Hypernomos 科学者至上主義社会

深井零子

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Case6 新しい恋愛と結婚の形

第1話 適性婚の時代:恋愛は国家の投資判断へ



 共同研究テーマ:『量子相関を用いた家庭内意思決定プロトコルの最適化』

 2052年、Hypernomos法の改正によって、婚姻届は「研究資源統合申請書」と呼ばれるようになった。恋愛は個人の感情ではなく、国家の科学的投資判断へと変質した。

 婚姻届の最上段には、かつて存在した「夫」「妻」の欄はない。代わりに、二人の研究者IDと、共同研究テーマの記入欄がある。テーマが曖昧だと、婚姻は却下される。「愛」や「生活の安定」などは、科学的根拠のない語彙として自動削除される。


Hypernomos婚姻法(抜粋)

 第12条(研究資源統合の要件)  
  婚姻は、二名以上の研究者が研究資源を統合し、国家科学力の向上に寄与する場合に限り認められる。

 第13条(共同研究テーマの提出義務)  
  婚姻申請者は、共同研究テーマ、研究計画、予測成果を申請書に添付しなければならない。

 第14条(感情依存行為の禁止)  
  恋愛感情その他の非科学的動機による婚姻申請は、国家科学力の毀損として無効とする。

 第15条(適性評価)  
  遺伝子適合性スコア、研究者ID相性指数、脳波同期率は補助資料とし、主要判断基準とはしない。
  主要判断基準は、あくまで「研究資源としての統合価値」とする。

 第16条(非推奨恋愛)  
  国家科学力向上に寄与しない交際関係は“非推奨恋愛”と定義し、行政指導の対象とする。

 条文は冷たく、しかし妙に整っていた。制度は恋愛を“科学的資源”として扱うことを、ついに法的に明文化したのだ。

 俺は研究所へ向かう途中、ポケットから細長い透明カプセルを取り出した。

 「量子おしゃぶり・アダルトモデル」。

 本来は乳児の脳波を安定化させるための医療デバイスだが、大人用に改造された非公式モデルが密かに流通している。口にくわえると、微弱な量子振動が舌の裏を刺激し、脳のノイズを一時的に沈めてくれる。タバコやコーヒーの代わりに、研究者たちはこれを“吸う”。

 俺は研究所の自動ドアの前で、量子おしゃぶりを口から外し、白い蒸気のような量子残響を吐き出した。

 「これがないと、制度の音がうるさすぎる。」

 Hypernomos国家は、研究者の脳波を常時監視している。量子おしゃぶりは、その監視の隙間を作る唯一の手段だった。

 街では、「非推奨恋愛」が社会問題として報道されていた。研究者IDの相性が悪い二人が付き合うと、SNSで晒され、“科学的非貢献者”として叩かれる。

 若者たちは恋愛を恐れるようになった。恋愛感情が高まると脳波同期率が上昇し、AIが「共同研究の可能性あり」と判断して通知を送ってくる。通知を無視すると、「科学的資源の浪費」として警告が届く。

 恋愛は自由ではなくなった。恋愛は国家の資源管理の一部になった。

 俺の所属するNQMI研究所でも、新しい研究テーマが立ち上がった。

 『適性婚の成功率と国家科学力の相関分析』

 研究所の廊下には、

 「恋愛は科学のために」

 「結婚は国家の未来のために」

 というポスターが貼られている。

 俺はそのポスターを横目に、量子おしゃぶりを指で弾きながら研究室へ向かった。

 Hypernomos国家は、恋愛すら科学的資源として収奪し始めた。

 そして俺は、その研究に加わることになっていた。
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