4 / 4
第四話
しおりを挟む
決意した翌日。
俺は朝から緊張していた。今日、放課後にユイに告白する。
たとえ失敗しても、この気持ちを伝えずにはいられない。
『どうせ断られるけど。』
そう思いながらも、俺は不思議と前向きな気持ちになっていた。
たとえ拒否されても、この感情を伝えることには意味があると思えた。
「おはよう、高橋くん。」
教室に入るとユイが笑顔で声をかけてきた。
いつもの朝の挨拶なのに、今日は特別に胸が高鳴る。
「おはよう…。」
「あれ? 元気ないね。どうしたの?」
俺の様子を心配するユイ。その優しさがまた俺の決意を強くした。
「いや、ちょっと寝不足で…。」
「そうなんだ。無理しないでね。」
ユイはそう言って自分の席に向かった。
俺は彼女の後ろ姿を見つめながら、今日の放課後のことを考えていた。
『何て言えばいいだろう?』
『好きだ。』とストレートに言うか、『付き合ってください。』と言うか。
どちらにしても、きっと断られるだろう。
ユイのような美少女が、俺のような弱者男性に本気の好意を持つはずがない。
授業中も、俺の心はどこか上の空だった。
ユイに何と言おうか、どんな言葉で気持ちを伝えようか。
そればかりを考えていた。
昼休み、俺はいつものようにスマホでゲームをしようとしたが、集中できずにすぐに画面を閉じた。
窓の外を見ると、サッカー部の生徒たちが校庭で練習していた。
崎本ケンジの姿も見える。
彼のような完璧な存在と自分を比べるのは無意味だと分かっていながらも、どうしても比較してしまう。
『あいつは何もかも持っている。』
高身長、整った顔立ち、運動神経、社交性。すべてが最高ランク。
それに比べて俺は…。
何一つ誇れるものがない。親ガチャで外れを引いた代表例だ。
「何考えてるの?」
ユイの声に、俺は飛び上がりそうになった。
いつの間に彼女が近づいていたのか。
「あ、いや…何でもない。」
「そう? なんだか今日の高橋くん、変だよ。」
彼女は小さな頭を傾げた。その仕草が可愛くて、俺はますます動揺した。
「放課後、ちょっと話があるんだ。」
「うん、クラス委員の仕事だよね。今日は学級日誌の整理でしょ?」
「あ、うん…それも、だけど…。」
「他にも何かあるの?」
ユイは興味深そうに聞いてきた。俺は焦って答えた。
「いや、その…放課後に。」
「わかった。放課後、教室で待ってるね。」
ユイはそう言って席に戻っていった。俺は深いため息をついた。緊張で言葉がうまく出てこない。
『どうせ無理だ無理だ無理だ無理だ。』
そう自分に言い聞かせながらも、俺の心は期待と不安で揺れ動いていた。
最後の授業が終わり、ついに放課後になった。
教室には数人の生徒が残っていたが、ほとんどが部活や帰宅準備で出ていった。
俺とユイは学級日誌の整理を始めた。いつもなら二人きりの時間が楽しみだったのに、今日は緊張で手が震える。
「高橋くん、この日誌の日付が違ってるみたい。」
ユイが指摘する声も、今日は遠くから聞こえるように感じられた。
「あ、そうだな…直しておくよ。」
俺は必死に日常の会話を続けようとした。ユイは特に変わった様子もなく、いつも通りに仕事をこなしていく。
彼女の横顔を見ながら、俺は何度も『今だ。』と思いながらも、言い出せなかった。
『言えよ、情けない俺。』
自分を叱咤するも、なかなか言葉が出てこない。心臓が早鐘のように鳴り、手は冷や汗で湿っていた。
「ユイ、その…。」
