプは俺みたいな平凡で地味な人間と接する方が気楽なのだろう。
実際こいつは他の社員の前では猫を被っているらしく、俺と2人で居る時は生意気な態度ばかり取るようになっていた。

そんなことをぼんやり考えていると、柊が不意に声をかけてきた。
「……あの、梅代先輩。この後なにか予定ありますか」
「特には」
「じゃあ久しぶりに飲みにでも行きませんか。1週間お疲れ様会ということで」

ここ数週間仕事が立て込んでいてなかなか時間が取れなかったせいもあり、確かに柊とゆっくり話をする時間は取れていなかった。
そして来週からは年末に向けてまた繁忙期に突入となる。

今日くらいは気分転換も兼ねて寄り道するのもいいかもしれない。
「そうだな。行くか」
「えー奢ってくれるんですか!ありがとうございます」
「言ってねぇよ」
生意気な態度とは裏腹にその表情は心なしか嬉しそうだった。

駅前にある居酒屋チェーンに入ると、店内は既に多くの客で賑わっていた。
「お待たせしましたー!こちら生ビールと唐揚げになります」
店員から注文したものを受け取り、とりあえず乾杯する。

「お疲れ~」
「お疲れ様です」
カチン、とジョッキをぶつけ合い一気に飲み干す。
1週間働いて疲れた体に冷たいビールが流れ込んでいく感覚が心地良い。

それからしばらく、仕事の話や何の変哲もない世間話に花を咲かせながら俺たちは食事を楽しんだ。
「先輩、なにか悩み事でもあるんですか」
唐突に投げかけられた質問に動揺した俺は、危うく口に含んでいたビールを噴き出しそうになった。
「えっ、なんで?」
「最近元気なさそうな感じだったので」
「気のせいだろ」
「へえ?ふーん。俺には話せない事なんですね。失礼しましたぁ」

後輩にプライベートの愚痴を聞かせたくなくて反射的にはぐらかしてしまったが、彼は納得していないようだった。
拗ねたようにそっぽを向いてしまった姿はまるで子供のようだ。

「……わかったよ。言うよ」
「やっぱり何かあったんじゃないですか」
「まぁ、でも大したことじゃないんだけどさ……」
俺は誤魔化すのを諦め、正直に打ち明けることにした。
親友から突然結婚報告を受けたこと。
友人として祝福したい気持ちはあるけれど複雑な心境であること。
友人の幸せを喜べない自分が酷く醜い人間に思えること。

正直、俺はこの苛立ちをまだ上手く言語化できないでいた。
黙って俺の話を聞いていた柊は、何度か頷くとゆっくりと口を開いた。

「その気持ちわかりますよ。俺も兄貴が結婚したときはそんな感じでしたから」
柊は俺の話を聞いても馬鹿にするわけでもなく、至極当然のように言った。
いつもならチクリと棘が刺さるような嫌味な言葉を浴びせられるところなのに、今日はどうしてしまったのだろうか。

「梅代先輩にとってそのご友人は特別な存在だったんですね」
「まぁ、ガキの頃からの付き合いだし」
「本当にそれだけですか?その人が他の誰かの物になるのが許せなかったんじゃないですか?」
「そんな事は……」

確かに俺にとって彼の存在は特別だった。
だが、それはあくまでも人としてであって恋愛感情などではない。
第一、鹿目は男で、俺は異性愛者だ。
しかし、今までの人生で出会った誰よりも信頼しているし、こんなに価値観の合う人間とはもう一生出会えないとさえ思う。
いつまでもこうして一緒に過ごしていられたらと密かに願っていたこともまた事実だった。

「……そう、なのかもな」
友情とも恋心ともつかない曖昧な想いを、俺は素直に認めるしかなかった。
後輩に指摘されて初めて自分の本当の気持ちに気付いたなんて、我ながら情けない。
まだ完全に気持ちが晴れたわけではないが、少しだけ楽になったような気がした。

