電脳世界のクリミナル

加藤彰

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電脳世界のクリミナル

第一章‐3『自我境界線損失症』

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 サイバー犯罪は年々増え続けており、その凶悪性も増してきている。最近では違法なプログラムが裏市場から出回り、それに関する事件が後を絶たない。電脳世界にはそういった違法なプログラムを取り締まる検出システムが存在するが、どうにかそれを潜り抜けるものが生まれてしまっている。

 違法プログラムを検出するシステムを管理している企業も、新しく生まれ続ける違法なプログラムに対応しているのだが、正直これはイタチごっこになってしまっている。対策しようが、また新しい違法なプログラムが生まれ、そこから事件がまた発生する。

 また、やっかいなことに違法プログラム検出システム『EXUSIAエクスシア』ではネクストを検知することができない。たとえ能力を発動してもだ。
 違法プロフラムを売る裏市場の人間や、違法なプログラムを使って犯罪を起こす人間、またネクストの能力による犯罪行為の取り締まりに日本の警察は悩まされていた。

 そして生まれたのが電脳世界を専門として取り締まる組織、ガーディアンだ。

 この組織は実力のある者ならば誰でも協力することができることになっている。それが定年を過ぎた老人だろうが、まだ義務教育を受けている最中の子供だろうが、犯罪者だろうがお構いなしだ。
 それが年々凶悪性が増し続けているサイバー犯罪の対策方法としたのである。

 しかし、そうまでしてもガーディアンの人員不足は深刻だ。数少ない優秀な人材は有無を言わず協力を仰いでいる。特に犯罪者は、その罪を無にし、自由の身にする代わりにガーディアンに協力してもらおうとするほどだ。

 今まで何度も犯罪者をのしてガーディアンに差し出しているような榊原結城を欲しがるのは必然と言ってもいいだろう。
 しかし、結城はその話を断った。しかも過去に何度も誘われてその度に断っている。

 騒動があってから五日ほど経ち、七月四日。
 再び平凡な日常に戻ったのだが、やはり事件のことは頭から一向に離れなかった。

「ちょっと、どうしたのさ張り詰めた顔しちゃって」

 机に肘をつき、ガーディアンのことを考えていた結城に咲楽が話しかけてきた。

「別に。ぼーとしてただけだよ」
「そうなの? にしては意味深な顔つきだったね」
「うっせー。どうもしねぇよ」

 そのときの結城の表情を見て咲楽は理解した。あの事件の日、ガーディアンに呼ばれて何かあったのだと。

「もしかしてガーディアン絡み?」

 その彼女の言葉に結城は思わず咳き込んだ。いつも、結城のことになると勘が鋭い咲楽に、今まで何回知られたくないことを彼女に知られてしまったか。

「相変わらずお前は鋭でーなオイ。あぁ、そうだよ。俺はガーディアンにならないかって言われた」
「すごいじゃん! ガーディアンなんかそう簡単になれるものじゃないよ! これはビッグニュースだね。きっとゆうくんのおじさんも喜ぶ――」
「いや、断って来た」
「なんで!?」
「別にこれといった理由はねぇよ。ホラ、お前と一緒に遊べなくなるだろ?」
「え、それって――」

 彼女に本当のことを言ったら面倒臭くなることは分かっているので、多くは語らなかった。適当な嘘をついて、ここははぐらかす。

「ほら、さっさと帰ろうぜ」

 結城は鞄を持って席を立つ。咲楽と共に階段を降りて玄関を目指す最中、泣いている様子の女の子を目撃した。
 一人の小柄な女の子が、教室の前で立ちすくみ、涙を流している。見ているだけではいられなくなった咲楽は、有無を言わずその女の子に駆け寄り話しかけた。

「どうしたの?」

 ぼさっとしている髪を揺らしながら、声が聞こえてきた方へと向く彼女。

「え、えと、その……」

 耳を口元まで寄せないと聞こえないくらいに掠れた声を発する彼女に、咲楽はどうしたらいいか困り果てる。
 一方、結城はそんな彼女に違和感を覚えた。もしかしたら、彼女は言葉を上手く発せれないのかもしれない。そう思った結城は、一つの病の事を思い出す。