ようやく口を開いた時、教室のドアが勢いよく開いた。
「おつかれー!」
元気な声とともに、崎本ケンジを含むサッカー部の男子たちが教室に入ってきた。
汗ばんだ顔で、明らかに練習の途中だった。
「あ、崎本くん。」
ユイの声が少し明るくなったような気がした。
ユイがケンジに示す反応は、俺に対するものとは明らかに違った。
声のトーン、表情の輝き、身体の向き――すべてが彼への好意を示していた。
「朝霧さん、黒板消しといてくれたんだ? ありがとう。」
ケンジは爽やかな笑顔で言った。
ユイは少し照れたように頬を赤らめた。
「いえ、当番だったから…。」
二人の会話を聞きながら、俺はただ黙って手元の作業を続けていた。
自分の存在が薄れていくような感覚。
ただ、俺の存在感がないのは常の事だ。
ケンジのような輝かしい存在の前では、俺のような人間は影も形もなくなる。
「俺たち、ちょっと忘れ物を取りに来ただけだから。邪魔しちゃってごめんな。」
ケンジはそう言いながら、俺の方にも目を向けた。
「あ、高橋くんも委員会活動か。二人とも頑張ってるな。」
「ありがとう。」
ユイが答えた。俺は小さく頷いただけだった。
「じゃ、また明日。」
ケンジたちは忘れ物を取ると、再び元気よく教室を出ていった。
彼らが去った後、教室に静けさが戻った。
「サッカー部、熱心だね。」
ユイがそう言った。
俺は曖昧に頷いた。
告白するタイミングを完全に失ってしまった気がした。
「そうだね…。」
「崎本くんって、頑張り屋さんだよね。いつも一生懸命で。」
ユイの言葉に、俺は少し苦い思いを感じた。
彼女の目が輝いている。
その輝きは俺が引き出せるものではなかった。
ケンジのような完璧な人間こそ、ユイの輝きを引き出せる存在だ。
俺のような欠陥品ではなく。
「ああ…完璧だよな。」
少し皮肉を込めて言ってしまったが、ユイはそれに気づかなかった。
「うん、でも完璧というか…努力してるんだと思う。それがすごいよね。」
俺は返事をしなかった。
ユイはケンジのことを高く評価しているようだった。
そんな中で俺が告白しても…結果は見えていた。
俺の中の小さな希望が消えていくのを感じた。
「そろそろ終わりにしようか。もう遅いし。」
俺はそう言って立ち上がった。
今日の告白は諦めよう。
「そうだね。今日はここまでにしよう。」
ユイも荷物をまとめ始めた。俺たちは黙って教室を出た。
「また明日ね、高橋くん。」
校門で別れる時、ユイはいつも通りの笑顔で言った。
その笑顔が今日は特に眩しく見えた。
「ああ、また明日。」
俺はそれだけ言って、反対方向へ歩き始めた。
『やはり無理だった。』
俺はそう思った。
ユイにとって、俺はただのクラス委員の同僚に過ぎない。
それ以上でも以下でもない。それが現実だ。
◇
翌朝、俺はいつもより早く学校に着いた。
昨夜はほとんど眠れなかった。ユイのことを考えると胸が痛くなる。
それでも、今日こそは勇気を出して告白しようと決意していた。
『最後のチャンスだ。』
たとえ断られても、この気持ちを伝えなければならない。
そう自分に言い聞かせていた。
教室に近づくと、廊下から女子たちの興奮した声が聞こえてきた。
「本当に? 朝霧さんと崎本くんが付き合い始めたって?」
「うん、昨日の放課後に告白されたらしいよ!」
「やっぱりね! あの二人、お似合いだもん。」
俺の足が止まった。
耳に入ってきた会話が、頭の中で反響する。
朝霧ユイと崎本ケンジが…付き合い始めた?