ちょうど良いタイミングで注文した唐揚げと焼き鳥が届いたので俺たちは再び酒盛りを再開した。
誰かを好きになるということは一体どういう感覚なのだろうか。
親友の結婚を機に、俺はそのことについて真剣に考えるようになった。
唯一の理解者だった親友に人生の伴侶が現れた事で俺は本当の意味で孤独になってしまったのだ。
その事実がじんわりと俺の心を蝕んでゆく。

「あーあ。俺もマッチングアプリとか始めてみよっかな~」
もちろん本心では無かったが、冗談交じりにそんなことを呟くと柊は何故か神妙な面持ちになった。
「……じゃあ、俺とかどうですか」
「あはは。こんなかっこいい彼氏が居たらみんなに自慢できるだろうな」
彼なりの冗談だと思った俺は、メニュー表に視線を落としながら適当に相槌を打った。
だが、柊は真剣な表情のまま言葉を紡ぐ。
「あの、真面目な話なんですけど」
「なにお前酔ってんの?」
「酔ってません」
いつもの軽口とは様子が違う。
「ずっと前から梅代先輩の事が好きでした。俺と付き合ってください」

一瞬、頭が真っ白になる。
俺の聞き間違いでなければ、この男は俺と付き合いたいと告げているのだ。

咄嗟にどっきりだと思った俺は店内を見渡して隠しカメラを探した。
「どっきりじゃないですよ」
俺の思考を読み取ったかのように柊は言った。
全く予想していなかった展開に頭が追いついていない。
何故こんなことを言ってきたのか。
俺なんかのどこが良いと思ったのか。
もしかしたらこれから怪しいセミナーへ勧誘でもされるんじゃないか。
様々な疑問と憶測が浮かんでくるものの、上手く言葉を紡げない。

「どうして俺なんだって顔してますね」
「そりゃそうだろ」
「俺も男性を好きになったのは初めてなので正直戸惑ってます」
柊はジョッキに入ったビールを飲み干すと、意を決したように言葉を続けた。
「……2年くらい前かな。俺が初めて大きなプロジェクトを任された時に褒めてくれた事がありましたよね」
どうせ先輩は覚えてないでしょうけど、と付け足す彼の声色はどこか懐かしむようで、それでいて切なげでもあった。
「あれがなぜか忘れられなくて。もっと梅代先輩に褒められたい、役に立ちたいって思ってたらいつのまにか目で追うようになっていました」

そんなことあっただろうかと記憶を辿っていると、ひとつ心当たりがあった。
入社当時から期待されていた彼は、新人にしてはかなり大きなプロジェクトを任されていた。
責任重大なポジションに抜擢されたことでプレッシャーもあっただろうが、柊は弱音を吐くこともなく淡々と仕事をこなそうとしていた。
努力の甲斐あってかそのプロジェクトは見事成功を収めたのだが、ストイックな彼は満足しなかった。
「もっとこうすれば良かった」と1人落ち込む姿を見て、俺は思わず「大丈夫。よくやった」と頭を撫でてしまったのだ。
今思えば、あれは褒めるというよりも励ますという表現の方が適切な気がする。

「あのー……もしかしてアレか?頭撫でたやつ……」
「なんだ、覚えてるじゃないですか」
さらりと涼しい顔で肯定され、俺は頭を抱えたくなった。
頭を撫でるなんて行為はドラマの中か親しい間柄でしか成立しないスキンシップだ。
当時は「俺はなんて気持ちの悪い事をしてしまったのだろう。絶対引かれた」と後で自己嫌悪に陥ったことを覚えている。

「それから梅代先輩の人柄を知れば知るほど好きになっていきました。それで、気付いたら尊敬以上の特別な感情を抱いていたというか……」
「そこまで言われるほどの事はしてねえよ」
「先輩にとっては些細なことでも俺には何より嬉しいことでした。貴方に認めてもらえることこそが生きる理由だったんです」
そう言われてしまうと何も言い返せない。
柊がここまで俺のことを想ってくれていたことにも驚いたが、それ以上に彼の真っ直ぐな視線に釘付けになっていた。
いつも憎まれ口ばかり叩いていた口元が緩み、頬がほんのり赤く染まっている。
こんな顔を向けられてときめかない女はいないだろう。

