白に染まる

スカートの中の通り道

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第一話 純粋な白と、ありのままの白

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「ピッ!」
 体育館に響き渡るホイッスルの音が、緊張感を再び高めた。
「よし、休憩終わりよ!」
 顧問の安納先生が両手を力強く叩くと、部員たちが一斉に立ち上がる。二階から差し込む光の中を漂っていた埃が、フッと舞い上がるのが見えた。
「レギュラーとサブは、第一コートでスクリメージ! それ以外は第二と第三コートでキャッチアンドシュート! すぐに取り掛かって!」
「はい!」
 夏の暑さにも負けない元気な声が、体育館の隅々まで共鳴する。その声は、僕の鼓膜を震わせた。インターハイが三日後に迫っているという実感を改めて教えてくれた。
「マネージャー!」
「あっ、はい!」
 不意に声がかかり、僕は慌てて安納先生のもとへ駆け寄る。
「美原はレギュラーにくっつけ! どんなに細かいことでも構わない、気になった事をノートにまとめろ。セットプレイのポジション、ディフェンスのローテーションのタイミングも見逃すなよ」
「はい、わかりました!」
 僕はノートとペンを持って、すぐさま第一コートに向かった。そこではすでに、キャプテンである宮城みやぎありさ先輩が力強い活を入れていた。
「今の取れたでしょ! 最後まで諦めないで!」
「はい!」
 ありさ先輩はバスケ部のキャプテンであると同時に、その美貌と卓越したスキルでチームを牽引する絶対的なエースでもあった。長身で引き締まった健康的な体躯は、スポーツマンでありながらもモデルのように美しく、長い黒髪のポニーテールが振り乱れる様は迫力満点。コート上ではそのカリスマ性を存分に発揮し、他の選手を圧倒する。ゴールネットを正確に射抜くロングシュート。針の穴を通す鋭いパス。まるで獣のようにコートを駆け抜ける圧巻のスピード。そのプレーはいつだって歓声を沸き起こす。
 けれど、特に目を引くのは、ふとした瞬間に見せる愛らしい笑顔だった。先輩のそんなギャップに魅せられ、虜になってしまう者は後を絶たない。ありさ先輩はまさに、誰もが憧れるそんな存在なのだ。

 ーー本当にかっこいいんだよなあ。

 僕は一人頷く。
「体の使い方が甘いよ! ディナイディフェンスの時は、怖がらずにもっとプレッシャーをかけて!」
「はいっ!」
「あなたは冷静に周りを見て。今の場面なら、無理に行く必要はなかったと思う。ボールを一旦後ろに戻して、トップからのスリーを狙うこともできたはず。チャンスを無駄にしないためにも、絶対に焦っちゃいけない」
 ありさ先輩はプレイが止まるたびに、一人ひとりに的確なアドバイスを送った。その声には厳しさがあるけど、親しみにも似た優しさも感じられた。その姿を見れば、後輩達から慕われる理由がよくわかる。
 部員全員が先輩の言葉に耳を傾け、必死にそれを自分のものにしようとする姿は、まさにチームが一丸となっている証拠だった。
 そしてその熱意に応えるかのように、体育館の中には爽やかな風が吹き込んでいた。きっと、部員達の一生懸命さと、ありさ先輩の存在がもたらしたものなのかもしれない。
 ふと、僕は外を振り返る。聞こえてくるのは、砂浜に打ち寄せる波の息遣いと、線路を走る電車の足音。見えるのは、八月の澄み渡った青空だった。

 ーーそういえば、あの日もこんな感じだったっけ。

 まるであの日の写真をそのまま貼り付けたような光景に、僕の胸には様々な感情が蘇って来た。
 未練、焦燥感。無力感に苦しさ。そして、後悔と悔しさに心が押しつぶされそうになった。二度とこんな思いはしたくない。そう誓ったあの日……。
 今年は、その思いが続きへと姿を変えた。あの日、進むことのできなかった道が、今年はすぐ目の前に続いている。
 僕は改めて思い出した。なぜここにいるのかということを。バスケ部のため、チームメイトのため、そして、あの人のため。
 ドクン……。心臓の高鳴りを感じた。
 みんなが、夢を叶えられるように。
 ペンを握る手に、力が入った。