『そんな…。』
昨日の放課後、ケンジはユイに告白したのか。
俺が告白しようとしていたまさにその日に。
ドアを開けると、教室にはすでに何人かの生徒がいた。
そして窓際に、ユイとケンジが並んで立っていた。
二人は笑顔で話していて、周囲の生徒たちが祝福の言葉をかけている。
俺は凍りついたように立ち尽くした。
目の前の光景が現実とは思えなかった。
昨日まで俺と一緒に仕事をしていたユイが、今は別の男と笑顔を交わしている。
「あ、高橋くん、おはよう。」
ユイが俺に気づいて声をかけてきた。
彼女はいつも通りの笑顔だったが、なぜか今日は特別に輝いて見えた。恋をした女性の輝き。
それは俺が与えられるものではなかった。
「おはよう…。」
精一杯平静を装って返事をした。崎本ケンジも俺に向かって頭を下げた。
「おはよう、高橋。」
「ああ…おはよう。」
俺は二人に視線を合わせないようにして、自分の席に向かった。足元がふらつくような感覚。心が激しく痛んでいた。
授業が始まるまでの間、教室中がユイとケンジの話題で持ちきりだった。
二人がどれだけお似合いか、どれだけ素敵なカップルかを誰もが口にしている。
美男美女のカップル。それが世の中の常識。
同じレベルの者同士が引かれ合う。★5なら★5の者同士で。
俺のような★1には、ユイのような★5は永遠に手の届かない存在だった。
俺はスマホを取り出して『魔法めいど少女 リリカル☆ぷりずむ』を起動させた。
画面の中の魔法少女たちが明るく踊っている。でも今日は、その姿にも慰められない気がした。
◇
授業中、俺は窓の外ばかり見ていた。先生の言葉は耳に入らない。ただぼんやりと空を見つめていた。
『なんで生まれてきたんだろう。』
こんな不平等な世界に。こんな理不尽な世界に。何をしても報われない世界に。
生まれながらにして勝敗が決まっている世界に。
その世界では、俺は常に誰かの踏み台だった。
この世界では、俺の敗北は初めから運命づけられていた。
俺の敗北は誰かの勝利となり、俺のような負け組の養分を吸って、勝ち誇った者たちがさらなる栄華を誇っていく。
ああ、なんて残酷なんだろう。
◇
昼休み、俺はいつものように一人で教室に残った。
周囲ではユイとケンジの話題がまだ続いている。
耳に入ってくる言葉が、一つ一つ刃物のように胸に刺さる。
「朝霧さんと崎本くん、本当に絵になるよね。」
「うん、二人とも顔も性格もいいし、まさに理想のカップル。」
「付き合うならやっぱり同じレベルの人同士だよね。」
最後の言葉が特に響いた。同じレベル。容姿も能力も人気も、すべてが最高レベル。そんな彼らと、俺とでは、最初から釣り合わなかったのだ。
『世の中は最初から不平等だ。』
それが現実だ。
生まれ持った才能がすべてだった。
遺伝に対して持ち出される努力という事柄ですら、『努力ができる』という才能の結果であり、仮に努力が出来たとしても才覚がなければ意味がない。
親から受け継いだ遺伝子が、人生を決定する。
俺はそれを痛いほど思い知らされた。
放課後、クラス委員の仕事がある。ユイと二人きりになる時間。
今まで楽しみにしていたその時間が、今は苦痛でしかなかった。
「高橋くん、今日も放課後よろしくね。」
授業終了後、ユイが声をかけてきた。
相変わらず優しい笑顔。でも今日はその笑顔に胸が痛んだ。
「ああ…。」
曖昧に返事をした。
ユイは少し不思議そうな顔をしたが、特に何も言わなかった。
教室が空になっていく中、俺とユイは日直当番表の修正作業を始めた。
二人並んで椅子に座る状況は、昨日までと変わらないのに、すべてが変わってしまったように感じた。