 電脳病――正式名称、自我境界線損失症じがきょうかいせんそんしつしょう

 現実世界と電脳世界、二つの世界の境が曖昧になってしまっている人の事を言う。
 症状としては様々だ。電脳世界では何ともないのに、現実世界では上手く喋れなくなってしまったり、表情が作れなくなったり、人格が変わってしまったり、自らの意思とは関係なく電脳世界にアクセスしてしまう人もいる。

 また、成長期の子供がこの病を患ってしまうと、発育に多大な影響が出ることが判明した現在では、その治療法を必死に探している。
 そう――この自我境界線損失症は、未だに解明されていない不治の病なのだ。
 結城は身を屈ませ、耳を彼女の口元に近づかせる。それを見た咲楽も、結城と同じように身を屈ませた。

「大丈夫だ。落ち着いて。どうかしたのか?」
「その、えと、私の体操着が、なくなって、しまって……」
「体操着……ちょっと待ってろ」

 結城と咲楽はお互いに顔を合わせて頷いた。
 咲楽は廊下を、結城は教室の中を探す。
 そして、結城は掃除用具用のロッカーを開けると、そこには体操着が入っているであろう袋が、汚水で満たされたバケツの中に入っているのを見つけた。

(ふざけんな、ふざけんなよ)

 雑巾を絞ったであろう灰色の汚水に浸っていたため、それはひどく濁った色をしていた。あまりにも単純な悪意に、結城は強く握りこぶしを作る。
 許せなかったのだ。見ず知らずの、先ほど会ったばかりの女の子であったとしてもも、このような悪意に晒される事実が。
 結城はそれを取り出し、軽く絞って水が垂れないようにする。

「見つけたが……こんな状態だった。前からこんな事が?」
「あ、いや、その、えと、ありがとう、ございます」

 絞り出すように出たその言葉は感謝の言葉だけ。その視線は結城たちを恐れているのか怯えていた。結城たちとしては、後輩らしき女子生徒が、このようなイジメ行為をされていることを見て見ぬふりはできまいとしているだけなのに。

「大丈夫だよ。別に私たちはあなたをイジメたりはしないから。ただね、これはどう考えても普通じゃないから、先輩として話しを聞きたいなーって思ったの」

 咲楽は女の子が安心できるようなとても優しい声で話しかけてあげた。
 その声で落ち着きを取り戻すことが出来たのか、目の前の女の子はゆっくりと、辛そうに言葉を紡ぐ。

「四月から、続いています……」
「先生とかは? 止めないの?」
「先生が、見てないところ、で、やられ、ます」
「そっか……」

 咲楽は頭を悩ませる。
 こういったいじめは外から何を言っても止まることはない。たとえ先輩である結城と咲楽がそのイジメている奴らに注意や脅しをかけても、それでは力不足だ。

 いじめはどうやったら止められるのだろう?

 それは容易い事ではない。いじめの発生の原因は色々とあると思うが、大抵はその場の空気の流れが《コイツをいじめる》という方向に変わってしまった場合が多いのかもしれない。
 誰が仕切っているとか、そういうものではない。

 おそらく、この女の子のクラスの雰囲気が、その流れであるがために、反旗を翻す者も現れず、助けようとする人も現れない。
 これを終わらせる方法は、その空気の流れを変えてやるしかない。

 そのためには、何らかのキッカケが必要だ。とても大きなキッカケが。

(これは……すぐには解決できないかな)

 そう考えた咲楽はとびっきりの笑顔を作り出し、目の前の女の子の目を見る。

「そうだ、名前を聞いてなかったね。わたしはねぇ、色川咲楽って言います。二年生だよ、よろしくね」
「俺は榊原結城。同じく二年だ。よろしくな」
「わたしは、西條海実にしじょううみって、いいます。一年生、です……」

 西條海実と言う女の子は、力を振り絞るようにして彼女は名前を教えてくれた。
 やはり、彼女の声は掠れていて聞き取るだけでも大変だった。しかし、結城と咲楽は一つ一つの音を聞き逃さないようにしっかりと聞き取ってあげる。