「カシャッ」
 突然、背後からシャッター音が聞こえた。僕は冷水を浴びせられたかのような不快感と一緒に、ため息がこぼれた。
 音の出所を辿って視線を向けると、外にある物陰からコソコソとカメラを構える玉津の姿があった。
「おい、何やってんだよ」
 呆れた様子で問いかけると、玉津は顔をしかめた。
「バカ野郎、今いいとこなんだ。水差すなって」

 ーーいや、こっちのセリフだから。

 玉津涼之助たまつりょうのすけ。時代錯誤のぼっちゃん刈りに、血色が良過ぎて異様に目立つ分厚い唇。細々としたひ弱な体は、物陰に隠れるのに丁度良くて、何とも皮肉に思えた。
 爪楊枝のような指がカメラを握り締め、爬虫類じみた目がレンズを通してじっと睨んでいる。
 玉津は、一年生の頃から「取材」と称して教室や体育館に忍び込み、首から下げたデジカメを片手にあちこちで写真を撮りまくっていた。玉津にとってカメラは宝物であるみたいだけど、僕からしたら欲望を満たすためのただの道具にしか見えない。しかも悪い意味で。
「また取材? いい加減、その悪趣味やめたら?」
 軽く揶揄すると、玉津はカッと目を光らせ、顔をしかめた。
「はぁ? 悪趣味じゃねえし。それに、ちゃんと許可はもらってんだ。お前に指図される筋合いはないね。広報部の活動なんだから、口出しすんな」
 玉津は昔から、他人にとやかく言われることを嫌った。誰に何を言われても一歩も引かず、むしろムキになって反撃した結果、事態が悪化することも少なくなかった。
 実際、玉津の行動は教師たちの間で当然問題視された。無断で写真を撮られることに抵抗を感じる生徒が多かったからだ。しかし、一年経った今ではその状況も変わった。玉津の写真は、広報部が作成する人気雑誌の目玉となり、多くの生徒がそのページを楽しみにしている。イケメンや美少女が彩っているからだ。時に、教師たちを特集したページは好評で、今や教師たちが自ら「モデルにしてくれ」と売り込む始末だった。

 ーーほんと、驚きだよ。

 これまでに多くの衝突やトラブルを引き起こしてきた玉津だが、その独特の視点とセンスが、今では平凡な学校生活をちょっとしたエンタメに変えてしまっている。
 正直、玉津の積極性には感心する。僕にはない長所だから、見習うべきところもあるのかもしれない。けれど、それでも僕はコイツを信用していなかった。玉津の行動には必ず悪巧みがある。玉津は「広報部の活動」と言い張るが、カメラが捉える対象は単なる風景や人物だけに留まらないことを僕は知っていた。
 僕はこっそりと玉津の背後に回り込み、カメラのモニターを覗き込んだ。

 ーーやっぱりな……。

 そこに映っていたのは、ありさ先輩だった。それもただの写真ではなく、動画である。カメラは一挙手一投足を余すことなく捉えていて、先輩のその瞬間・・を粘り強く狙っているのが見て取れた。

