真実は胸に秘める

高羽志雨

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十話『退職したOL』

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 桜が満開になる直前、会社を去る。

 2月中旬から仕事の引継ぎを始めて1ヶ月。退職日まで出勤する日は残り10日となった。私は有給休暇を消化するせいで、今日が最後の出勤日だ。

「みなさん、お世話になりました。これまで本当にありがとうございました」

 半分は本心、半分はみじんも思ってもいないことだ。

 上司、先輩、同僚を前にして挨拶を終え、渡された花束を抱えて、私は会社を後にした。
 背後からは同僚や上司が拍手を送ってくれている。
 私は振り返ることなく、鼻で笑った。



 1年前に異動してきた今の部署では仕事を押しつけられてきた。
 私がバカ正直すぎたのだ。

 先輩や同僚が口をそろえて「手が回らない」というので、仕事を引き受けてきた。段取りをつければこなしていけたからだ。

 それが間違いだった。みんな、余力があるにもかかわらず、手一杯だと上司にアピールしていた。
 そのことに気づいてからというもの、私は増えすぎた業務を少しずつ周りに協力してもらおうと考えて、助けを求めるようになった。

 頼れば周りは手伝ってくれたけれど、あくまでお手伝いの域を超えようとせず、最終の責任は全て私のところへ来た。ここの部署で一番の新人だったにも関わらず、だ。

 半年が過ぎたころ、私は半年後に退職することを決めた。
 そして、気持ちよく退職するために準備を始めた。

 担当する取引先のうち主な会社にはマメに連絡を入れ、かゆいところに手が届くどころか、かゆみを感じる前に察知するくらいの勢いでフォローし続ける。
 これらの会社とは別にピックアップした数社は必要最低限の付き合いにとどめた。前者とは違って、言われてから重い腰を上げる対応をする。小言を言われることはあったけれど、不備はないのだから上司に苦情がいくことはない。

 並行して細かすぎるほどの業務マニュアルを作成した。取引先との契約内容や進捗だけではなく、取引先の会社の現在の状況や今後の傾向、担当者の性格など、「そこまでいらないだろう」と言われそうなことまで書き記した。

 このような真摯な態度のおかげか、私は真面目で堅実、少し変わっているけれど仕事に関しては信頼できるという評価をもらっている。

 誰も疑っていないようだ。

 細かすぎるマニュアルは、取引先名と内容が合っていないということに。
 A社の欄にはC社の内容、B社の欄にはA社の内容という具合だ。実際には10数社あるから、もっと複雑に入り組んでいる。



 にやける私の顔をすれ違う人々が怪訝そうに見ていく。

 今から携帯電話を解約して、キャリアを替えて新規に携帯電話を購入しに行こう。住んでいたマンションは昨日付で退去した。
 当然、新居は会社に伝えていない。つまり、誰も知らないから私に連絡のつけようがない。



 そして、必要最低限の付き合いにとどめた会社は直接契約する大口取引先で、こまめにフォローしていたのは大口取引先の下請け企業だった。
 下請け企業がへそを曲げれば、大口取引先は業務を遂行するのが困難になるはずだ。

 どこまで私と同じだけの対応を下請け企業にできるだろう。

 いや、する必要があると思わないのじゃないだろうか。

 まあ、私には関係ない。



 西に傾き始めている黄色い太陽のエネルギーを全身に浴びた。
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