ヴェヒター

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3Wednesday

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 流河に無言で抱きつき、抱きしめ返され頭を撫でられることで、睦は妙に落ち着いたし気持ちが向上した。何だか自分が小さい頃抱えていた不満や憤りが燻ることなく、どうでもいいような気分にさえなった。
 小さい頃に抱えていただけで、実際今は抱えてはないのだが、引き摺っていたということは否めない。今の睦を形成するものの一部は、そんな小さな頃から培ってきた様々な燻りから発生した歪みなのだろうとは自分でも思っている。
 自分ではどうすることもできないものだとも思っていたのに、誰かに気兼ねなく甘えるだけで楽になるなんてと内心少し驚いていた。
 かといって流河が好きになってはいない。ある意味誰でもよかったのだろう。わがままで自分勝手で横暴な睦を笑って往なし、甘やかせてくれる相手なら、誰でも。
 あの後もう一度「ヤっていい?」と流河に聞かれたが「絶対イヤ」とだけ返し、六階へ戻ってきた。セックスなしでも甘えていいと流河が言ったのだ。睦は遠慮なくそうさせてもらうことにするし、そういう相手ができたことで妙に気持ちが凪いでいた。だからそのまま青葉の部屋へ出向いたし、素直に謝ることもできた。
 青葉は結局睦よりずっと大人だった。睦より年下でひたすらまっすぐで何も考えていないくせにと、どこかでずっと思っていた自分を睦は改めて実感した。大好きで大切な相手には違いないのだが、自分とは違い、気楽に生きてきたくせにとどこかで思っていた。
 だがそうではなく、いや、実際まっすぐだからこそだろうか、強くてしっかりしているのはやはり青葉のほうだったのだと睦は思い知った。そして青葉も睦と同じように兄弟として比べられていたのだと今さらながらに知った。
 二人の側にいた親戚のおじやおばの言い方や比べ方は、今思い返しても生半可なものじゃなかったと思う。いちいちそこまで言うか? と睦は今でも思う。それでも気にすることなく「俺は俺」でずっといられる青葉を、純粋にすごいと思った。
 こうして慶一にも頭を下げて謝れて、睦はとても暖かい何かが胸に広がる。慶一が教室を出ていった後も、青葉と抱き合ったまま軽口をたたいた。

「正確にフラれてないだけで多分ほぼフラれてんでしょ? 同じことじゃね」
「ちげぇよ! つかむつにしても流河にしても本命でもねぇくせに手ぇ出したら許さねーからね!」
「……自分だって好き勝手ヤってたくせに」
「ぅ。……で、でもそれについては慶一くんに謝ったし、もーしねぇし!」

 落ち込むように俯いたかと思うと青葉はムキになって言ってくる。

 ……こーゆーところはでも、やっぱ子どもみたいっつーか、かわいいよね。

 睦はおかしく思った。自分の影響で男女とも大丈夫な青葉は、これでも中等部の頃から遊んできている。おまけに睦とも寝ていた。だというのに何その反応、と笑っていると「何笑ってんだよ」と睨まれた。

「べっつにぃ。じゃあさ、あおはこれから一生えっちできねーよね。かわいそ」
「は? 何でだよ」
「だって慶一くんに操、立てたんでしょ? じゃあ二度と無理じゃん」
「何その遠まわしに慶一くんとは絶対くっつけないって言い方! わかんねーだろ。もしかしたら慶一くん、俺のこと好きになるかもじゃん」
「散々いたぶられて犯されてきた相手、あおならどやって好きになんの」
「ぅ」

 睦の言葉に青葉は顔を引きつらせている。改めてまたぎゅっと抱き返しながら睦は笑った。

「ごめんごめん。あおってば、からかうと結構おもしろいよねぇ。大丈夫、とは言えねーけどさぁ、あおならもしかしたら好きになってもらえるかもだよ。がんばれ」
「……むつ」