『こんな近くにいるのに、こんなに遠い。』
彼女との距離は、物理的には近くても、もはや心理的には天と地ほど離れていた。
彼女はもうケンジのものだ。
俺の手の届かない存在になった。
「高橋くん、この日はサッカー部の試合があるから、崎本くんとサッカー部の人たちを外した方がいいかな。」
ユイがそう言った。ケンジの名前を出された瞬間、俺の胸が締め付けられた。
「ああ…そうだな。」
無表情で答えると、ユイが俺の顔をじっと見てきた。
「どうしたの? 今日はずっと元気ないよ。」
「別に…何でもない。」
「本当? 何か悩み事ある?」
彼女の優しい言葉が、余計に胸を痛めつける。
『お前のことが好きだったんだ。』
そう言いたかったが、もう遅かった。彼女はケンジのものになったのだから、もはや、俺が彼女に告白する資格はない。
「ないよ。それより、ユイは…幸せそうだな。」
思わず言ってしまった言葉に、ユイは少し照れたような表情を見せた。
「え? うん、まあ…そうかな。」
「ケンジと付き合い始めたんだってな。」
ユイの頬が赤くなった。彼女が恥ずかしそうに頷く。
「うん…昨日、帰り道で告白されて。びっくりしたけど…嬉しかった。」
彼女の幸せそうな表情を見て、俺は胸が引き裂かれるような痛みを感じた。でも、表面的には冷静を装った。
「おめでとう。やっぱりお似合いだよ。」
できるだけ自然に聞こえるように言った。ユイは恥ずかしそうに笑った。
「ありがとう。でも、クラス委員の仕事はこれまで通りちゃんとやるから。」
「ああ、わかってる。」
俺たちは再び作業に戻った。ユイはいつも通り真面目に仕事をこなしていくが、俺の心はもう別の場所にあった。
『すべて無駄だった。』
ユイとの時間。一緒に過ごした日々。心の中で育んだ感情。すべては無意味だった。
親ガチャで外れを引いた俺には、最初から意味がない行為だったのだ。
それは長年の人生経験に裏打ちされた、確かな現実だったというのに。
俺は彼女の美貌、思わせぶりな態度に惑わされてしまったのだ。
「あっ、ごめん。今日はここまででいい? ケンジくんの練習、見に行くって約束してて…。」
作業が一段落したところでユイがそう言った。
彼女の目は少し申し訳なさそうだった。
「いいよ、行ってきな。」
俺は無理に笑顔を作った。
ユイは心配そうに俺を見た。
「本当に? でも、まだ少し残ってるけど…。」
「大丈夫、残りは俺がやっておくよ。」
「ありがとう、高橋くん! 本当にありがとう!」
ユイは嬉しそうに荷物をまとめ始めた。
そして教室を出る前に、ちょっと立ち止まった。
「ねえ、クラス委員の仕事…これからも一緒に頑張ろうね。」
「ああ…。」
ユイは最後に笑顔を見せて、教室を出ていった。
彼女が去った後、教室には俺一人が残された。
窓から外を見ると、サッカー部の練習風景が見えた。
そしてすぐに、ユイが校庭に向かう姿も見えた。
彼女がケンジに近づくと、二人は笑顔で言葉を交わした。
やはり、ユイとケンジは同じ世界の住人で、俺とは違う次元の存在だった。
俺のような負け組が彼らの世界と交わろうとしたこと自体が間違いだったのだ。
作業を終えて教室を出る時、最後にもう一度窓の外を見た。
ユイはサッカー部の練習を見学する女子たちの中で、一際輝いて見えた。
ケンジがボールを蹴るたびに、彼女の顔に笑顔が浮かぶ。
俺はその光景から目を逸らしながら、静かに教室を後にした。
自宅へと帰りながらスマホゲームを起動した。
ただ、もはや俺の心は動かなかった。
