蛇 と 兎

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29.恐れる蛇

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 期末試験も終え、テスト休みに入った。この後はせいぜい終業式くらいで夏休みに入る。そして今日は優史が千景の家に勉強を教えに来る初日。
 テスト前じゃなくていいのかと優史に聞かれたが、休みに入ってからでいいと答えていた。本当のところ千景は勉強を教えてもらわないとわからない箇所などないし、テスト結果も基本的にいつもクラスの上位だ。

「はぁ」

 千景は珍しくため息をついた。優史に「勉強を教えてもらう代わりに何かしてあげる」と言った手前「家にだけは来るな」とは言い難い。それに家に来られるの自体は別に嫌ではない。

 家に来られるのは、ね。

「何。珍しいね千景がため息ついてんの」

 駅へ迎えに行くことになっているが時間はまだ早かった。そのためリビングのソファーに座ってコーヒーを飲みながらついた、ため息だった。そこへ千景の兄である優人がニコニコやってきた。

「別に何でもないよ。ていうか土曜だってのに何で家にいるの?」
「どういう意味?」
「兄貴ともあろう人がデートしないわけ」

 千景が微かな望みにかけてそう言うと、優人はおかしそうに笑ってきた。

「別に俺も絶えずデートしてるわけじゃないよ」
「……あ、そう。ほら、前の堅物さんやめて、今度はなんかかわいいエロそうな人と付き合ってなかったっけ?」

 春頃に付き合っていたらしい人とはかなり前に別れ、今は一見女の子に見えるほど整った容貌の、やたらかわいらしい男と付き合っていた。
 人の事を言えないが、千景はこうしてすぐに誰かに対して興味を失いまたすぐ別の誰かに興味が湧く兄を面白いと思う反面、いつか落ち着く日は来るのだろうかなどと完全に他人事なりに思ったりしていた。
 だが何となく今は他人事とも言っていられない。

「んー? まあね。完全なる堅物って、駄目だね。いや楽しいんだけどほら、崩れるとこ崩れてもらわないといたぶりがいがないっていうかさ。普段真面目とかお堅いのにいざとなると堪らなくエロくなるとか楽しいよね?」

 優人がニッコリ言ってくる。

 ほら、他人事と言っていられない。

 千景は思った。

 何そのとてつもなく優史に当てはまりそうな意見。

 千景は兄を嫌いではない。どちらかと言えば好きだ。兄弟仲もいいとは思う。

 自分が多いに影響を受けているであろう人。
 いつも楽しそうで人生を謳歌してそうな人。

 ある意味尊敬もしている。だが苦手でもある。千景がどうしたって敵わない相手だ。

「……」
「何だよ? ていうかどっか出かけんの?」

 そうだと言っておこうか。いや、どうせすぐ戻ってくるのだからバレバレの嘘をついても仕方ない。

「いや。俺の先生を迎えにいくだけ」
「ああ、お気に入り! ていうかまだ続いてたんだ? 珍しいね」

 優人がまたニッコリしてきた。

「まーね。だから兄貴変なことしてこないでね」
「へえ?」

 しまった。

 千景は内心自分に悪態をつきたくなった。嘘をついても仕方ないが本心を告げてどうする。自分のかわいがっているおもちゃにいくら横やりを入れて欲しくないからと言って、思わず出た言葉を心の底から取り消したくなる。
 千景は優人を見た。案の定、優人はさらにニコニコしている。
 いつも優史をいたぶって楽しんでいる千景は、当然優人の影響を多大に受けている。その優人がこの状況を楽しまないわけなかった。

「……いってくる」

 これ以上何かを言えば墓穴を掘るだけだ。せめて例のかわいいお相手が今すぐ兄を外へ誘ってこないだろうかと望みの薄い願いをしながら千景は駅へ向かった。

「あ、千景」

 駅では既に優史が待っていた。千景を見つけて嬉しそうに微笑んでいる。やはりかわいい人だと思う。
 普通大抵の人は外では年上ぶってくる。いくらあの時に散々泣かせようとも外では大人びた態度を取る人が多い。多分いい意味でも悪い意味でもプライドのなせる技なのだろうが、優史にはそれがない。まじめな人だから内心自分で自分を責めているところはあるようだが、こちらに対してあからさまに目上だという態度を取ってきたことは最初から一度もなかった。
 先生をお願いしたのはもちろん色々楽しみたいからというのがある。だがそれと共に、この年上ぶらない人が教師の仕事をしているところが見てみてみたかったというのもあった。

 どんな風に教えるの?
 学校ではどんな先生をしているの?
 生徒にはどんな風なの?

 ただ単に純粋にそう思うことだって千景には、ある。

「お待たせ」

 待ち合わせの駅を教えただけでも優史はとても喜んでいた。よほど千景の住んでいる場所が気になっていたようだ。直接聞いてこなかったのは、多分千景が色々詮索されるのを嫌うタイプだろうからと遠慮していたのであろうと思われる。
 全然年上ぶらない上にオトメンの優史はそういう妙なところで大人だと千景は思う。今まで付き合った年上の人は男女限らず、こういう部分は子どもだった。

「何故教えてくれないの? あなたのことなんでも知りたいのに」
「こういう関係になったら普通何だって話さないか?」

 元々千景はそんなに自分のことを話す方ではない。話したくないとかではなく、別にムキになって話すものでもないし何かの会話の流れで話すことがあれば話す。それくらいの感覚だった。
 だが付き合ったり体の関係を持ったりすると、相手は年上だというのにまるでわけがわかっていない子どものようなことを言い出したりした。大したことでもないと思っているというのに、そうやってムキになられた途端にどんどん引いていくのが常だったような気がする。
 好きな人を知りたいという気持ちがわからないんけではない。ただ、だからと言って押しつけないで欲しい。
 付き合ってるなら、体の関係があるのなら何だって話して当然。そう思うなら思えばいい。ただこちらはそう思ってないのだからそれも尊重できるくらいの余裕も持って欲しいと千景は思ってしまう。

「かわいいね、今日も優史は」
「……っええ?」

 普段全然大人ではない優史はやはり大人だ。そういう部分を思って千景はニッコリ優史の髪に手を伸ばし、撫でた。
 かわいいと言った途端、優史は赤くなっている。最初の頃は「かわいい」と言われるのが苦手だったようだ。だが最近はそう言うと素直に喜んでいるのが伝わってくる。
 千景はこっそりとため息をついた。だからこそ尚更家に呼びたくないのにと思う。
 最近ますます千景好みになってきた優史というおもちゃ。子どもの頃兄に無理やりおもちゃをとりあげられたといった、よく兄弟にあるような記憶は全くない。だが兄が気に入ったおもちゃはいつも気づけば千景の手から兄の手に渡っていた。

「……ほんと怖いからな、あの人……」
「千景? 何か言った?」

 思わず呟いていたようだ。千景はニッコリ優史を見上げた。

「何でもないよ、優史。じゃあ行こうか」
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