 青葉もぎゅっと抱き返してきた。

「まぁ、がんばれっつっても俺は俺で慶一くんと楽しく遊びたいけどね」
「……むつ」

 今度はムッとして体を離してくる。

「あは、まぁまぁ。つか、あおとはもーヤれねーの、ちょっとつまんない。ネコすんのあおにだけだからさぁ」
「じゃあ他の相手ともしてみたらいーじゃん」
「それはヤなの」
「何で」
「じゃあ、あおならできる?」
「ええっ? いやそもそも俺むつ相手でもちょっと抵抗あるし!」
「じゃあ慶一くんが逆にヤらせてくれるならつき合ってやってもいいって言ってきたら?」
「ぅ……。……つか、むつ! 俺からかって俺で遊ぶのやめろよ! たち悪いよな、全く」

 完全に睦から離れると、ため息つきながら青葉は歩きだした。

「どこ行くの?」
「じゅーどー部」
「また慶一くんに連れ戻されるんじゃない?」
「それはそれで願ったり! 体動かしてねーとちんこに青春が集中しちゃう」
「馬鹿じゃね」

 睦が笑うと振り返った青葉も「るせぇ」と笑ってきた。そのまま青葉も教室から出ていく。
 一人になった睦は口元をゆるめながらため息ついた。昨日ここで慶一を犯した時は、もう終わりだとさえ思った。慶一にも青葉にも存在さえ否定されると思った。それが今のように青葉と馬鹿なやりとりさえしている。

「俺、ほんと、馬鹿……」

 培ってきた性格だから、歪んだろくでもないところは多分治らないだろうし、自分でもこれが自分だと思っているから今さら変える気もない。
 だが今まではどうにもモヤモヤしたりイライラすることも多かった。それは多分もうあまりないような気がする。もちろん完全になくなりはしないが、青葉が言っていた言葉でようやく自分の中でもちゃんと理解できた気がする。自分でもわかっているつもりで、心の底ではちゃんと理解していなかった。
 青葉は周りが「兄を見習え」と言ってきても「うん」と言うだけでちゃんと「俺は俺」と思えていた。兄弟なんて定義はあるようで、ない。それぞれだし兄弟だからこう、というのはない。だから自分も周りに甘えてもいいし青葉を頼ってもいい。
 睦は流河にはっきり言われるまでわかっていなかったが、本当にきっとずっと、自分は周りに甘えたかったのだろうなと思った。だが「兄」「睦」という形だけの器に対するプライドが高いのもあり、素直に甘えられなかったしそもそも甘え方もわからなかった。本当は甘えたな自分のことすらわかっていなかった。
 その日の夜、睦は流河を部屋に呼びつけた。

「昨日の今日で俺を呼びつけるなんて、偉そうな睦」
「でも来た」
「まあ、甘えられるの嫌いじゃないからね。あと、あわよくばその気になってくれるかなって」
「それはねぇよ。絶対ないから。俺、お前も言うように性格悪いから、セックスちらつかせることすらせず俺の好き勝手甘えるけど」
「ふふ、知ってる。いいよ、それはそれで楽しいから。甘やかすこと、俺案外好きだよ?」

 実際好き勝手なことを睦は言っているだろうが、流河は気を悪くした様子もなく楽しげに笑う。

「どう甘えたい?」
「映画観るから、後ろから抱っこしてて」
「了解。俺は本持ってきたから、それ読んでる」
「俺抱っこしながら?」
「しながら」

 流河は睦のベッドの上に座り、両手を広げてきた。睦は少しだけムッとした顔した後、遠慮なく流河の腕の中に包まれる。
 映画を観ている間、流河は本当に睦を抱えつつ本を読んでいた。ちらりと見上げた流河は真面目そうで整った顔を本へ向けている。

 ……でもいいやつなんかじゃない。慶一くんの初めての男だろうし、それもレイプしたんだろうし。だいたい見た目が真面目そうっつったら、こいつのお兄さんの瑠生先輩だってそうだし。でもあの人もほんっと中身、アレだし。いいやつなんかじゃ、ない。

 心の中で呟くと睦は小さく、うんうんと頷きながらまた映画に集中しだした。
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