ヴェヒター

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7Sunday

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 ハーブの件で山岸が逃げた後、暫くは皆ほんの少し気が抜けたような感じになっていた。いつもは大抵煩いほど元気な睦と青葉が、まだ少々落ち込んでいる様子だから余計そう感じるのかもしれない。
 宏としては落ち込んではいられない。山岸の個人情報を使ってあれからもずっと調べていたが、まだ今のところはっきりした動きがない。
 教師をしているだけあって頭は悪くないのであろう山岸は、警戒しているのか銀行口座もカードも動きがない。宏が見つけられていないどこか金融機関の口座を持っているのかもしれないし、元々現金をそれなりに持ち歩くタイプなのかもしれない。
 今日も生徒会室でパソコンに向かいながら宏はふと、慶一を探していた時に千鶴が「ヒロは間違っていない」と言いながら手をぎゅっと握ってくれた時のことを思い出していた。
 普段ほぼ喋らない千鶴の言葉には重みがあった。言葉少なげではあったが十分だった。
 ずっと小さい頃から一緒だったにも関わらず、大抵何を考えているか宏にもわからない。別にそれが嫌だと思ったことはないし物足りないと思ったこともない。普段千鶴が考える内容は千鶴のものだと思っている。もちろん冷たく引き離しての考えでもない。個人主義と言えば表現が固いが、宏はそんなものだと思っている。
 宏の思う「個人主義」とは社会や家族、何らかの集団に所属する一員としての役割や権利をお互い尊重しあう立場だと思っている。一個人として自分の考えや時間を大事にしつつ、千鶴や家族、または仲間に自分では解決できない問題が発生すれば宏を含めた周りが助けるものだと思っている。個人と言いつつチームワーク的なものを重視するというのだろうか。
 日本ではこの「個人主義」が少々違う意味として捉えられているらしい。集団主義とも思える日本だが、例えば自分が割り当てられていない役割に関しては関与しない、といった考えが結構漂っている。皆、前に倣え的な考えや行動を変に見せるわりに利己的な感じがする、と宏は思う。
 学校でやらなければならないことでも、皆集団で行動しつつ、それぞれ役割が決まると干渉するわりに手伝うという発想はあまりないように見受けられる。早く終わった者がたくさん仕事を抱えている者を手伝えばその分効率いいと思うのだが、それは「損」だとでも考えられているのだろうか。
 生徒会や風紀メンバーは宏が考える個人主義の者が多いと思う。皆普段は本当にバラバラで好き勝手やっているが、いざ何かあれば一丸となれるし助け合える。
 そんな考えを持っている宏としては、恋愛に関わらず好きな相手のことは何でも知りたい、把握したいし下手すれば同じことをしたいとさえ思うわりに、いざ自分に不利となると非難したりそんな人だと思わなかった、などと考える流れもよくわからない。
 だから普段千鶴がどう考えているか全然わからなくても宏は気にならない。わからないままということは、千鶴が伝えなければならないと思っていないからだ。
 例えば本当に助けが必要な時はちゃんと伝えてくれる。そうすれば宏も心から手伝える。
 幸い千鶴も恐らく宏の考えに近いようだと思う。もちろん自分の考えを押しつける気はないので、もし千鶴が違う考えを持っているのならその時はお互い不満に思うことや提案を伝えたり譲歩したりすればいいのではないかなと考えている。
 そんな千鶴が、普段喋らない千鶴が「間違っていない」と言ってくれた時はどれほど励まされ支えになったか、と宏は思う。
 今も少しだけ離れたところでふわふわしたクッションに包まれるようにしてぼんやりノートに何かを書いている千鶴を見ていると、一見何も見ていないし感じてくれていないように思える。だがちゃんと宏を見てくれ、考え、判断し支えてくれているのだとしみじみ思う。
 三年である宏はいずれ卒業する。そうなると千鶴は大丈夫かなとたまに心配になるが、思い返せば初等部でも中等部でも宏がいない時期は千鶴にあった。問題が発生したことも千鶴に何かあったこともそしてない。