画面の中の魔法少女たちは、現実のユイほどには心を満たしてくれなかった。
人生とは始めから決まった道。
そんな残酷な真実を、俺はただ受け入れるしかなかった。
誰かの養分。勝ち組の引き立て役。踏み台。
親ガチャに外れた俺には、これらの役しか選べない。
俺はその時、改めて――そのことを痛感したのだった。
俺は朝から緊張していた。今日、放課後にユイに告白する。
たとえ失敗しても、この気持ちを伝えずにはいられない。
『どうせ断られるけど。』
そう思いながらも、俺は不思議と前向きな気持ちになっていた。
たとえ拒否されても、この感情を伝えることには意味があると思えた。
「おはよう、高橋くん。」
教室に入るとユイが笑顔で声をかけてきた。
いつもの朝の挨拶なのに、今日は特別に胸が高鳴る。
「おはよう…。」
「あれ? 元気ないね。どうしたの?」
俺の様子を心配するユイ。その優しさがまた俺の決意を強くした。
「いや、ちょっと寝不足で…。」
「そうなんだ。無理しないでね。」
ユイはそう言って自分の席に向かった。
俺は彼女の後ろ姿を見つめながら、今日の放課後のことを考えていた。
『何て言えばいいだろう?』
『好きだ。』とストレートに言うか、『付き合ってください。』と言うか。
どちらにしても、きっと断られるだろう。
ユイのような美少女が、俺のような弱者男性に本気の好意を持つはずがない。
授業中も、俺の心はどこか上の空だった。
ユイに何と言おうか、どんな言葉で気持ちを伝えようか。
そればかりを考えていた。
昼休み、俺はいつものようにスマホでゲームをしようとしたが、集中できずにすぐに画面を閉じた。
窓の外を見ると、サッカー部の生徒たちが校庭で練習していた。
崎本ケンジの姿も見える。
彼のような完璧な存在と自分を比べるのは無意味だと分かっていながらも、どうしても比較してしまう。
『あいつは何もかも持っている。』
高身長、整った顔立ち、運動神経、社交性。すべてが最高ランク。
それに比べて俺は…。
何一つ誇れるものがない。親ガチャで外れを引いた代表例だ。
「何考えてるの?」
ユイの声に、俺は飛び上がりそうになった。
いつの間に彼女が近づいていたのか。
「あ、いや…何でもない。」
「そう? なんだか今日の高橋くん、変だよ。」
彼女は小さな頭を傾げた。その仕草が可愛くて、俺はますます動揺した。
「放課後、ちょっと話があるんだ。」
「うん、クラス委員の仕事だよね。今日は学級日誌の整理でしょ?」
「あ、うん…それも、だけど…。」
「他にも何かあるの?」
ユイは興味深そうに聞いてきた。俺は焦って答えた。
「いや、その…放課後に。」
「わかった。放課後、教室で待ってるね。」
ユイはそう言って席に戻っていった。俺は深いため息をついた。緊張で言葉がうまく出てこない。
『どうせ無理だ無理だ無理だ無理だ。』
そう自分に言い聞かせながらも、俺の心は期待と不安で揺れ動いていた。
最後の授業が終わり、ついに放課後になった。
教室には数人の生徒が残っていたが、ほとんどが部活や帰宅準備で出ていった。
俺とユイは学級日誌の整理を始めた。いつもなら二人きりの時間が楽しみだったのに、今日は緊張で手が震える。
「高橋くん、この日誌の日付が違ってるみたい。」
ユイが指摘する声も、今日は遠くから聞こえるように感じられた。
「あ、そうだな…直しておくよ。」
俺は必死に日常の会話を続けようとした。ユイは特に変わった様子もなく、いつも通りに仕事をこなしていく。
彼女の横顔を見ながら、俺は何度も『今だ。』と思いながらも、言い出せなかった。
『言えよ、情けない俺。』
