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3.バレンタインデー(尚)後編

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 扉のない出入口まで行かずに、手前で立ち止まる。

「黒崎くん、一人で良かった。これ渡したかったの」

 摺りガラス越しには青っぽい箱としかわからない。

 大地はコーヒーのコップを持ったまま動いていないようだ。

「すみません。俺、受け取れません」

 先輩が大地を見上げた。

「ルール知ってる?断る気ならホワイトデーにお返ししなくていいの。だから、今日は受け取って」

「さっき聞きました。机に置かれてあった物は返しに行くわけにいかないから、そのルールを使わせてもらいます。でも、こうやって面と向かって渡されるものは、この場でお断りします」

 先輩は何も言わない。

 大地の顔が摺りガラス越しに自分の方を見ているように見える。

「俺、誤解されると困る人がいるんです。ただ受け取っただけで、気持ちが揺れ動いてるとか思われたらイヤなんです」

 尚が聞いていることはバレているらしい。

 先輩が踵を返したのが見えた。廊下に出てくるようだ。

 尚は摺りガラスに背中を預け、直立した。
 小走りに出てきた先輩は小さな箱を胸に抱えていた。尚には気づかなかったようで、わき目も振らずに部署へ戻っていった。

 立ち去ったのを見届けてから、尚は休憩室の出入口に立った。

「受け取るくらいしてあげても良かったんじゃないか。勇気を振り絞っただろうに」

 呆れたような声を出すも、気にしていないらしい大地は手に持ったコーヒーに口をつけた。

「あっつ。まだ熱いわ」

 舌を出して冷ましている。

「ほんの少しでも期待させることはしたくない。それ以上に、一ミリでも尚にイヤな思いをさせたくない」

「イヤな思いって、ヤキモチ妬くとか、振られるかもって不安になるとかかよ」

 尚も何か飲もうと、自販機に近づいた。それを制するようにして、大地が自販機のボタンを押す。
 何を押したのだろうか。

 カップが取り出し口に落ち、温かい飲み物が抽出され始める。

「具体的にいうと、そんなとこかな」

 尚は抽出される飲み物を見つめる。タッチパネルをみると、大地が押したのはココアのようだ。

「ヤキモチなんて妬くかよ。妬いてなんかやんない。女性のためのイベントだろ」

 尚は自分の口が自然と尖ってしまっていることに気づいたけれど、大地に見せつけるようにそのままにしておいた。

 飲み物の抽出が終わったことを知らせる音が鳴る。
 大地が取り出そうとするので、横から手を伸ばしてカップを取った

「俺のだろ」

 両手で温かいカップを包むようにして持ち、口をつけた。

「うまいな、ココア」

 大地が優しげに目を細め、ふっと笑う。

「今だけはホットチョコレートって言うんだよ」

 尚はホットチョコレートを飲みながら、大地を横目で見る。

 後ろのポケットに差した四角く細長い箱に気づいてもらおうと、大地に背を向けた。
 何か言ってくるのを期待していた。それに反して、大地は静かにコーヒー飲んでいるらしい。

 にらみつけてやろうと首だけを後ろに向ける。
 尚の目に映ったのは、視線を下の方へ向けてニヤニヤしている大地のだらしない顔だった。
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