 ーーこういうところが本当に姑息というか、卑劣なんだよな。

 そう思いながらも、モニター越しに映るありさ先輩は、いつもと違った輝きを放っているように見えた。僕は普段、マネージャーとしてコートの外から先輩や部員たちを観察しながら、ノートに問題点や改善点をまとめているけど、カメラを通した視点はまるで違う景色に感じられた。
 僕は、カメラを使った練習について頭の中で想像を膨らませた。それは徐々にではあったが、すぐに形を成していった。
 例えば、ありさ先輩のように常に全力でプレーする選手の動きを映像で捉えれば、先輩がどのタイミングでディフェンスを崩し、どの角度でシュートを狙うか、細かい技術を他の部員たちにも共有できるし、映像を使って、ここでスピードを上げるとか、この瞬間に切り返す、という瞬間をその場で振り返ることができる。そうすれば、後輩部員たちもわかりやすいし、学びやすくなると思う。
 試合や練習の映像を確認することで、選手一人ひとりの改善点やクセも可視化できて、自分では気づきにくい短所を明確に指摘しやすくなる。映像を見ながら話し合えば、より効果的にチームの戦術を修正できるはずだ。
 さらに、映像はモチベーションにも繋がるかもしれない。自分が上手くいったプレーを再確認すれば自信が持てるだろうし、特にありさ先輩のようなリーダーシップを発揮する選手の映像を見れば、チーム全体が鼓舞され、士気も高まるかもしれない。
 練習中に撮影したプレーを振り返り、改善点をよりリアルにフィードバックする。その場ですぐにできるということが、カメラを使う練習の大きなメリットだと思った。
 ただし、それはあくまでカメラを用意出来れば・・・・・・・・・・という話しであり、実際はそんな予算があるわけもない。
 ハア……。僕は大きなため息を吐いた。
 まあでも、がっかりすることもない。今度機会があったら、安納先生に提案してみよう。先生はスポーツを題材にした青春映画をこよなく愛しているから、その心というか、魂に熱く語りかければ、もしかしたら部活の経費でなんとかしてくれるかもしれない。
 僕は、慰め程度の淡い期待を抱きつつも、胸の奥底に寂しさを感じた。

 ーーけど、その時にはもう、ありさ先輩はいないんだよな。

 わかってはいるけれど、改めて考えてしまうと、その切なさが身に染みる。
 それにしても……。
 玉津はその間もずっと、ありさ先輩を捉えて離さなかった。
 映しているのは、先輩がジャンプシュートを放つ際にチラッと顔を覗かせたアーモンド型のおへそと、汗で濡れる美麗な白い脇、着地した瞬間に大きく弾む、豊満なおっぱいの躍動感だった。
 普段の僕なら、それほど気にならない光景のはず。でも、玉津がそのレンズを通して覗いていると思うと、妙に息苦しく感じる。お腹のあたりがキュッと締めつけられるような痛みも感じた。それは、今までに経験したことのない不思議な感覚だった。
 しかし今は、それについて深く考えている場合ではない。

 ーーこれ以上はダメだ、止めないと。

 危機感が強まる。
 僕は玉津の肩に手を伸ばそうとした。その瞬間、玉津が僕の目の前で、カメラ越しに舌なめずりをしたのだ。唇の上をまるでナメクジが這うような、それはとても気持ち悪くて、僕はゾッとした。
 すると、玉津が何か察したのか、突然血走った目で僕を睨みつけてきた。
「おい、わかってるよな? 邪魔はすんなよ。それでも止めるっていうなら……こうだからなっ!」
 玉津はそう言いながら、僕の顔に向けて意気揚々と拳を突き出してきた。しかし、その威嚇があまりに弱々しかったので、僕は思わず、気が抜けたみたいに鼻で笑ってしまった。
「何だよ、やんのか!?」
「……いや、別に」
 まともに相手をする気はなかった。背丈こそ同じくらいだが、体格では明らかに僕の方が勝っているし、成績も上。スポーツだって僕の方が出来るだろうし、むしろこいつに劣っている点を探す方が難しい。
 心の中で、僕は玉津を見下していた。
「もういいから、早く戻れよ。気持ち悪いんだよ」

 ーーそれもこっちのセリフだ。

「はいはい」
 玉津を余裕であしらいながら、僕は内心ほっとしていた。よくよく考えれば、玉津のカメラに警戒する必要はない。ありさ先輩は玉津の存在に気づいているし、日頃からカメラを向けられることに慣れているから、警戒心も強い。そんな先輩が、玉津のような卑しい人間に弱みを握られるわけがない。
 これまで、ありさ先輩を間近で見てきた僕でさえ、その瞬間・・を確認出来たことなんてない。つまり、玉津がどれほど粘ったところで、その瞬間・・を手に入れるのは不可能なのだ。
 それに、ありさ先輩には僕がついてる。絶対玉津の思い通りにはさせない。
 そう心の中で勝ち誇り、僕は胸の奥で小さな捨て台詞をぶつぶつと吐きながら、室内へと戻った。

 ーーでも、ありさ先輩のおへそ、初めて見れたな……。

 妙な高揚感が、全身に広がった。
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