自分を叱咤するも、なかなか言葉が出てこない。心臓が早鐘のように鳴り、手は冷や汗で湿っていた。
「ユイ、その…。」
ようやく口を開いた時、教室のドアが勢いよく開いた。
「おつかれー!」
元気な声とともに、崎本ケンジを含むサッカー部の男子たちが教室に入ってきた。
汗ばんだ顔で、明らかに練習の途中だった。
「あ、崎本くん。」
ユイの声が少し明るくなったような気がした。
ユイがケンジに示す反応は、俺に対するものとは明らかに違った。
声のトーン、表情の輝き、身体の向き――すべてが彼への好意を示していた。
「朝霧さん、黒板消しといてくれたんだ? ありがとう。」
ケンジは爽やかな笑顔で言った。
ユイは少し照れたように頬を赤らめた。
「いえ、当番だったから…。」
二人の会話を聞きながら、俺はただ黙って手元の作業を続けていた。
自分の存在が薄れていくような感覚。
ただ、俺の存在感がないのは常の事だ。
ケンジのような輝かしい存在の前では、俺のような人間は影も形もなくなる。
「俺たち、ちょっと忘れ物を取りに来ただけだから。邪魔しちゃってごめんな。」
ケンジはそう言いながら、俺の方にも目を向けた。
「あ、高橋くんも委員会活動か。二人とも頑張ってるな。」
「ありがとう。」
ユイが答えた。俺は小さく頷いただけだった。
「じゃ、また明日。」
ケンジたちは忘れ物を取ると、再び元気よく教室を出ていった。
彼らが去った後、教室に静けさが戻った。
「サッカー部、熱心だね。」
ユイがそう言った。
俺は曖昧に頷いた。
告白するタイミングを完全に失ってしまった気がした。
「そうだね…。」
「崎本くんって、頑張り屋さんだよね。いつも一生懸命で。」
ユイの言葉に、俺は少し苦い思いを感じた。
彼女の目が輝いている。
その輝きは俺が引き出せるものではなかった。
ケンジのような完璧な人間こそ、ユイの輝きを引き出せる存在だ。
俺のような欠陥品ではなく。
「ああ…完璧だよな。」
少し皮肉を込めて言ってしまったが、ユイはそれに気づかなかった。
「うん、でも完璧というか…努力してるんだと思う。それがすごいよね。」
俺は返事をしなかった。
ユイはケンジのことを高く評価しているようだった。
そんな中で俺が告白しても…結果は見えていた。
俺の中の小さな希望が消えていくのを感じた。
「そろそろ終わりにしようか。もう遅いし。」
俺はそう言って立ち上がった。
今日の告白は諦めよう。
「そうだね。今日はここまでにしよう。」
ユイも荷物をまとめ始めた。俺たちは黙って教室を出た。
「また明日ね、高橋くん。」
校門で別れる時、ユイはいつも通りの笑顔で言った。
その笑顔が今日は特に眩しく見えた。
「ああ、また明日。」
俺はそれだけ言って、反対方向へ歩き始めた。
『やはり無理だった。』
俺はそう思った。
ユイにとって、俺はただのクラス委員の同僚に過ぎない。
それ以上でも以下でもない。それが現実だ。
◇
翌朝、俺はいつもより早く学校に着いた。
昨夜はほとんど眠れなかった。ユイのことを考えると胸が痛くなる。
それでも、今日こそは勇気を出して告白しようと決意していた。
『最後のチャンスだ。』
たとえ断られても、この気持ちを伝えなければならない。
そう自分に言い聞かせていた。
教室に近づくと、廊下から女子たちの興奮した声が聞こえてきた。
「本当に? 朝霧さんと崎本くんが付き合い始めたって?」
「うん、昨日の放課後に告白されたらしいよ!」
「やっぱりね! あの二人、お似合いだもん。」
俺の足が止まった。
耳に入ってきた会話が、頭の中で反響する。
朝霧ユイと崎本ケンジが…付き合い始めた?
