稲穂の国の記憶 ―土とうた、三十三冊目の始まり―

御園しれどし

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第二部 冬の不協和音

7.祝祭としての終焉

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 7.祝祭としての終焉

 十一月二十二日。その日は、秋穂の予想を遥かに超える、奇妙で暴力的なほどに明るい祝祭の日となった。

 会場となったのは、新田晃代あらたあきよの実家が営む「山の詩人書店」の二階にある、今は使われていない多目的ホールだった。古い木の床が歴史を語るその場所で、秋穂は入り口に掲げられた看板を見て立ち尽くした。

『還暦祝い・結婚三十三周年記念——及び、新田耕司・晃代 離婚披露宴』

「……離婚、披露宴?」

 秋穂は我が目を疑った。手の中の招待状には、確かに祝いの言葉が並んでいたはずだ。困惑する彼女の前に、一人の青年がふらりと現れた。新田夫妻の長男、りょうである。

 彼は使い古されたベロアのジャケットを羽織り、どこか焦点の定まらない、しかし鋭い光を宿した瞳で秋穂を見た。
「ようこそ、秋穂さん。親父から聞いてるよ。稲造さんの跡を継いでる、真面目なお嬢さんだってね」
 亮は皮肉めいた笑みを浮かべ、手に持ったマイクのテストを始めた。

「今日はね、家族という名の『古い形式』を、芸術的に解体する日なんだ。悲劇じゃない。これは、二人の再起動リブートだよ」

 開宴のベルが鳴り響くと、亮の演出による「式」が始まった。

 照明が落とされ、スクリーンには三十三年前の結婚式の映像が映し出される。初々しい耕司と晃代が山を登る姿。しかし、音楽は甘ったるいラブソングではなく、亮が選んだ、不協和音の混じる現代音楽だった。

「さあ、主役の登場です!」

 亮の張りのある声と共に、耕司と晃代あきよが入場した。二人は腕を組むのではなく、互いの背中を預け合うようにして並んでいる。新田耕司は漁協の制服ではなく、どこか稲造を彷彿させる真新しい作務衣に身を包んでいた。

「皆様、ご報告があります」

 司会を務める亮が、芝居がかった仕草で宣言する。

「本日、還暦を迎えたこの二人は、円満に離婚いたします! 耕司は本日付で漁協を辞め、稲造さんの田んぼを引き継いで、本気で土と生きる道を選びました。そして晃代は、経営不振のこの『山の詩人書店』をリニューアルし、リサイクルショップ・カフェとして再出発させます。二人はこれから、夫婦という縛りを捨て、互いの夢を応援する『戦友』に戻るのです!」

 会場からは、戸惑い混じりの拍手と、友人たちの爆笑が沸き起こった。

 秋穂は、その光景を呆然と見守っていた。

 かつて、自分の両親が別れた時の記憶が蘇る。あの時の離婚は、互いを罵り、傷つけ、逃げ出すための手段だった。家の中に吹き荒れた怒濤は、すべてを破壊し、秋穂の心に深い空白を残した。
 だが、目の前の光景はどうだろう。

 亮は、両親の離婚を心から歓迎し、それを祝福のパフォーマンスとして演出している。

 耕司はへらへらしながら、「いやあ、もう漁業の堅苦しい制服はこりごりでね。これからは土の匂いの中で暮らすよ」と笑い、晃代もまた、本屋の再生という新しい目標に目を輝かせている。

「自由っていうのはさ、秋穂さん」

 司会台から降りてきた亮が、秋穂の隣で低く囁いた。

「ただ一人になることじゃない。自分を縛っている呪い……例えば『いい夫婦でいなきゃいけない』とか、そういう思い込みを自分の手で壊して、新しく作り直すことなんだ。あんたがやってる稲作りだって、そうだろう?」

 秋穂は答えられなかった。

 稲造が手紙に遺した「君は自由だ」という言葉。彼女はそれを、孤独に耐えて伝統を守ることだと思い込んでいた。だが、この家族が見せている「自由」は、もっと残酷で、もっと軽やかで、もっと創造的なものだった。

「おめでとうございます、と言っていいんでしょうか」

 秋穂が歩み寄り、耕司に問いかけた。

「ああ、最高のお祝いだよ。これからはお嬢さん、俺も本腰を入れて田んぼに入るからね。師匠、よろしく頼むよ」

 耕司はそう言って、照れくさそうに頭を掻いた。

 窓の外では、銀杏の葉が風に舞っていた。

 秋穂の心の中にある「家族」という概念が、音を立てて崩れていく。

 それは崩壊というよりも、新しい芽を出すための、古い皮の脱皮に近い感触だった。

 亮が奏でる少し騒がしいジャズが、秋穂の三十一冊目のノートの空白に、新しいリズムを刻み始めていた。
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