 ……何だかんだ言っても、チヅはどこでもやっていけるタイプなのかもだねえ。

 例えば賞味期限切れの菓子を思うと本当に心配だが、と宏はそっと苦笑した。

「失礼します。宏さん、預かってた仕事で終わらせた分持ってきたよ」

 ふと隣の風紀室から基久が入ってきて近づいてきた。

「ああ、ありがとう。いつもすまないね、助かるよ」
「いえいえ。拓実には叱られるけど、俺としては拓実と一緒に仕事する時間増えるのも悪くないんで」

 宏が笑いかけると、基久は爽やかそうな満面の笑みを見せてきた。元々明るい表情をいつもしている基久だが、最近はますますどこか嬉しそうだ。宏もニッコリ笑う。

「拓実とはうまくいってるの?」
「え? あ、えっと、うん、まあそうだね」

 問いかけられると顔を少し赤くしながらも、やはり嬉しそうに基久は頷いてきた。
 風紀は生徒会よりはまだ真面目だとはいえ、それでもその中で基久が一番素直で真面目でまっすぐで、そして明るいこではないだろうかと宏は思っている。
 風紀役職や生徒会メンバーは今の三年生も全員、宏が連れてきた。この中では千鶴だけが唯一、当時の先輩が連れてきた。なので当然、基久も宏が声をかけていた。
 当時高等部になりたての時、すぐに目についた一人だった。
 宏が「風紀委員にならない?」と最初声をかけた時は「うーん、どうしようかな。運動部に入ろうかなとか思ってたんだ」と今も変わらない爽やかな笑顔で返された。

「運動部もいいけど、絶対風紀のほうがやりがいあるし楽しいよ」
「そう? じゃあそうしようかな」

 もう少し悩んでくるかと思ったら案外すぐに言われ、宏はむしろ「え?」となった。

「え、って?」
「ああ、ごめんね。もちろんやりがいがあるし楽しいのは本当だけど、君があまりにあっさり言ってきたから」
「だって君が本当に楽しそうに見えたから」

 ニッコリ笑って言ってくる基久に、当時の宏も「何が何でも来てもらおう」と思ったのを覚えている。
 どれだけ周りに癖ある生徒ばかりだとしても、基久は変わらない。多分これからもずっとこんな風にまっすぐで真面目で素直で明るいままなのだろうなと宏は微笑んだ。

「ん? 千鶴さんどうしたの?」

 いつのまにかふわふわクッションに埋もれるようにしてぼんやりしていた千鶴が、宏と基久の近くへ来ていた。どうしたのと聞かれても黙ったまま、千鶴はじっと基久を見ている。
 大抵の者は千鶴にじっと見られるとそわそわしたり困ったように顔を逸らし気味になったりする。ちなみに三里は青くなる。だが基久は変わらずニコニコしたまま千鶴を見ている。
 宏は何だかおかしくて少し笑いを堪えた後「チヅ」と呼びかけた。すると千鶴が視線を宏へ移してくる。

「あまりじろじろ基久を見ても、基久が困っちゃうよ」

 だが宏がそう言うとむしろプイッと顔をそらしてまた基久を見る。

「ああ、そうか。千鶴さん、俺が宏さん取っちゃうとか思った? あはは。確かに宏さんは素敵だけどそれはないよ、千鶴さん。だって俺には大事な拓実がいるし、千鶴さんと宏さんもお互いが大事でしょ」

 また見てくる千鶴に少しだけ考えた後、基久がわかったとばかりに思い切り笑顔になって千鶴を見返す。面と向かってはっきり言われたことのなかった千鶴は一瞬面食らったようだが、その後コクリと頷くと少しだけ笑みを見せてきた。

 ……珍しい……。

 宏ですら頻繁に見られない千鶴の、わずかであっても笑顔に宏は驚きながらもそっと笑った。
 千鶴ですらある意味手なずける基久の性格は本当にさすがだなとしみじみする。たまにとても天然なところが、拓実じゃないけれども心配になることもあるが、やはり基久はこのままがいいなと宏はほんわかしながら思った。
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