『そんな…。』
昨日の放課後、ケンジはユイに告白したのか。
俺が告白しようとしていたまさにその日に。
ドアを開けると、教室にはすでに何人かの生徒がいた。
そして窓際に、ユイとケンジが並んで立っていた。
二人は笑顔で話していて、周囲の生徒たちが祝福の言葉をかけている。
俺は凍りついたように立ち尽くした。
目の前の光景が現実とは思えなかった。
昨日まで俺と一緒に仕事をしていたユイが、今は別の男と笑顔を交わしている。
「あ、高橋くん、おはよう。」
ユイが俺に気づいて声をかけてきた。
彼女はいつも通りの笑顔だったが、なぜか今日は特別に輝いて見えた。恋をした女性の輝き。
それは俺が与えられるものではなかった。
「おはよう…。」
精一杯平静を装って返事をした。崎本ケンジも俺に向かって頭を下げた。
「おはよう、高橋。」
「ああ…おはよう。」
俺は二人に視線を合わせないようにして、自分の席に向かった。足元がふらつくような感覚。心が激しく痛んでいた。
授業が始まるまでの間、教室中がユイとケンジの話題で持ちきりだった。
二人がどれだけお似合いか、どれだけ素敵なカップルかを誰もが口にしている。
美男美女のカップル。それが世の中の常識。
同じレベルの者同士が引かれ合う。★5なら★5の者同士で。
俺のような★1には、ユイのような★5は永遠に手の届かない存在だった。
俺はスマホを取り出して『魔法めいど少女 リリカル☆ぷりずむ』を起動させた。
画面の中の魔法少女たちが明るく踊っている。でも今日は、その姿にも慰められない気がした。
◇
授業中、俺は窓の外ばかり見ていた。先生の言葉は耳に入らない。ただぼんやりと空を見つめていた。
『なんで生まれてきたんだろう。』
こんな不平等な世界に。こんな理不尽な世界に。何をしても報われない世界に。
生まれながらにして勝敗が決まっている世界に。
その世界では、俺は常に誰かの踏み台だった。
この世界では、俺の敗北は初めから運命づけられていた。
俺の敗北は誰かの勝利となり、俺のような負け組の養分を吸って、勝ち誇った者たちがさらなる栄華を誇っていく。
ああ、なんて残酷なんだろう。
◇
昼休み、俺はいつものように一人で教室に残った。
周囲ではユイとケンジの話題がまだ続いている。
耳に入ってくる言葉が、一つ一つ刃物のように胸に刺さる。
「朝霧さんと崎本くん、本当に絵になるよね。」
「うん、二人とも顔も性格もいいし、まさに理想のカップル。」
「付き合うならやっぱり同じレベルの人同士だよね。」
最後の言葉が特に響いた。同じレベル。容姿も能力も人気も、すべてが最高レベル。そんな彼らと、俺とでは、最初から釣り合わなかったのだ。
『世の中は最初から不平等だ。』
それが現実だ。
生まれ持った才能がすべてだった。
遺伝に対して持ち出される努力という事柄ですら、『努力ができる』という才能の結果であり、仮に努力が出来たとしても才覚がなければ意味がない。
親から受け継いだ遺伝子が、人生を決定する。
俺はそれを痛いほど思い知らされた。
放課後、クラス委員の仕事がある。ユイと二人きりになる時間。
今まで楽しみにしていたその時間が、今は苦痛でしかなかった。
「高橋くん、今日も放課後よろしくね。」
授業終了後、ユイが声をかけてきた。
相変わらず優しい笑顔。でも今日はその笑顔に胸が痛んだ。
「ああ…。」
曖昧に返事をした。
ユイは少し不思議そうな顔をしたが、特に何も言わなかった。
教室が空になっていく中、俺とユイは日直当番表の修正作業を始めた。
二人並んで椅子に座る状況は、昨日までと変わらないのに、すべてが変わってしまったように感じた。
『こんな近くにいるのに、こんなに遠い。』
彼女との距離は、物理的には近くても、もはや心理的には天と地ほど離れていた。
彼女はもうケンジのものだ。