「で、どうですか?俺、顔も悪くないし仕事もできるし、結構優良物件だと思うんですけど」
「自分で言うか」
「あと、タバコもギャンブルも浮気もしません。お酒は嗜む程度です」

まるで営業マンのようなセールストークに俺は呆れた表情を浮かべるしかなかった。
だが、彼の瞳の奥に揺らめく熱を見てしまえばそれが本気であることは明白だった。

「そうは言ってもなぁ」
「やっぱり同性は嫌ですか」
「……っていうか……」
俺が言葉を探して言い淀んでいると、柊は不安げな顔で見つめてきた。
ちょうど男性店員が追加のビールを運んできたのを受け取りながら、俺はぼそりと呟く。
「だいたい俺、誰かのことを好きになるって感覚が分かんねーんだよ。恋愛経験もゼロだし。おかしいだろ?30手前にもなって」
正直この話はあまりしたくはなかった。
『良い歳して恋愛経験が一切無いなんてどこかおかしいんじゃないのか』と宇宙人扱されるのがオチだからだ。

「それにパートナーの必要性もよくわからないっていうか……」
決して心を閉ざして生きてきた訳ではないが、親友以上に心を惹かれた人間と出会ったことは一度もなかった。
「なんだ、そんな事ですか」
「え?」
「別におかしくないと思いますけど。人それぞれじゃないですか?」
柊は不思議そうな面持ちで俺の言葉を受け止めた。
そんなことを言われたのは生まれて初めてだ。
ぽかんと口を開けていると、彼は「じゃあこうしましょう」と切り出した。

「3ヶ月お試しで付き合ってみて、もし俺のことを好きになれなかったら遠慮なく振ってください」
突然何を言い出すんだ、と反論する間もなく柊は続ける。
「その代わり、もし俺のことを気に入ってくれたら、その時は真剣に考えてみてくれませんか」
こんなに必死な姿は初めて見たかもしれない。
仕事でトラブルが起きた時でさえも涼しい顔で対応していたというのに。

「……お前、いつもこんな事してんの?」
「はい?」
「お試しで付き合おうとか、そういう事」
「まさか。先輩が初めてですよ」
確かに、彼ほどモテる男ならわざわざこんな回りくどい事をしなくても相手に困る事はないだろう。
という事はやはり、これは本気の提案なのだ。

「先輩にとっても悪い話じゃないと思います。恋人がどんな物なのか体験できるんですから」
一理ある提案ではあった。
実際に誰かと付き合ってみたら、あれほど人嫌いだった親友が心変わりした気持ちを知る事ができるかもしれない。
恋愛にも異性にも興味が無く、恋愛テクニックもない平凡な俺が恋人を作るのはきっと至難の技だろう。
ならばいっそ、同性という点には目を瞑り、柊の提案に乗った方が手っ取り早い。
3ヶ月間付き合ってみれば、何かしら答えが出るかもしれない。 

「……一個確認したいんだけど」
「なんでしょうか」
「付き合うってことはキスとかそういう行為もするのか?」
恋愛感情を持たない期間限定の恋人と身体の関係を持つのはいくらなんでも問題がある。
そもそも男同士でそんなことができるのかすら疑問だった。
「もちろん無しですよ。スキンシップは先輩が許容できる範囲までですし、先輩の嫌がる事は絶対にしないって約束します」
サラリと答える柊に、少しだけ安堵した。
それと同時に、唯一の気がかりが解消された事で俺の心は決まってしまった。

「……分かった、いいよ。その提案に乗る」
俺がそう告げると、柊はパァッと表情を輝かせて「ありがとうございます!」と勢いよく頭を下げた。
今まで見たことのないような笑顔に不覚にもドキリとする。
「3ヶ月で絶対振り向かせてみせますから」
「はいはい」
たった3ヶ月で心変わりするとは思えないが、まあやってみればいいさ。

こうして、期間限定の奇妙な関係が始まったのだった。
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