「よろしくね、海実ちゃん!」

 さっそく咲楽のスキンシップが始まった。出会ったばかりだというのに、躊躇もなく海実の手を握り、笑顔を向ける。まずこれで落ちない人はいない。咲楽は体つきは貧相だが、笑顔だけは誰にも負けない。
 咲楽はこれで友達をたくさん作ってきた。これぞコミュニケーションの化け物だ。

「じゃーさ、海実ちゃん。さっそくお友達になりましょう。明日、一緒にお昼ご飯を食べない?」
「えと、あの……」

 この強引さが咲楽の良い所でもあり、悪い所でもある。
 これに助けられる人もいるが、海実のように戸惑ってしまう人がほとんど。
 まぁ、いきなり過ぎるのが悪いし、結城はもっとちゃんとしたプロセスを取れよと思っているのだが、これが彼女のアイデンティティなのだから何も言わない。
 彼女はこれでいい。

「その、じゃあ、明日……一緒に」
「いいの!? じゃあ、気合いを入れてお弁当作ってくるね。おかずとか交換したりしてさぁ。うー、楽しみだなぁ」

 一人で興奮していて抑えられない咲楽を尻目に、結城はため息交じりに吐いた。

「西條、やかましくないか? ごめんな、しゃべるの辛いんだろ?」
「い、いえ……楽しい、です。ふふふ」

 先ほどまで泣いていて、ぐしゃぐしゃだった顔が笑顔に変わった。その表情はとても可愛らしくて、思わず見とれる。

「あ、あのせんぱい、何、ですか?」
「へ? いや、何でも。ただ、西條みたいな可愛い子が、どうしてかと思って」
「か、可愛いって、その……」
「ゆーくーん? なに口説いているのかな?」

 咲楽が物凄い形相を睨み付けてきたので、結城はとっさに後ずさる。
 笑顔がステキな彼女であっても、怒らせれば怖い。これは、結城が身を持って体験したことだからこそだ。

「ごめん、そんなつもりはなかったんだ」
「冗談だよ。分かってたから」

 その会話に、どことない違和感を覚えた海実は首をかしげた。
 だが、その真の意味を理解することは叶わないだろう。

「じゃ、帰ろうか。海実ちゃんはどうやって帰るの?」
「は、い。お母さんが、お迎えに来てるので」
「そうか。じゃ、玄関まで一緒に行こう」

 海実は俯いていた顔を上げ、驚きの表情をこちらに向けてきた。

「はい、分かり、ました」

 再び俯き、少し気恥ずかしそうに笑い、海実は掠れた声で言う。
 その様子を見た結城と咲楽は微笑み、共に階段を降りる。その際、咲楽は自然に海実の手を握った。咲楽は「嫌だった?」と聞くが海実は小さく首を横に振った。
 その仕草が可愛くて咲楽は悶絶しそうだったが、彼女に気付かれないように何とか平然たる態度を装った。

 玄関には見慣れない女の人が立っていた。その人が海の姿を見るなり、海実の名前を呼んだところを見ると、その人は彼女の母親らしい。結城と咲楽は共に海実の母親の下へと行った。

「海実のお友達の方ですか?」
「はい、先ほどお友達になりました!」

 元気一杯に宣言する咲楽に、海実の母親は微笑む。それはもう、安心したかのような優しいものであった。

「そうですか。これからも海実と仲良くしてください。よろしくお願いします」
「はい、お任せ下さい! こーんなに可愛い海実ちゃんと仲良くしないわけないじゃないですか!」

 なんともまぁ、海実の気も知らないで母親の前で可愛いと言えるものだ、と結城は感心していた。しかし、これが咲楽の良いところでもある。裏表があまりない真っ直ぐなその性格に助けられてきた人は数多い。しかし、ストレートすぎる言葉によって、ダメージを負った心に追加攻撃をしてしまうことがあるのが玉に瑕。

「それでは失礼いたします」
「せんぱい、また、明日、です……」
「うん! じゃあね、海実ちゃん」

 結城と咲楽は海実が車に乗り込み、門を出て行くその時まで見送っていた。
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