俺の手の届かない存在になった。
「高橋くん、この日はサッカー部の試合があるから、崎本くんとサッカー部の人たちを外した方がいいかな。」
ユイがそう言った。ケンジの名前を出された瞬間、俺の胸が締め付けられた。
「ああ…そうだな。」
無表情で答えると、ユイが俺の顔をじっと見てきた。
「どうしたの? 今日はずっと元気ないよ。」
「別に…何でもない。」
「本当? 何か悩み事ある?」
彼女の優しい言葉が、余計に胸を痛めつける。
『お前のことが好きだったんだ。』
そう言いたかったが、もう遅かった。彼女はケンジのものになったのだから、もはや、俺が彼女に告白する資格はない。
「ないよ。それより、ユイは…幸せそうだな。」
思わず言ってしまった言葉に、ユイは少し照れたような表情を見せた。
「え? うん、まあ…そうかな。」
「ケンジと付き合い始めたんだってな。」
ユイの頬が赤くなった。彼女が恥ずかしそうに頷く。
「うん…昨日、帰り道で告白されて。びっくりしたけど…嬉しかった。」
彼女の幸せそうな表情を見て、俺は胸が引き裂かれるような痛みを感じた。でも、表面的には冷静を装った。
「おめでとう。やっぱりお似合いだよ。」
できるだけ自然に聞こえるように言った。ユイは恥ずかしそうに笑った。
「ありがとう。でも、クラス委員の仕事はこれまで通りちゃんとやるから。」
「ああ、わかってる。」
俺たちは再び作業に戻った。ユイはいつも通り真面目に仕事をこなしていくが、俺の心はもう別の場所にあった。
『すべて無駄だった。』
ユイとの時間。一緒に過ごした日々。心の中で育んだ感情。すべては無意味だった。
親ガチャで外れを引いた俺には、最初から意味がない行為だったのだ。
それは長年の人生経験に裏打ちされた、確かな現実だったというのに。
俺は彼女の美貌、思わせぶりな態度に惑わされてしまったのだ。
「あっ、ごめん。今日はここまででいい? ケンジくんの練習、見に行くって約束してて…。」
作業が一段落したところでユイがそう言った。
彼女の目は少し申し訳なさそうだった。
「いいよ、行ってきな。」
俺は無理に笑顔を作った。
ユイは心配そうに俺を見た。
「本当に? でも、まだ少し残ってるけど…。」
「大丈夫、残りは俺がやっておくよ。」
「ありがとう、高橋くん! 本当にありがとう!」
ユイは嬉しそうに荷物をまとめ始めた。
そして教室を出る前に、ちょっと立ち止まった。
「ねえ、クラス委員の仕事…これからも一緒に頑張ろうね。」
「ああ…。」
ユイは最後に笑顔を見せて、教室を出ていった。
彼女が去った後、教室には俺一人が残された。
窓から外を見ると、サッカー部の練習風景が見えた。
そしてすぐに、ユイが校庭に向かう姿も見えた。
彼女がケンジに近づくと、二人は笑顔で言葉を交わした。
やはり、ユイとケンジは同じ世界の住人で、俺とは違う次元の存在だった。
俺のような負け組が彼らの世界と交わろうとしたこと自体が間違いだったのだ。
作業を終えて教室を出る時、最後にもう一度窓の外を見た。
ユイはサッカー部の練習を見学する女子たちの中で、一際輝いて見えた。
ケンジがボールを蹴るたびに、彼女の顔に笑顔が浮かぶ。
俺はその光景から目を逸らしながら、静かに教室を後にした。
自宅へと帰りながらスマホゲームを起動した。
ただ、もはや俺の心は動かなかった。
画面の中の魔法少女たちは、現実のユイほどには心を満たしてくれなかった。
人生とは始めから決まった道。
そんな残酷な真実を、俺はただ受け入れるしかなかった。
誰かの養分。勝ち組の引き立て役。踏み台。
親ガチャに外れた俺には、これらの役しか選べない。
俺はその時、改めて――そのことを痛感したのだった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる